不安をなくす方法

下海孝誠

第1話

不安をなくす方法を思いついた、と智は呟いた。

智は朝方、なんだか生まれたてのような生温い気持ちで目覚めると、何も言い回しも立ち回りも虚勢をはるのも知らない子供のような気分で、生きていくのに立ち向かっていくのをとても怖いと思い、不安で仕方なくなる。

もう一度眠りに着いて今度は目覚ましの音で起こされると、今度は仕方なく布団から出て、支度をしていくうちに、現実の色に戻ってくる。

「大丈夫だ。」

現実に対して、立ち向かっていく時が一番不安で、一歩を踏み出してしまえば、あとは進むだけだ。本来なら一歩も踏み出したくない。なぜなら、なんだか思っていない事を言ったり、笑って対処したり、振る舞いを考える事が、智が考えているワールドとちょっと違うからだ。

智が考えているワールドを表現すると、風が吹いているところに感情の波で線が畝り、そこに色を加えていくような抽象画だった。

しかし、そんな事は現実界には何の役にも立たず、そんな事が本当に良いなんて思って生きてきたから、現実でつまづきまくってしまったのだ。

その教訓を何度も何度も見返して、37歳になってやっと、現実にというものに出会ったのだから、本当に良く言えば遅咲きだが、普通に言うと馬鹿なんだろうなと思う。


現実では、本当の事を言えば良いと言うものではない。現実というのは、イコールといって過言ではないが、人間関係の事だ。

自分以外の人の中で生きて行く時、本当の事ばかり言っていたら、大変な事になってしまう。

そこら辺の、素直に真っ直ぐに生きるべしと思っていたが故に、どの程度の塩梅で何を発するべきなのか本当に分からなかったから、要するに正解の分からない、前の見えない闇を進むのは不安だった。だから何度と悩んで考えすぎていたのだが、ある時気がついたのだ。

かわいい女の子に、ウソでもいいから、カッコいいと言われたら、嬉しい。

そんな程度の事で良いのだ。その時に、明らかなウソは、信頼を落とす。

ある程度本当の範囲内で、相手が思うことを考えれば良いだけだ。無論相手の思うことなんて分かる筈もないから、無難な範囲で良い。

ユーモアなんて調子に乗ると馬鹿をみる。笑いで生業にしているわけじゃないんだから、思いつかなかったら下手なユーモアはとらない方がいい。


智はいつからか、人と話すとき、ポジティブな事ばかり言ってしまう。

本来、人が話す伝達というのは、行動伝達だけで用が足りる気がするが、実際話す8割くらいは感情伝達だ。

智自身、仕事で悩んだ時、友達に愚痴を言っていたが、その結果何が生まれたか、愚痴を聞いてくれた友人がすごかったという感謝がまずある。

愚痴を言った内容については、なんの状況も変わらないのだった。


智が気がついたのは、天才でない限り、普通、世界を変えられない。天才は世界を変えられる。ガンジー、キング牧師、ゴッホ、ベートーベン。

天才は悪い方向にだって変えられる。ヒトラーとか、あとは、才能がゆえに否応もなく世の中を変えてしまったアインシュタインなどなど。

凡人は、世界の中にいるという事、よく、世の中は声を上げてデモをすれば、民衆が世の中を変えられるというのは、民主主義の考えに則って、それで良いのだ。

そういう事が言われるから、勘違いしてしまったのだ。


単純に、目の前に起きた状況は、自分が操作するものではないという事。愚痴を言った結果、状況変わるのか、変わらないのだ。

変わらないだけなら良い。愚痴を言われた人はどの様な気持ちで過ごしているのか、それが、友人ならば、友人の楽しいひと時を願えないのだろうか、智は友人の楽しいひと時を奪ってまで愚痴を言った事がある。

そんな事をしていては、友達なんてみんないなくなる。気付こう、自分が何を言っているのか?という事。


主観的というのは、わるいことではない。健康的だ。しかし、ひとの中で生きている時、俯瞰と客観は必要不可欠だ。そこのバランスなのだ。

平常心とは、バランスの取れている状態。デメリットは、楽しくないという事。

楽しい時はハイテンション。タコメーターは振り切っている。そうすると、またある時は落ち込んでローテンション、悲しい、寂しい、空しい。

そして涙を流す。涙はいつかは止む。止まない雨はない。そして泣いたあとは、雨上がりの空のような良さがある。

そんな事を繰り返す人間は感情の生き物だから仕方ない。


それは良いんだけど、主観的な事ばかり考えていると、周りがわるいと思うから、愚痴になる。愚痴を言うと周りが嫌な思いをする。状況は変わらないどころか、わるくする。


そこで、智はいつからか、ポジティブな事ばかり言うようになった。「けれど、自分ならできるって思うんだよね」「時間が経つと状況って良くなっていく事があるよ。」「幸せは与えるもの、もらった時は大感謝!」

もちろん、ウソでない範囲で、良い言い方に変換出来る事がないかな、と考える。そういうクセがつく。状況は変わらなくても見方が変わる。

見方が変わると解決の糸口が見える事もある、そういう事ばかりではないけれど、決してありえない事を闇雲に励ましているわけではないんです。


それを繰り返していくうちに、ポジティブに慣れてゆく。不安があることには変わりないが、不安がないような、良い意味での錯覚がある。

そこまで思ったとき、「不安をなくす方法を思いついた」とつぶやいたのだった。


関係ないけど、そうやって現実に生きやすくして行くのは自分のためだと思ってそのような反芻をしてる。誰だって悩んでいる時より、そうでない時の方が良い。悩みが一つもないなんて、ないけど。

それはそれとしてら智は感情の揺らめきを感じ取った見えないものを、絵や音楽で表現しようとしてる。それは、現実の生き方の問題ではなく、智にとってやらなければならないこと。それを表現するのは営利目的ではないアート表現です。

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不安をなくす方法 下海孝誠 @shimoumi

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