第三部 第一章 第二話 大公女の涙


 イズワード卿の居城の一室。パルグに当てがわれた部屋の中、ニルトハイム大公女・クリスティーナは衝撃の光景を目の当たりにしていた……。


 そして同時に、こう思った───【姉が壊れた】……と。



 いつも優しい笑みを浮かべ、思慮深く分別を弁えた姉・ナタリア──。


 奔放なクリスティーナと一つしか違わぬ筈が、何故これ程までに出来た人間なのか……と、ずっと疑問だった。もしかして『聖なる存在の生まれ変わり』なのではないかとすら考えた程に、常におおらかだった姉……。


 それが現在、クリスティーナの眼前で枕を抱え転げ回っているのだ……しかも全裸で。


 クリスティーナには、これ程浮かれたナタリアを見た記憶はない。学業で首席に輝いた時も、習い事の全てで達人認定された時も、子供の頃から探していた『幸運の花』を見付けた時ですら、姉は深く穏やかな笑みを浮かべていたのである。


 それが……何故こんな残念な姿に……。




 クリスティーナは原因を探る為、記憶を遡ることにした。


 ニルトハイム大公達がイズワード領に到着したその日……イズワード卿パルグの計らいで中央街『ローナリア』を観光させて貰うことになった。街を観光するにあたり、大公女の身を案じたパルグからの護衛が付くことになったのだ。

 だが、それはまだ良い。クリスティーナの記憶でも、どの国に訪問しても必ず護衛が付くが当たり前。おかしなことは何もない。


 問題は同行者である。赤髪で甘いマスクの勇者……名を『シン・フェンリーヴ』と名乗った彼は、気取った感じを一切持たぬ好人物だった。

 クリスティーナは『シン』という勇者をずっと観察していた。もう一人の同行者であるメル・レインなる魔術師から情報を引き出し、何かおかしな点が無いかをずっと探していた。

 しかし、彼は驚くほど礼儀正しく生真面目な人物だったのだ。


「ねぇ、メル……。あのシンというお方は……その……お付き合いしている女性とかいないのでしょうか?」

「私が知る限りではいないね」

「貴女は彼に気はないのですか?」

「アハハ……私はの色恋に興味はないよ」

「……?まあ良いわ。特定の女性と付き合わないだけで女性にだらしないということは……」

「そういうタイプでは無いよ。寧ろ朴念仁というか鈍いというか……。あの容姿だから女性が寄ってくるには寄ってくるんだ。けど、全く気付かないんだ……人間の本能として子作りを求めないのはどうかと思うね」


 クリスティーナは盛大に紅茶を吹き出した。まだ十六になったばかりの箱入り娘である大公女様には、『子作り』という言葉でさえ刺激的なのだろう……。


 因みにナタリアは、シンに夢中過ぎてクリスティーナの驚く様に全く気付いていない。隠れている護衛達は『まさか!毒物か!』と反応し、茶店の店主を尋問している姿が一瞬だけ見えた。


「……貴女、大公女なのに汚い」

「ケホッ……ご、御免なさい。突然『子作り』なんて言われたものだから……」

「ああ……人は『子作り』が羞恥の対象なんだっけ?生き物なんだから当たり前でしょう?セック」

「キャーッ!キャーッ!」

「あ……御免」


 やはりクリスティーナには刺激が強すぎる……。真っ赤な顔で手をワタワタと振る姿に、隠れた護衛達は緊張の面持ちで素早く周囲を確認している。


 ナタリアも今回は気付いた様だが、困った笑みを一瞬だけ向けてシンに視線を戻した。姉に初めてぞんざいな扱いをされたクリスティーナは目頭が熱くなる。

 しかし、ナタリアがチラリと見せた扇子を確認すると急に背筋が寒くなったらしく小刻みに震えていた。


「と、ともかく、勇者シンは鈍感な朴念仁なのですね?」

「自分で教えておいてなんだけど、そう纏めて表現すると酷い言われようだね……」


 話題にされているシンは決して鈍感などではない。女心は理解出来ないかも知れないが、好意を向けられていることにはちゃんと気付いてはいるのだ。ただ、勇者としての使命を優先しているだけなのである。


