第四部 第一章 第六話 いざ、ディルナーチ大陸へ


「クローダーじゃと?一体何処で……」


 百漣島の温泉に響く声……。湯船にはライとメトラペトラが浸かっている。


 夕食後……ライはメトラペトラに海賊の島での出来事を話した。吸収魔法の考察や可能性を確かめ、糧とする為に……。

 しかし、クローダーのことは落ち着いてから改めて話すつもりだった。温泉まで待っていたのはその為だ。


「で、アヤツはどうした?」

「消えました。何処に行ったのかはわかりません。でも、契約はしましたよ?」

「………契約、のぅ?」


 メトラペトラは何処か不満気である。既に大聖霊の枠から外れたクローダー……メトラペトラからすれば大聖霊の面汚しと考えているのかも知れない。


「で?お主はどうしたいんじゃ?」

「助けたいです」

「ハァ~……。救うとは?具体的にどうするんじゃ?ん?お主、少し勘違いしとらんかぇ?」

「勘違い、ですか?」

「例え魔人化して魔力や身体能力が上がろうと、大聖霊と契約を交わそうと、所詮は人……概念存在をどうこう出来ると本気で思っとるのか?」


 なまじ力を得た為に何でも出来るつもりになっているのだろう?と、メトラペトラはライを睨め付けた。しかしライは、怯む様子も無くその視線を見つめ返す。


「可能性はゼロなんですか?」

「何……?」

「俺がクローダーを救える可能性は全く無いんですか?」

「………」

「俺だって自分が何でも出来るなんて思ってませんよ……。出来ないことなんて山程ありますし、今まで生きていて届かないものは幾らでもあった。魔人化だって狙った訳じゃなく偶々たまたま起こったに過ぎない。そんなことは理解してるんです……」


 真剣さの中に苦痛を秘めた表情……。メトラペトラはこんな顔をするライを知っている。

 魔石採掘場で復讐を手助けした時……そしてリルやエイルの時も同じ表情を浮かべていた。


 だが、メトラペトラにはわからない。一体何がそうさせるのか……。


 自らを削ってまで誰かを救う……これは勇者だからという問題だけではない。特にライの場合、自らの実力を過小評価していることが多いのだ。

 にも拘わらず、躊躇いなく救いの手を伸ばそうとする。修業に傾倒するのはそれを確実な力に近付ける為。


 メトラペトラも本当は理解している。ライは自惚れている訳でも、過信している訳でも無いことを……。


「お主は少し異常じゃ……。何故、そんなに他者に入れ込む?」

「別に入れ込んでいる訳では……」

「クローダーなど今日会ったばかりの者……意味があるのかぇ?」

「……俺はクローダーの記憶を見ました。大聖霊と呼ばれなくなったのは人が生まれたからでしょう?だから爆発的に情報が増えて、それからずっと心が消えて行く恐怖に苛まれていたんですよ?」

「つまり人間代表で責任を取りたいのかぇ?そんな憐れみ……」

「違う!!」


 初めて強い拒絶を受けた為、メトラペトラは固まり目を見開いている。


「違うんだ……自分でも……何がそうさせるのか良くわからないんだ。ただ、何かが俺の中で疼いて止まらない」

「……一体、何がじゃ?」

「……わからないんだ」


(本当に?)


 柔らかな声がライの脳内に響く……。


(本当にわからないの?)


 穏やかな笑顔が脳裏を過る。


(あなたは優しいから……きっと、全てが愛おしくなるわ)


 暖かな温もりを肌が覚えている。


(だから全てを守りたくなるし、救いたくなる筈よ?)


 失ったことの絶望を覚えている……。





「ライよ!しっかりせい!ライ~!誰か……誰かおらんか!ライが……ライがぁ~!」


 必死に助けを呼ぶメトラペトラ。きっと生まれて初めてのことだろう。それほどの混乱ぶりだった──。


 ライは会話の最中、突然意識を失ったのだ。


 直ぐにライドウやスズが駆けつけライを湯船から引き上げる。しかし……意識は戻る気配が無い。


「大聖霊様、一体何が……」

「わからん!……が、ワシのせいじゃ!ワシが試すようなことを言ったから……」

「落ち着いて下さい、大聖霊様。呼吸はありますし、安定もしてます。少し様子を見ましょう」



 その不安もメトラペトラには恐らく初めてのこと……。



 封印を解かれたことから始まった出会い。ただの気まぐれで結んだ筈の契約は、メトラペトラのそれまでの在り方を一変させた。


 まず、ライはメトラペトラに物怖じをしなかった。大聖霊という存在……それは崇拝、尊敬、畏怖、嫌悪の対象である。膨大な力、事象を司る超常──人がメトラペトラを見る目には、何かしら私利の思惑が含まれていた。

