第38話 甘い香りに包まれて
今日は『ハマ屋』は休みの日。朝から優しくて甘い香りが漂っている。
「私も会いたかったなぁ、祐子さん。」
「えぇ、そんなに可愛らしい方なら私もお会いしたかったです。」
真輝ちゃんと明音さんが、朝から『ハマ屋』の台所でケーキを焼いている。
「私もねぇ、来るって分かってたらみんなに声かけたんだけどねぇ。いかんせん、急に来てワァーっと帰っちゃったもんだからねぇ・・・。」
私はカウンター席に座り、今日はさながらお客さん。
そもそも、なんでこういう事になったかというと・・・。
「あの、ヨーコさん・・・?」
申し訳なさそうに話すときの明音さんは、大体何かお願い事の時。と、最近分かってきた。
「ん?なぁに?」
「今度、お休みの日に・・・その、『ハマ屋』のお台所を、少し借りられませんでしょうか?」
「え、いいけど・・・なんに使うの?」
「あの、ですね・・・。真輝ちゃんには少しお話したんですけど、この雫港で暮らすからには、私も何かやりたいなぁと思いまして。」
「うん、いいじゃない。」
「えぇ・・・で、ですね、何ができるかなぁって色々考えて、やっぱり『私はケーキを焼くのが好き』という事になりまして、それも地の物を使って作れたらとても素敵なんじゃないかと思いまして。まぁ、真輝ちゃんの『おからクッキー』に触発されてる部分はありますけど、こういう港町にケーキ屋さんがあってもいいと思ったんです。」
「えぇ。」
「で、真輝ちゃんにこの話をしたら『じゃあ、ウチのおからを使ってみません?』て言われまして、今度一緒に試作会をしようという事になったんですけど、真輝ちゃんの所では少し手狭ですし、その・・・ウチの方もまだ整ってませんし・・・で、コチラなら広いし調理器具も揃ってますし、それに・・・ヨーコさんのお知恵も、お借りできるのではないかと思いまして・・・。」
「ふふふっ、分かった。その代わり、絶対に美味しいの作ってねっ。」
「は、はいっ。一生懸命がんばります。」
という事で、二人が奮闘している姿を見ている訳なのだが。それにしても、こうしてカワイイ女性が二人してアレコレと思案しながら台所仕事をしている姿を間近で見られるというのは、なんとも・・・役得。
「むふっ。」
「ん?なんですヨーコさん?」
「んっ?あ、あぁ・・・ほら、こんなに甘い香りが『ハマ屋』に充満したことって今まであったのかなぁ・・・って思ったら、ねぇ。」
「ふふっ、そうですね。少し不思議な感じですね。」
「あぁ、明音さぁん。やっぱりダメだぁ、膨らまないよぉ。」
焼け具合いを見ていた真輝ちゃんが、ガッカリとした声を出す。
「あらぁ、やっぱりおからだけでは上手くいきませんねぇ。」
「ねぇ、そもそもそれで良いの?もっとちゃんとした大きなオーブンの方が良いんじゃない?」
業務用とはいえ、やはり魚焼きグリルでは上手くいかないんじゃないかと思うんだけど。
【作者からの注釈】ここでヨーコさんが「魚焼きグリル」と呼んでいるのは、業務用の調理器具「グリラー」のことのようです。実際には「魚焼き用」の製品では無いのですが、魚を焼く時にしか使わないので、こういう呼び方をしている模様。
「いえ、ウチではオーブントースターでやってましたから、コレで充分いけるはずです。」
「そう、なのね。」
結局、膨らまなかったケーキをスプーンでほじくりながら食べる。
「う~ん、パウンドケーキならいけると思ったんですけどねぇ。」
味は良い。
「ヨーコさん、どうしましょう・・・。」
「う~ん、やっぱりおからだけじゃ膨らまないんじゃないかしらねぇ。」
「でも・・・なんとか、小麦粉無しで作りたいんです。」
「そうねぇ・・・じゃぁ、膨らまなくても美味しいケーキにするしかないわねぇ。」
「膨らまなくても・・・?」
「えぇ。例えば、チーズケーキとかエッグタルトとか・・・ねぇ、あんな感じのものなら作れそうな気がしない?」
「あぁ、なるほどぉ・・・。」
「ふふっ。ねぇ真輝ちゃん、ちょっと行って豆乳もらってきてくれない?」
「え、あっ、はい。」
「豆乳、ですか?」
「うん、ちょっとやってみたいことがあるのよねぇ。」
「は、はぁ。」
「じゃぁ、その豆乳と卵とお砂糖ね・・・。」
「あ、カスタードクリームですか?」
「うん、そうそう。」
「でも、カスタードクリームには小麦粉を入れるんじゃ・・・。」
