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「仕方ない。ポルターガイストポイント、PPを消費するぞ!」
こんな時に何を言っているんだ、こいつは。
「真実! 体を借りるぜぇ!」
悪ふざけをしている場合じゃないだろ、と言ったつもりが、言葉になっていなかった。それどころか口も開いていない。いつの間にか、すくんで動かなかった足がその場で足踏みをしている。
だが、おかしい。僕は足踏みをしようなんてこれっぽっちも思っていないのに。
「おっ成功したか。人間、ベストを尽くせばやれるもんだな。ま、俺は幽霊だけど」
僕が口を開いてしゃべった。
いや違う。僕の中にいるあいつがしゃべっているのだ。
まさかこれは……あの幽霊に憑依された!?
「その通り! 説明しよう! 今の俺とお前は、一心同体という状態にあるのだ!」
どういう構造か分からないけど、僕の考えたことはそのままあいつに伝わるらしい。
「メガネちゃんへの熱い想いも、俺への敬意もビンビン伝わってくるぜ!」
気持ちが悪い。
先輩への想いはともかく、お前のことなんてこれっぽっちも考えていない。
それより早く先輩のもとへ行ってくれ。頼む。先輩を助けてくれ!
「ラジャー了解!」
なんだか締まらない。だが、レッテルを見るとすくんでしまう今の僕では力不足だ。こいつの力を頼らざるを得ない。不本意ながら。極めて不本意ながら。
「不本意ながら、じゃねぇ!」
不思議だ。僕は走っているつもりはないのに見える風景がどんどん変わる。その視界は揺れている。ようやく視界に津川先輩を捉え、その腕を捕まえた。
「痛いよ。真実ちゃん」
「はぁ……はぁ……ちょ、ちょっと待って……。四十秒待ってくれ……」
やはり締まらない。
二十歳半ばの男の幽霊が他人の肉体を借りて全力疾走した結果がこれか。
「し、仕方ないだろ。はぁ……は、初めてなんだから」
なおも幽霊は、情けない台詞と息を吐き続ける。
「お願いだから手を離して。ね?」
虚ろな目をした津川先輩が寂しそうに笑う。
そんな顔は見たくない。僕は笑顔が見たいのだ。
さあ幽霊。僕の考えを代弁してくれ。
「お前が正常か異常かどうかなんて知らねぇよ!」
おい。
「そもそも正常か異常かなんて、誰が決めるのか。いや、誰にも決められるわけがない!」
何を言っているんだ。僕はそんなことを考えた覚えはないぞ。
「えっと、真実ちゃん?」
その後も僕の考えを無視して幽霊自身の考えを伝える。
「男が男を好きでも、女が女を好きでもいいだろ。それの何がいけないんだよ!」
「いけないことではないよ。でも同性同士では……結婚できないでしょ?」
「いいじゃねぇか。男だろうが女だろうが、好きな者同士いっしょになった方が幸せだろ!」
「ダメだよ。それじゃダメなの。それじゃ幸せになることができないんだよ……」
先輩の声は震えている。
「悪い。PP切れだ。あとは任せたぞ、真実」
ちょっと待て幽霊。
僕の言いたいことを全然伝えられていないぞ。それからPPってなんなんだ!
