幕間⑨ 狂乱の間
天使の治める国、神聖国家エクレトル。
建国以前より世界の監視と管理を続ける天使達は、その責務として『脅威なる存在』の認識と排除を担ってきた。それは彼等、天使達の誇りであり果たすべき使命である。
しかし……平和の世でその役割が減少した為、エクレトルは主に力なき者への救済という形で世界への貢献を行っていた。
勇者バベルの時代以降、世の中は比較的平和であった。単発的な脅威存在が発生してはいたが、その殆どは人が力を合わせ人の手で解決出来る程度の脅威。それは却って人の成長や結束に繋がる為、関与せず見守ることにしていたのだ。
そんな平和な時代が三百年──それは決して安定を意味していた訳ではない。人同士の小さな争いは常に起こっていたのである。
エクレトルには定められた決まりがあった───。
【人同士の争いには関与してはならない】
エクレトルには理解できぬ人の業……燻る火がふとしたことから延焼を始めるように、火種は人の業の中で三百年間も力を溜め込んでいたとも言える。
新たな魔王の台頭もまた、決して偶然ではない。世界には連鎖的な脅威の出現が始まろうとしていた……。
エクレトルの中央に聳える白き塔の最上階、神聖機構の特別意思決定機関『嚮導の間』──。
その部屋では、特に優れている三名の天使『至光天』と呼ばれる者達の裁量によってエクレトルの方針が決定される。
真の最高意思たるティアモントは、本当に必要な時以外動くことはない。彼の者は神の代行であり神そのもの──エクレトルは天使の国と謂えど地上には変わりなく、ティアモントは必要以上の関与を行うことを回避していた。
そういった情勢の中、嚮導の間では『至光天』による会議が開かれていた。議題は三百年来の未曾有の危機【魔王】について、である。
「バベルが世を去って約三百年……魔王の台頭は予測されていた。だが、何故防ぐことは出来なかったのだ?」
至光天の一人、セルミローは問い掛ける。若さ溢れる姿だが悠に五百年以上は存在している天使。近年……と言っても二十年ほど前に至光天を継いだ新参株である。
「我々とて全ては見通せないのです。仕方ありませんよ……。それよりも今後を考えるべきでは?」
至光天・ぺスカーは目を閉じたまま答えた。老齢な女性の姿は、物静かな雰囲気を醸し出している。
「まずは現状の把握が先であろうな」
最後の一人……至光天・アスラバルスは、壮年に見えるがぺスカーより永く至光天に座する一番の古参。
至光天に上下関係はない。互いに対等であり、互いの責務と意思を体現するのみである。
「アスラバルス。エルドナの報告はどうなっている?」
セルミローは、姿通りの力ある声でアスラバルスに情報の提示を促す。首肯くアスラバルスは宙空に手を翳しそれぞれの眼前に大きなパネルを表示した。
映されていたのはロウド世界の地図──。そこには、白い印が世界各地に法則性無くに記されている。
「まずはこの印を見て欲しい。確認されている『準神格存在』の波動は、この十八個体と報告を受けた……。これをどう思う?」
「十八個体だと?その様な異常な数、かつて無かった筈だぞ!」
「落ち着け、セルミローよ。確かにロウド世界に於いて『準神格存在』が同時期にこれ程の数存在したことは無い。しかしこれは、ただ『確認した』数なのだ。善悪の区別無く十八個体……その意味はわかるな?」
セルミローを宥めたアスラバルス。その言い回しの意味をぺスカーは理解している様だ。
「つまり、善なる者達も含まれている訳ですね?」
「その通りだ、ぺスカー。この内の三個体は我が神聖機構が支援する勇者。『特殊魔導装甲』に選ばれし勇者である彼等は、寧ろ他の存在への抑止力。これは脅威認定から外すべきだろう」
パネルに手を翳し、印の内三ヶ所を青色に変更するアスラバルス。場所はシウト国・首都ストラト、トォン国・国境の街シシレック、アステ国・商業都市パサンヘット……魔導装甲に選ばれた各勇者が現在滞在する街である。