 取り敢えず、シンという勇者に問題は無いと判断したクリスティーナ。姉はしっかりした人である以上、きっと間違うことはないだろう……とその時のクリスティーナは考えていた。



 それからローナリア市街を散策する大公女と護衛達。


 クリスティーナの故郷『ニルトハイム公国』は、はっきり言ってしまえば片田舎。真新しい物で溢れるイズワード領は大公女の興味を引くには十分な情報量だ……。

 特に魔力で動く列車は、その便利さと珍しさでクリスティーナの興味を引いた。


「こ、これ、どうなっているんですか?」

「ああ。これはね~?車自体に磁力魔法の魔法式が組み込んであって、魔石を差し込むことで魔力を供給し車輪を動かすんだ。止めるときは魔石を外してブレーキを引く。魔石も差し込む本数で出力が変わるみたいだよ?」

「凄いですね……これは、何処の国にもあるものなんですか?」

「いいえ。アステ国だけだと思う。これは街を一回りする物だから小型だけど、大型のものは魔力供給にまだ問題があって実用まで行かないみたい。この小型の物でも地面の舗装や線路の取付け、加速・減速用の魔石の埋め込み……そして魔法式発動に必要な魔石の確保とビックリするくらいのお金が掛かってるし」

「ニルトハイムにはとても無理ですね……」


 小国の大公女様には少し残念な話だったが、それでも知識欲を満たすには十分なものだった。


 クリスティーナが珍しいものに目移りするその間も、ナタリアはシンと付きっきりで語り続けていた。それは驚くほどにピッタリと、周りなど見えていない程に……である。


「あれが一目惚れと言うのでしょうか?私には良く分かりませんが……」


 既に呆れるほどに勇者シンと寄り添う姉の姿を見て、クリスティーナはメルに問いかける。


「恋は盲目、なんて昔誰かが言っていたね。でもアレは少し違う様にも見える」

「違う……とは一体……?」

「何というか、シンの方も惹かれている感じがするよ。ずっと探していたものを見付けたような……ん~…何と言えば良いんだろう?磁石?」

「磁石ですか?」

「ええ。互いの形が隙間なくピッタリと合う組み木のパズルがあるでしょ?あれの磁石版?他の物では代用できない……くっついたら離れない。そんな惹かれ方に見えるね。でも、アレはアレで危ないよ」


 『危ない』の意味が理解できず首を傾げるクリスティーナ。メルは伝えるかどうか迷った様だが、クリスティーナの求める様な視線を確認し口を開く。


「アレではどちらかが壊れた場合……失礼、どちらかが亡くなった場合ね。残された片方も壊れかねない」

「つまり、再婚出来なくなるということですか?」

「もっと酷いよ。生きる気力が丸ごと壊れる。ただただ本能として『死ねない』か、死ぬ気すら起きない『心の死』か……」

「そんな……」

「私はそんな人間を稀にだけど見ている。まぁ、本当に稀にだよ……。ああいう男女は大半が幸せのまま人生を終えている」


 クリスティーナには十分な衝撃だった……。見知らぬ人同士がそれほど結び付くこともそうだが、姉が壊れる様な事態が起きた場合を考えると胸が苦しくなった。


「止めた方が良いんでしょうか……?」

「いや……多分、もう遅いね。引き離しても互いを求め続けて最悪堪えきれずに自害する。このままにしておいた方が間違いなく長く幸せでいられるよ。子が産まれればまた違う幸せも生まれるから」

「…………」


 姉の幸せがより長く続くならその方が良い。そうなれば見合いを成功させねばならない。


 となると再び問題が……。


「……メルさんはシン様がイズワード家を継がないと仰いましたが、あれは……」

「う~ん……何と言えば良いだろう?複数の理由が絡まっている様な……」

「……?」

「そうだね……一つは勇者としての使命感。何故拘るのかは当人にしかわからないけど、イズワード卿を継いだら勇者は引退でしょ?」

「そうですね……でもそれは、姉と伴侶になっても同じでは?」

「多分だけど、イズワード卿はシンが後継者にならなくても婚姻させると思うよ?実際、一度実の娘に逃げられた訳だから」


 イズワード卿に仕える者の中でも古株の執事は、パルグの余りの嘆き様を見ていられない程だったと口にしていたそうだ。今度シンに逃げられる様な事態は必死に回避するだろう、というのがメルの見解である。


