その121:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その13

 軍隊は戦争中でも戦闘行為ばかりやっているわけではない。

 今は聯合艦隊司令長官になった俺だが、戦闘を体験したと言えるのはアリューシャンでの1回だけ。

 

 軍隊ってなんだ? 軍という組織はなんなのか?

 それは戦争をするための「役所」だ。

 で、役所であれば大量の文章仕事が存在するのは当然だった。


「毎回すごい量だな……」


 積み上げられた資料を見て俺はつぶやく。


 聯合艦隊司令長官となると、目を通さなければいけない量も半端じゃない。 

 俺がまず戦争とこの時代を実感したのが「カタカナと旧字体の文章を読むこと」だったのだ。

 アジ歴を読むことが趣味じゃなきゃ、地獄だったかもしれん。


 そして会議だ。俺にとっての戦争は会議と書類なのだった。

 それが、今の俺にとっての「太平洋戦争」の全てであった。

 まだ、このときは……


「陸軍が三個師団をニューギニアに投入するか……」


 聯合艦隊幕僚たちが並ぶ会議室で、俺は言った。

 地球の四分の一を覆う面積で戦われている。史上空前の戦争である「太平洋戦争」。

 その重要戦線のひとつであるニューギニア方面の動向分析が議題となっていた。


「はい。報告の通りです」

「確かに兵力の要請はしていたが、今頃になってか」


 陸軍には去年からずっと戦力を出してほしいお願いしていた。

 色々言いわけを言われて拒否されていたのだった。

 ここに来て、やっと陸軍が動き出した。

 

 俺は陸軍からの報告と聯合艦隊に対する護衛要請の文書に目を通した。

 ソ満国境方面に展開していた兵力を膠着状態になっているニューギニアに投入するのか?

 

「ブナに展開して…… え? マジ?」


 書類を読んでいた目が止まった。

 いや、陸軍の三個師団投入はありがたいことなのであるが……


「ケレマの連合軍を殲滅する気か……」


 積極果敢、敵を包囲殲滅しなければ気が済まない陸軍らしい言い分が書き連ねてあった。


「今頃のこのこと…… 言うだけなら子どもでもできる」


 宇垣参謀長が固定された表情のまま言った。

 不機嫌な声音なのに、唇が笑みのように吊り上っている。

 そして、ネタ帳―― いや手帳を広げているのは言うまでもない。


「パラオ経由で、ブナに上陸。陸路でポートモレスビーからケレマへ…… 三個師団をか?」


 1943年も2月に入った。作戦輸送中の商船被害は、1月ほどではないが安閑とできる数字ではなかった。

 陸軍がポートモレスビー輸送に陸路を選択するというのも、理解できなくはない。

 しかし、三個師団だぞ。編成により変化はあるが、概ね4万~6万人の兵力になるぞ……


「ラビ-モレスビー間の安全を担保できないのでは、致し方ありませんな」


 黒島先任参謀が「陸軍勝手にしろ」という本音を滲ませながら言った。


 ニューギニアのハブ港となっているラビは、連合軍の機雷封鎖作戦が続いている。 

 奴らはクソ憎たらしいほどの勤勉さで機雷をまき散らしていくのだ。


 アメリカ人が怠惰などというのは嘘だ。奴らはやるとなったら手抜きを一切せずに、徹底的にやってくる奴らだ。

 こちらも、掃海艇を増強して対応しているが「いたちごっこ」が続く。

 漁船改造の特設哨戒艇まで、投入してなんとか航路を維持しているという感じだ。

 それでも、触雷する船が続いている。護衛の駆逐艦の中にもやられた艦があった。


「陸路で三個師団―― そもそも陸路は完成していないはずだろう」


 俺の受けている報告ではそのはずだ。

 確かココダまではトラック輸送が可能な道ができたという話だったはずだ。

 ただ米豪の連合軍が密林内で遊撃戦を仕掛けてくる状況が続き、工事の進捗は遅れているはずだ。

 

「ココダから先の移動は困難でしょう。なにより制空権が流動的な状況にあります」


「そうだろうな。ただ、それは現状では海路輸送も大差ない」


 人事異動で新たに幕僚に加わった樋端久利雄中佐の言葉に俺は答えた。

 彼は史実ではブーゲンビルで一式陸攻が撃墜されたときに山本五十六と共に死んでいる。

 海軍内部では山本五十六の戦死より重大な損失と嘆く人間が多かったほどの逸材という評価がある。

 今は聯合艦隊の司令部の航空参謀である。


「陸路の建設は実際は進んでいるのか? 海軍に報告なしで」


 宇垣参謀長が不信感を声音に滲ませ言った。陸軍嫌いは、海軍軍人の嗜みのようなものだった。

 海軍の中には陸軍を「馬クソ」と公言する提督すら存在するのだ。


「それは無いと思います。こちらの設定隊も協力しているのですから」


 樋端中佐は宇垣参謀長の言葉をやんわりと否定する。

 ココダには海軍の電探基地もあり、現地では連絡将校も派遣しているはずだった。

 そのルートからも現地の道路建設の進捗はよろしくないという報告が入っているはずだ。

 そして、陸軍が海軍に嘘をつく理由もない。しかし――


「なぜ、今の時期にこんなことを言い出したんだ? 陸軍は」


 今回の陸軍の支援は色々疑問が多い。

 ポートモレスビーは占領してからの方が苦境に陥っているといっていい。

 そのため、軍令部を通じ、陸軍には戦力の要請を行っていた。

 かなり以前からだ。


 陸軍側は、大陸方面の攻勢作戦を優先するためなのか、ソ連の脅威を無視できないからなのか、海軍の要請を渋っていた。

『海軍はこちらに兵力を要求する前に、ポートモレスビーの陸軍への補給をなんとかしろ』というのが向こうの言い分だった。

 それは補給、つまり「兵站的」に考えれば正しい。

 一個連隊規模の補給に汲々としている戦場に、更に戦力を投入してくれといっているのだ。


 陸軍の戦力は常に補給ライン繋がっていなければ、戦力を発揮できない。

 補給軽視、兵站軽視と後世では批判されるが、陸軍がそういったことを理解してないわけがない。

 