「成る程……ですが、残る十五個体はそのまま脅威となる訳でしょうか?ならば、やはり由々しき事態と思われますが……」
「そう急くな、ぺスカーよ。エルドナは灰色の存在を示唆しておるのだ。まずは明確な脅威を確認しようではないか」
「灰色……ですか。わかりました。続きをお願いします」
ぺスカー、セルミローの両名は、アスラバルスの説明を待つ。
「まずは……近年に直接確認された存在二名。歳十二、三程の容姿をした男女だ。トシューラ国にて勇者マーナの一行が会敵したが、討ち果たせぬ程の実力を持っている。常に二体で行動するらしい」
「最初に確認された場所や時期は?」
「一年ほど前にトォン国で初観測されたと報告されている。土地の魔力減少は起きておらぬ故、《魔人転生》で発生した訳では無い様だ。此奴らは少々変わっていて『力ある相手』にしか近付かぬらしい。遊びと称して力試しを挑むとのことだ」
「それでは……子供そのもの様ですね……」
ぺスカーの言葉はアスラバルスも感じたことだった。まるで子供が遊び相手を探す様な……そんな印象。もし年端も行かぬ子供が魔王級の力を手に入れたら……そんな考えが過ったのである。
「子供かどうかはまた別の話だ。例え子供であったとしても脅威ならば排除せねばならぬ。暴走の危険もあるだろうしな」
「セルミローの言う通りだ。脅威には違いない。だが……何かを画策しておらぬ分、脅威の度合いは低めだ。優先して倒す必要は無い」
パネルの印二つを赤色に変更する。子供の姿をした二人の魔王……現在地はトシューラ国最北部の森の中。
「次の存在はかなり厄介だぞ……。探知の網に掛かったのは僅か一度のみ。その後は行方も知れぬ。明らかに何かを画策しておるだろうが、その動向すら掴ませぬのだ」
「確実な意識を持ち、高い知能を有する魔王ですか……確かに厄介ですね」
「いや……真に危険なのは『三個体』が共に行動している点だ。魔王級が三人揃えば如何なる大規模魔法も可能になるだろう。それは最悪、【邪神】の復活の恐れすらあるのだ」
邪神の復活……それはロウド世界の終焉にも等しい事態。かつての神を葬り、覇竜王が命を賭けて封印した、摂理すらも越える存在である【邪神】。大天使ティアモントといえど倒せる保証はない。
「その者らの探索・調査が最優先ということですか……。しかし、その任は誰が……」
「それは私が行こう。相手が魔王級であれば確実に天使達に犠牲が出る。それは避けねばなるまい?」
「しかしセルミロー……貴方は『至光天』なのですよ?『至光天』に空席を生む訳には行きません。それに貴方ほどの人物を危機に晒すのは……」
「だが他に適任もいまい。至光天の代理は後に決めれば良いが、優秀な後続を失うことは殊更大きな損失だろう?それに我が選択に間違いあるならば、ティアモント様よりお達しがある筈だ」
心配気なぺスカーに力強い笑顔を向けるセルミロー。アスラバルスは無言で聞き入っていたが、セルミローの顔を確認し首肯いた。
「良かろう。しかし、まずは会議が終わってからだ。脅威は他にも存在する。把握しておかねば別の『準神格存在』との会敵の恐れもあろう」
「わかった。では続けてくれ、アスラバルス」
表示された『印』三つが赤色に変わる。場所は、唯一未知の『準神格存在』を確認出来た場所……アステ国境付近の山脈。
「これらの三個体と同等以上に危険と思われる存在が二年程前にシウト国で確認されている。名前も判明しているが恐らく偽名だろう。既にエルドナが調べ存在を確認出来なかったと報告があった」
「偽名?何故その様な真似をする必要があるのだ?」
「それは逆に考えれば、真の名が知れ渡っている者やも知れぬ。しかし、他に手掛りが無い以上調べ様もない」
「……その者はどの様な脅威と成り得ますか?」
