第七部 第三章 第五話 魔女の島の上空で


 旧イストミル国の東──唱鯨海と魔の海域の中間に位置する海洋上に存在する孤島。

 かつて只の岩場であったその島は、一人の魔女により同時に春夏秋冬の存在する魔術の島となった。


 【四季しき島】──それは存在自体が世界から隔離されたリーファムの庭である。



 人間がその地に踏み入ることは叶わず、唱鯨海を航海する船すら近付くことも視認することもできない完全な隠蔽空間。それは魔術を追究し続けたリーファムの研究の一旦でもある。


 だが──。


「………。まさか、この島の結界を無理矢理抉じ開けて入ってくるなんて……とんでもない魔術師が居たわね」


 四季島の上空に飛翔するリーファムは、眼前に向かい合う様に飛翔する存在を前に半ば呆れた表情を見せた。


「私の方こそ驚かされましたよ……。まさかこれ程の魔術師がまだ現代に存在したとは……フフフ、世界は広いですねぇ」


 真っ赤なフード付きローブで全身を覆った魔術師然とした存在──。その声から男であることは窺えるが、顔を覆う仮面のせいで表情は読むことは出来ない。


 しかし『目の模様を縦横十字に組み合わせた奇妙な仮面』の情報からその存在を逸早く察したリーファムは、改めてその名を口にした。


「ベリド……。そう……貴方が……」

「おや?私を御存知ですか?貴女とは初対面な筈ですが……」

「私の知己に貴方に酷い目に遇わされた人がいるのよ」

「ほう!それは興味深い!……もしや、それは赤髪の勇者君ですか?」

「赤髪……?」

「おや……違うのですか?」

「……。いえ……多分そうよ」


 ライが白髪であるが故に直ぐに結び付かなかったが、確かに元は赤髪だと聞いた記憶があったリーファム。妹のマーナも赤髪であるのだから間違いは無さそうだ。


「ライ・フェンリーヴ……彼は強くなりましたか?」

「ええ。恐らく貴方が驚くほどにね」

「そうですか……。……。クックック……ハ~ッハッハ!」


 高らかに笑うベリド。同時にその身体から禍々しい魔力が立ち昇り始めた。


(魔獣の魔力……ライから聞いていた通りね)


 ベリドの研究は魔獣を元にしたもの……その言葉を体現するような魔力。

 しかし、リーファムは涼しげな表情を崩していない。


「さて……満足したなら、お帰り願おうかしら?」

「そうは行きませんね。私はこの島に興味があるのですよ」

「ここは私の島……だからその興味は諦めなさい」

「残念ですが……どうやら貴女にも興味が出てしまった様ですよ?」


 まるで他人事のような口振りにリーファムは眉をひそめる。ベリドはそんなリーファムを気にも留めず話を続けた。


「それに、この島の地下……貴女は何をやっているのでしょうねぇ?」

「……………」


 沈黙……そして睨み合い。


 やがて互いの魔力は更に高まり四季島を揺らし始めた。


「……退く気は無いのね?」

「私は、私の願いの為にやるべきことをやるのみです」

「……その願いは誰かの力を借りることでも叶うのではなくて?」

「さて……昔そうしようとしたことがあった気もしますが……忘れてしまいました」

「そう……」


 リーファムはその身を半精霊体に変化させる。羽衣の様な炎が展開され、その髪は燃える様な赤き光を放ち逆立っている。体には赤いドレスの様な炎を纏い、更には手首や足に翼の様な炎が風に靡いていた。


