猫と烏の七日間
@tukiyamakesyou
第1話 猫と烏の一日目 AM
その日、世界は大きな音を立てて盛大に崩壊した。ビルは崩れ、道路は陥没している。倒れた信号機を跨いで、息を吐き出す。寒い空気に白い煙がのぼっていく。
空はまだ暗い。星が点々と瞬いている。あれがなんていう名前の星座か知らないけれど。
「どこだろう」
呟いてみる。返ってくる言葉はない。誰もいない。壊れた世界に、僕だけ。取りあえず伸びをしてみる。背中を伸ばして、腕を上げて、息を吸って、吐き出す。難しいことを考えるのは苦手だ。
倒れた電柱に腰かける。金属の冷たさが肌に突き刺さる。薄茶色のファーが付いたフードを深く被ると少しは寒さが凌げる気がする。とはいえここでずっと座り込んでいてもお腹は空くし、体は冷えるし良いことがない。
「さてと」
立ち上がって、辺りを見回す。他と比べればまだ損傷の浅い建物が見える。多分あれは駅だ。誰かいるかもしれない。じっとしているのも性に合わないんだ。
スプレーで刻まれた落書きと剥がれた煉瓦。その瓦礫をかき分けるように歩く。構内は閑散としていて、電気は切れているのか付いていない。こんな夜中に、なんて思いながら迷路のような暗い道を進む。比較的明るい場所がある。天井が落ちて、床まで抜けている。外はもう白みはじめていて、その場所だけ見えやすい。階段を降りる。看板らしいものが見えた。白い看板だ。『東京』という文字が見える。多分ここは東京駅なんだろう。
かつん、かつん、と規則的な音が聞こえる。後ろから近づいてくる。きっと足音だ。振り返るとやっぱり遠くに人影が見える。
「おはようございます、という言葉の選択が今は相応しいのでしょう」
抜けた天井から入り込む外光に照らされ、アッシュグレーの薄い髪色が、透けるように揺れている。肩で切りそろえた短めの髪に飾りをいくつも付けた少女が立っている。白い肌に白いワンピース。こんな退廃的な場所には似ても似つかない。でもそんな違和感よりも、今は僕以外に誰かいることのほうが勝っている。少しだけ肩の力が抜けた気がする。
「アナタはどうしてこのような場所にいるのですか」
少女は距離を詰めて真っ直ぐに僕を見ている。灰色がかった青い目に、僕の姿が映る。あれ、僕ってこんな姿だったかな。
「アナタはどうしてこのような場所にいるのですか」
二回目の質問に、僕は顔をあげた。
「どうしてって……人を探しに、かな」
「ヒト……。彼女を、ですか」
「彼女? 君以外にも誰かいるの?」
目の前の少女はゆっくりとかぶりを振った。
「いえ、今の言葉は失言でした。お気になさらず」
少女は抜けた天井を見上げた。僕も見上げる。今いるこの場所は地下みたいで、さっき入ってきたのは一階だ。だから一階の床と天井が丸ごと抜け落ちたことになるわけだけど、どうしてここだけ抜けているんだろう。見上げた先ではもう青空が見えはじめている。
「世界は神様によって滅びの一途を辿っています。アナタは神様によって救う価値があると認められました」
「神様によって? ……情報量が多くてついていけない」
「これをあげます」
「ココア?」
彼女が差し出してきたのは缶のココアだ。ココアなんて飲んだことない。甘くて美味しいって聞くけど。
「きっと今なら飲めるはずです」
差し出されたココアを受け取ると、彼女はもう一つの缶を取り出してカシュっと軽快な音を立てて蓋を開けた。そのパッケージにはサイダーの文字が見える。
「待って、どういうこと?」
「質問はそのベンチに座ってから受け付けます」
「ああ、うん」
彼女が指さしたベンチに向かう。使い込まれて年季の入った上に追い打ちをかけるようにヒビの入ったベンチだ。彼女は躊躇うことなくそこに座る。瓦礫の破片とか土や砂とかもお構いなしに。
「えっと」
「残念ながら時間がありません」
「時間?」
