第一章 第十二話 悪夢からの解放
プリティス教会内を照らす閃光───やがて光は薄れ騎士達は視界を取り戻す。
既に骸骨兵は数える程度を残すのみ。しかし今、その視界には有り得ない新たな存在が確認されていた。
「な……何だ、あれは……」
息を飲むフリオ達ノルグー騎士。しかし、驚いているのは騎士達だけではない。アニスティーニも目の前の異様な存在に驚愕していた。
そこに居たのは………馬だった。
いや……正確には馬ではない。馬であれば四足である。だが、出現した異形は赤いマントで体躯こそ見えないが少なくとも二足。恐らくは【獣人】と呼ばれる種族の牛頭人や馬頭人の様な、獣面人身の存在であろう輪郭が確認出来た。
「召喚に失敗して獣人を喚んだのか?それともこれは魔人なのか?」
飛び抜けて強力な魔力を持つ筈の存在、【魔人】。しかし目の前の馬頭からは威圧も何も感じない。アニスティーニは……いや、その場に居るものは混乱していた。
ただ一人を除いては……。
(あんの……バカ野郎~!!)
騎士団長フリオは気付いてしまった。赤いマントからチラチラ覗く『赤い魔導装甲』の存在に……。
『馬』はゆっくりとアニスティーニのいる祭壇に近付いて行く。時折“ブルルッ!”と首を振ったり足で地面を蹴ったりと
思惑の埒外。アニスティーニは恐る恐る『馬』に手を伸ばす。しかし『馬』は興奮したように地団駄を踏み跳ね回ると、どさくさに紛れアニスティーニの腹に回し蹴りを食らわした。
「グハァッ!」
堪らず退くアニスティーニ。『馬』はしばらく円を描くように嘶きながら歩くと、少し落ち着きを取り戻した様だった。
それを見ていたフリオはその場に崩れる様に座り込み笑いを堪えている。騎士達は団長の状態を心配し駆け寄った。アニスティーニが『馬』に気を取られている隙に骸骨兵は殲滅している辺り、やはりノルグー騎士団は優秀な様だ。
「す、すまん。(ライの行動に対する精神的)疲労が思いの外大きい様でな……取り敢えず、全員警戒維持のまま待機だ」
先程までの緊張感、台無しである。
一方の蹴られたアニスティーニは、対応が悪かったと判断したのか宥めるように『馬』に語り掛ける。
「ゲホッ!わ、悪かった!もう触れないと約束しよう。言葉は解るか?」
「ブルルッ!」
首を何度も横に振りながら縦にも振っている為、了解なのか否定なのか判断が付かない。アニスティーニは了解と判断し話を続けた。
「お、お前は私が召喚したのか?」
「ブルルッ?フッ!フッ!」
「……くっ、分からん。と、ともかく召喚されたのなら私に従う意識はあるか?」
「ヒヒィィン!!」
跳ね回る『馬』。まるで狂ったが如き動きである。
「わ、わかった!……ならばお前に命令する!奴らを殺せ!」
アニスティーニの指差した先……騎士団にゆっくりと視線を向けた『馬』はそのままじっと観察をしている。そしてアニスティーニに視線を戻すと軽く首を傾げた。
「言葉がわからんのか!奴らだ!奴らを殺せ!」
そして再び騎士団に視線を向け、アニスティーニに戻すと首を傾げた。
「………」
「………」
見つめ合う『馬』とアニスティーニ。遂にアニスティーニの我慢が限界に達した!
「えぇい!使えぬ!!ならば私の手で……」
騎士達に掌を向け魔法詠唱を始めると『馬』が素早く間に割り込んだ。どうやら理解したらしいと安堵したアニスティーニ。『馬』は何度か足元を蹴ると軽やかなフットワークで跳ね始めた。
「ヒヒィィ~ン!!!」
今までで最も力強い嘶きを一つ。騎士達は盾を構え警戒体制に移行する。『馬』は徐々に小刻みに跳ね、最後はグッと力を溜め腰を落した。
次の瞬間!