 だが……ライという若い男は、その色が全くと言って良いほど見当たらなかった。口では『下僕になるなら助ける』と言いながら、そんな意図など一切感じさせなかったのである。


 それから観察したライは本当に意味が分からなかった。全く利の無いことに首を突っ込んでは、悩み、苦しみ、明るく振る舞う。一時は本当のアホなんじゃないかと本気で考えたが、どうもそうとは限らないらしい。


 そして何より、ライと共にいることは心地良かった。互いに遠慮せず、だが一存在として想われることは気持ちが良かった。神と戦ってもメトラペトラを消滅させない……そんな例え話でも何か胸の内が熱くなった。


 メトラペトラにとって大切なものへと変わってしまったライ……。それが突然、感情を爆発させたように吐露し倒れた。

 途端に猛烈な不安に襲われ、錯乱した自分に戸惑うばかりのメトラペトラ。その理由を、そしてその感情を理解出来ないでいるのである……。


(ワシは……どうなってしまったんじゃ?のう、ライよ……教えてくれんか?)


 庵に運ばれ横になるライは答えない。メトラペトラは、ただそれを見つめることしか出来なかった。




 一方のライは意識世界で哀しみに暮れていた──。


 何が悲しいのか。何が辛いのか。何故こうも自分の中の感情が理解できないのか……葛藤、苦悩が渦巻き動けない。


 意識世界は白一色。ふとした瞬間、倒れる前に見た『記憶』が過る。

 それは金の髪の美しい女性──。出会った記憶は全く無い……だが、胸が締め付けられる。


「済まない」


 その声はライの意識内に静かに反響する。臥せていた顔をゆっくり上げると、そこには若い男が立っていた。

 全てが白……髪も肌も服もシミ一つ無く白いが、瞳の色だけが金色だった。


「あなたは……?」

「私はウィト。君の中に間借りさせて貰っている者だ」

「間……借り……?」

「そうだ。私は君の中にいる。君が苦しんでいるのは半分は私のせいでもある。済まないと思っているよ」


 ウィトと名乗った男は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。


「半分……?」

「ああ……もう半分は君自身の中にある。こればかりはどうすることも出来ない」

「………………」


 ウィトの発言は意味がわからない。しかし、その言葉が正しいという妙な確信がライの中に存在している。


「俺は一体……」

「恐らくクローダーの力に当てられたのだろう。情報の奔流で脳に負担が掛かったようだからな……。それに契約印……本契約ではないとはいえ、クローダーの影響が出た。そうでなければ私と逢うこともなかった筈だ」