「ホントは、そうなんだけどね。あとでおからと合わせることを考えたら、多少シャバシャバでもいいのかなぁって思ってね。」
「はぁ、なるほどぉ。」
「ねっ。明音さんは、カスタード・・・作れるわよね。」
「はいっ、もちろん。」
「ふふっ、良かった。じゃぁ真輝ちゃんは・・・ねぇ、おからのクッキーまだある?」
「えぇ、昨日たくさん焼いたので。」
「ならそれを・・・あぁ、このパウンドケーキの型でいいかな、うん。コレに詰めて土台にしましょ。」
「あぁっ、そういうことですねぇ。」
どうやら私のイメージが伝わってきたようだ。
「じゃぁ・・・一応クッキングシートを敷いて、っと・・・。」
あとは二人に任せれば、きっと美味しいものに仕上げてくれる。それにしても、こうしてカワイイ女性が二人並んで楽しげに台所仕事をする姿を眺めるのは、なんだかとても・・・むふふ。
キレイに仕上がったカスタードクリームにおからを合わせ、クッキーを敷いた型に流し入れる。膨らむ量を考慮する必要がなくなったので、型のいっぱいまで入れる。グリルに入れ、じっくり火を通していく。焼けるまでの間、優雅に紅茶タイム。
「明音さん、もうすぐよね?」
「えぇ、来週にはコチラへ移ってきます。」
「お仕事は、どうされるの?」
「しばらくは、コチラから通うつもりです。」
「あらぁ、大変よ?朝、早いんじゃない?」
「それはそうですが・・・ふふふっ、ヨーコさんの前で『朝が早くて・・・』なんて言えませんよ。」
「あ・・・はははっ、それもそうねっ。」
日の出前に起きちゃってる人に言われたくないか。
「でも・・・いずれは、仕事辞めてコチラに完全移住するつもりでいるんです。」
「あぁ、それで『ケーキ屋さん』?」
「は、はい・・・子供っぽいって笑われるかもしれませんが。」
「ううん、そんなこと・・・とっても良いと思う。」
「そ、そうですかっ・・・ふふっ、良かったぁ。」
「ねっ、『ヨーコさんならきっと賛同してくれる』って言ったでしょ?」
とても嬉しそうな真輝ちゃん。
「え、じゃぁ二人でやるの?」
「え、えぇ。そうなれたら良いですねって真輝ちゃんとも話してたんです。ねっ。」
「えぇ。明音さんのケーキと私のクッキーとで、ね。」
いつの間にそんな話を・・・。
「でもさぁ、それならこの辺よりも鎌倉とか湘南あたりの方がさぁ、なんか・・・合ってる気がしない?」
「いえ、ああいう忙しい街よりも・・・うん、この雫港が良いんです。」
明音さんの優しい笑顔が、今日はいっそう眩しい。
「それに、困ったらヨーコさんに助けてもらえるし。」
「ま、真輝ちゃん?なに、それじゃ私『便利屋さん』みたいじゃない。」
「ふふっ、でもお料理に関しては・・・ねぇ。」
「まぁ、明音さんまで・・・もう。」
二人ともカワイイんだから・・・。
甘い香りの中に香ばしさが混じってきたら、そろそろ良い焼け具合だろう。
「ヨーコさぁん、こんな具合でいいかなぁ?」
焼け具合を見ていたのは真輝ちゃん。なぜ明音さんではなく、私に訊くのか・・・。
「えぇ、取り敢えず出してみましょう。見てダメなら、また入れればいいんだし。」
そもそも火の通っている物ばかりだから、どこまで焼くかは『お好みで』ってことになるのだろう。
「では、上手くいっていますかどうか・・・。」
熱さに負けず手際よく型から取り出し、サッと真ん中に包丁を入れた真輝ちゃん。
「うん、中までちゃんと焼けてるっ。」
断面を確認すると、そのまま切り分け小皿に乗せた。見た目はベイクドチーズケーキといった雰囲気だ。
「うん、思ったより上手くいったわね。」
カスタードの滑らかな部分とおからの質感のある部分とが、上手い具合のバランスで混ざり合っている。
「では早速、いただきます。」
表面のカリッとした感触と内側のしっとりとした感触との違いが、フォークからも伝わってくる。熱そうに上がる湯気をフーフーと冷まし、ゆっくり口に入れる。
「はふっ・・・ん・・・うん。いいじゃない、焼き具合も良いわよ。」
「ホント?良かったぁ。」
「では、私もいただきます。」
明音さんは意外にも大きな一切れにフォークを突き刺し、そのまま噛り付いた。
「ん・・・はふ・・・っ。」
そりゃ、そんなことすれば熱いわよ。
「ん~・・・ん、うん。はぁ~、なんとも素朴な美味しさですね。」
「ふふふっ、熱くなかった?」
