その123:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その14
全てを手作業で行っていたら、どうにもならないことになっていただろう。
ポートモレスビーで隠ぺい桟橋を建設している古瀬技術中尉は思った。
木材の確保すら、以前であれば膂力(りょりょく)によるノコギリに頼らざるを得なかった。
それが、動力伐採が可能となっている。
リヤカーのような排土車のエンジンを発電機に直結し、帯鋸機(チェーンソー)を回すことができた。
おかげで、桟橋建設のための杭となる資材は確保できた。
桟橋の台となる杭打ちについても、陸軍の工兵で使用している九五式動力築頭を海軍の設定隊でも導入している。
工事自体の進捗は進んでいた。
マングローブの葉の中、偽装された桟橋が完成すれば、800~1000トンクラスの海トラの陸揚げが可能となる。
「荷揚げ用のクレーンも作れないことはないか……」
木材を組み立て、エンジンは、リヤカーのような排土車のモノを使用できる。
ワイヤーケーブルもある。ただ、金モッコが無い状況だ。
金モッコとは、ワイヤーケーブルに付ける、積み荷を支える網のことだ。
ポートモレスビーは、ニューギニア最大の港であり、余剰の金モッコはありそうだった。
実際、本来の港の方は連合軍の爆撃で機能をしていない。
「15トン程度の能力があれば、それだけ荷揚げ作業もはかどるはずだからな」
彼は杭打ちを続ける指揮下の軍属を見ながら、その完成をイメージする。
なんとか出来そうな気がしてくる。ただ、そのためにはいくつかの課題もあるだろう。
それには、作業員にかかる負担も大きくなるかもしれない。
しかし、その苦労は結果として、ポートモレスビー基地全体を助けるかもしれないのだ。
古瀬技術中尉はふと可笑しくなった。
ちょっと前まで、学生であった身が、海軍の理系学生青田刈り制度で士官となった。
促成栽培の士官である自分が、いつの間にかそんなことを考えるようになっていることに変な可笑しみを感じたのだった。
ポートモレスビーは最前線だ。
連日の空襲を経験している。作業がそれで中断することも多い。
しかも、実際に作業を行っているのは軍属であり、正式な軍人ではない。
本来であれば、平時の外注のやり方だ。
戦時であれば、彼らを軍人身分にすべきであろうと個人的には思っている。
中央では全てを軍人とする設定隊編成も計画されているらしいが、現状では指揮官と一部が軍人なだけだ。
これが、陸軍の工兵との大きな違いだった。
ただ、それで作業自体が大きく遅れたり、士気の面で問題がでたりすることはなかった。
彼らは生真面目で、与えられた仕事には全力を尽くしていた。
「古瀬技術中尉」
不意に声を声をかけられ、彼は振り向いた。
海軍水上機基地の参謀だった。
こちらに来てからは世話になっている人物だ。
堅苦しくなく、「促成栽培」と揶揄される彼らのような技術士官にも分け隔てなく接してくる。
「なんでしょうか?」
「今夜、人手を借りたいんだが」
「なんのためにですか?」
古瀬技術中尉の顔に警戒の色が浮かんだ。
それを見て、水上機基地の参謀は、苦笑を浮かべた。
略帽をぬいで、頭をかいた。汗が飛び散っていく。
木陰といっても熱帯の気温は立っているだけで身体を汗だらけにするものだった。
「いや、ラバウルから大艇が飛んでくるんだがね、荷揚げに人を出してほしいんだ」
「だいてい?」
「飛行艇―― 大型の4発機だ」
「ああ、二式大艇ですか」
「そうだ。本来なら、陸さんから人を出してもらいたいんだがなぁ……」
「無理なんですか?」
「出来るなら、君らに頼まないよ」
実際、同じポートモレスビー基地にいながら、陸軍と海軍の状況は大きくちがっていた。
人数の規模が違うというのもあるが、一人当たりに行きわたる物資の量が違っていた。
陸軍のポートモレスビーにおける食料事情はかなり悪化している。
明確な「餓え」とまではいかないが、コメの配給は1日2合以下になっている。
通常はコメ、麦で一日5合が標準的な量だ。
乾燥野菜、乾燥味噌はさらに厳しい。
そして、彼らは食事をするためだけにここにいる訳ではない。
戦闘行為をするために存在している。
その戦闘行為のための弾薬も不足していた。