アスラバルスがパネルを操作すると下に新たな画像が表示された。人とも魔獣とも取れる姿……。ぺスカー、セルミロー、共に見覚えの有るものだ。
「人型合成魔獣……これは、シウト国から治療の依頼があったものですか……?」
「そうだ。これをやった張本人は『ベリド』と名乗る魔術師だと、シウト国よりの書簡にも記されている。この魔獣以外にも巨大な魔獣を造りだしていたとのことだ。現在姿を消し行方知れず……しかし、及ぼした被害で言えば群を抜いている存在と言えよう」
「ならば、この者を先に捜すべきか?」
「いや……恐らく此奴は見付かるまい。エルドナの調査ですら完全に痕跡を消され追跡が出来ぬのだ……。だが現在、最も脅威なのは間違いなく此奴だろう」
シウト国からの親書に記された脅威存在『ベリド』──。エノフラハでの犠牲者数は百を越えるという……。現在解析中の人型合成魔獣の数も含めれば、ここ百年で最大の被害だった。
「エルドナに探索術の技術開発を依頼した。それが完成すればセルミローが捜して回る手間も省けるだろう」
「それまでは地道に捜すしかないと言うことか。まあ、始めからそのつもりだから構わんが……」
「開発を急ぐよう伝えてはあるがな……それに、シウト国の書簡には『ベリド』なる者とトシューラ国との繋りも示唆していた。トシューラ国に向かう場合は特に気を付けよ、セルミロー」
「心配要らん。戦う訳ではない。私とて魔人と戦えば無事では有るまいからな」
再びパネルを操作し印一つが赤に変わる。場所はベリドが最後に確認されたシウト国・エノフラハ。
「残りは『灰色の存在』とも言うべき者達だ。まずシウト国・エルフト。ここに居る者は元・魔導兵で『マリアンヌ』と言うそうだ」
「元・魔導兵……ですか?それが何故『準神格存在』に……?」
「大聖霊の仕業だそうだ。勇者バベルの封印が解けたらしい」
「おお!?」
ぺスカーとセルミローは思わず声を上げる。四元と呼ばれる理の大聖霊……その殆どが協力的ではないが、悪しき存在では無いことは確かなのだ。それは寧ろ『準神格存在』への抑止力として期待すべきであろう。
「大聖霊の手による『準神格存在』……何故、灰色などになるのです?」
「………それが、大聖霊は人間の下僕なのだ。『マリアンヌ』なる者もな」
「なっ!!!」
至光天・ぺスカーとセルミロー、今日一番の驚愕……。
「何ですか、それは!何故、人ごときが!?」
「そうだ!大聖霊は理の権化だぞ?人に従う訳があるまい!?」
「だが、まごうこと無き事実……。現在シウト国にいるアリシアからの報告に加え、神聖教司祭エレナからも報告が届いている。命の大聖霊はシウト国の勇者、ライの下僕だ」
嚮導の間は沈黙に包まれた───。
ある意味その事実は『魔王達』より質が悪い……。人がそれ程の存在を手中にすれば覇業を夢見てもおかしくはないのだ。
「そ、そのライという者は一体……」
「それが……『特殊魔導装甲』に選ばれた勇者の一人なのだ。行方知れずだった筈なのだが……」
「筈……とは一体……」
「それが灰色の理由よ。どうもライという勇者は魔人化している様でな……」
「なっ!なんだと!!」
「トシューラ国の南海、宝鳴海にて波動が確認されたのが最近だ。エルドナも始めは気付かなかったらしい」
魔人化した為に身体から伝わる波動が微妙に変化したライ。エルドナは確認の為に魔導装甲のデータを何度も見直した程である。
「勇者が魔人化とは……前代未聞ですね」
「驚くのは早いぞ?その後の動きを追えばわかるが、まず宝鳴海に現れた時点でもう一つ莫大な魔力検知があった」
アスラバルスは地図を操作し宝鳴海に灰色の印二つを新たに加える。
「この二つの『準神格存在』はそのまま魔の海域に向かう。そこで一度消滅した」
「消滅……?潜伏では無くてですか?」
