「あー! やっぱり香夏子ちゃんだー! 久しぶりー!」


 津川先輩と同い年くらいの女の子が小走りで近づいてきた。

 服装は派手過ぎず、地味過ぎない。うっすらと化粧をしていて、可愛らしい女の子だと思った。その口ぶりから察すると、先輩と同じ中学校の友人かもしれない。

「久しぶり……」

 旧友の満面の笑みに反して弱々しく笑う先輩。いつもの優しい笑顔と違うことは明らかだ。

「元気―? 香夏子ちゃん。みんなと同じく地元の高校に行くと思っていたのに、隣の秋葉市の高校に行くと分かった時は驚いたよー。もーどうして教えてくれなかったのー」

「ごめんね。最後に受けた模試で良い判定が出たから、受けてみようかなと思って」

「そっかー。同窓会にも来なかったからみんな心配したよー」

 やたらと語尾を伸ばす話し方をする人だなぁと思っていると、ご友人がこちらに目を向けた。思わず笑みを作ると、あちらも笑い返してきた。

「初めましてー」

「初めまして。こんにちは」

「香夏子ちゃんの彼氏さん? 今日はデート?」

「いえ、ただの後輩です。今日は、図書委員会の仕事で本を買いに」

 僕は、両手に抱えた書店の紙袋を持ち上げて見せた。

 彼女は何度か頷いていたが、その顔に納得の色は見えなかった。

 津川先輩は、少し顔をうつむかせている。


「この女とメガネちゃん。過去に何かあったな」

 ずっと姿を消していた幽霊が声を出す。

 僕も同じことを考えていたので黙ってうなずいた。

「香夏子ちゃん。秋葉市の秋功学園だったよねー」

「うん。そうだよ」

「隣の市だから通学が大変でしょー」

「電車で一時間くらいかな」

「うっそー。そんなにかかるのー。香夏子ちゃんも地元の高校にすれば良かったのにー」

「あはは……。そうだね……」

 先輩の表情が強ばっているのがよく分かる。普段の彼女ならこんな笑顔は見せない。

「ねぇ、どこかでゆっくり話せないかなー? 後輩くんもいっしょにどう?」

「えっと……それは……」

 先輩がこちらに助けを求めるような目線を向ける。先輩の求めに応えるのが後輩の役目だ。

「すみません。僕たちこれから学校へ購入した本を持って行かなければいけなくて」

 僕は申し訳なさそうな声と表情を作ってしゃべる。

 とっさに考えついた嘘に先輩も同意して、うんうんと首を縦に振っている。

「これから万代駅に戻るのー?」

「ええ、そのつもりです」

「じゃあ駅まで見送らせてもらってもいーい?」

 そうきたか。できればここで別れて、津川先輩を休ませてあげたいのだが……。

「いいよ。駅まで歩きながら話そうか」

 どう反応したらよいか考えているうち、先に先輩が返事をしてしまった。そう言った彼女の顔色は、依然としてあまり良くない。

 僕らはエレベーターに乗って一階に移動した。そこから先輩と旧友が並んで歩き、僕はその後ろをついていく。幽霊は時々姿を現して、二人の様子を見ている。彼なりに先輩のことを心配しているのだろう。ほんの少しだけ見直した。


「ん?」

 思わず自分の目を疑った。

 両目を擦ってもう一度見る。だが、違和感まではぬぐえなかった。

「どうした?」

 こちらの異変に気づいた幽霊がふわふわと移動してきた。

 僕は小声で事情を説明する。

「先輩のレッテルがおかしい」

「どういう意味だ?」

「紙に書かれた文字が、太く大きくなっている」

 こんなことは初めてである。今までに何百枚、何千枚というレッテルをこの目で見てきた。これまでにも他人からの評価やイメージが変わり、貼られていたレッテルが剥がれ落ちることはあった。けれど、レッテルの文字の大きさや太さが変わるなんて初めてだ。

