喜ばしきあの日
2年前――――――魔神王封印の地『ギンヌンガガプ』
5000メートル級の山脈丸ごと一つがその居城となっている、魔神王と邪教集団たちの本拠地でもあるこの暗き地に、魔神王の完全復活を阻止すべく、勇者リーズを中心に世界各地から300人以上の精鋭が集まった。
彼らはすでに出撃の準備を整え、世界に平和をもたらすための戦いに向けて気炎を上げていた。
そんな緊張感に満ちた陣営中で、アーシェラはいつもと同じように仮設の調理場に立ち、大量の食材を包丁でさばいている。
「長かった戦いも、今日で決着か…………お祝いに、リーズが好きな食べ物をたくさん作ってあげなくちゃね」
彼は戦力外になってすでに久しく、戦闘の実力は確実に最底辺。それでもここまで同行を許されているのは、曲がりなりにも彼が最古参のメンバーの一人であることと、裏方の仕事の殆どを仕切っているから。
300人分の料理を作るのも、洗濯をするのも、物資を整えるのも……ほとんどがアーシェラの指示で動いていて、特に料理は、過去に毒物混入未遂があってから、リーズの信頼が厚いアーシェラ一人で切り盛りしていた。
トントントンと軽快な音を立てて、まな板の上で包丁が躍る。
瑞々しい緑色の葉野菜が細かく刻まれ、黒酢につけるための壺に入れられようとしたとき――――食堂の扉が開く音が聞こえてきた。
「シェラ~、いる~?」
「ん? リーズ、どうしたんだいこんなところに。そろそろ出撃する時間じゃないの?」
勇者リーズが、厨房にひょこっと顔を出してきた。
輝かしいミスリルの甲冑を身に着け、紅の髪に立派なティアラを飾った、リーズの勇ましい姿は、まさに勇者を体現する立派なものだった。それに比べアーシェラは、三角巾と年季の入ったエプロンを身に着け、その出立は町食堂の料理人とさほど変わらない。この二人がかつて共に肩を並べて冒険した仲間だと信じられる人は、何人いるだろうか。
「だって、きっとこれが最後の戦いになるはずだから、シェラにきちんと行ってきますって言いたくてっ!」
「いやちがうね。本当の目的はズバリ、夕御飯のリクエストでしょ!」
「あ、バレた? えっへへ~」
てへっとおちゃめな表情で舌を出すリーズ。彼女がこんな表情をする相手は、ほんの一握りだけ。その中でもアーシェラに対しては妙に甘えたがる。
「白パンはもちろん、マリネサラダに、鳥の串焼きに、マッシュポテトに……それに煮込みに10時間かけるビーフシチューもある。これだけあってもまだ足りない物があるのかい?」
「ハンバーグ!!」
リーズは輝く目で即答した。
「わかったわかった。顔より大きいハンバーグを用意しておくから、楽しみにしてて」
「約束だからねっ! シェラのハンバーグの為にリーズは絶対魔神王倒してくるからっ!」
「こらこら、そんな理由で倒しちゃ、魔神王がかわいそうだよ」
もちろんリーズなりの冗談だったが、それでもリーズにとってはアーシェラの料理が、闘魂の根底にあることは変わらない。彼の作ってくれたおいしい料理を食べることが、彼女の楽しみの一つだから……。
「じゃあ………シェラ、行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい。料理が冷める前には魔神王倒して帰ってくるんだよ」
アーシェラもまた軽い冗談で、リーズの緊張をほぐす。
そして…………どちらともなく手を伸ばして、しっかりと握手を交わした。
リーズが軽い足取りで厨房を後にすると、アーシェラは包丁を握って料理を再開する前に、握手した自分の右手をじっとみつめた。掌にはまだ、リーズの肌の温かみが微かに残る。
「いつになっても、リーズはリーズのまま、か…………」
アーシェラは、口の端が無意識に上がるのを感じた。