「ヒヒィィン!!」
「ごぶあぁぁ!!!」
吹き飛ぶ人影が一つ。祭壇の石像を破壊し、そのままの勢いで壁に激突。派手な音を立て教会の壁が一部崩れる。
「…………」
「…………」
「…………」
呆然としたのは騎士団員達である。騎士達は全員無事。つまり吹っ飛んだのはアニスティーニだった。
そして視線の先には祭壇の上で何度もガッツポーズを繰り返す『馬』が立っている。
「あ~……ハイハイ。全員、アニスティーニの捕獲に回れ。油断するなよ?あの馬は……気にすんな」
「気にすんな、ってアレ魔獣じゃないんですか?」
「いんや?ありゃ人間だ。全くアホ勇者め」
勇者……その言葉で騎士達は気付く。突入した時点で教会内にいた勇者がいつの間にか姿を消していたことに。
「……団長、知ってたんですか?」
「いや、俺も
「おいしいところ全部持っていかれましたね」
「全くだ。骸骨兵の時は手伝いもしなかったのにな……」
実は騎士団が骸骨兵と戦っている間、『馬』が物陰から応援していたのは秘密である。
「うぉ~い。いつまでソレ被ってんだよ、ライ」
フリオの声で振り返った『馬勇者ライ』は、じっとフリオ達を見つめている。と、突然猛烈な勢いでフリオに駆け寄った。馬の首の動きがとても気持ち悪い……。
「怖い怖い怖い怖い怖い!」
「怖いというより気持ち悪いですね……」
直前で減速した馬だが、フリオとディルムはドン引きだった。しかも馬面の中から聴こえる『むふぅーっ!むふぅーっ!』と粗い息づかいが、一層怪しさを醸し出している。
そうして馬の被り物をようやく外したライは、『一仕事やったった』と言わんばかりの爽やかな笑顔だった。
「お前なぁ……。何だその『馬』は?」
「いやぁ……先刻ここの子供達と買い物したんですが、その時に道具屋で見付けたんですよ。あまりの出来の良さに無理言って売って貰いました。役に立ったでしょ?」
「役に……立った、のか?」
ディルムに視線を向けると、非常に微妙な笑顔を向けている。
「フリオさん、そちらの方は?」
「ああ、ウチの副団長・ディルムだ」
「初めまして、勇者殿。私はディルムと申します。御協力、感謝します。以後、お見知り置きを」
「ライです。駆け出しの分際でしゃしゃり出てしまい申し訳ありませんでした。これ、お近づきの印にどうぞ」
ディルムに手渡されたのは『馬』である。改めて良く見ると物凄いリアルに作り込まれた匠の一品。普通に怖い。
(ああ……要らなくなったんだな)
フリオはすぐに理解した。対してディルムは、非常に有難迷惑な心を隠し社交辞令として礼を述べる。実に人間の出来た男、ディルム。気遣いのあまり一瞬『馬』を被ろうとしてフリオに制止されている。
「……ところで先刻の一撃、随分と凄まじい威力だったが鎧の機能か?」
「はい。以前話した《身体強化》ですが、人への攻撃に使ったのは初めてです。まさか、あんなヤバイ威力だったとは……」
「どうもその鎧は俺の盾の比じゃないな……後で調べた方が良いかもな」
「そうっすね……」
実際、あの威力ではアニスティーニも無事ではないだろう。騎士達が瓦礫の中から引っ張り出したアニスティーニの顔は、片側が異常に腫れていた。間違いなく顔面骨折している。
それでも生きているのは咄嗟に魔法防御を使ったからだろう。
既に魔力を封じられ拘束されたアニスティーニ。回復魔法による治療で元の顔に戻っているが、回復魔法で癒せない『喪失』した歯は抜けたままである。
「クソッ!クソッ!クソッ!クソッ!何故、魔獣が召喚されなかったのだ!召喚さえ成功していれば……」
連行されながら愚痴るアニスティーニ。フリオも同じ疑問を持っていた。魔獣が召喚された場合、結果は大きく変わっていた筈だ。
そんなアニスティーニはフリオの前に連行された。