「だから……今回婚姻をさせるのは、損得や血統維持じゃなく単なる家族愛だと思う。ただ……」

「ただ……何です?」

「恐らくシンは後継者になるかどうかは別として、イズワードに留まると思うよ。祖父を一人残すことを躊躇しているのは間違いないから」

「………何というか、面倒ですね。色々と」

「真面目すぎるんだよ、シンは。イズワード滞在の為に律儀に旅の仲間とも別れたから、私しか残っていないし」


 クリスティーナはメルの残った理由が気になったが、今は姉の話を優先する。


「他の理由は何ですか?」

「えぇとね……イズワード家の後継者不在は二十年以上だったから、親類内での権力争いも起こっているみたいなんだ。で、そんな中で『跡継戻ったから全部無し』って言っても親類達は納得しないでしょ?実際、シンはすぐ決闘を申し込まれてたし……」

「え、えぇ~?……だ、大丈夫だったのですか?」

「一介の貴族子息と、子供の頃から鍛練に明け暮れていて世界を巡った【武の勇者】……どっちが強いと思う?」


 答えるまでもない質問をするメルは意地悪げに笑った。


「まあ、それでも親類との争いは不毛でしょ?だから距離を置いているのだと思うわ。でも、それは逃げている様な気もするけどね……」

「逃げ……ですか?」

「立場を曖昧にしている以上、いつか決断を迫られるでしょ?いっそ、イズワード家当主になった方が幸せじゃないかな。ま、私が意見することじゃないけど」


 これまでの話でクリスティーナの持つ『勇者シン』という人物への疑念は消え失せた。何よりまず、姉の見る目が曇るとは思えない。であるならば、やはり姉を応援するのが妹の努め。