「!……フフフ……その力……興味深い!益々貴女の身体を調べたくなりました!」

「残念だけど、貴女は私の好みではないからお断りよ」

「では、力づくしかありませんね!」

「執拗い男は嫌われるわよ?」


 互いが放つ魔法が激突し四季島の上空は眩い光に満たされた──。




 ※ ※ ※ ※ ※ 




 遡ること一刻程前──四季島には『シウト三賢人』最後の一人、セフィエ・カルメの捜索を終えたファイレイの姿があった。


 シウト国の政治的混乱を収拾すべく、行方不明だったセフィエの捜索をリーファムに依頼──そして見事発見と相成ったのである。


 ファイレイはリーファムへの依頼の対価として、祖父である大賢人エグニウスの研究情報を渡しに来たのだ。


「それで……セフィエという人はどんな様子?」


 魔女の館内サロンにてリーファム、その弟子アンリ、元弟子にして魔術師組合頭アズーシャ、そしてファイレイは茶を飲みながら談笑していた。


「それが……聞く耳持たないというか、完全に無視されてしまっていて……。今、お祖父様が説得を続けています」

「そう……。シウト国も大変ね」


 冷たいようだが、リーファムは各国の政治に関与するつもりはない。国家に関わらない……それは魔術師としてのリーファムの矜持である。


「でも、リーファムさんのお陰で見付けることができました。これからは私達が何とかしないと」

「良い子ね。……。ところで、ライはどうしてるの?」

「マリアンヌさんの話では咎人とがびととしてエクレトルに自ら拘束されているらしいです。クローディア女王の立場を考えた末の判断なんでしょうけど……」

「あのライが大人しすぎると考えてるのね、ファイレイは……」

「はい。もしかして何かあるのでしょうか?」

「さぁ……どうかしらね?」


 リーファムは嘘を吐いた。実のところ、ライの行動は術を使い追跡しているのだ。

 時折反応が消えるものの、おおよその位置は変わっていない。何らかの探索を行っていることは確かだとリーファムは推測している。


「それよりも……ファイレイ。貴女、私の元で本格的に学ぶ気はある?」

「えっ……?」

「ライの話からも分かるように、闘神の復活はもう避けられないでしょう。だから、私はできるだけ多くの者に霊位格の底上げを行おうと考えているのよ。それが生き残りに繋がるし、来たるべき時への戦力にもなる。どう?」


 ファイレイは迷う。メトラペトラの指導も成長に繋がっているのだが、『火葬の魔女』の指導も非常に興味がある。

 特に『霊位格の底上げ』という言葉は今のファイレイに必要な何かを感じさせるに充分だった。


「是非にと言いたいのですが……その……」

「メトラペトラのことなら心配いらないわよ。これはメトラペトラからの頼みでもあるから」

「そうなんですか?」

「ええ。メトラペトラもやはり単身での指導には限界があると考えたのね。役割を分けるつもりだったみたいよ?」


 同時に多くの者の指導は効率が悪いと判断したらしいメトラペトラ。その切っ掛けはトシューラ潜入の際にルルクシアに出会ってからのこと……。


 精霊格の者まで敵として現れたトシューラに対し、全体を緩やかに底上げでは効率が悪いと考えた様だ。


 故にファイレイはリーファムに任せることになった。そこには歳の近いアンリも居る。互いを刺激し合うことは有用だと考えての結果らしい。


「そんなことが………」

「それで、メトラペトラは一番戦力が低い二人を鍛え上げるそうよ。残りはマリアンヌやエイルが調整するだろうって言ってたわ」

「……。そういうことなら是非お願いします」

「わかったわ。但し、かなり厳しく行くから覚悟はしておいてね?」

「はい!」

「貴女もよ、アズーシャ」


 それまで他人事のように聞いていたアズーシャは盛大に紅茶を吹き出した。


「ケホッ!えっ?……わ、私もですか?」

「当たり前でしょ?以前も言ったように、魔術結社を完全に掌握して貰わなくちゃならないわ。その為には貴女は修行が足りない」

「…………」

「何か言いたいなら言いなさい」

「い、いえ……。まさかこの歳で修行が必要になるとは思わなかったので……」


 アズーシャさん、見た目は若いが実質五十歳以上。当然の反応かもしれないが、そんな様子に気付いたリーファムは師として説教を始める。


「アズーシャ……魔術師たる者、生涯勉強よ?何の為に魔術で寿命を延ばしたと思ってるの?大体、貴女は少したるんでるのよ。魔術師組合会長の地位を譲ってからというもの、受付で毎日ニコニコニコニコと……好みの男を見付けて、あわよくば旦那を見付けて安定した暮らしを!とか考えてたんでしょ?」

「そそそそそんなこと考えてないですよ!」

(考えてたわね……)


