ふかいきりのリング

倉敷 塵

第1話 プロローグ 目覚め

「ここは一体……」


 重いまぶたを開けて2、3度瞬まばたきをして起き上がった。

 薄暗い部屋。

 中央には木造の丸テーブルと、

 湾曲わんきょくあしの椅子がぽつんと並んでいる。


 なぜ、こんなところにいるんだ? 

 脳細胞のうさいぼうを絞り考え中。

 だめだ、思い出せない。

 そもそも自分が誰なのかすら思い出せない。


 取りあえず立ち上がろうとして、

 下半身を包んでいた茶色の毛布をどかす。

 きっとぼくが風邪を引かないように、

 かぶせてくれたのだろう。


 四つ折りにした毛布を椅子にかけて部屋中を見渡す。


 手がかりがあるはずだ。

 壁際かべぎわには2メートルはあるだろうと思われる、

 本棚が仁王立ちしているしている。


 背表紙を指でたどる。

 六法全書ろっぽうぜんしょ広辞苑こうじえん

 英和辞典、生物図鑑など、

 頭を殴られたら即死してしまうくらいの分厚い本ばかりだ。


 試しにひとつ手にとってパラパラとめくる。

 すると本からカビたような臭いが鼻孔びこうを踊らせた。


 収穫はなし。

 パタンと本を閉じて棚に戻す。

 アルバムらしきものがあれば記憶が蘇る気がする。

 だが、本棚を指でなぞってみても、

 その類いのものは存在しなかった。


 何でもいい、手がかりがほしい。


 するとオフホワイトのカーテンが並ぶ窓が目に付いた。


 外の様子が気になったぼくは、

 カーテンを左右に払いのける。


 外は地面をえぐるような土砂降り雨で、

 所々に水たまりが湧いている。

 その先には青や紫など名も知らない花や草が生い茂っており、

 薄くもやがかかっている。


 ゴーン。


 錆びた金属音に、

 ぼくの心臓が飛び上がった。


 反転すると、ドアの横に大きな古時計が立っていた。

 カチコチと休みなく振り子を揺らしている。

 時刻は4時半。

 外の明るさと比較してみても、

 午前か午後か判断に迷ってしまう。


 ここから出てみよう。


 それしかなかった。

 ぼくは丸ノブをひねり、ドアを引いて身を出して閉める。


「……」


 言葉を失った。

 そこは洋風の大広間になっており、

 中央には2階へとレッドカーベットが伸びている。

 天井にはきらびやかなシャンデリアが、

 吊されて淡い夕焼け色に輝いている。


 キキキキキー。


 ドアの開く音が隣から、ふと右を向くと女の子が立っていた。


 水色のトップラインのキャミソールに白のショートパンツ。

 膝上ひざうえまでかぶる黒のオーバニーソックス。

 夏を感じる服装だ。

 髪は茶色く後ろで束ねている。


 この人なら何か知ってるかも。

 ぼくは勇気を出して声をかけた。


「あのー、すみませんが」


「きゃああああ!」


 突然、布を裂いたような黄色い声を発して走り出す。


「待ってください」


 負けじと追いかける。

 彼女は泳ぐような仕草で、

 手と足をバタつかせて2階へ。


「怪しいものではありません」


 説得を交えて距離を詰める。


「はあ、はあ、はあ」


 廊下の隅に追い詰められた彼女は、

 ナイフのように目を尖らせて息を切らしている。


「待ってください、

 決して怪しいものではありません。

 話を聞いてください」


 息を整えたぼくは、

 警戒を解く作戦へと大きく踏み込んだ。


「いやああああ! 近寄らないで!」


 壁にもたれかかっていた背丈ほどのほうきを、

 頭の上まで大きく振りかぶって一気に振り落とした。


「うっ」


 思わず目を閉じて頭を隠すようにガード。


 あれ、当たってない? 

 すると丸太のようなたくましい腕が、

 ガッチリとほうきの先を捕らえていた。


「離して、離してよ!」


 彼女は号泣しながら、

 泥のように地面に座り込む。

 全くもって今の状況が把握できない。


「お怪我はないだぁ?」


 ぼくを助けてくれたのは、

 2メートルくらいの筋肉がムキムキの大男。

 その容姿からは想像できないほど優しかった。


「ありがとうございます」


 礼を述べて立ち上がったぼくは聞いてみることに。


「実はぼく、自分の記憶がなくて。

 なにか心当たりはありませんか?」


 すると後方からふたりの姿が。


 1人目は細身でメガネをかけており、

 ネイビー色のジャケットにスーツ。


 もうひとりは、白Tシャツのカムフラージュ色のベスト。

 そして濃緑のうりょくのショートパンツの女性。

 マシンガンやサバイバルナイフを隠していそうで、

 戦場に出会しても違和感がない。


「ほら泣かないで」


 女性は崩れている女の子の介護に当たる。


「君、大丈夫かね?」


 細身の男性がぼくに語りかけてきた。

 さっき聞きそびれてしまったから尋ねてみよう。


「大丈夫です。ところであなたは誰ですか?」


「知らない」


「じゃあ、ぼくは誰ですか?」


「知らない」


 なんだなんだ、この下りは? 