次の瞬間、僕の意識や感覚が全て戻ってきた。
全速力で走った後のように呼吸が辛い。また、足の痛みもある。なにより全身が痛くて重い。意識していないと倒れてしまいそうだ。それでも、先輩の細い腕をつかむ手だけは力を抜けない。
やはり幽霊に助けてもらうのはダメだ。
深呼吸してから伝えたいことを頭の中で整理する。
先輩を救うのは後輩の役目だから。
やはり僕の口から自分の言葉で伝えないと意味がない。
「津川先輩は、結婚したいですか?」
「したい。好きな人と結婚式を挙げたい。ウエディングドレスを着たい。新婚旅行も行きたい。好きな人との子どもが欲しい。だけど、私じゃ無理だよ。男の人を愛せないんだから」
「はい。この国では男同士や女同士の同性婚が認められていないから先輩は結婚できません。でも、一部地域なら同性パートナーシップ制度を受けられます。それは、知っていますか?」
先輩はコクリと頷いた。それから周りを気にして小声で説明してくれた。
「法律上夫婦とは認められなくても、証明書を持てば同性同士で事実婚状態として認められる制度でしょ? 例えば、生命保険の受取人としてパートナーを選ぶことができるようになって、病院に入院した時にも家族として面会ができるようになる」
「その通りです。やはりお詳しいですね。これもある種の結婚ではありませんか?」
恋する乙女は正直だ。
お守りなんて持っていても自分の想いは曲げられないのだ。
「もしもそれが嫌なら同性婚を認めている外国で結婚すればいいじゃないですか。海外には、同性愛者のみが暮らす町もあるそうですよ。あ、もし結婚するなら式には呼んでくださいね」
先輩が微かに笑ったように見えた。けれども、その顔にはまだ暗さが残っている。
「でも、同性同士だと子どもができないよ」
「それなら人口受精して産むという方法がありますよ。男性の精子が必要になるので、パートナーとの子どもとは思えないかもしれません。でも、血の繋がりだけが家族ではないですから」
それに、血が繋がっていても家族だと思いたくない時だってある。
しかし、それは今話すことではないから黙っておこう。
「聞いているだけで股間が熱くなる話だな」
役立たずの幽霊が茶々を入れてきた。
こいつを懲らしめるのも今することではない。
「ねぇ真実ちゃん。もし私が女の人と結婚すると言っても……お祝いしてくれる?」
「もちろんですよ。先輩の幸せを祝うのが後輩の役目ですから」
それを聞いた彼女は、小さく笑った。今度は気のせいではない。良かった。少しずつでも元気を取り戻している。背中のレッテルは見えないが、このまま説得を続ければ大丈夫だろう。しかし、隣に浮かぶ幽霊の顔色は暗いままだ。
「まずいな。まだ黒い影が大きいままだ。今も少しずつ大きくなっているぞ」
彼が苦々しくつぶやいた言葉に耳を疑う。
なぜだ。彼女の表情とは裏腹に、黒い影はまだ大きくなっているというのか。
だとすると、レッテルの文字も太く大きいままか。どうやらまだ悩みを抱えているらしい。
「家族はどうかな。新婦が二人の結婚式に出席してくれるかな。心から祝ってくれるかな」
津川先輩が俯きながら話す。まるで自分に問いかけているかのようだ。
「私の家族は悲しむと思う。両親がよく言うんだ。結婚したら義理の息子と酒が飲みたいとか孫が生まれたら可愛いだろうとか。でも同性愛者の私では、その願いを叶えてあげられない。親不孝な娘だよね。これじゃあ祝ってもらえるわけないし、幸せになれないよね」
彼女の声と表情には、憂いと諦めの感情が込められていた。
先輩が異性を好きになろうと努力し、異性との結婚にこだわる理由がようやく分かった。
「それなら祝ってもらえるかどうか、先輩がご両親に……」
言いかけてすぐに止める。
今、何を言おうとした。危うく残酷な言葉を吐くところだった。
同性愛者であることを打ち明けてみればいいなんて、他人が軽々しく言っていいものではない。秘密を明かすことがどれだけ勇気のいることか。どれだけ恐怖を感じることか。それは、自分がよく分かっているではないか。
僕は自分の愚かさを呪った。
途端にまた口が開かなくなり、手の力が少しずつ抜けていく。
周りの奴らの言う通り、僕は【無能】だ。
それなのに先輩を救おうなんて大口を叩いていたのだから……笑えない。
自分で自分を呪って勝手に自滅しているところも笑えない。
「諦めたらそこで人生終了だぞ。おい真実! お前は、あの子を笑わせたいんじゃなかったのかよ! 諦めるな!」
ハッとして振り返るが、いつの間にか幽霊の姿はない。
PPの使いすぎで姿を現せないのか。
こんな状況なのにおかしくて思わず笑ってしまう。
だが、姿なき者の応援は確かに届いた。
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