「実は、さっきからメガネちゃんの背中の黒い影がどんどん大きくなっている」 

 どうしてそれを早く言わなかったんだ、と問い詰めたくなった。

 しかし、目の前には先輩とその旧友。周りにも大勢の人がいる。こんなところで大声を出して怒っても白い目で見られるだけだ。

「悪い。本当にすまない」

 いや、幽霊に依頼された時、すでに対象者を覆う黒い影が大きくなっていると言われていた。遅かれ早かれこのような事態になっていたかもしれない。それを放置していた僕にも責任がある。彼を責める資格なんてない。

「原因は、何が考えられる?」

「おそらくレッテルを強く意識しているってことじゃないか。おそらく黒い影も同じだろう」

 真剣な表情で話す幽霊の意見に同意する。

 旧友と会ってからの先輩の様子はおかしい。おそらく彼女のレッテルは、中学時代に貼られたものなのだろう。

 ようやく万代駅の駅舎が見えてきた。時折後ろを振り向く先輩の顔を見ると、先ほどよりも表情が明るくなってきた気がする。このまま何事もなく帰りたい。

 しかし、この旧友から先輩の過去の話を上手く聞くことができれば、レッテルや黒い影の真相に近づけるかもしれない。どうにか上手く聞きだす方法はないだろうか。

「あー、喉がかわいちゃったー」

 駅前の広場まで戻ってきたところで旧友がそんなことを言い始めた。

 それより早く先輩を帰してあげたい。だが同時に、これはチャンスかもしれないとも思った。

「じゃあ、僕が飲み物を買ってきますよ。お二人は、そこのベンチで待っていてください」

 ここまでの道中、二人の話を聞いていてもレッテルの真相につながるものはなかった。少しでもいいから昔の話を聞けたら帰ろう。

「ほんとー? ありがとー。私、りんごジュース!」

 最初は可愛らしい印象の人だったが、今では幼いという印象に変わった。

「津川先輩は、紅茶でいいですか?」

 図書室の司書室で僕と雪森先生はコーヒーを飲むが、先輩だけは紅茶を飲む。どちらも本格的なものではなく、カップに粉を入れてお湯を注いで入れるインスタントタイプだ。

「うん。ありがとう」

「へぇー。香夏子ちゃんの好みまで知ってるんだー」

「もう二年も同じ図書委員をやっていますから」

 適当にごまかして自動販売機に向かう。自販機にお金を入れてボタンを押す。ガシャンと目当ての商品が取り出し口に落ちてくる。また別の商品を押し、商品が出てきたことを確認する。少し迷ってから自分の物も買うことにした。ガシャンと先ほどより大きな音がした。

 津川先輩の旧友は、良い意味でも悪い意味でもおしゃべりだ。それを上手く利用すれば……。

 僕は、缶ジュースを抱えてベンチに戻ると二人に手渡す。

 旧友は本当に喉が渇いていたらしく、すぐに缶を開けて口をつけた。

 津川先輩は、受け取った缶をじっと眺めている。

「これ、おいしー。香夏子ちゃんも飲んでみるー?」

 旧友は、飲みかけのりんごジュースの缶を差し出す。

「ありがとう。でも……」

 先輩は、紅茶の入った缶をぎゅっと両手で握りしめた。







「大丈夫だよー。私は気にしないし、もう【ズレ】ちゃんなんて言わないからー」







 危うく持っていた缶コーヒーを落とすところだった。

 今、彼女は何と言った。津川先輩のレッテルを言わなかったか。


「【ズレ】……ちゃん?」


 聞き間違いでないかどうか確認するために尋ねる。

「あれ、知らない? 【ズレ】ちゃんはねー、香夏子ちゃんの昔のあだ名だよー」

 中学時代の津川先輩のあだ名なんて知るわけがない。だが、僕の聞き間違いではなかった。やはりこの人は何かを知っている。このまま詳しく聞いていこう。


「ダメだ! やめろ!」


 幽霊が大声で叫んだ。


「やめて……お願い……」


 突如、先輩の両目からボロボロと涙がこぼれ落ちていく。

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