第41話 情熱(後)
(つづき)
夜と朝の間。
「・・・起きて。美里ちゃん、起きて。」
「ん・・・ん?う~・・・ん、あと5分・・・。」
「ダメよ、あなたに見せたい景色があるんだから。」
「ん~・・・もうちょっとぉ・・・。」
「もうダメよ、5分後には見られない景色なんだから。ほらっ。」
強引に美里ちゃんを起こし、窓辺から外を見るように促すと・・・。
「ん・・・あ・・・っ、うわぁ~・・・っ!」
半開きだった美里ちゃんの目が、まんまると大きく開いた。まさに今、太陽が水平線から顔を出すところだ。
「キレイ・・・。」
この日は特に波もなく、海面が光の粒で満たされていく。空の色が少しづつ変わってゆく様は、この瞬間でしか味わえないものだ。
「ぅわぁぁ・・・。」
「ね、キレイでしょ。」
「はい・・・。」
圧倒されてる美里ちゃんに、下から声がかかった。
「あ、美里~、おはよ~。」
「へ?・・・あ、アキコ~、おはよ~。」
素子さんの所に泊まってる子が、美冴ちゃんに連れられて外に出てきていた。
「アキコ~、すごい、これ凄いよぉ~。」
外を指さし興奮を隠せない美里ちゃんを、
「こっちおいでよ~、外気持ちいいよ~。」
彼女が降りてくるようにと誘った。
「あ、うんっ。今行く~。」
軽快に階段を下りて行き、美冴ちゃんたちと合流した。普段港では「末っ子キャラ」の美冴ちゃんも、今日は幾分「お姉さん」な雰囲気だ。
「ヨーコさん、おはよー。」
「おはよう、美冴ちゃん。今日は早いのね。」
「あ、も~、いつもお寝坊さんじゃないもんっ。」
「ははっ、ごめんごめん。」
いや、やっぱりいつもの「末っ子キャラ」だ。
「ヨーコさん、ちょっとアキコとお散歩がてら一回りして来ます~。」
「えぇ。漁師のおっちゃん達の邪魔にならないようにね~。」
「は~い。」
連れ立って歩く姿からは、二人の絆の強さが感じ取れた。
「ふふっ。じゃぁ私は、朝ご飯の準備でもしますかね。ふふ~ん、今日はこれがあるもんね~。」
アジの開きの一夜干し。今日は二枚ある。
「ふっふっふ・・・。」
朝の港に演劇部員たちの声が混じり、いつにも増して活気がある。
「ヨーコちゃん、あの子達よく働くねぇ。」
「ねぇ。あまり無理しないように言ってねぇ。」
「あぁ、程々にしておくように言っとくよ。」
この騒々しさの中でも、彼らの声はよく通っている。
「あ~、そうそう。いいサイズのカレイがあるんだよ。煮付けにして出してやったらどうだい?」
「あらぁ、良いわねぇ。じゃぁ後で取りに来るから、それまで活かしといて。」
「あぁ、分かった分かったぁ。」
こうした漁師たちの協力や配慮のおかげで、この『ハマ屋』はやっていけるのです。
静かになった港に、演劇部員たちの声が聞こえている。
「みんな~、少し休憩にしませんか~。」
あまりにもぶっ通しで稽古をしているので、心配になって玉子焼きを焼いて持って行った。
「あぁ、ヨーコさん、すいません・・・。じゃぁみんな、休憩にしようか。」
美里ちゃんのリーダーシップは、みんなからの信頼の証。
「ハーイっ。」
にわかに、私の周りに輪ができる。
「え、なになに?なんっすか?」
「あ~、玉子焼きだぁ。」
「ヨーコさんの玉子焼き、美味しいんですよねぇ。」
と、その中に聞き慣れた声がひとつ。
「あら、先生も来てたんですねぇ。」
「あ、えぇ。一応この子達を預かる身ですからねぇ。」
「ふぅん。それを言ったら、顧問の先生はどうしてるの?顔見せないけど。」
「あぁ、今ウチの先生、子供連れて奥さんの実家に行ってるんですよ。」
「へ~、余裕あるわねぇ。」
「いやぁ、先生婿養子なんで色々大変なんですよ。」
「あらぁ、それは気ぃ使うわねぇ。」
「えぇ・・・まぁ、元々少し放任主義なところありましたし・・・ねぇ。それに今こうやってみなと先生に見てもらえてるので、私たちはもう百人力ですっ。」
「まぁ・・・ふふっ。ですってよ、先生。」
「いやぁ・・・僕は大したことやってませんよ。この子達が一生懸命になり過ぎるのをたしなめるくらいのことしかしてませんから。」
「ふ~ん・・・またぁ、謙遜しちゃってぇ。」
「いやいや、本当ですって・・・ねぇ。」
と、皆に同意を求めるが、
「いえ、みなと先生のご指摘はいつも的確ですよ。私たちが見えていなかった視点に気付かせてくれます。」
美里ちゃんから賛辞が返ってきた。
「え・・・いやぁ、も~、照れますって・・・。」
「ふふふ~ん。じゃぁもう少し休憩したら、続きやるわよ~。」
「ハーイっ。」
「あ、じゃぁ美里ちゃん、帰りにお皿持ってきてね。」
「あ、はいっ。」
こうして彼らの稽古は、夕暮れまで続いた。
日没より少し早く、演劇部員たちが戻ってきた。牛乳の彼に元気がない。
「あれ、どうしたの?元気ないわねぇ。」
「あぁ・・・えぇ、ちょっと・・・。」
「ふふ、今日はいっぱい台詞飛ばしたもんねぇ。」
美里ちゃんの口調は、どことなく嬉しそう。
「あらぁ、そうなの。」
「いや、覚えてるんっすよ。台詞は覚えてるんだけど、なんか『ココっ』って時に・・・ん~、出てこないんすよねぇ。」
「へ~、そういうもんなのねぇ。」