 ローナリアの観光を終えた一行はイズワード卿の居城に戻り解散となるが、シンとナタリアはサロンでの語り合いを続けている。

 クリスティーナはその隙にニルトハイムに用意された来賓部屋に移動した。


 部屋は大型のリビングから更に各大部屋に繋がる国賓用の特別室。豪華極まる内装だが、今は堪能している暇はない。

 リビングにて寛ぐ父・クランデルの腕を掴み、問答無用で部屋の一つに引き込んだ。


「なっ……何だ、クリスティよ!一体何事か……」

「お父様にお話しがあります」

「何だ、改まって……おや?ナタリアはどうしたんだ?」

「そのことでお話しがあるのです。良いですか、お父様……」


 クリスティーナから告げられたのは、もう一人の娘の初恋……いや、運命の出会い。


「そんなことになっていたのか……。それでお前は何をするつもりなんだ?」

「お姉様に幸せを……。こんな機会、二度と無いでしょう?」

「そうだな……。それで……私はどうすれば良いのだ?」

「イズワード卿にお取り次ぎをお願いします」





 そしてクリスティーナは準備を終え、ナタリアの部屋に来た……のだが。


「お、お姉様……一体何を…」

「ハッ!ち、違うのよ?私は…………………本当に何してるの!私~っ!」


 全裸で部屋中を転げ回っていたナタリア。良く見れば部屋中濡れている……。どうやら風呂上りで転げ回っていたらしい。


 顔を赤く染めへたり込む姉にタオルをかけると、クリスティーナは向かい合うように座る。


「良かったわね。お姉様……」

「クリスティ……私、どうなってしまったんでしょう?あの方の側にいるといつもの自分じゃなくなるの……」

「でも、側に居たい……いえ、離れたくないのでしょう?」

「それは……」


 混乱しているナタリア。


 クリスティーナはそんな姉の頭を撫でた……。その昔、姉から自分がそうして貰ったように……想いを込めて。


「たった数刻でこんなに可愛くなってしまうなんて……本当に磁石なのね」

「磁石?」

「そう……磁石です。お姉様はもうシン様と離れてはいけない。離れれば……」


 壊れてしまう……メルはそう言っていた。それだけは避けなければならない。


「明日の見合いの宴は私が担当致します。シン様とごゆっくりとなさって下さいまし」

「ですが、それでは……」

「お姉様は我が儘を覚えないと損をしますよ?大丈夫ですから、もう一度身体を暖めてからお休み下さい」


 立ち上がるクリスティーナの手をナタリアが掴む。


「クリスティ……今日は一緒に寝ませんか?昔みたいに」

「……わかりました。でも次からはシン様にお頼み下さいね?」

「もうっ!意地悪ですね?クリスティは」



 向かい合い眠ることにしたクリスティーナとナタリア。部屋のベッドは二人で横たわっても充分な大きさだった。

 そしてその日の夜は、互いの思い出を語りながら静かに更けていった……。




 翌日、見合いの宴の日──。


 その日は朝から各地の貴族達が続々とパルグの居城に来訪した。皆、豪奢な衣装に身を包みその富を主張している。

 予定の時間に到り、これ以上ない拍手の元でイズワード卿の挨拶が始まった。


「遠路遥々お越し頂きましたること、誠に感謝致します。光栄にも今回は、我がイズワード領がニルトハイム公国大公女の見合いの宴を開かせて頂くことになりました。ここで一つ、申し訳なき報告があります」


 パルグの演説に聞き耳を立てている貴族達は、何事かと僅かに色めき立つ。


「大公女殿下が一人・ナタリア様と我が孫シンが、昨日の内に良縁を結ぶに至った。よって本日は見合いの宴であると共に、婚約の宴でもある。どうかここは一つ……寛大な心で祝って頂きたい」


 場は僅かに混乱を起こした。が、パルグの背後に控えていたクリスティーナが足を運びパルグに並び立つと、騒音が一斉に消えた。

 青きドレスに身を包む少女の凛とした美しさに、一同は思わず息を飲む。


「皆様。イズワード卿パルグ様のお言葉にあるように、わたくしの姉・ナタリアが婚約するに至りました。私達ニルトハイムからすれば政略的な場であるこの宴で、姉は真実の愛を見付けるに至ったのです。またイズワード卿からすれば、長年望み続け手に入れた大切な『身内の幸せ』。どうか祝福の程、よろしくお願い致します」


 深々と頭を下げるクリスティーナ。その言葉には『イズワード家の事情を察し配慮しろ』という意図が不快さを与えない様に混ぜてある。確かにパルグにとっては、戻ってきた大切な身内・シンの祝いの場……事情を知る貴族からすれば批難をするのは無粋とも言える。


 加えてイズワード家を敵に回すことは政治的にも都合が悪いのだ。納得せざるを得ない。


 しかしクリスティーナは、そういった貴族達の打算を理解した上で続ける。


「そういった事情で今回は私の独壇場と相成りました。残り物の花で申し訳ありませんが、どなたか受け取って頂けますと私も立つ瀬がありますわ」


 この言葉は一気に場を和ませた。僅か十六歳の少女は、堂々と貴族達を相手取り彼らの持つ不満を霧散させたのである。


「それでは、本日はごゆるりとお楽しみ下され」


 パルグの声とほぼ同時に、クリスティーナは貴族の子息達に囲まれた。いつもの奔放さは身を潜め、まるで姉・ナタリアの様な完璧な振舞いである。


「君の妹さんは凄いな……豪胆でありながら繊細というか……」

「あの娘は本当はこういう場を嫌っているのです。ですが、私達の為に無理をしてまで……」

「私達もそれに応えなければならないね」

「はい!」


 パルグの側に座るシンとナタリアは互いの手を繋ぐ。それを見たパルグは微笑みながら語る。


「ハッハッハ……。全く大した大公女殿下だ。昨日、私の元に嘆願に来たのだぞ?『シン様と姉のナタリアはもう引き離すべきではない。だから婚約を認めて欲しい』とな?今日のあの振る舞いも全てクリスティーナ殿の考え。全く……私がもっと若ければ意地でも口説き落としたものを……」


