第19話 式典

 ストライキ解除から式典当日までの日々は嵐のようであり、自分が何をしていたか思い出すことすらできないほどであった。業務に復帰した騎士団に当日の流れを再度説明し、会場の設営状況を確認し、王族の読み原稿に間違いが無いかダブルチェックをし、警備計画に穴が無いか騎士団長と話し合った。

 もっとも、昔だったらダブルチェックどころかトリプルチェックでも足りないくらい何重にもチェックをして、話し合いも延々朝まで議論していたことだろう。しかしハンナ様の「仕事に優先順位をつけ取捨選択するように」という通達により、明らかに業務量は減っていた。おかげで毎日深夜ではあるが家に帰ることができ、繁忙期でも職場に泊まらない素晴らしさに感動したくらいだ。


 さらに素晴らしいことに、何かと理由をつけて騎士たちがプレゼントをくれるようになった。というのも、ハンナ様の部屋に私が殴り込んだことはあっという間に王室中の職員の知るところとなり、ストライキを行っていた騎士たちからは女神のように称えられてしまったのだ。何人もの騎士から合ゴンやデートの誘いが来て「モテ期到来か?」と思ったのもつかの間、仕事が忙しすぎて泣く泣く全て断った。

 しかし騎士たちはそんな私をサポートすべく、昼には食堂から昼食を持って来てくれたり、夕方にはおやつと称して甘いものを差し入れて来てくれたり、夜遅くなるとパブの帰りと理由をつけて酒の肴を置いて行ってくれたりしてくれた。おかげで食生活には不自由せずに繁忙期を乗り切ることができたのは嬉しい誤算である。


 そして迎えた式典当日。何十回と机上で繰り返したリハーサルを頭に思い浮かべながら、あとはどうにでもなれという思いで執務室を出た。向かうは国王陛下のいる謁見の間。その前室で勇者パーティーや幹部職員と合流し、陛下に拝謁する流れになっている。


 前室に着くと、既に勇者パーティーは正装を着込んでそろっていた。


「あらリリー、間に合ったのね、良かった。もう少しかわいい衣装でも良かったんじゃない?まるで面接に来た王立大学の学生みたいよ?」


 ハンナ様がいつものように優しい笑顔で話しかけてきた。今日はいつものドレスではなく、魔導士としてのローブと杖を着ていらっしゃる。


「いえいえ、私は秘書官ですから。あくまで皆さんのサポートをする立場です。今日は勇者パーティーの皆さんが主役なんだし、私はこのくらいじゃないと逆に怒られますよ」


「いいえ、リリーは無くてはならない存在なのよ。あなたがいなければストライキも終わらなかったし、式典すら開催できなかったかもしれない。もっと自分に自信を持ちなさい」


「その節は大変ご迷惑をおかけしました」


 私はハンナ様の部屋にアポなしで突入したことを思い出し、深々とお辞儀をする。あの時の私はハイテンションになっていて自分のやっていることの意味が良く分かっていなかったのだろう。終わってから一気に汗が噴き出してきて、トイレで2回ほど吐いてしまった。


「そうだな、秘書官殿にしては随分大胆だったと思うぞ」


 横から勇者が口をはさんできた。しかしその顔は随分と嬉しそうだ。


「勇者様……まだお礼を言えていませんでしたね」


「ん? ……お礼?」


「あの時、私に味方してくれて、ありがとうございます。私一人ではとてもじゃないけれどハンナ様を説得することができませんでした」


 本当は守ってくれてありがとう、と言いたかったけれど、さすがにそこまでは恥ずかしくて口に出せない。


「ああ、あれは秘書官殿が正論を言っていたからね。正論を言う人を援護するのは、悪いことじゃないだろう?」


「あら、裏取引の契約書をでっちあげて私を脅そうとしたのはどこの誰かしら?」

 ハンナ様のその言葉に私は目を見開く。


「え! 裏取引の契約書って無かったんですか?」


「そんなものあるわけないじゃない。そりゃ依頼の詳細を書いた紙くらいはあっただろうけど、まさか王家の人間が直接傭兵と契約なんかしないわよ。適当な商会を介して足のつかないようにやるのよ、こういうのは」


 ハンナ様は何でもないというように言い切った。


「え……じゃあどうしてハンナ様は勇者様の言うことを……?」


「いや、私ももともと王室機密費はちょっと問題が多いなと思っていたのよ。だけどなかなか廃止するタイミングが掴めなくってね。せっかくだから勇者の猿芝居につきあってあげたってわけ。ホラ、うちの犬どもは前例の無いことをやると極度に怯えるじゃない? だから、私が勇者に脅されて嫌々王室機密費を廃止したってことにすれば、あの犬どもも納得するかなと思って」