「お前は先刻の若僧……そうか!貴様、何かやったな?」
怒りの矛先はライに向けられている。しかし、気にした様子もないライはあっさりとそれを認めた。
「そうだよ?これ、な~んだ?」
左腕を前に出した手首には、魔石の嵌め込まれた腕輪が装備されていた。
サァラが【ファントム】として活動する際に使用した魔導具は、認識攪乱と幻影の効果を持つ。アニスティーニは自分の渡した魔導具で自らの首を締めたのだ。
「そ、それは私がサァラに与えた魔導具か!成る程……それなら私が侵入に気付くことも無い、か」
「そう。で、その隙に祭具の一つをすり替えた。複製はクインリーさんがやってくれたよ」
大地魔法による複製品制作はクインリーには容易いことである。
「やはり私が教会を長く離れたのが失策だったな……。まあ良い。これで謎は解けた。次は必ず成功させる」
「次?まさか次があるとか思ってないよね?」
「クックック。貴様らの様にぬるま湯に漬かった者から逃れるのは容易いさ。いずれ必ず復讐する」
「そうは行きません」
再び教会内に響き渡る声。入り口に目を向けた一同は安堵の息を吐いた。ノルグーの守護者、クインリーの登場である。
「クインリー老。大丈夫か?」
「久々に魔法を使いましたからね。流石に少し疲れましたが大丈夫です。それより……」
歩みを進めたクインリーは、アニスティーニの鳩尾を杖で一突きした。堪らず膝まづいたアニスティーニが睨め上げると、そこにあったのは死を幻視させる程の冷酷な視線。
「………!」
「これだけのことをやった罪は貴方一人の命で償っても到底足りないですよ?何せ子供達の未来を幾つも消し去ったのですから」
視線に射抜かれ動けないアニスティーニ。その額に手を翳し長い詠唱を始めたクインリーは冷酷に宣言する。
「汝これより以下のことを禁ず!【魔力、魔導具の使用】【他者への害意】【尋問の拒絶】【自害の意思】。これらを破るときは意識を刈り取る激痛を与える」
アニスティーニの額には赤い鎖の様な紋様が浮かぶ。そしてクインリーは最後に人差し指を鎖に当て魔法を発動した。
《呪縛痕》
古きより人を隷属させる為に使用されてきた呪縛の魔法である。奴隷制時代に多用された魔法だが、現在では人道に反するとして半ば禁忌とされた魔法。その為使用する者は皆無という。
しかしクインリーは、批難を浴びることも厭わずそれを使用したのだ。
「これで貴方は自らの意志で死ぬことも抗うことも出来ません。そして私はこの魔法を解除しないと宣言します。年齢から言えば私は貴方より早く死ぬでしょう。しかしそれでも解けることはない。それが私からの貴方への罰」
「クソォ~!クソォ!クソがぁ……がぁぎゃあああぁぁ!!!」
罵倒の言葉をクインリーに向けながら、アニスティーニは白目を剥いてのたうち回る。そのまま気絶しピクピクとしているアニスティーニ。早速、《呪縛痕》による激痛が襲ったのだろう。
「よし……連れて行け。尋問は後でも良いだろう」
「了解しました!」
引き摺られて行くアニスティーニ。その先……教会の入り口にはサァラが立っていた。恐らく複雑な表情なのだろうが、教会内との明暗の差で良くわからない。
だが、事実として一つ分かることがある……彼女はようやく解放されたのである。
「さてと……後始末も仕事の内だ。ディルム。シュレイドに人員の半数で教会内の探索及び証拠集めをさせろ。残りの奴らは近隣住民への説明と避難解除の伝達」
「団長はどうするんです?」
「上の決定を無視して先行しちまったからな。事情説明に中央機関に向かう。それからライとクインリー老は……あの子を頼めるか?」
「わかりました。取り敢えず他の子同様、避難所に連れて行きます。ライ君、行きましょう」
「わかりました」
