第12話 白、失踪

「おーい、白ちゃーん」


 どのくらい引き戻したのかわからない。

 いつの間にか、疲れてとぼとぼ歩いていた。

 白ちゃんの呼ぶ声は、空しく乱反射している。


 行方不明になるんだったら、

 目先に置いておけばよかったよ。

 でも白ちゃんも白ちゃんで悪い。

 大人しく留守番していれば済んだものの。

 後悔だけが頭の中を渦巻く。

 無事でいてほしい。


「あ、あれは!」


 道のど真ん中で白ちゃんが、

 しゃがみこんで左足をさすっている。


「白ちゃーん」声を発しながら駆け寄った。


「足、怪我したの?」


 白ちゃんは深く頷いた。

 くるぶしの辺りがテニスボールくらいにれ上がっている。

 本当だったら、

 叫んだり呼び止めたりすることができたはずなのに。

 声が出ないことを疑っていたぼくは情けなくなった。


「ほら乗って、おぶっていくから」


 白ちゃんに背を向けてしゃがむ。

 ずっしりと背中にのしかかる。


「行くよ」


 ぼくは白ちゃんの太ももを抱えて立ち上がった。


「……重い」


 山道で体力を奪われていたせいか、

 思っていた以上に重かった。


「いてててて、痛いってば」


 ちぎれるくらいの力で、耳が引っ張られていく。

 白ちゃんが『重い』という言葉に反応して、

 ぷんぷんときたらしい。


「冗談だってば、ごめん。重くないよ」


 耳をちぎるくらいの力が徐々に消えていった。


「じゃあ行こうか」


 首だけ後ろを振り向いて白ちゃんを呼ぶ。

 コクリと承認したことをみて、1歩、1歩と歩き出す。


 日差しは熱く、蝉の合唱はうるさい。

 おまけにコンディションは芳しくない。

 それに屋敷までどのくらいかかるか、わからない。

 でも歩くしかなかった。


 1時間くらい歩いただろうか? 

 牛歩並のペースで進んでいるので、

 未だに屋敷の「や」すら見えてこない。

 日差しが和らいで、すうーっと冷たい風が走る。


 嫌な予感がする。

 おもむろに空を仰ぎ見ると灰色に染まっていた。


 やばい、これは一雨来るな。

 ラジオの天気予報で局地的に雷雨になるって言ってたから。

 よりによってこの場所かよ。

 悪い方向の時だけ天気予報が当たるのは、勘弁してほしかった。

 そんなことを念頭に、

 ぼくの歩みはハイペースになっていた。


 それから5分くらい経過。

 水滴が鼻頭はながしらをくすぐった。

 遂に来た。

 雨脚は徐々に激しくなり、容赦なく視界を遮る。


「雨宿りをしよう」


 ぼくと白ちゃんは、

 バケツの水をかぶったようにびしょ濡れ。

 ちょうど大きめの木の下に避難。

 ひとまず雨脚あまあしが弱くなるまで待機することに。

 ぼくはシャツの脱いで両手で絞る。

 白ちゃんは木にもたれて上を見ていた。


「雨止まないね」


 もちろん返事は期待していない。

 白ちゃんは反省しているのかわからないが、

 今度はうつむいてしまった。


 それにしても目のやり場に困る。

 白ちゃんの服がびしょびしょに濡れて肌に張り付き、

 うっすらと下着が浮き上がっていた。

 チラッとこっちを向く。


 やばい、バレた?


 反射的に目をそらす。

 チラッと動かすとまだ目線を送っていた。

 そしてぼくの右腕辺りを指差す。

 気になってさすってみると、血がこびりついていた。


「なんで?」


 怪我した理由はわからない。

 知らないところで枝の先端にでもぶつかったのだろう。

 痛みはないので、それほど気にならなかった。

 すると白ちゃんが、

 ポケットから淡いピンクのハンカチを差し出す。


「これくらい、ほっといても治るからさ」


 ぼくが遠慮しても白ちゃんは手を引いてくれなかった。


「ありがとう」


 礼を述べ傷口に当てる。

 ハンカチを剥がすと再び血がこぼれ落ちる。

 これは止まるまで巻いておいたほうが良さそうだ。

 ハンカチを2つに折って、

 傷口にかぶせ、端と端を結ぼうとした。

 やはり片手では無理だった。


「悪いけど結んでくれないかな」


 すると白ちゃんはハンカチの端を交差させる。

 だが指先が震えていておぼつかない。


「そこを下に持ってきて、

 あっー、そこじゃなくてそっちの……」


 色々とアドバイスを送るが、

 ハンカチの先端同士で格闘中。

 まさかと思うけど、こんな初歩的なこともできないのか。

 これは諦めたほうが良さそうだ。

 ハンカチも満足に縛れないなんて、

 靴ひもとかも縛れないだろう。


「ありがとう。傷が浅いからすぐ止血すると思うけど」


 苦笑しながら左手でハンカチを押さえる。

 念のため剥がしてみると既に血は止まっていた。

 血が付着したハンカチをそのまま返すのは失礼なので、

 ポケットに収めることに。


 空を見上げると雨は小降りになっていた。

 雷も発生していなかったので、

 進むには絶好のチャンス。

 再び白ちゃんを背負って歩き出す。


 それからおよそ1時間くらい歩いたのかもしれない。

 あねごさんの壊した車を発見。

 やっとここまでたどり着いたんだ。


「太朗くーん」


 木造立ての車庫が、目先で感じるところまで来たとき、

 ハカセさんが大きく手を振って駆けつけてくれた。


「助かったぁ」


 ぼくは白ちゃんを下ろして大きく息を吐いた。

 そのまま大の字に寝そべってみたかったが、

 地面は雨でぬかるんでおり、

 自爆しかねないので、それだけは避けることにした。


「お疲れさま。

 ずっとあの車庫の中で待っていたんだよ。

 もしかしたらと思って」


「ありがとうございます。

 白ちゃんのことは任せていいですか?」


「ケガをしているようだね。

 でもどうしようか? 

 この橋をおぶって渡るのは自殺行為だから」


 ハカセさんと一緒に悩んでいると、

 白ちゃんが足を引きずりながら橋のほうへ歩き始めた。


 「ちょっと白ちゃん!」


 慌てふためいて叫ぶと白ちゃんは、

 振り向いてニッコリと一瞬微笑んで歩みを進める。

 何を意味しているのか理解できなかった。


「ハカセさん、ボケッとしてないで止めてきてくださいよ」


「いや、彼女にたくそう」


 眼鏡がきらりと光った。


「悠長なんですから、ぼくが……」


「やめたまえ」

 ハカセさんの怒鳴り声に、ぼくの体はピタリと静止した。

「太朗くんは頑張った。

 だから白さんも、頑張らなくてはいけないんだよ」


 まるで青春ドラマみたいなセリフだった。

 もちろん説得力はない。


「普通に歩いても橋を渡るときは、

 ゆっくりだから造作ぞうさもないこと。

 今は巣立ちの時、温かく見守ってあげよう」


 そっと後ろから肩を叩いてきた。

 確かにパイプの手すりがあるものの、

 白ちゃんの歩き方は不安定だった。

 だからと言って、ぼくの頭では策が浮かばない。

 手をこまねくしかなさそうだ。

 そんな心配も皆無に白ちゃんは、

 難なく橋を渡りきってしまった。

 うそだろ。


「僕たちも戻ろう。

 あと1時間くらいで日没だから、

 みんなと話し合ってまた明日にしよう」

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