リーズはいつか自分の手の届かないところに行ってしまわないかとずっと不安だったのに、まだその熱が感じられるところにいるのが、今更ながらとても嬉しかった。戦場で肩を並べることが出来なくとも、絆でつながった仲間であることはずっと変わらない。
「この戦いが終わったら、宮廷料理人にでもなってみようかな」
そうつぶやいたアーシェラは、サラダを刻むのをいったん中止し、昨日の夜から丹精込めて作った味付きの挽肉を冷凍保管箱から取り出した。
アーシェラは最初からハンバーグは作るつもりでいた。料理のリクエストの時にあえてメニューにあげなかったのは、リーズ自身に「自分がリクエストした」という気持ちを抱かせて、楽しみをより大きくしてあげようという考えからだった。何とも妙な……それでいて小さすぎる心遣いだが、こういったことができるのも長い付き合いがあるアーシェラならではなのだろう。
リーズの手の感触がまだ残っているうちに、アーシェラはとっておきの肉を使ってハンバーグを捏ねる。今なら世界で一番のハンバーグが作れるはずだ――彼はそう信じて疑わず、ひき肉を手の中で転がした。
窓の外からは、大勢の人の歓声が聞こえる。
いよいよ、人類の命運をかけた戦いがはじまろうとしている。
アーシェラが作るハンバーグにも、俄然気合が入りはじめた…………
リーズたちがギンヌンガガプに突入し、決死の戦いを続けている間にも、アーシェラは黙々と調理に励んだ。途中何回か、洗濯や道具の整理、それに更に後方の基地に出す連絡についてほかのメンバーから指示を頼まれたが、おおむね滞りなく準備は進んでいった。
陣地に集まっていた300人のうち、リーズと共にギンヌンガガプに突入するのは通称「1軍」といわれる、メンバーたちの中でも特に高い実力を持った約100人だけであり、残りのメンバーは陣地で待機し、もしもの時があった時の備えや守備を任されている。
「さすがはアーシェラさんだ。勇者様たちを信頼しているせいか、とても落ち着いている」
「あの人も全力で頑張っている。私たちも、勇者様を笑顔で迎えるために、頑張らなきゃ」
歴史に残る最大級の決戦が行われていることに不安を感じるメンバーたちも、アーシェラがいい意味でいつも通りに振舞っているおかげで、自分ができることに集中しようという思いが高まっていった。
そして――――数えきれないほどの轟音が鳴り響いたのち、山脈の一角が崩れ…………陣営に連絡役の狩人が飛び込んできた。そして彼は高らかに告げた。
勇者リーズが、見事魔神王を打倒した―――――――と。
「とうとう魔神王が倒れたぞ!」
「勇者様の勝利だ! 勇者様万歳!」
「うっひょー! みんな踊れーっ!」
陣地に残っていたメンバーの誰もが、歴史的勝利に歓喜した。
ここまでに至る道は苦難の連続で、志半ばで散っていった仲間もいた。その苦労が、すべて報われたのだから、その喜びもひとしおだろう。
そして、誰もが先頭に立って仲間たちを引っ張ってきた勇者リーズの偉業をたたえた。どんなにつらく苦しい戦いにあっても、彼女がいるだけで常に頑張ろうという気になれたのだ。もし勇者リーズがいなければ、今頃世界の国々は滅亡していただろう。
「そうか…………ついにやったんだね、リーズ。おめでとう」
崩れた山の一角でもうもうと上がる土煙を仮設調理場から見て、アーシェラも喜びに心を震わせた。ずっと前から一緒にいて…………そして全力を挙げて支えてきた彼女が、今まさに伝説を作ったのだから、これほどうれしいことはない。
(リーズ……お腹すかせているかな? ふふっ、いつものように胸に飛び込んできてくれたら嬉しいな)
若干の下心を持ちつつも、アーシェラはリーズが笑顔で帰ってくると疑わず、彼もまた飛び切りの笑顔と最上級の手料理で出迎える用意を整えた。
しかし…………アーシェラをはじめとする2軍メンバーの喜びは、残念ながら長くは続かなかった。
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