「うむ。一切の反応が完全に消えたらしい。しかし……次に現れたのが龍玉海。しかも、何故か『準神格存在』は三個体に増えている」
「て、転移魔法の可能性はわかるが、何故増えたのだ……?」
「わからん……わからぬことだらけだ」
再び沈黙に包まれる『嚮導の間』──特別意思決定機関は妙に空気が重い……。
「そ、それで……どうなったのです?」
アスラバルスはパネルを操作し無人島であろう場所に灰色の印を移す。そして三つの灰色は白の印に重なった。
「こ……これはまさか……」
「気付いた様だな……。この場所には他に二つの『準神格存在』の反応があるのだ。いや……正確には二つ増えた」
「何っっで増えてやがんだよ、ふざけるな!!」
セルミローはとうとうブチ切れ始めた……。天使にあるまじき言動……なれど誰も責めることは出来ない。『準神格存在』を増やして歩く勇者など前代未聞。到底容認を出来はしないだろう。
「セルミローよ。この増えた波動が何かを知りたいか?」
「これ以上何があると言うのだ、アスラバルスよ。もう大概のことには驚かんぞ……」
「ならば良い。増えた波動はな?かつての魔王“エイル・バニンズ”だ」
「……何、封印解いてやがんだ!このゲロ野郎がぁっ!!」
すっかり髪を振り乱し冷静さを失ったセルミロー。ぺスカーは白目を剥いたままカタカタと揺れている。
「そしてもう一つ……黒竜フィアアンフもいる」
「かぁぁ~っ!ペッ!くっ……!駄目だソイツ……狂ってやがる!狂ってやがるぞぉ~!」
黒竜フィアアンフ……勇者バベルに封印されるまで誰彼構わず喧嘩を吹っ掛け、景色が気に入らないからと島を一つ消し飛ばした暴竜。一応犠牲者はいないが、覇竜王ですら倒すとまで言われた突然変異の竜だ。
セルミローがおかしくなるのも頷けるライの所業。ぺスカーは白目どころかヨダレまで流し始めた。
「アスラバルスよ……其奴は危険では?」
「わからん……。だが、魔王エイルと黒竜フィアアンフは転移したらしく、現在カジームにいる。どちらの波動もかつて無い程に安定しているらしい」
「で、ではその勇者が何かを成したのか?」
「それもわからぬ……だが……」
「だが……?」
そこまで冷静だったアスラバルス。しかし、少しばかり様子がおかしい……。何故か満面の笑みを浮かべているのだ。
「勇者ライなる存在は真~っ直ぐ久遠国に向かっておるのだ。久遠国の『準神格存在』の元へ、真~っ直ぐにな」
「クソォォッ!魔人軍団でも創る気か!この【ピーッ】野郎が!」
「知ぃ~らね?私は知ぃ~らね~っ!!やってらんねぇ~っ……」
眉間側に眉を吊り上げ半笑いで肩を竦めるアスラバルス……実はアスラバルスは、エルドナの報告時に一度壊れたのだ。それを記憶の底に沈めていたが、説明をしながらセルミローの興奮を目の当たりにし再び錯乱してしまったのである。
因みにぺスカーに至っては『ヒィィ~!』と小刻みな悲鳴を繰り返していた……。
「……はいはい!冗談はここまでにして、皆少し落ち着こうか」
拍手で注目を集めたアスラバルスは幾分気を取り直し、努めて冷静に話を進める。
「じ、冗談なのか?人が悪いな、アスラバルス……」
「冗談では無い。無いのだが、この場合冗談としておくのが最善だ。違うか、セルミローよ?」
「……そうだな」
人はそれを現実逃避と呼ぶ……。
その後……何とか正気に戻り落ち着いた至光天は『マーナの兄』や『エノフラハで頑張ってた勇者』等と、とにかく理由を付けてライの存在を『善よりの灰色』ということにして話を打ち切るに至る。
きっと良い結果を齎すに違いない──そんな『至光天』さん達、ニアピン賞です!
とはいえ、一時的な錯乱は部屋の外の兵士により伝え拡がることとなる。
その日の出来事は『狂乱の間』として密かに語られることを、至光天達は知る由も無い……。
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