 そんなクリスティーナは丸一日、完璧な振舞いで過ごし抜いた。イズワード卿の対面を守り姉を婚約に導いた手腕は、年齢を考えれば恐るべき手際である。


 しかし、当人であるクリスティーナは宴が終わるとグッタリとしていた。

 やはりかなり無理をしていたのだろう。誰もいない部屋でベッドに横たわったまま動かない。


「疲れた……」


 その時ドアを叩く音が……。声を掛けたのは父クランデルだ。


「クリスティーナ。起きていたらこちらへ……」

「はい。今参ります」


 重い身体を起こしリビングに向かうクリスティーナ。そこには父以外にナタリアとシン、そしてメルが待っていた。


「どうしたのですか?」

「まずは、あなたにお礼を」


 ナタリアとシンは深々と頭を下げた。


「や、やめてください!」

「いいえ。これはケジメです。私達はあなたのお陰で覚悟が決まりました」

「覚悟……?」


 クリスティーナは側に座る父を見た。クランデルは優しい目で首肯き答える。


「婚約は成された。私は明日、ニルトハイムに戻る。但し、ナタリアは残ることになったのだ」

「……そう……ですか」


 再びナタリアとシンに視線を向ける。今度はシンが決意を語る。


「私はイズワード家を継ごうと思う。勇者は辞めるよ」

「よろしいのですか?拘りがあるのでは……」

「確かに思うところはある。しかし、私にとって最も大切なものは何か……それを理解したからこそ決めたんだ。ナタリア殿……いや、ナタリアとの未来の為に最善を選択する」


 互いに見つめ合い頷くナタリアとシン。その手はしっかりと結ばれている。


「私はここに残りイズワード家の仕来りを学びます。婚儀の用意もありますから……。改めてシン様とニルトハイムに挨拶に伺うことになりますが、しばしのお別れです。…………クリスティーナ……ありがとう」


 ナタリアは感極まってクリスティーナを抱擁する。クリスティーナは姉が涙するのを始めて見た気がした。


「お姉様。お幸せに……ほら、泣いていると幸せが逃げてしまいますよ?」

「フフ……あなたもすっかり大人になったわね」

「あら?私はとっくの昔に大人ですよ?」


 和やかに笑う一同。今日は良き門出の日なのだ。涙は不要である。


「それで明日のニルトハイムまでの道中、護衛にメルを連れていって欲しい」


 シンの突然の申し入れに驚くクリスティーナ。


「え?どうして……?」

「私が頼んだの。折角仲良くなったからね」

「本当に良いのですか、メル様……?」

「本当はシン達のお邪魔になりたくないから逃げ出すんだけどね?」

「まぁ!ウフフフ……ありがとうございます、メル様」



 クリスティーナはニルトハイム公国を出る前、イズワードに来ることが苦痛だった。

 しかし……今は心から来て良かったと感じている。姉の幸せ、やさしい義兄の誕生、そして新たな友人メル……。



 クリスティーナは二日間の滞在に様々な想いを馳せながら、慣れぬ振舞いの疲労でいつの間にか眠りに落ちていた──。




 そして翌日……。


 イズワード領を発った馬車が街道を行く。来た時と違い速めの馬車は、必要以上の停車を行わず軽快に走っていた。


 姉ナタリア、元勇者シン、そしてイズワード卿パルグの見送りの元、笑顔で別れたクリスティーナ達。いつでも歓迎する──これはパルグの言葉である。


 事実、いつでも会いに行ける。距離はあるが思ったよりはずっと近い。



「クリスティ……。頑張ったな」


 クランデルの暖かく大きな手がそっとクリスティーナの頭に触れる。その時……その膝元に涙がこぼれ落ちた。


「あ、あれ?おかしいですね……。嬉しい筈なのに……幸せな筈なのに何で……」


 その問いには誰も答えない……。クリスティーナにも答えはわかっているだろうことを知っているから。

 そしてメルは、そんなクリスティーナをそっと胸元に抱き寄せる。




 少女の泣き声を優しく掻き消しつつ、馬車はニルトハイム公国へと走る……。



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