「ふふ、熱かったです。」
「もう・・・ねぇ。ほら、真輝ちゃんも。」
「あ・・・はい。」
小さな一切れをフーフーと十分に冷ましてから、慎重に口に入れた真輝ちゃん。
「ぁん・・・ん・・・うんうん・・・、・・・ん?」
小首をかしげる真輝ちゃん。
「もう少し、甘い方が良かったかしら?」
「ん~、このくらいで良いと思うわよ。冷めたらもっと甘みを感じるはずだし。」
「あ~、それもそうですねぇ。」
「それに、甘すぎないように作っておけば色々トッピングで遊べるし。ねぇ、ナッツとかレーズンとか・・・うん、ドライフルーツいっぱい入れたら美味しそうね。あぁ、サツマイモとか栗とか入れても良いかも。季節限定とかでさ。」
「ふふっ、やっぱりヨーコさんって凄いですね。真輝ちゃんとも話してたんですが、本当にいろんなアイデアがポンポンと出てくるんですもの。」
「ん?そう?」
そういえば、前にもそんなこと言われたっけ・・・。
「えぇ。ねぇ、真輝ちゃん。」
「えぇ、ホントですよぉ。不思議なくらい、次から次にポンポンと・・・ねぇ。」
「秘訣があるなら教えて欲しいです。」
「うん、私も知りたいっ。」
ちょと・・・困ったわねぇ。
「秘訣って言われてもねぇ・・・。うん、発端は・・・ちょっとした発想の転換なんだけどねぇ。」
「発想の・・・」
「転換?」
息の合う二人。
「そう、例えば・・・うん『パンに合う物はうどんにも合うはず』って具合にね。」
「パン・・・」
「うどん・・・」
・・・双子かっ。
「うん、どっちも小麦なんだから合うはず・・・って。ほら、カレーパンとカレーうどんの関係性ね。」
「あぁ・・・」
「なるほど・・・。」
「そうそう。そうやって合いそうなのを色々つなげて、そうね・・・『遊んでる』って感じかしら。」
「そんな感覚なんですね・・・。」
「うん。だから・・・ふふっ、結構失敗もしたのよ。リンゴの天ぷらなんて酷かったなぁ。」
「え、リンゴをですか?」
「そう。アップルパイみたいになってくれるんじゃかと思ったんだけど・・・揚げ方が悪かったのかなぁ、油っこくって駄目だった。」
「あらぁ・・・。」
「それはそれで・・・ちょっと食べてみたいなぁ。」
「真輝ちゃん?」
「だって、ほら『ヨーコさんの失敗作』なんて、滅多に味わえないじゃない?」
「あぁ、それもそうですねぇ。」
「も~、イヤよあんなの。思い出しただけでも胸が焼けてくるわ。」
「あらぁ、そんなに・・・?」
「でも・・・『怖いもの見たさ』で・・・。」
「明音さん?」
「ご、ごめんなさい・・・。」
カワイイんだから、もうっ。
「ふふっ。ねぇ、お店の名前はもう決まってるの?」
「あ、えぇ。なんとなくは真輝ちゃんと話して候補をいくつか出してはいるんですが、一応色々調べてみて、同じ名前のお店がないかな・・・とか、ね。」
「えぇ、ちゃんと決まったら真っ先にヨーコさんにお知らせしますっ。」
「うん、それならいいけど。」
のんびり生きてるように見えても、ちゃんと考えてしっかり準備して、人生を一歩一歩進めている彼女たちを見ていると「私も頑張らなきゃなぁ」なんて気になってくる。
「さぁて。じゃぁ、攻守交替っ!」
「ん?」
「ヨーコさん?」
「ふふっ。さぁ、いつもの『ハマ屋』の匂いに戻すわよぉ。」
「ぅふふっ、はいっ。」
「え~、もう少しケーキ屋さんやりたかったのに~。」
「ふふふ、また今度ね。」
「はぁ~い・・・。」
名残惜しそうにエプロンを外す真輝ちゃん。
「ねぇ、たまには『ねこまんま』なんかどう?」
「あ~、なんか久しぶり~。」
「明音さんは、初めてかしら?」
「えぇ、噂には聞いていたんですが・・・。」
「うん、じゃぁすぐ作るわね。」
それから。
明音さんは鈴木ちゃんとの生活を雫港で始め、会社勤めの傍らケーキ屋さんの準備を続けている。真輝ちゃんは真輝ちゃんで、都内での一人暮らしから雫港に戻るための準備をコッソリ始めているようだ。
それにしても・・・
「私、なんで明音さんのお弁当まで作ってるのかしら・・・。」
明音さん曰く、
「だって『彼と同じもの食べてる』って思うだけで、元気が出るんですものっ。」
だって・・・。
「ふふふっ。もう・・・カワイイんだから。」
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