「そんな理由があったんですか……」


 私が呆気にとられていると秘書課の後輩から声がかかる。


「はい皆さんお揃いですね。では謁見の間に入ります。入りましたら指定された場所に並んでください。えーと、勇者様たちは陛下の正面、それ以外の方は左右に分かれて、通路脇にお願いします。足元にテープで皆さんの立ち位置が貼ってあると思いますので、見逃さないでくださいね。皆さんの準備ができましたら陛下が入場されますので、テキパキと動いてください。お願いします!」


 彼女は説明が終わると、謁見の間に続く扉——人の背丈の3倍くらいある大きい扉ではなく、その横にある人が1人通れるくらいの小さな扉——を開けて、私たちを順番に入場させた。


 全員が謁見の間に整列し、私たちが直立不動の姿勢でいると、宰相が大きく息を吸い込むのが分かった。


「神の恩寵によるアルビオン王国及びアルビオン正教会の長、聖アルビオン軍及び聖アルビオン騎士団の総司令官、魔王軍からの防波堤にて大陸の守護者たるチャールズ・ウェイトローズⅡ世陛下!」


 宰相が国王陛下の正式名称を叫ぶ。私たちが一斉に頭を下げると同時に王座の後ろの重厚な扉が開く音がし、衣擦れの音と人が歩く気配がする。少しの間の後に「頭をあげよ」というよく通る声が響いた。


「これより第11次魔王討伐隊任命式を始める」


 宰相の言葉に続き陛下のそばに控えた従者がゴテゴテに装飾された羊皮紙を陛下に渡す。その時私は、魔王討伐の遠征が今回で11回目であることを知った。魔王自体は第6代と言われているから、今までで5回ほど討伐に失敗したことになるのだろうか。そうすると討伐に成功した確率は50%。これが高いのか低いのかはよく分からない。



「ヨシオ・ノリヅキ、モリソン・クルーガー、ハンナ・ウェイトローズ、エリザベス・ランド、リリー・セインズベリー、以上5名を魔王討伐隊に任命する」




 あまりにも突然で、陛下が何を言っているのかが分からなかった。


「チャールズ・ウェイトローズⅡ世陛下、退出!」


 宰相の声に続いて周りが一斉に頭を下げたにもかかわらず、私は一瞬茫然として立ち尽くしてしまった。周りが頭を下げたことにより一気に視界が広がり、私も慌てて礼をする。足元の絨毯を見ながらも、私の頭は今陛下が発言した言葉の意味を理解しようと必死で頭を回転させた。


 私の幻聴でなければ勇者パーティーに私の名前が入っていたので、これは要するに私も魔王討伐の遠征に行かなきゃいけなくなるということだろう。しかし分からないのが、私には魔法や剣といった特殊技能が何も無いということであった。

 もっとも、たとえ私がゴブリン以下の戦闘力しか持たない存在であったとしても、国王陛下の言葉は絶対だ。これは、秘書課長はもちろん大臣や宰相でさえ覆せない事実。何故こんなことが起こったのか、誰が何のために仕掛けたのかは分からないが、私は生存率50%の旅に出なくてはいけなくなってしまった。知らず知らずのうちに、額から汗がしたたり落ちていた。 


 陛下が退出して部屋の緊張が一気に緩み、幹部連中がほっとしながら歓談を始めたと同時に、私は勇者に向かって走り出していた。


「ちょっと! どういうこと? 私がパーティーの一員なんて!」


 彼を見るといたずらっぽくニヤニヤ笑っている。ハンナ様も嬉しそうに微笑んでいるので、この2人は共犯なのだろう。エリザベスは何も知らなかったようで目を見開いて私を見つめている。


「リリー嬢、『ロジ』というのをご存知かな?」


 モリソン騎士団長が優しそうな笑顔で話しかけてきた。


「ロジ……ですか?」


「ええ。軍事用語なのですが、戦争において実際に戦闘を行うのではなく、補給や兵站、内部の調整などを行う部隊をロジ、つまりロジスティクスというのです。最近だと、騎士団や軍が大規模災害の折に派遣されるのはリリー嬢もご存知でしょう」


「ええ、それはもちろん……」


 最近は人間同士の争いが少なくなってきた分、魔物の討伐や災害派遣ばかりになったと士官学校に行った同期がこぼしていたのを覚えている。


「地震や台風といった大規模災害が起こると、騎士団はまず先遣隊として数名程度の部隊を派遣し、現地の状況を確認します。それは本格的に部隊展開する時に備えて食料や水の入手可能性、現場の被害状況、野営候補場所の選定などを行うのですが、その時、その先遣隊と本隊の連絡調整や現地の地方政府官との折衝などを行う者を、最近ではロジと言います。このロジこそが、我々がリリー嬢に求めることです。つまりリリー嬢、あなたには直接的な戦闘ではなく、我々のサポートをお願いしたい。これはハンナ様とヨシオ殿とも話し合った結果決めたことです」


