第4話 報償費
「何で報償費が出ないんですか!」
私は財務課長のテスコ男爵にとびかからんばかりの勢いでかみついた。周囲の財務課の職員も何事かとこっちを見ている。
「いや……だってリリーちゃん、王室経費の支出には課長級以上の承認が必要なのは知っているよね?だから秘書課長のサインが無い以上、こっちも支払いなんて無理だよ」
先日のオーク討伐の折に出現したワイバーンについて、あの場で私は業務依頼書を書き、秘書課の予算から20万ゴールドの報奨金を支払うことを約束した。彼は依頼書を受け取ってワイバーンを討伐、その後王城に帰って財務課に支払いを依頼したところまでは良い。しか支出のチェックの段階で依頼書の不備に気付いた財務課長から呼び出しを食らってしまったのだ。確かに課長のサインが必要だったことは頭の片隅にあったけれど、緊急事態だし仕方ないだろうということで私がサインして命令書を作ってしまったのだ。財務課も事情を加味して見逃してくれるだろうと高をくくっていたら、どんな1ゴールドのズレも見逃さないと有名な財務課長の目に留まってしまい、今こうして必死に食らいついているところである。
「だって目の前にワイバーンがいたんですよ! ワイバーンが! こーんな城みたいに大きなトカゲモドキがこっちを見つめて今にも飛び掛からんとしていたんですよ! そんな状況で秘書課長のサインとかそこまで頭が回るわけないじゃないですか!」
「しかしルールはルールだからねぇ……。課長のサインが無い以上、財務課としては1ゴールドも出せないよ」
「そこを何とか! 何か良い抜け道無いんですか!?」
「そんなもの無いよ……勇者様に言って、無かったことにしてもらえないの?」
「そんな!あのクソ勇者が『はいそうですか、それは残念ですね』って引き下がるわけないじゃないですか!何とかしてくださいよぉ……」
私はテスコ課長の冷酷な返答に泣きそうになる。テスコ財務課長は普段は温厚でいい人なんだけれど、ルールのこととなるといつも細かくて、時々面倒くさい。その上法律や会計の知識も豊富だから、言い争って勝てたことなど一度も無いのだ。もっとも、根がいい人だから私がこうして噛みついても易しく嗜める様に説明してくれる。そのため、困ったようなテスコ課長の顔を見るとあまり強く言えなくなってしまい、結局のところいつも丸め込まれて退散するしかないのだ。私の横では財務課の3年目貴族——確か先日、北方領地の伯爵の子息と見合いが決まったとかはしゃいでいた(私のごく個人的な理由により)気に食わない美人——が「クソ勇者って……」て顔を引きつらせながらこちらを見ている。
「じゃあ王室機密費とか! あれで何とかなりませんか?」
「リリーちゃん王室機密費なんてそんな大きな声で言っちゃだめだよ。そもそもあれは本来王族の指示が無いと使えないんだから余計に無理だって」
「そんなぁ……何とかなりませんか? そもそもワイバーンの素材をちゃんと納入しましたよね?それでチャラになったりしないんですか?」
「んー……あれは建前上は『倒されているワイバーンを騎士団長が回収した』っていうことになっているからなぁ。誰がワイバーンを倒したかは関係ないんだよね」
「じゃあ本当に……本当に報償費は出ないんですか?たった20万ゴールドですよ?私の1か月分の給料みたいなもんじゃないですか?」
最後の最後で泣き落としで何とかならないかと、テスコ課長の足元にすがりついてみる。
「ごめんねぇリリーちゃん、これはちょっと無理かなぁ。あ、もちろんリリーちゃんが個人的に勇者様に20万ゴールド払う分には大丈夫だからね。それは王室は関知しないので」
*****
「で、何かと思えばツケの踏み倒しという——」
「ツケでも踏み倒しでもない!」
彼の不作法な物言いに被せるように私は声を張り上げた。横で談笑していた若手の医務官——確か先日、ダブリン公国の特使の息子達と合コンしたと自慢げに話していた(私のごく個人的な理由により)いけ好かないゆるふわ系美少女——が驚いてこちらを見た。私が話しているのが勇者だとわかると、隣に座っている友人と思しき医務官とこそこそ話しながら、興味深そうにこちらをのぞき込んでいる。
「そもそもワイバーン討伐の業務命令は王室法からしたら無効な命令なの。だから20万ゴールドは払えないということで」
結論として、私はこの命令自体が無かったことにすることにした。もちろんそんな理屈で納得するほど、この勇者は性格が良くない。
「といっても、君は確実に20万ゴールド払うと私に言ったよね。これは王室法以前に、臣民法における信義誠実の原則に反するんじゃないのかね?」
彼は足を組みながら挑戦的な目でこちらを見てくる。
「信義誠実を言うならば、そもそもあなたはなぜあの場で無償で私たちを助けなかったの?王室に属するものは臣民の生命、身体及び財産に危険が迫るときには可能な限り臣民を助ける義務があるのはご存知ですよね?」