教会入り口でサァラに声を掛けると、涙をポロポロと溢しライにしがみついた。クインリーはライに目配せし先に避難所に向かう。
サァラが落ち着くまで頭を撫でつつ教会内部に視線を向けたライ。教会は戦いで荒れ果ててしまっている。帰るべき場所の喪失、これからの環境の変化。サァラへの心配が複雑な感情となり頭を過る。
しばらくして、落ち着いたサァラと共に避難所に向かうことになった。昼を一刻程回った時間はそれなりに人通りがある。はぐれないように手を握って歩いたのは、温もりで安心させたかった意図もあった。
足取りはサァラの……子供の歩幅に併せゆっくりと歩いた。しばらく無言だったライだが、意を決したように口を開く。
「ごめんな……」
始めに出た言葉は謝罪。サァラは意味が分からないとばかりにキョトンとしている。
「何がゴメンなの?」
「いや……魔導具借りる時に『司祭に思い知らせる』って言っただろ?結局、一発しか殴ってないし……」
「……一回蹴ってたよ?」
「いや……結局、懲らしめたのはクインリーさんだったろ?もう二、三発殴っとくべきだったかなと……」
「……良いよ、別に。もう、どうでも良いんだ。私はお兄ちゃんやお姉ちゃんの仇が……アイツが居なくなったからそれで良いんだ。でも……弟や妹とはこれから一緒にいられない。でしょ?」
ライは答えられない。自分で面倒は見れない以上、ノルグー卿に任せる以外に手は無い。きっとフリオやクインリーの口利きはあるだろうが、全員一緒に居られる保証など無い。
「……わたしも捕まるのかな?」
「それは無いよ。盗賊なんて無理矢理やらされていたんだし。それにサァラは誰も傷付けちゃいないんだろ?処罰とか言ったら俺がノルグー卿の所乗り込んで文句言っちゃる!」
「本当に?」
「勇者、嘘ツカナイ!」
実際は結構嘘を吐くライだが、この時は本当にそうするつもりだった。
「あのね……」
「ん?」
「わたしも……ゴメンね?……変態とか」
「いや、気にしてないよ」
「でも○▲□蹴っちゃったし……」
突然、男の股間に潜む【名状し難きもの】がサァラの言葉として出現した。子供故に平気なのか、それとも弟達の面倒を見ているので平気なのかは分からないが、由々しき問題である。
「それ、人前で口にしちゃ駄目な言葉だからね?特に女の子は……以後、気を付けるように」
「そうなの?」
「そうなの!」
「でも蹴っちゃったから……ごめん」
確かにもう少しで女言葉になりかけた程の大ダメージ。しかし【ヤツ】は今朝も元気だった。
「良いよ。許すから気にすんな」
「うん……」
「それより腹減ったから飯食おう。何か食いたい物は?」
「え?何でも良いの?」
「遠慮すんな。好きなもの食わせてやるよ」
「じゃあ……」
それから二人は街を色々と歩いた。食事、買い物、おやつ、とやりたい事をやりたいだけ、自由に。地獄のような日々の中で無理をしていた女の子を、今日ぐらいは誰かが甘やかしても良い筈だ。ライは心からそう思った。
結局、避難所に到着したのは夕刻も近い頃。サァラは弟や妹との再開を涙し喜んだ。たった半日が相当長く感じたのだろう。
クインリーはその姿を見て微笑んでいる。
「やはり君は勇者なのでしょうね。あの子は先程よりずっと明るい表情になってますよ」
「いや……俺は何も……」
「だから勇者なのですよ。意図せずとも弱者を放っておけず、励ますことが出来る。……少し行動が規格外ですがね?」
「あはは……はは……」
苦笑いで誤魔化す漢、ライ。初めて立ち寄った街での、割と大きな出来事。ノルグーに於いて『公表されることの無い』事件は、こうして幕を下ろしたのである。
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