過日の艦砲射撃と連日の爆撃の中、生き残った高射砲は、数少ない航空機に対する反撃手段だった。
その弾薬が尽きかけていた。
高射砲弾薬類も今回は、ラバウルからの大艇が補給してくることになっている。
「確かに、基地機能の回復と、地上部隊との戦闘ですからね…… 確か陸さんは、一個連隊ですよね」
「そうだな。5000人くらいだ」
それほどの大部隊ではない。
しかし、それでも兵站に問題が生じるほどに、ポートモレスビーは遠く、敵の抵抗は激しかった。
「敵は一気に、攻めてくるんですかね……」
「航空偵察で、ケレマ方面の動きは掴んでいるがね、その動きは見えない」
本来であれば、古瀬技術中尉にそのようなことを教える義理は無い。
要するに、教えてあげたんだから、人を出して欲しいということだ。
老獪な参謀だった。
「分かりました。とりあえず10人ほど選抜すればよろしいでしょうか」
飛行艇の規模から考え、それで十分だろうと古瀬技術中尉は判断した。
「ああ、それで頼む」
水上機基地参謀は、安堵したようにそう言ったのだった。
◇◇◇◇◇◇
「おお! 届いたかぁ! 直接ラバウルに訴えると早いな」
高射砲中隊の岡部分隊長が声を上げる。
それは待ちに待った補給だったからだ。
200発の対空砲弾。
連合軍であれば、一回の戦闘で消耗してしまうような数だった。
しかし、彼らにとっては十分とは言えぬまでも、喜びを表現できるくらいの量ではあった。
彼らがポートモレスビーに、持ち込んだ八八式七糎野戦高射砲はすでに2門しか残っていない。
滑走路が復旧中(目途がたたない)である中で、唯一の対空攻撃戦力だった。
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盛り土にヤシの木を補強材に打ちこまれた高射砲陣地の中に、彼らの高射砲はあった。
木材でこしらえた偽装の高射砲、高射機関砲の陣地もあるが、それは全く別の場所にある。
偽装とはいっても、先端からガスを出せるように工作してある優れものだ。
そして、彼らの高射砲陣地は、二重のドーナツ型をした土をもられた中にある。
上空からの銃爆撃に耐えるために考えられたものである。
至近弾の破片からは、十分に砲と兵を守る構造になっている。
一番砲手である、保坂一等兵は、射撃用メガネを覗く。
そこに汚れは無い。十分な手入れがされていた。
戦闘になれば、彼はそのメガネで敵機を捉えるのが仕事だった。
「信管大丈夫だろうなぁ」
「ゴムで包まれとるし、新品だろう」
「それならいいがな」
保坂一等兵は分隊砲手たちの話を聞いていた。
信管の火薬が湿ってしまうのが、南方での戦闘の大きな問題だった。
日本軍の対空火器は、この時点で、曳火信管だ。
黒色火薬を延期薬として使用し、爆発の時間を制御するものである。
この火薬が湿って使い物にならないケースが多発した。
よって、高速で飛びまわる飛行機をダイレクトヒットで叩き落すという至難の技が要求されたのだ。
そして、要求されても、出来ることと出来ないことがあり、作動しない信管での対空射撃は厳しいものがあった。
「撃ってみれば分かる」
千切って物を投げるような言い方で保坂一等兵は言った。
彼の言葉に応える者はいなかった。
ただ、与田と言う名の兵長が白けた目で、保坂一等兵を見た。
彼は、この分隊で浮いていた。
戦場において、内務班であったようないじめがあるわけではない。
武装している相手をいじめて、後ろ弾が飛んでくるのは、誰だって勘弁してほしいからだ。
噂では保坂一等兵は、乙種幹部候補生試験に落ちたといわれている。
おまけに最前線の部隊となったため、いつまでも下っ端でいることにも我慢ができないらしい。
彼は田舎出身者としては、珍しい中学校(旧制中学、今の高校)出身であったことも原因だったかもしれない。
とにかく、任務には励んでいる。手抜きもしない。
しかし、どうにも軍隊に馴染めないというそのような存在だった。
だから彼は、自分をひとつの「機械装置」と思いこむことにしている。
自分は高射砲という兵器のパーツであると思いこんでいる。
敵を落す。それだけを考えていた。
それに関係しないことは、全て雑事以外の何ものでもなかった。
「中尉殿―― どうしたのですか」