 もしこの流れで「ここはどこですか?」と聞いても答えは一緒だろう。


「どうやら君も記憶喪失のようだね」


 細身の男は小首をかしげた。

 その言葉は、ぼくに問いかけているのか否か見当が付かない。

 でも「君も」ってことはもしかして?


「えっ、あなたたちも記憶がないんですか?」


「残念ながらそうなんだよ。

 僕たち3人はみんな一緒の部屋で倒れていたらしく」


 ぼくは苦笑した。


「そんなわけないでしょう! 

 ここにいるみんなが記憶喪失なんて。

 みんなグルになってぼくをハメているんでしょう、きっと。

 ほ、ほら、ドッキリかなんかで」


「……」


 だが誰ひとり答えてくれなかった。

 みんな? 

 つい口走ってしまったが、

 ぼくを襲った女の子の真意は確かめていなかった。


「その子だったら記憶ががあるかも」


「ねえ、自分が誰だかわかる?」


 保護に当たっていた女性が優しく語りかける。


「ううん」


 泣きべそをかきながら左右に首を振る。


「うそだあ! 

 さっきぼくを見て逃げたじゃないか。

 心当たりがあるから、

 そういう行動に出たんじゃないの?」


「……」


 ぼくに質問には答えてくれなかった。

 これは立派な差別だ。


「そもそも記憶喪失ってもっと酷いもんじゃないの? 

 言葉とか仕草とか忘れるくらいの」


「確かにそうかもしれないね」

 細身の男は言った。

「多分僕たちが陥っているのは、

 自分自身を忘れるくらいの軽度なものだと思うよ。

 こうやって普通に行動しているし」


「確かに、重度によってレベルがあるかもしれませんね」


 素直に頷くことにした。

 なぜなら今考えてる根本的な理由はそこではないから。


「まだこの屋敷に生存者がいるかもしれませんぞ」


 ずっと黙って、ぼくたちのやりとりを耳にしていた大男がしゃべり出した。


「あたしはこの子を見てるから3人で捜索して」


 ここは同性同士のほうが良さそうだ。


 ぼくたちは散らばった。

 大男は1階へ、

 細身の男は手前にあった部屋を開けて、

 ぼくは走って対抗側の部屋へ。


「失礼します」


 コンコンと裏拳でノックする。

 一応念のために。

 もちろん返事はない。

 そーっとドアを開ける。

 部屋の中は薄暗く、本棚、ベット、テーブルなど、

 ぼくが倒れていたところと、

 さほど変わりがない。


 何だろう? あれ。


 ふわりと白い布を発見。

 注意深く近寄ってみると、

 床に黒髪ロングの女の子が寝ていた。


 白い布はワンピース。

 背丈を計算すると、

 ぼくに殴りかかってきた女の子より幼いような気がする。

 死んでいる? 

