第六章 第三話 潜入


 遂にフラハ卿の所有する敷地に侵入を開始したライとオーウェル。


 他の建物は発掘屋組合の腕利きが見張っているらしいが、この屋敷は誰も構造を知らない。唯一、オーウェルだけは侵入を試みようとして人族の子供達を救うことになったと聞いている。


「俺は前回、一階部分までしか入っていない」

「じゃあ細かい内部構造は判らないんだな?」

「ああ。屋敷はフラハ卿の手下が巡回監視している様だ。見付かった時点で増援を呼ばれるだろう」


 小声で会話している二人は未だ屋敷には入っていない。内部がわかるなら少しでも対策をしたかったのだが、結局は臨機応変に動くしかない様だ。


「じゃあ子供達を見付けるには片っ端から部屋を捜す他ないか……」

「いや……手はある。ちょっと待っててくれ」


 オーウェルは目を閉じ深呼吸すると徐々に姿が変化を始めた。銀色の体毛が身体中を被い、骨格も人のそれと隔絶してゆく。体躯は元の一回り大きくなった。


 【獣化】


 獣人族が本来の能力を発揮する際、身体を変化させる特殊能力である。


 その姿と力は血筋ごとに異なり、人狼族のオーウェルは狼頭人身を形成していた。

 確かに身体の大きさがこれ程変化するなら、鎧を装備するのは無理だろうと納得する他無い。


「成る程ね。だから【わんわん兄ちゃん】か……」

「正確には狼だが……それにしてもライは動じないな」

「いや、驚いてるよ?まぁ、少し前にドラゴンと戦ったからさ。そもそも種族の違いは個性みたいなもんだろ?」

「そうなんだが……ドラゴンと比較されると微妙な気持ちになるな……」


 獣化で狼の顔に変化しているオーウェル。元々あまり感情を出さないのだが、今はその微妙な表情すら判断が付かない。


「それより【獣化】して何すんの?」

「この姿なら感覚や嗅覚、聴覚などが鋭敏化する。巡回の位置を避けながら子供達の痕跡を捜せるだろう。身体が大きくなる分、建物が狭く感じるけどな」


 以前オーウェルが侵入した際は【獣化】を使う前に傭兵に発見され囲まれたのだという。今回は同じ轍を踏まない様に対策した訳だ。


「子供達の居場所さえ判れば隠密行動は必要無いが、それまでは警戒しながら行く方が良いだろう?」

「そうだな。なら、巡回してるヤツの場所が判ったら教えてくれ。念の為初歩的なヤツだけど幻術掛けとくから。まあ気休めだろうけどな」

「そうしてくれると助かる。俺は魔力はあってもあまり魔法は得意じゃない」

「……実は俺も得意じゃないんだ。命中率が低いから当てにすんなよ?」

「……は?」


 ライの魔法はポンコツである。取り敢えず対人では当たることは当たるのだが指定が利かない。そのことをオーウェルに話すと小さく笑っている様だった。


「笑うなよ……結構気にしてんだよ?」

「いや、済まない。多分、それは解決出来るぞ?」

「マジで!!」

「【魔纏装】は使えるか?アレを一瞬で良いから指に展開して目標を指すんだ。そのまま魔法を放てば当たる」

「ん?【魔纏装】って魔力での纏装?」

「ああ。それで感覚を掴めば普通に使える様になる。慣れれば応用で全身のどこからでも魔法を出せるぞ?」


 獣人族は身体機能に誇りを持っている為か魔法をあまり使わない。オーウェルもその例に漏れないのだろう。


 それにしてはオーウェルはやけに魔法に詳しいとライは疑問が湧く。


「獣人族には纏装は必須技能だからな。その過程で【魔纏装】を覚える為に魔法自体は学んでいる。お前の様な癖があるヤツも何人かいたよ。まあ、人間でそんなヤツ初めて聞いたが……」

「う……微妙に恥ずかしいが試してみる。ありがとう、オーウェル」


 早速、少し離れた石に向け下級火炎魔法を試す。言われたようにほんの一瞬だけ指に【魔纏装】を展開し石に指を向け魔法を放った。目立たないよう出来るだけ威力を絞った小さな火玉は石を弾き飛ばした。


「やっ!…やった~……」


 歓喜の余り叫びそうになったが、現状を思い出し小声で喜ぶライ。オーウェルは生暖かい目で見守っていた。


 そうして準備の整った二人は早速近くの窓から侵入を試みる。纏装を纏わせたオーウェルの爪は音も無く窓の留め具を切り裂いた。そして固定が外れた窓を丁寧に取り外す。纏装の技量はライのソレより遥かに高い。