中隊長の谷中中尉が本部から戻ってきたのだった。
「陣地転換だ」
「はぁ? 本当ですか、中隊長殿。この陣地は?」
分隊長の岡部軍曹がおどろいた声を上げる。
いったい、この陣地を作るのに、どれだけの手間をかけたか分かっているのかということだ。
「即時、陣地転換。密林に近い位置に移動する。この位置だ。明日02時までに完了させる」
鎮痛な空気がその場を支配した。
中隊長は地図を開き、指示するが、場所が分かっている者がいるかどうか。
そもそも、陣地転換に納得できている者がいなかった。
ただ、保坂一等兵はその事実を事実として受け止める。
納得する理由もない。言われた通りにやればいいだけだ。
「砲を運び出すには、陣地を壊して道をつくらんといかんですが」
「工兵の協力を要請している」
「陣地構築は、また自分たちだけでありますか?」
「そうなる」
言葉のやりとり、その語勢から中尉自身も司令部の方針には納得はしていないこと。
それを部隊のほとんどの人間が、感じ取っていた。
「こんだけの陣地作るのに、どれだけ手間かかるか、分かっているのか、お偉いさんは――」
与田兵長が口の中にこもるような声で文句を言った。
◇◇◇◇◇◇
「敵機、戦爆連合、数40以上―― 高度3000」
その報告は最悪のタイミングだった。
二門の砲の内、一門が完全に密林内に移動されている。
使用できる状態にない。
そして、保坂一等兵の所属する分隊の砲の移動をするところだった。
「くそったれがぁぁ! このアメ公がぁ! 毎度、毎度、好き放題やりやがって」
与田兵長が唾を吐いて、悪態をついた。
B-17、そしてタコのように見えるP-38の戦爆連合だった。
毎度おなじみの機体だ。
保坂一等兵は高射砲の眼鏡に飛びつき、覗き込む。そして、機体を捉える。
そして、彼は諸元を報告する。
高射砲と一体となり、敵を落す、この瞬間。彼は彼でいられるような気がしていた。
「こっちに来るか―― 真っ直ぐに」
双眼鏡を覗き込んだ中隊長は言った。
「弾はあります。隊長殿!」
砲弾はあった。補給されたばかりの新品だ。
「撃つぞ! 四発!」
四連射するという意味だった。
鋼の重い音をたて、高射砲弾が装填される。
重さ8.96Kgの90式高射尖鋭弾だった。
諸元が口頭で伝えられ、射撃式装置のダイヤルが操作される。
砲が生き物のように天に向かい。ヌルヌルと動き出した。
保坂一等兵の眼鏡は敵を中心にとらえ続けていた。
諸元が定まり、大砲における引き金ともいえる拉縄(りゅうじょう)が引かれた。
彼の覗く眼鏡の視界が炎につつまれ、轟然とした爆音が耳朶を叩く。
一発目が発射された。
初速720メートル/秒の鋼と火薬の塊が吹っ飛んでいく。
「開いた! いける!」
さすがに、輸送されたばかりの砲弾だった。
信管は正常に作動。威力半径20メートルの砲弾を炸裂させた。
空中に白い花が咲いた。
2弾、3弾――
「敵、火を噴いてます!」
「やったか!」
編隊を組んでいたB-17が火を噴いた。
しかし、やがてその火が消える。
機体は堕ちることなく、大きく弧を描き、山麓の方へと遠ざかっていく。
「撃破か……」
中隊長が悔しそうに言った。
やつらの飛行機は頑丈だった。
「やつら、こっちに向かってくるんじゃ……」
与田兵長が言った。何度も頭を触っている。慌てて、鉄兜を探しているように見えた。
そんなものは、あまり意味のないことだと分かっている。
今では、誰もかぶっていないのだ。弾片すら防げないペラペラな鉄板なのだ。
いつもは滑走路を目標とすることが多い敵機がこちらに飛んでくる。
それだけで、分隊が浮足立っていた。
「5発!」
中隊長が叫ぶ。
続けて、八八式七糎野戦高射砲が火を噴く。
射撃は正確に見える。しかし、敵はなんの痛痒も感じてない様にみえた。
全くダメージを受けず、こちらに向かって、一直線に飛んできていた。
少なくとも、眼鏡を覗いている保坂一等兵は、そう確信をもった。
そして、彼は見た。
B-17の銀色に輝く胴体。
その下がゆっくりと開き、バラバラと落ちてくる黒い凶器――
高性能のGP爆弾。
それは、確実にこの陣地を狙ったものであった。
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