「残念ながら、私はまだ王室の正式な一員ではないのでね。誰かさんのせいで半年間の試用期間とされてしまったので」
ムカつく目つきでこちらを眺めながら、勇者は足を組み替える。
「試用期間中も王室法は適用されるのよ! それに試用期間中の成績如何によっては王室職員への正式採用を見送られることもあるわ」
「ほうーいいんですか、このSクラス冒険者を超える勇者を、この国は採用しないと。いやー私はそれでもいいんですけどね。どうやらお隣のブルボン王国も私の存在に興味を示しているという風の噂を聞いたことがあるなぁ……」
実際、アルビオン王国として勇者を手放すという選択肢は存在しなかった。そもそも私ごときの判断でどうにかできる問題でもなく、勇者召喚から魔王討伐に至る一連の流れは王族により決定されている一大事業なのだ。そのため、彼の方が圧倒的に立場が上なのは覆りようもない事実である。
「あのー、勇者様ですよね?サインいただけますか?」
声のする方を振り向くと、先ほどこちらを見ていたゆるふわ系美少女とその友人であろう金髪ドリル美女が立っていた。2人の襟元に着いたバッジと白い制服が保健省に所属する医務官であることを主張している。最近は彼の活躍が王室内に広がるにつれ、こうやって彼に話しかける人も増えてきた。さすがにサインを求められるのを見たのは初めてだが、いずれ勇者の存在が一般公開される頃には、こうやって芸能人みたいに扱われることも多くなるのだろうか。
「ああ良いよ!書くものはあるかな?」
外面だけは良いこの勇者は、私には絶対に向けないであろうまぶしすぎるほどの笑み浮かべながら、2人に手を差し出した。彼女たちが鞄からマグカップとペンを取り出して彼に渡すと、勇者は慣れた手つきでサインを書き付ける。契約書用の正式なサインではなく、芸能人がファン向けにやるようなオートグラフだ。いつの間にこんなものを覚えたのだろう。
「わぁ!ありがとうございます。私たち保健省で医務官をやっているんです。私はヴィクトリア・ポンドと言います。それでこっちの金髪の子がエリザベス・ランドです」
ゆるふわが嬉しそうに彼に向かって言う。金髪は上品に彼に対して微笑んだ。2人とも皺ひとつない白い制服に身を包んで、これでもかというくらい完璧なメイクをしている。
「へぇすごいね。2人とも美人だし、君たちみたいな美人に看護される男は幸せだね」
この勇者はよくそんな歯の浮くようなセリフを言えると思う。保健省は女性の志望者が多いから、実力がそこそこなら顔が良い順に選ばれるという噂がまことしやかに流れていた。もっとも、本当にそんなことをしているわけはないだろうが、何故だか美人が多い職場だし、今目の前にいる2人も、10人に聞けば9人までが美人というであろう顔のつくりをしている。
「ありがとうございます。またお見掛けしたら声をかけさせていただいてよろしいですか?」
金髪ドリルが初めて喋った。
「もちろん、いつでも気軽に話しかけてください。特に君たちのような美女なら大歓迎だよ」
相も変わらず甘いマスクのまま答える勇者。
「ありがとうございます」
そう言い残して2人は、庁舎の入り口に向かって速足で帰っていった。
「……で、いつ頃20万ゴールドは支払われるのかね?」
彼はその笑顔のままこちらに向き直って、先ほどとは打って変わった冷たい声を発する。
「すでに申し上げた通り、王室経費からは1ゴールドも支出できません。これは財務課長も確認済みのことです」
何とか逃げ切ろうと、木でくくったような回答をしたが、彼はより笑みを深めながら反論してきた。
「そうかそうか、あの命令は無効で、報償費は王室法上払えないものか。なるほどね、それは仕方ない、分かったよ。しかしどうかね、一担当官が王室の印章の入った羊皮紙を使って命令書を作って、しかもその命令は本来秘書課長のサインが無ければ有効にならないものだったと。それを僕が知らないのをいいことに命令だと言い張ってワイバーンを倒させて……これじゃ公文書偽装と言われても仕方ないよね」
痛いところを突かれた。事実その点を指摘される可能性は頭の片隅にあったので極力触れないでおこうと思ったが、そこは相手が一枚上手だったようだ。彼が続ける。
「そうか……どうしても払えないというのなら、仕方ないよね。けど公文書偽装は犯罪だから、善良なる王室職員の一員としては見過ごすことは許されないなぁ。そうするとどうしても監察官のところに公文書偽装の事実を報告しなきゃいけなくなる——」
「分かったわ。20万ゴールドは支払う。あの命令は王室法に基づく業務命令じゃなくて、私とあなたの個人的な契約だった。だから公文書偽装も関係ない。それで良い?」
「では、ギルド振込待っています」
彼は嬉しそうな満面の笑みでこちらを見下ろしながらベンチを立った。こうして、わたしの今月の給料が彼の懐に消えることが決まった。
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