 ここからでは寝息ねいきを確認できなかった。


「こっちは誰もいない。おーい、誰かいたか?」


 細身の男の声がフロア中に広まる。

 まずは連絡しよう。


「この部屋に女の子がひとり」


 するとぼくのところへ全員駆け寄ってきた。


「人形ではないようだね」


 細身の男はどことなく怪訝けげんそうに言うと、


「じゃあ生存を確認してきてくれたまえ」


「なんでぼくが?」


 反射的に抵抗すると、

 3人の視線がぼくに有無を言わせてくれなかった。

 ちなみにぼくを襲ってきた女の子は、

 しくしくと泣きながらうつむいている。


「わかりましたよ」


 正直言うと嫌だった。

 同じ目にいそうで。


 理由はないが、

 そっと忍び足で女の子に近寄る。

 すっーすっーと息が漏れているので生存の確認はできた。


「生きてますよ」

 よし、これで役回りは終了。


「体を揺すって起こしてくれ」


「そこまで聞いてませんよ」


「早くー」


 仕方なく肩に触れて揺らしてみた。

 や、やわらかい。

 まるで大福のような弾力性。

 少しでも力を加えたら砕けてしましそうだった。


 女の子は目をこすってゆっくり上半身を起こす。


「あ、君は」


 ぼくが問いかけると、

 ビクンと肩をつり上げて震えて始める。


「だから怪しいものじゃなくて、その」


 両手をグチャグチャにかき泳がせながら必死に言い訳をする。

 女の子は可愛らしく小首をかしげた。


「反応はどうなの?」


 ラフな格好の女性が、

 ぼく後ろから顔を出してきた。

 既に半円を描くように、

 後ろにはみんな固まっている。


 泣いていた女の子、

 かぶってしまうので、

 ポニーテールの女の子は泣き止んでいて図々しくも、


「この変なお兄ちゃんにセクハラされなかった?」


 カチンときた。


「なんでぼくが、

 そんなことしなくちゃいけないんだよ!」


「目つきがなーっんかやらしーし、

 あたしのこと襲おうとしてたくせに」


「ふざけんじゃねーよ! 

 こっちは自分の記憶もないんだぞ」


「あたしだってないよ。

 だから不安だったんだから」


 表情が曇ってきた。

 目尻を下げてまた泣き出しそうな雰囲気だ。


「ほら、ふらりとも静かにするだ。

 ところでお嬢ちゃんは、

 自分が誰なのかわかるかなぁ?」


 大男がしゃがみこんでにっこりと微笑む。

 この状況を人混みの中で見かけたら、

 間違いなく通報されるレベルだ。


「……」


 だが、黒髪の女の子は左右に首を振るだけだった。

 ぼくたちと同じ記憶喪失者きおくそうしつしゃ


「これで6人目ですね」


 ぼくがそう告げると、

 細身、大男、ラフな女性の吐く空気が一気に重くなった。


「実はもうひとりいたんだ」

 細身の男は尻つぼみに言うと、

「あまりいいものではないが、

 君たちにも見て欲しい」


「見てほしいって、

 あたしらから行かなくちゃダメなんですか? 

 メガネさん」


「メ、メガネ?」


 ポニーテールの子の直球に細身の男は動揺した。


「君ね、僕がメガネをかけてるからって、

 メガネってストレートすぎないか」


「じゃあ、な・ま・え言ってください。

 そう呼びますから」


 確かに名前がない以上、

 これはこれで不便だった。


「よし、思い出すまで個人のニックネームでも決めるとするか」


 乗り出してきたのはラフな女性だった。


「じゃあメガネはメガネで」


「待ってくれ! 

 メガネ以外にしてくれないか?」


 よっぽどメガネが嫌いらしい。


「なんでだよ、

 メガネは体の一部なんだぞ。

 しゃーねーなー、

 じゃあメガネ1号」


「だからメガネは外してくれって!」


 ふたりが揉めていると、

「はいはーい」とポニーテールの子が挙手をして、


「真面目そうだから、

 エリートとかハカセとかは?」


「ハカセで構わない」


 やっとさやに収まったらしい。


「んで次はあたい。どうかな?」


 ラフな女性は自分を指さして、案を求める。

 だが、誰も口に出してはくれなかった。


「なんかないのか、おまえら」


 その指先を払うようにして、

 ぼくに付きだした。


「えっと、じゃあ肌が日焼けしているので、

 コムギさんはどうでしょう?」


「コムギさんか……」


 腕を組んでに落ちない様子。

 人に振っといてそれはないだろう。


「センスゼロね」


 横から口を挟んできたのは、

 憎たらしくもポニテ子だった。


「反論するんだったら、

 ぼくよりも良いの言ってみろよ」


「んーとね、頼りがいがあるから、

 あねきかあねごの2択」


「まあ有りだね」


 ここは一歩引いてあとは本人に委ねよう。


「あねきかあねご。

 あねごのほうがしっくりくるな。

 これからはあねごって呼んでくれ」


 ハハハっと大声で笑い出した。


「次は、その白のワンピースの子。

 自分でなんかないか?」


 ターゲットは目覚めたばかりの黒髪少女に。


「……」


 だが、金魚のように口をぱくぱくさせてばかりいた。

 明らかに様子がおかしい。


「もしかして喋れないの?」


 ポニテ子は前屈みになって顔を覗かせた。

 黒髪少女はコクリと強く頷く。

 こんな幼い子が記憶もなくて、

 声も出ないなんて。

 ぼく以上に不安なのかもしれない。


「んじゃあ、白ちゃんでどう? 

 ワンピース白だから」


 そのまんまじゃねーか! 

 と心底でツッコミを入れたが、

 黒髪少女は再度頷いたので口にはしなかった。


「次はあたしー。あたしはヒメって呼んでね」


 ポニ子は活発に挙手をして自己アピール。


「反対だ。ヒメはねーだろ!」


「はあ? 反論するの? 