 明らかに動揺しているアズーシャ。呆れたリーファムは小さく溜め息を吐いた。

 しかし、アズーシャは反撃を始める。


「それを言ったら師匠だって……」

「あら、何かしら?」

「時折、魔術師組合に来てお茶を飲んでるのは男を物色してるんでしょ?」

「そうよ?だから?」

「開き直った!?」

「彼氏いない歴四百年をナメんじゃないわよ!私だって……私だって女の子なのよ!」

「………。ス、スミマセンでした」


 彼氏いない歴四百年は伊達じゃない!リーファム、切実な思いの吐露に弟子ドン引きである。

 よく見ればアンリとファイレイはとても残念そうな表情を浮かべていた……。


 リーファムは魔術師としての矜持を捨てられない。それが故の独身……容姿は人の目を引く美貌なので、その気になれば伴侶は見付かった可能性もある。


 しかし、今や悠久の命とも言えるリーファムには伴侶との寿命差は大きな生涯である。そんな存在を理解し受け止める者が少ないのも事実。


「………。フゥ……話を戻すわよ?どのみち闘神を何とかしなければロウド世界は滅びてしまうわ。なら、未来の為に私達がやることは決まってる」

「でも、お師匠様……相手は神様ですよ?」

「そうね、アンリ……。実質、神様の相手はライや大聖霊達を頼るしかないわ。だから、私達がやるべきことはより多くを生かすこと。その為の成長が必要なのよ」


 これはもう世界規模の問題──ロウド世界が残るか滅ぶかの問題なのだ。


 力ある者は弱きを守り世界を維持する必要があるとリーファムは弟子達に告げる。


「分かったわね?それじゃあ早速修行……」


 と……そこで四季島が大きく揺らぐ。その異常に逸早く気付いたリーファムは弟子達に指示を出した。


「アズーシャ!アンリ!ファイレイ!貴女達は直ぐに転移術を使って屋敷ごとライの居城に向かいなさい!」

「え?師匠……何が……?」

「この島の結界を破ろうとしている者が居るわ」

「嘘っ!?だ、だって、この島は見付けられない筈でしょ?」

「普通ならね……。でも今、確かに破ろうとしている。偶然……は無いわね。つまり、相手は私の隠蔽に気付く程の存在……」

「まさか……ま、魔王級……!?」


 それも上位魔王級──魔獣の侵入すらも防ぐだろうリーファムの結界。破れるのはそれ以上の力を持つ存在。


「お師匠様はどうするんですか?」

「今、この島を手離す訳にはいかないのよ。撃退できれば良し……駄目なら駄目でやることがある」

「私達も戦います!」


 アンリはリーファムに縋り付いた。アンリにとってリーファムは肉親同然……不安になるのも無理からぬこと。


 そんなアンリの頭を撫でたリーファムは、師としての一面を見せる。


「アンリ……貴女は私の強さを一番理解しているでしょう?だからライの居城で大人しく待っていなさい」

「でも……!」

「しっかりしなさい!貴女は私の一番弟子なのよ?魔女としての気高さはどうしたの!?」


 師の厳しい視線で我に返ったアンリは心の中で呟く。リーファムの一番弟子として恥じる行為は出来ない……と。


「………。わかりました。でも、必ず無事でいて下さいね?じゃないとお師匠様の恥ずかしい秘密『慈愛の魔女、美しき心のポエム集』をバラマキますからね?」

「ちょっ!?ア、アンリ?」

「さぁ、皆さん!行きましょう!」


 動揺するリーファムを余所に、アンリはアズーシャとファイレイを伴い屋敷内にある転移装置へと向かった。

 アズーシャとファイレイは呆気に取られていたが、リーファムはそれどころではない。


「……くっ!し、死ねないわ……アレを世に出されるなんて死よりも恐ろしい!アンリ……恐ろしい娘!」


 リーファムが白目で無事の生還を誓った瞬間だった……。


 アンリ達が屋敷に消えるとほぼ同時、結界は何かが砕ける音と共に崩壊。一瞬空が虹色になったが、再びの青天へと変わる。


 その上空に浮かぶ赤い人影に気付いたファイレイは、チラリと妖精の大樹に視線を送った。


(妖精達も逃がさないとね……。それに、を渡す訳にはいかない)


 リーファムはこれまでにない真剣な表情で飛翔し赤い人影と対峙する。



 魔女の島上空にて、赤い魔術師──ベリドとの戦いが始まった……。



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