 更に感知能力は非常に優秀で、一度も巡回の兵と鉢合せせず探索が出来た。それらはオーウェルの能力が洗練されていることを物語っている。


「取り敢えず子供達は館の中には居ない様だ。ただ……この先に見張りがいるんだが、その辺からの湿った風に子供達の臭いが混じっている」

「そこまでわかるのか……本当に凄いな。で、どうする?」

「あの先は多分、地下だろう。通路なのか施設なのかまでは判らないが……行くしかない」

「わかった。じゃあ見張りを何とかしないとな」


 通路の角で見張りから見えない位置に陣取ったライは、下級幻覚魔法を小声で唱える。


 幻覚魔法・《我欲夢想》


 欲望を引き出し思考を幻覚で満たす魔法。下級魔法ゆえに精神力の強い者にはあまり効果が無いが、逆に欲の強い者には効果が高いという特徴の魔法だ。フラハ卿に雇われている私兵ならば効果は期待出来るだろう。

 そして事実、扉の前の傭兵はだらしのない顔で惚けることとなった。この隙に二人は地下通路を下りて行く。



 地下への通路は螺旋階段の様で、時折奇妙な紋様が中心側の壁に描かれていることに気付く。


(これは……魔術の痕跡?)


 ライは少し嫌な予感がしたが引き返す訳にはいかない。オーウェルの言葉通りならこの先に子供達がいるのは間違いないだろう。

 救出出来れば屋敷の外に合図を送り発掘屋組合の協力者に踏み込んで貰う手筈。もし捕り逃してもアブレッド達が街の周辺を固めている。フラハ卿が逃げ仰せるとは思えない。


「うっ……!」


 その時、突然オーウェルが蹲った。顔色は分からない。しかし、少し震えている様に見える。


「どうしたんだ、オーウェル!」


 小声だがしっかりと呼び掛けると、身体を起こしたオーウェルは頭を振る。


「この先はマズイかも知れない……死臭がする。とんでもない血の匂いが……急がないと!」

「落ち着け!新しい血の匂いはあるのか?」

「いや……だが……」

「なら、まだ大丈夫だ。急ぐぞ!」


 大丈夫……その言葉に根拠など無い。しかし他に励ます言葉も思い付かなかった……。


 石の階段を音を立てぬよう気を付けながらも、しかし急足で下りる。階段を下りきったその先には広い通路が続いていた。幸い見張りは見当たらない。


「地下通路か……どこまで繋がってるんだ?」

「ライ……突き当たりの扉が見えるか?あそこには行くな。子供達を見付けて早く逃げるぞ」


 恐らく戦闘力に関しては格上のオーウェルが異常な程に警戒している。それだけでこの場所の不吉さが理解出来た。


 今の最重要使命は子供達を連れての脱出。それさえ果たせば、改めて騎士団や発掘屋組合と共に総掛りでフラハ卿を攻めれば良いのである。無理をする必要は無い。


「通路の左の扉は全て子供達の匂いがする。右は空だ。多分、物置きにされているんだろう」


 周囲を更に警戒し続けながら扉に向かう二人。辿り着いた部屋の中に居たのは全て獣人の子供達だった。オーウェルの妹も無事確認出来たらしく、固い抱擁を交わしている。


「お兄ちゃん!」

「モノ!無事で良かった……他の子が何人か見当たらないが?」

「連れて行れたまま戻って来ないの!」


 オーウェルは絶句するしかなかった。周囲には助け出した子供達以外の気配は無い。それは生存の絶望を物語っている。他の建物にいる可能性も否定出来ないが、確率は低いだろうことはライにも理解出来た。


「オーウェル。急ぐぞ」

「わかってる。モノ、それに皆も俺達から離れるなよ」


 全員で急ぎ部屋を出た瞬間、子供達の悲鳴が上がった。外は既に包囲されていたのだが、オーウェルは不可解そうな顔をしている。


(何故気付けなかった?)


 確かにオーウェルの感知能力ならば油断していても気付けない筈はないのだ。しかし考えている時間は無い。今は目の前の敵を排除し無事に子供達を逃がさねばならないのである。


 待ち構えていたのはフラハの騎士や屋敷に居た私兵とは全くの別種……。明らかに常軌を逸している眼差しの……盗賊まがいの傭兵だ。それがざっと六十名程で出口方面の通路を埋め尽くしている。


 その中から進み出した一人の影。ライはその顔に見覚えがあった。


「フラハ卿……!」


 フラハ卿ニビラル。老齢ながら鋭い目付きを持ち顔に痣のある痩せた男は、チラリとオーウェルに視線を向けた。


「フン……お前のいう通り見事に釣れたな、ベリドよ」


 続いてライ達をつまらなそうに値踏みし自らの背後に視線を向けたニビラル。すると傭兵達の中からもう一人……異様な様相の人物が歩み出た。


 ベリドと呼ばれた人物……それは仮面を着け頭から赤いローブを纏った長身の人物だった。顔を全て覆う仮面は黒く、赤線で『目』の様な紋様を十字に重ねた不思議なもの。


「これで【成体の獣人】を使った実験に移れるでしょう?良かったですねぇ……子供では失敗すると分かりましたから」

「貴様……子供達を!」

「ええ。貴い研究の糧になれたのです。きっと天国で喜んでいることでしょう」


 仮面の人物……ベリドが高揚した口調で語り終えた途端、オーウェルは爆ぜるように突進し仮面の人物に攻撃を仕掛けた。咄嗟のこととその速さでライも反応が出来なかった。


 が、しかし……。


 ベリドの姿は其処には無い。攻撃は傭兵の群れに仕掛けた形になり、複数人がオーウェルの腕に弾き飛ばされ壁に激突している。フラハ卿ニビラルも直撃こそしていないが、突進の風圧で吹き飛ばされていた。