彼女は淡々と話す。彼女の声と、サイダーの泡がはじける音以外聞こえないくらい静かだ。僕も缶を開けてココアを一口飲む。温かくて甘い味が口いっぱいに広がっていく。
「アナタは神様によって救う価値があると判断された生物ですので、特別に寵愛を与えようと思います。アナタには質問する権利を授けます。しかし三問までとします」
「まあいいよ」
「ではまず一番目は何ですか」
彼女にはいろいろと聞いてみたいけど、三問しかないんだよな。だったらまずは……。
「……どうして街はこんなに壊れてるの?」
この一択じゃないかな。この子はどうやらこの状況に詳しいみたいだし。
「それは神様がこの世界は滅ぼすに値すると判断したからです」
「どうして」
「それは二番目の質問ですか? 二番目の質問であれば答えましょう」
「じゃあ、二番目の質問」
「それは神様にとって必要ないと判断されたからです」
「必要ない……?」
分かったような、分からないような。でもこれで最後の質問。なにを訊けばいいのかもうよくわからない。
「三番目の質問を聞きましょう。これで最後です」
彼女は何者なんだろう。神様って誰なんだろう。状況についていけない。でも、確かさっきこの子は『彼女』って言ってた。っていうことは。
「……神様によって救う価値があるって判断されたのは僕だけじゃないんだよな、さっき彼女がどうとか言ってたし。僕以外にこの世界には何人いるの?」
彼女は顔色一つ変えず、サイダーを飲む。
「アナタを含めてあと六人、この近辺にいるはずです」
「その六人に君は含まれてる? ていうか、君は何者なんだ?」
「もう時間です。ココアが冷めてしまいますよ」
彼女は立ち上がった。よく見ると白いピンヒールを履いている。そのピンヒールをかつん、かつんと鳴らしながら、そのまま後ろを振り向いて歩いていく。
「待って! せめて名前くらい」
思わず立ち上がる。少女は土のついたワンピースを翻して、僕の方へ戻ってくる。そうしてまた距離を詰めて、今度は僕の耳元で囁いた。
「アナタは神様が特に愛していますから、特別待遇をしましょう」
「特別待遇?」
「名前とは他者から呼ばれるためにある記号的なものに過ぎません。よって、他者から呼ばれる必要性のない者には意味のないものです」
彼女は顔をあげて、柔らかく微笑んだ。
「それではまたお目にかかりましょう」
そうして優雅にお辞儀なんかしてみせる。
「もう、こんにちは、という言葉の選択が正しいでしょうか」
「……さよなら、が正しいんじゃないかな」
彼女は少しだけ考え込んだようだ。
「さよなら、ですか。確かにそれは別れの時の言葉ですね」
そうしてまたサイダーを飲む。「あれ、もう空ですね」なんて言いながら。
「ではさようなら。またお会いしましょう」
少女は今度こそ白いワンピースを翻してかつん、かつん、と歩いていく。その遠くなる足音を聞きながら、僕はココアを一口飲んだ。すっかり冷めているけれど、それでも甘くて美味しい。
「彼女、って誰なんだろう」
取りあえず階段を上って一階に戻ろうかな。
東京駅の別の出口に辿り着いた。そこも相変わらず一面崩壊している。地面が露出し、砂が目立つ。東京なのに、地面に足跡がつくなんて。その拓けた場所に、その子はいた。
廃れたビルに壊れた道路。倒れた信号機の上に座って、彼女は電柱を弄んでいる。少しうなだれて見える彼女の小さな背中には骨格だけになった翼が痛々しく残る。
「ねえ」と僕は彼女に言った。その寂しそうな背中を撫でてあげたい。
長い黒髪を揺らして、ようやく彼女は振り向いた。黒目勝ちの切れ長の瞳が、何も言わずにこちらを見る。口元は油で汚れ、綺麗な褐色の頬は煤だらけだ。
「かァ」
彼女は僕を見るなり一声そう泣いて、口から大量のケーブルを吐き出した。
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