 あたしにふさわしい名前決めてよ」


「チビだ」


「ブー。あたしより白ちゃんのほうが低いもん。

 却下! 

 ヒメできまりー」


 ぐぬぬぬぬぬ、

 なんだこの腸を煮え繰り返すような心境は。


「気持ちはわかる、ここは落ち着こう」


 ぼくの肩を叩いたのは、


「わかりました、メガネさん」


「ハカセなんだが」


「次は君か」


 あねごさんがチラッとぼくを見る。

 遂にこのときが来たのか。


 ぼくの存在はみんなにどう映るんだろう? 

 あらかじめ候補を選んでおこう。

 そうだな、天才とか英雄とか救世主とかもいいだろう。


「バカ、アホ、マヌケ、キチガイ、

 ヘンタイ、ウンコ、女の敵、ブサイク、

 おまえのかーちゃんでーべそ。

 さあ、この中から好きなものを選びな」


「それ全部悪口じゃねーか!」


 殴りかかるような勢いでヒメに怒鳴りつけた。


「人がせっかく考えてあげてるのに、べーだ」


 反抗的に舌打ちをして、そっぽを向いてしまった。


「他にありませんか?」


 みんなの顔色をうかがった。


「普通なんだよね」

 とあねごさん。


「……普通ですか」

 そんなに特徴ないかな、ぼくって。


「こいつだけ名無しでいいんじゃない? 

 別に困らないし」


「あのなぁ」


 ヒメがぼくの導火線どうかせんに火をつけようとしていた。


「では聞くけど、君はどう呼んでほしいんだ?」


 ナイス質問。

 ハカセさんのその言葉、

 首を長くして待っていたんですよ。


「いろいろあるんですけど、そうですねー」


「却下!」


「おい、こら!」


 またしても口を挟んできたのはヒメだった。

 一言も言ってないのに、もう!


「では仕切りを直して。

 そうですね、

 天才とか英雄とか救世主の3択なんですけど、

 いかがですか?」


「……」


 まるで幽霊が通り抜けたように黙りこくってしまった。

 すみません、調子に乗りました。 

 沈黙を破ったのはハカセさんだった。


「ここはシンプルに、

 太朗なんてはどうかな?」


「太朗……ですか?」

 おとぎ話じゃないんだから。


「もういいよ、そいつの名前、太朗で」


 大きく背伸びをして、

 首をコキコキ鳴らしながらヒメが言う。


「いや、ぼくの名前だ。

 最重要課題さいじゅうようかだい匹敵ひってきする」


「あんた、いいかげんにしろよ! 

 自分の名前決めるのに、

 どれだけ時間使ってんだよ! 

 実名じゃないんだから、

 呼びやすい名前でいいんだよ、

 コノヤロウ!」


 鬼のような形相ぎょうそうでぼくに指を突きつけてきた。

 この勢いに負けて「はい」と情けなく返事をしてしまった。

 ヒメとは絶対に気が合わない。

 きっと他人同士だったんだろう。


「それぞれ呼び名も決まったことだし、例の部屋に行こう」


 ハカセさんが先陣を切って誘導する。

 表情はどんよりと重く、

 そしてぎこちなかった。


「おらぁの呼び名が、決まっておらんのだが……」


 大男が涙交じりに眉をひそめると、


「熊さん!」


 あねごさんとヒメが、

 打ち合わせをしたんじゃないかってくらいピタリとシンクロした。


 丸太のように太い腕と太もも。

 口まわりの黒いひげ。

 この2点だけであだ名が、

 熊と言われても否定はできない。


 ちなみにぼくが考えた第2候補は、

 イエティで第3候補はキングコング。


「おらぁが熊さん?」


 本人は納得していなく、

 胸のまえで真剣に腕を組む。

 おい、誰か手鏡を持ってきて見せてやれ。


「熊さんは熊さんなんだから、

 熊さんって呼ばれたら返事しなくちゃダメですよ」


 白い歯をむき出してヒメが説得に取りかかる。


「う、うん」


 しぶしぶと頷く熊さん。

 もう諦めてくれ。

 そう呼ばれたくなかったら、減量でもするんだな。


 ここでひとまず人物と名前のおさらいをしておこう。


 まずスーツでメガネをかけた細身の男が『ハカセ』。


 次に、カムフラージュのベストを着て、

 小麦色に日焼けしているラフな女性が『あねご』。


 そして、じゃじゃ馬で小生意気なポニテが『ヒメ』。


 黒髪ロングで声が出ない少女が『白ちゃん』。


 大男が『熊さん』で、


 ぼくが『太朗』。


 こんなもんだろう。

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