 オーウェルは勢いを止めず、そのまま上空に飛び上がり蹴りを繰り出す。その先に突然現れた赤いローブは、蹴り飛ばされ壁に叩き付けられた。そしてそのまま壁にへばりつく様に床までずり落ちる。


「クフッ……フ……フフフ、アハハハハハ!素晴しい!これだけの生命力があれば大丈夫でしょう!!」


 赤いローブがヌルリと起き上がる。オーウェルの攻撃をまるで意に介していない様で、その事実にライとオーウェルは追い込まれた焦りを隠せない。


「ベリド!遊びはそれまでにせんか!!」


 オーウェルの攻撃の巻き添えを喰らいヨロヨロと身体を起こしたニビラルは、鋭い目を見開き怒鳴り付けた。


「これは申し訳ありません。では……」


 ベリドは再び姿を消す。この瞬間、ライは悪寒を感じて【纏装】を纏うと一歩身を引いた。途端に軽い衝撃が伝わる。ベリドの手刀がライの身体を掠めたのだ。【纏装】のお陰で負傷はしていないが鎧には筋の様な傷跡が刻まれている……。


「ほう……貴方も纏装を使えるのですか?素晴しい!」


 再び姿を消そうとするベリド。それを素早く戻ったオーウェルが弾き飛ばす。そのまま死角を作らない様にライと背中合わせになり警戒体制をとった。


「ライ。アイツ……手応えがまるでない」

「多分、幻術だ。しかも上位の」

「匂いまで幻か。道理で囲まれても感知出来ない訳だ……厄介だな」


 相手はベリドだけではない。オーウェルの攻撃に巻き込まれ幾分数を減らしたとはいえ、傭兵はまだ五十人以上はいる。更にライ達は子供達を守らりながら戦わなければならないのだ。


「ベリドォォォッ!!!」


 感情剥き出しのニビラルは再びベリドを叱責する。いつの間にかニビラルの傍に移動したベリドは首を振りながら答える。


「纏装使いというのは厄介なんですよ。何せ攻撃が中々通らない。加えて獣人の彼は私の動きを僅かながらに捉えている。生かして捕獲するならもう少し疲弊させねばならないでしょうね」

「フン……使えぬな。ならば疲弊させるまでだ。貴様ら!報酬分は働け!なんなら追加で褒美をくれてやるぞ?」


 その言葉で傭兵達が奇声を上げ活気づく。


「わかりやした。で、どうしますかい?」

「男の獣人は生捕りだ。後は殺しても構わん。終わったら部屋に連れてこい。ベリド!儀式の準備だ。来い!!」

「おや?宜しいのですか?中々の使い手の様ですから私が居ないと逃げられるかも知れませんよ?」

「フン……仮にも【勇者フォニック】の一部だ。使い手だろうが不覚は取るまい。しくじれば命で償わせるだけの話……生贄程度には使えるだろう?」


 ニビラルはそう言って平然とライ達の脇をすり抜け奥の部屋に向かう。ベリドは肩を竦めその後に続き、扉の向こうに姿を消した。


 その間、ライは不用意に手を出すことが出来なかった……。それ程にベリドという存在は異常さを醸し出していたのである。子供達を人質にされなかったのは恐らく彼らの傲りからのことだろうが、ライやオーウェルにとっては幸運としか思えない出来事だった……。


「さぁて……じゃあ、お楽しみの時間だ。いつまで抵抗出来るか楽しみだぜ」


 ニビラルの言葉で自分達の命も掛かっていることは理解しているだろう傭兵達。しかし、その表情には恐れなど微塵も見当たらない。ニビラルの言葉が本当なら一部とはいえ【傭兵団フォニック】である。かなりの強敵と考えねばならない。


 しかし、これは好機でもあった。あのベリドという存在はあまりに底が知れない。ベリドと傭兵達を同時に相手にすれば子供達の救出どころかライとオーウェルも間違いなく助からないだろう。傭兵団を切り抜けさえすれば子供達を連れて逃げれば良いので生存率は上がる。


「なぁ、アンタら!念の為に聞くけど見逃してくれないか?」

「クックック……良いぜ?但し、見逃す対価はお前ら全員の命だ」

「………。つまり見逃す気はないってことね」


 無駄だと理解しつつ問い掛けたのはライなりの筋である。命のやり取りをするなら覚悟を確かめねばならない。そして傭兵達の態度はそれに『上等』と応えた様なものだ。


「オーウェル……この期を逃したら終わりだ!全力で行くぞ!」

「わかっている!前衛は俺が張る。援護は頼んだ。モノと子供達は一旦、部屋の中に!」


 こうして……エノフラハ地下での死闘が幕を開けた──。


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