「そうやってコイツ、いっちょ前にスランプ気取ってるんですよ~。」
「まぁ。スランプを『気取る』のは良くないわねぇ。」
「うぅ、ヨーコさんにまで言われたぁ。」
「ふふふ・・・で?先生はなんて言ってるの?」
「う~ん、それが・・・よく分かんないんっすよぉ。」
「え・・・なんて言われたの?」
「ん~・・・『自分自身を放り出して、役の一部になるんだ。』って・・・。」
「う~ん・・・なんか、禅問答みたいね。」
「そうなんっすよ・・・もう俺の頭じゃ処理しきれないっす・・・。」
ついにはカウンターに突っ伏してしまった。
「あぁっ、も~情けないなぁ。ねぇ、ヨーコさんからも言ってやってくださいよぉ。なにか・・・その『人生の知恵』みたいなのを・・・。」
人生の知恵・・・と言われても困るけど・・・。
「う~ん、そうねぇ・・・うん。たぶん・・・だけど、台詞を一字一句間違わずにひとつの演目をやり切るのって、無理だと思うの。」
「やっぱり、そうっすよねぇ・・・。」
「ふふ、だからね。間違えないように練習しよう・・・じゃなくて、間違えた時にどう対処するかまで練習出来たら・・・うん、舞台に立った時に少しは余裕ができるんじゃないかしら。」
「う~ん・・・。」
おでこをカウンターにこすりつけている。
「ふふふ・・・さぁ、ご飯いっぱい食べて元気出して~。今日は三浦の野菜がたっぷり入ったお味噌汁よ~。」
やや大きめのお椀に、なみなみと注いでやる。
「野菜は元気の源だからねぇ。それと・・・後からカレイの煮付けも出るわよ~。」
「おぉ、贅沢・・・。」
丸々とした目を輝かせる美里ちゃん。
「ふふ、さすがに二人でひとつね~。」
「あ・・・ですよねぇ。」
「はぁ~い、いっぱい食べて明日も朝から頑張ってね~。」
「ハーイっ。」
夜、布団の中。
「ねぇ、ヨーコさん・・・まだ、起きてます?」
「えぇ・・・眠れないの?」
「ううん、そうじゃないけど・・・。」
「・・・なぁに?」
「明日の午後の稽古・・・見に来て、もらえませんか?」
「明日の、午後・・・?」
「えぇ。通しの稽古をするので、お世話になった皆さんに見てもらいたいんです。」
「うん、分かった・・・それなら見に行かせてもらうわ。」
「・・・よかった。」
天井を見上げながらの、静かな会話。
「ねぇ、ヨーコさん・・・。」
「・・・ん?」
「・・・おやすみなさい。」
「・・・ぅん、おやすみなさい。」
「あ~っ、おなか空いた~。」
朝の「お仕事」を終えて美里ちゃんが元気に帰ってきた。
「ふふふ、お疲れ様。ご飯できてるわよ~。」
「わぁ~、ありがとうございます~。」
今日の朝は簡単に「ねこまんま」と玉子焼き。
「ん~、いただきまぁすっ。」
「はぁい、しっかり食べてね~。」
ガツガツと食べる様は、さながら育ち盛りの運動部だ。まぁ、あれだけ白熱した稽古を毎日やっているのなら、この食べっぷりも納得だが。
「はぁっ、ごちそうさま~っ。」
「まぁっ、もう食べっちゃったの?」
「はいっ。
「あ・・・あぁ、そうなのね・・・。」
「はいっ。じゃぁ行ってきまぁす。」
「え、少しは休んだら?」
「いえ、私ひとり休んでいられません。」
「あぁ・・・そうなのね・・・。」
「じゃぁヨーコさん。あとで、待ってますからねぇ。」
「えぇ、見に行くわ。」
午後になり、漁協の二階にみんなが集まってきた。
「ではこれより、お世話になった港の皆さんに今回の演目を見ていただきます。え~・・・っと、至らぬところはあるかと思いますが、精一杯やりますのでどうか最後までご覧くださいっ。」
開演。
正直に言えば、コチラ方面に全く疎い私にはこの演目のことは分からないし、演技の良し悪しはもちろん「感想を述べよ」なんて言われても困ってしまうけど、彼らの真剣な眼差しから、その熱さや情熱を十分に感じ取ることができた。それが何かは分からないけど、何かとてつもないもので圧倒された気分だ。
万雷の拍手。
「ありがとうございましたぁ。え~、コレで私たち胸を張って来週の文化祭に挑めます。皆さん、本当にありがとうございましたっ。」
拍手と笑顔と、汗の匂い。こんな青春、私にもあったのかなぁ・・・。
「え~、晩御飯も食べて行けばいいのに。」
「えぇ、そうしたいのはやまやまなんですが、明日の授業の準備もありますし、それに・・・ふふっ、なんだか帰りたくなくなっちゃいそうですし。」
「あら・・・ふふっ、それじゃ困っちゃうわね。」
「はい。じゃぁ、ヨーコさん・・・大変お世話になりました。」
「・・・うん。元気でね、美里ちゃん。」
「はい、ヨーコさんも・・・。」
「えぇ、またいらっしゃい。」
「はい・・・きっと。」
日暮れにはまだ早い。太陽のように眩しい彼らが、日常へと帰っていった。
それからしばらくたって、美里ちゃんから手紙が届いた。そこには文化祭公演を無事に終わらせることができたことの報告に、その一幕と思われる写真が数枚添えられていた。
「来年は後輩がお世話になることになると思いますので、その時はまたよろしくお願いします。」
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