 呟くような声で「私は聞いていませんでしたよぉ……」というエリザベスは、この際見なかったことにしよう。それでも私に秘密でこんな大切なことを決めたのには納得がいかなかった。


「なんで……なんで一言言ってくれなかったんですか! びっくりして心臓止まるかと思ったじゃないですか!」


「ごめんなさいね……ただ調整に手間取って最終的に決まったのが昨日なの。せっかくだからサプライズも良いかなと思って。許してね、リリー」


 ハンナ様にそう言われると、どうにも反論がしづらかった。


「それに、これを言い出したのはそもそもヨシオ殿ですしな」


 騎士団長の言葉に、驚いて彼を見る。


「え、そうなんですか?」


 彼はバツが悪そうにそっぽを向いているので、ハンナ様が私に向かって説明してくれた。


「ええ。あなたが私の執務室に殴りこんできた後、私と勇者で国王陛下のところに行ったわ。そこで話されたことは2つ。一つは機密費の問題でそれはあっさりと了解をもらいました。もう一つはあなたのこと。パーティーを5人にしたいと直談判したのよ。最初は陛下も渋ってらっしゃいましたけど、結局最後は折れましたわ。この国も変わっていかなければならないって」


「まぁ遠征は長い。事務作業をやる人間は必要だよ……」


 聞こえるか聞こえないか程度の音量で彼が呟いたのが聞こえ、私も何となく気恥しくなる。


「まぁ国王陛下のお言葉は絶対だから、なにはともあれリリー嬢も正式なパーティーメンバーだ。式典が始まるぞ。そろそろ向かおうではないか」


*****


 扉の前に立つと、その向こうにいる人の熱気が伝わってきた。この扉の先はバルコニーとなっており、そこからは王城の前の広場が一望できる。いつもは観光客がちらほらいる程度のその広場も、今は大勢の人で埋め尽くされているはずだ。確か警備計画では3万人ほどの来訪を見込んでおり、それ以上は騎士団が入場制限を設ける予定だったような。今から自分がその3万人の前に立つと考えると頭が真っ白になる。式典の準備をしていた時には単なる数字に過ぎなかったものが、今は形を持った大衆として目の前に存在するのだ。リハーサルの時には感じなかった不安と焦りが心を占めた。


「では勇者パーティーの皆様、前へお進みください」


 秘書課の後輩の言葉と同時に、傍に控えていた騎士がドアを開ける。まぶしすぎるくらいの太陽の光とともに飛び込んできたのは、鼓膜を破らんばかりの大衆の歓声だった。


 バルコニーに立った彼はまさに勇者といういで立ちで民衆たちに手を振っていた。ハンナ様も慣れたもので、高貴なオーラを纏いながら上品に微笑んでいる。モリソン騎士団長も堂々と岩のように仁王立ちをしており、エリザベスもしっかりと前を見据えながら微笑んでいた。


 私はこんなところにいて良いのかという不安感と地味な服装で来てしまった焦りから、まるでオペラの上演中に間違って舞台に上がってしまった小道具係のように、周囲に視線を漂わせながらあたふたしていた。


「リリー様、もっと前へ出てください。今日はあなたが主役なんですよ!」


 ドアの脇に控えていた騎士に言われる。そう言われても目立つことに慣れていない私は、足を踏み出してハンナ様達と並ぶことに戸惑いを覚えた。今まで王族と一緒に並ぶなんて、王室職員として想像すらしなかった事態だ。常に私は誰かのサポート役であり、全体がスムーズに進行するよう、影であくせくする仕事をしてきたのだ。決して自分が特殊な何かを持っているとは思わないし、それゆえどうしてもバルコニーに出て英雄のようにふるまうことができそうになかった。


 その時ふと、エリザベスの後ろ手に組んだ手が目に入った。民衆には堂々と笑顔を振りまいている彼女も、その手はがちがちに震えていた。他人の緊張が見えると緊張が和らぐというが、その時確かに私の中にあった車止めのようなものがとれ、自然に足が前に進んだ。

 それは、5歳も年下の女の子に負けてはいられないという小さなプライドのせいかもしれないし、震えているのは自分だけではないという安心感だったのかもしれない。私はエリザベルの隣に並んで、広場からは見えないように彼女の手をそっと包んだ。私の手の感触を感じて、彼女が驚いたようにこっちを見る。


「これからもっと怖い魔王と戦うのよ。気持ちを強く持っていきましょう」


「先輩……」


 彼女はくしゃっと泣きそうな笑顔を作った後に、にっこりと笑って私にだけ聞こえるような声で囁いてきた。


「もちろん。魔王も倒して勇者様も手に入れます。……先輩には負けませんから」

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