 ポートモレスビーにおける兵站をどう海軍は担保するのか? 


 その点を陸軍が突いてくるのは当然だった。

 兵站という点に関しては、軍艦という完結した兵器システムを運用する海軍より、シビアな計算をする人材が多いのだ。


「確かに、現在計画中の作戦が完遂できれば、海路輸送も大きな危険がなくなるはずです」

 

 黒島先任参謀が言う「現在計画中の作戦」とは、聯合艦隊ほぼ全力による、アメリカ空母誘因と撃滅を目的とした作戦だ。

 ソロモン、ニューギニア方面に圧力をかけているアメリカ海軍機動部隊を排除する。

 ニューギニアという局地戦での優位だけではなく、この戦争の行方すら左右しかねない大作戦だ。


「空母の数的優位を生かし、作戦目的は敵空母の撃滅。タイミング的にはギリギリだ」


 当初は同時に輸送作戦も実施する計画であったが、見直しがかかった。

 目的は空母の撃滅に絞られた。シンプルにする。複雑な作戦は無しだ。


 現時点で、アメリカ空母は四隻とみられている。新鋭のエセックス級が合流した。これはほぼ確定情報といっていい。

 また、未確認情報ではあるが、更にもう一隻のエセックス級が存在する可能性もあった。

 アメリカの空母増強は、史実以上の速度で行われているのかもしれない。

 だからこそ、ここで決戦を誘因する必要があった。


 アメリカ海軍は、最大で五隻の空母からなる機動部隊を持っている。

 1942年で全滅寸前まで追い込んだアメリカ機動部隊は短期間でここまで建て直してきた。

 史実より戦力増強速度が増している気がする。

 つまり、戦力を分散している余裕がこっちには無いということだった。


 戦艦改造の大型空母である赤城と加賀。

 姉妹である蒼龍を失った高速中型空母の飛龍。

 最新鋭大型空母の翔鶴と瑞鶴。

 商船改造ながら、正規空母に劣らない隼鷹、飛鷹。

 歴戦の軽空母、龍驤、祥鳳、瑞鳳。


 そして、艦隊防空艦という戦闘機だけを運用する空母となった戦艦山城もある。

 正規空母5隻、改造空母ながら正規空母並みの空母が2隻。

 軽空母が3隻。山城までいれれば、11隻の一線級空母があることになる。


 今、この時点において世界最強の機動部隊を持つ国家は大日本帝國であることは間違いない。

 消耗してしまえば、その補充が困難であるという重大な問題のある戦力ではあったが。


「敵を騙すなら味方からですか――」


 樋端中佐が、言葉を選ぶようにして、ゆっくりと言った。

 まるで、こっちの言葉を誘いだして待っているかのような言い方だった。


「陸戦隊を乗せたガダルカナル攻略の輸送船は途中で作戦を中止して戻る。あくまでも作戦中止だ」


 彼も幕僚のひとりとして、俺が未来から来た存在であることは知っている。

 そして、俺の知っている歴史と現在進行中の戦争はもう全く別の道筋をたどっていることも理解していた。

 

「暗号文が漏れているのですよね」


「漏れている。だから史実では『俺』と樋端中佐は戦死だよ。したい? 二階級特進」


「できれば、しばらくは中佐のままがいいですね」


 俺の言葉を聞いて、樋端中佐は唇を吊り上げた。その顔に笑みを浮かべていた。


「『今回』は無駄死にはしたくないものです」


 彼は軽口を叩くようにそう言った。


 アメリカの暗号解読に対しては根本的な対策がとれていない。

 ただ、今回はそれを利用させてもらうことにした。

 ウソのガダルカナル強襲上陸作戦だ。


 この作戦は、そのまま天皇陛下にも上奏されている。

 現人神すら、欺いて行われる作戦だ。この時代の軍人にとっては精神的な抵抗は大きい。

 動員された陸戦隊をある意味餌に使うような作戦だ。

 このことを知っているのは、聯合艦隊司令部の中枢だけだ。

 実際の作戦に責任を持つ軍令部すら知らないという恐ろしい話しとなっている。


 バレたら、非常にまずい。

 だからこそ、作戦は絶対に成功させなければいけなかった。

 アメリカ空母を沈めると、大喜びで他のことを忘れてしまう海軍軍人が多いことを祈っている。


「とにかく、陸軍の方はパラオまでは責任を持って輸送せねばなりませんな」


 幕僚のひとりが言った。それでこの議題は終わった。

 この戦争では、話すべきことは他にも山ほどあったのだ。


「次に―― ドイツよりもたらされた中空成形炸薬兵器の開発が――」


 俺は手元の書類をめくった。

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