 クローダーとの邂逅……。それが影響して意識世界に取り込まれたライは、感情の制御が出来ないらしい。


「どうしたら戻れます?」

「落ち着けば戻れるさ。だが、折角だから話をしよう。起きてしまえば忘れてしまうかも知れないが、ここで心を強く持てれば今後は幾分楽になるだろうから」

「……話……どんな?」

「確認さ。ライ……君は何故、無理をしてまで誰かを救いたがるんだ?」

「わからない……」


 不安な顔をしているライ。ウィトはライに近付き肩に触れる。


「では、質問を変えよう。君は世界が好きか?」

「世界……わからない……」

「では、君にとっての世界とは何だ?」

「俺にとっての世界……」

「そうだ。漠然と地図を浮かべて、未だ行ったことのない果てまでが君の世界か?」


 それは、知識としての世界であって自分にとっての世界かと問われれば違うものだ。ライは首を横に振った。


「では、君の世界とは……?」

「俺の触れたもの、感じたもの……出逢った人達」


 ウィトは微笑み頷いた。それは確かな世界である。


「では、君は『君の世界』が好きか?」

「嫌なこと、嫌な奴……色々ある。でも……たとえそんなことがあっても、俺の出逢った大切な人達は皆が愛おしい」

「そうか……。ライ……君の苦しみは、『君の世界』がロウド世界に全て及んだ時に変化するだろう。旅を続けるんだ。そして君は君の答えを探してくれ」

「俺の……答え……?」

「そう……。君は君自信の意志で世界を愛するんだ。その時こそ本当の世界を知ることが出来る」


 本当の世界……今一つピンとこない響きだが、今の不安定な気持ちは少し薄らいだ気がした。


「ウィトさん……あなたは……」

「もう時間だな……。折角君と出逢えたのだ。最後に贈り物をしよう。この鍵を……」


 ウィトから手渡されたのは、その姿同様の真っ白な鍵。


「それはきっかけだ。今の……いや、今後の君には必要になるだろう」


 徐々に透けて行くウィト。ライが手を伸ばすと応える様に手を差し出す。しかし、その手はすり抜けてしまう。


「強くなれ……。私のように……無くさ……ずに………すむ……よ……う……」


 ウィトの声が遠退くと同時に、急速に意識が浮上する。もう何度目の感覚だろう、などと思いながらライは覚醒を果たした。


 そこにあったのはメトラペトラの顔……。見たことがない様な心配気な顔をしている。


「!……。ライ!ライ!この馬鹿!」

「い、いきなり馬鹿とか酷いですね……」

「馬鹿は馬鹿だ!このオタンコナス!!」


 泣いているメトラペトラを初めて見たライは、それ以上言い返せなかった。手を伸ばしそっと撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしているのが分かる。


「俺は一体……?」

「ワシとの問答の最中、意識を失ったのじゃ。覚えておらんかぇ?」


 温泉の中で感情が爆発したのは覚えている。だが、確かにその先の記憶が無い。


「どのくらい寝てました?」

「然程ではない。しかし、意識が戻らなかった。心配させおって……」

「スミマセン……ご心配をお掛けしました」


 温泉でのやり取りは穏やかなものでなかった為に、互いにバツが悪い。そんな空気の中、先に口を開いたのはメトラペトラだった。


「のう、ライよ……。ワシはお主が心配なのじゃ。何か必死に走り続けている様でな……。長くこの世界を見ていたワシじゃが、時折そういった輩が居るの何度か見ておるのじゃよ。その場合、殆どが行き詰り自滅するか他者に命を断たれる。お主にはそうなって欲しくない……」

「……すみません、師匠。そこまで想ってくれているのに我が儘を……。でも……」

「……まあ、そう言うと思うたがの。割と頑固じゃからな、お主は」


 身体を起しメトラペトラと向き合う様に座るライは、改めて頭を下げた。


「こんなことを言える義理ではないかも知れませんが、力を貸して下さい」

「………ハァ。仕方無いのぉ。まぁ、愛弟子の達ての願いじゃしの」

「ありがとうございます!」


 美しき師弟愛……温かな空気が場を包む。しかし、そんな感動は長くは続かない。


「ライ~!」

「ぐはぁっ!!」


 胡座をかいているライの脇腹を襲う衝撃。油断していたライの腹部にリルの頭突きが突き刺さる。


 更に……。


「ライ!だいじょうぶ?ラ~イ~?」


 心配のあまり力強く叩くリル。海王様の怪力は半端ではない。ライは抵抗できずボッコボコにされている……。


「やべでっ!ぢょっ!まぢでっ!じぬっ!げべっ!」

「ライ!ラ~イ~!」

「……リ、リルよ。止めぬと本当にライが死ぬぞよ?」

「?」


 ライは既に白眼で痙攣している……。意識世界の中では、もう会うことはないと思っていたウィトが突然戻ってきたライを慌てて送り返した。


「うぅ……」


 再び目を覚ましたライ。顔は徐々に回復して行くが、意識はまだ朦朧としている様だ。


 そんな様子を見ていたライドウとスズは、恐る恐る部屋に入ってきた。


「だ、大丈夫か、ライ殿?」

「な……何とか。ご心配をお掛けしました」

「無事で何より……。良かったですね、大聖霊様」

「ふ、ふん!まあ此奴は頑丈だからの。それよりじゃ!」


 照れ隠しに話題を変える大聖霊様。ツンデレでいらっしゃる。


「それで……どうするのじゃ?何か考えがあるなら聞くぞよ?」

「大聖霊を全て捜そうかと思います。大聖霊は神の力の分散だと前に言いましたよね?なら、まとめればクローダーを救える可能性も生まれるかと……。それに」

「他にもあるのか?言ってみよ」

「【神衣】に届けば何か掴めるかも知れないですよね?」

「成る程……良かろう。じゃが、久遠国はどうするんじゃ?」


 視線を移せばライドウとスズの不安げな顔が見える。


「まずは久遠国で捜せば良いかと。クローダー……どれくらい持ちそうですかね?」

「まだ多少の意志疎通は可能だったのじゃろう?ならば猶予はある。少なくともお主の寿命が切れるまでは持つ筈じゃ」

「でも……出来るだけ早く救いたいです。あれは幾らなんでも可哀想ですよ」

「大聖霊相手に可哀想……か。全くお主は……ハッハッハ」


 いつものライに戻ったことにメトラペトラは笑う。


「ならばライドウよ。ディルナーチ大陸に犬は居らんかの?」

「犬……ですか?普通の犬ならいますが……」

「いや良い……。ワシらが自ら捜す。そうと決まれば早い方が良いじゃろう。大陸へは何時向かうのじゃ?」

「その件でお話があったのです」


 ライドウはそのまま久遠国の現状説明を始めた。


「わが国が鎖国されていることは御存知だな、ライ殿?」

「はい。理由までは分かりませんが……」

「それは昔の話だから置いておこう。ともかく……鎖国状態の久遠国に自由滞在させるには領主の承認が必要なのだ。しかも三人分」

「三人……じゃあ、それまでは入国出来ないんですか?」

「いや、領主の許可があればその領地には滞在できる。今ライ殿は不知火領にいるだろう?」


 至極当然の話とはいえ、すっかり忘れていた『オトボケ勇者』。いま滞在している百漣島も当然、不知火領だ。


「それでだな……。許可の一つは私、ライドウ。もう一つは我が実弟……【嘉神】領主・コテツから貰える手筈を整えた。既に許可証は本土の城に届いている筈だ」

「じゃあ、あと一つですか……。当てはあるんですか?」

「本来なら私の盟友…【飯綱】領主・イブキに頼むつもりだったのだが、何やら跡目で揉めているらしくてな。そこでもう一人の盟友、【豪独楽】領主・ジゲンに頼んだ……のだが、少々融通が利かぬ奴でな。ライ殿に会って決めると言い出した」


 それは正式な手順だ。故に間違ってはいないし問題も無い筈。だが、ライドウは浮かない顔をしている。


「ジゲンは裏表の無い豪快な奴だ。但し、直ぐに腕試ししたがる悪い癖がある。間違いなく手合わせを望むだろう……」

「別に構いませんけど?」

「かなりの使い手だぞ?それに……」


 言い淀むライドウ。代わりに答えたのはメトラペトラだ。


「ライよ。この国の真なる達人達は皆、纏装を使える。故にその昔、纏装を破る為に独自の技が編み出されたのじゃ。それを受ければ覇王纏衣ですら容易く切り裂かれるぞよ?」

「マ、マジですか……?」

「マジですよ?三百年前の久遠国王とやりあった際、ワシ自身が体験したから間違いない。原理が良くわからんのじゃが、纏装の強弱に関わらず完全に断ち切られた。当然、魔法も斬られる」

「……………」


 そんな領主と手合わせをすることは確かに危機的状況かも知れない。


 だが……それは寧ろライの心に火を付けた。


「それ、凄いじゃないですか!寧ろ是非手合わせ願いたいですよ。上手く行けば技を盗めるでしょ?」

「一朝一夕には……いや、良いわ。どうせ聞きはしないのじゃろうからの」

「どのみち許可貰わないとならないのでしょ?じゃあ一緒ですよ」

「わかった、わかった……。好きにせい」

「流石はメトラ師匠……愛してるぶぐぉ!」


 抱き付こうとしたライにネコパンチ炸裂……。倒れたライの顔には久々にメトラペトラが乗っている。


「という訳じゃ。遠慮せずジゲンとやらに会いに行くぞよ?」

「わ、わかりました……。では、明日早朝に船を出します。まずは不知火本土の我が城まで足を運び、更に翌々日【豪独楽】領主・ジゲンにお会い頂きます」


 そこで“パチン”と手を合わせたスズ。皆の注目を確認し、ニッコリと笑みを浮かべた。


「では、今日は宴と致しましょう。腕によりをかけて食事をご用意致します。酒や肴も準備致しますね?」

「やった~!酒じゃ酒じゃぁ~!」

「ごはん!ごはん!」


 はしゃぐ大聖霊様と海王様が跳ね回る。下敷きになっているライは『げふっ!』『ごはぁ!』と呻いていたが、領主夫妻は極力見ないことにしていた……。


 そして夜──豪勢な料理と酒に皆が英気を満たされ、ライ達は深い眠りに就くことが出来た。



 翌朝早く向かった船着き場には、既に百漣島の島民達による人集りが……。


「勇者殿、また来いよ」

「大聖霊様、次はもっと良い酒を用意しておきます」

「リルちゃん。元気でね」


 口々に別れを惜しむ声。たった三日……やはりライは人を惹く様だとライドウはしみじみ感じていた。


「皆さんも元気で!また来ます!」


 鉄甲船の甲板から手を振る『人外様ご一行』。そこに心の壁は存在しない。まるで種の違いや強さなど初めからなかったかの様である。


「出港!」


 ライドウの声での船出。少しづつ小さくなる百漣島……。やがて島が見えなくなると、ライは晴天を扇いだ。



 ディルナーチ大陸、久遠国──。ようやく本国への入国である。




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