山下蓮司の仕事

 蓮司はこの日のために、必要な事は全てやってきたつもりだった。

 『あの日』……母と妹を失った十年前から、トレーニングを始めた。それは過酷とは言えないものだったかも知れないし、効果的とも呼べないかも知れないが、高校生だった当時としては頑張ったものだ。『目的』のための学校にも通い、その中で優秀な成績を収めてきた。足りないのは経験ぐらいなもの。

 自分が英雄だとは思わない。けれども無力な学生ではないとは断言出来る。相手の強大さは身を以て知ったつもりだが、人間だって進歩しているのだ。だからこの『作戦』は初めての実戦であったが、何も出来ないまま終わるとは思わなかった。

 甘かった。

 英雄が一人・・・・・出たぐらいで・・・・・・何かが変わる・・・・・・程度の相手なら・・・・・・・、人類が十年も戦い続けている訳がないのに。

「山下ぁ! 生きてるか!? 返事をしろ!」

 自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

 蓮司は反射的に返事をしようとし、身体が痛くて声を詰まらせた。目を開けたが、辺りが暗くてよく見えない。

 息を整え、混乱する頭をどうにか落ち着かせる。痛みがあるのは全身だが、特に右足が酷い。何かが乗ってるように感じる。致命的な痛みではないがかなり圧迫されていて、動かす事が出来ない。他の部位に関しては、動きを妨げられる感覚はなかったが、場所が狭い所為で動かそうとするとすぐ何かにぶつかってしまう。

「……生きてます! 右足が、挟まれて動けませんが、他は無事です!」

「! 右足以外は無事なんだな!?」

 自分の状態を簡潔に説明すると、蓮司を呼んだ声は即座に次のオウム返しをしてくる。蓮司は「そうです!」と答えた。

 「分かった! 今助ける!」と外からの声が叫ぶと、ガコンガコンと物を動かす音が聞こえ始めた。最初は特に何もなかったが、やがて蓮司の右足に掛かる重みが段々小さくなる。

 そして光が視界を覆い、蓮司は思わず目を瞑った。

 目を瞑っている間に、蓮司は自分の足から重みがなくなり、次いで身体が一気に引き上げられる感覚を覚える。誰かに肩を化してもらった状態になり、身体を揺さぶられ、頬を叩かれた。ぶるりと全身が震え、強張っていた瞼は自然と開く。

 目の前に映ったのは髭面の中年男性。迷彩服を着ており、頭にはヘルメットを被っている。その背中には大きな銃……アサルトライフルが背負われていた。

 蓮司はその顔に見覚えがあった。そして蓮司もまた、中年男性と同じ格好をしていた。

「う……たい、ちょう……?」

「そうだ、俺だ。大丈夫か? 気分は悪くないか?」

 蓮司が『隊長』と呼んだ中年男性は、こくりと頷き、蓮司に質問をぶつける。蓮司は痛む頭を片手で押さえながら、大丈夫ですと答えた。

 実際気分はそこまで悪くない。足は少し痛むが、立っていても苦痛ではないので、恐らく骨折はしていないだろう。しかし自分の置かれている状況が思い出せない。

 何故自分はあんな暗闇……多分生き埋めの状態だ……に居たのか。何故自分はこんな格好で『隊長』と居るのか。何故自分は――――

「……っ!?」

 無意識に考え込んだ蓮司は、すぐ答えに辿り着いた。故に彼は目を見開き、正面を見据える。

 蓮司の前に広がっていたのは、何処までも続く瓦礫の山だった。

 瓦礫はコンクリートや材木、鉄筋で出来ており、かつてそれらが家屋を形成していたものだと分かる。瓦礫の隙間からは朦々と煙が立ち昇っていた。空には青空が広がっていたが、地上を埋め尽くす家々の残骸があっては爽やかさなど感じられない。

 ましてや彼方に居る『そいつ』を見れば、景色を楽しむ余裕を持てる人類はいないだろう。

 遙か彼方でも問題なく視認出来る。何しろ『そいつ』は体長三百五十メートルもあるのだから。

 燃え上がるように赤い甲殻の上では幾つもの爆発が起こり、人類による果敢な攻撃が続いている事を物語る。しかし『そいつ』は怯むどころか歩みを緩める気配すらない。

 それでも怒りはしているらしく、頭部の先より透明な空気の渦を放っていた。放たれた空気は大地を吹き飛ばし、小さな黒い塊……恐らくは戦車であろうものを粉々にしながら空へと舞い上がらせていた。そうして地上を一掃すると身体を反らし、空気の渦を空へと放つ。空気の渦は何十キロと伸びていき、爆弾を落としていた航空機を尽く撃墜していった。

 人類の攻撃は、まるで箒で払われるアリの行列のように無力だ。それは『そいつ』が現れてからずっと変わらぬ結末。予定調和の流れであり、最初からこうなると分かりきっていた事。

 だが、蓮司は悔しさから唇を噛む。

 そして、その名を呼んだ。

「デボラ……!」

 『そいつ』――――甲殻大怪獣デボラは、蓮司の悔しさを嘲笑うように行進し続けた。

 デボラの行く手には、未だ破壊されていない家屋がずらりと並んでいる。この地域……インド洋沿岸から十キロほど離れた位置にある都市を形成する、無数の住宅達だ。既に住人は退避した後とはいえ、そこには家族の思い出が詰まっている。何人であろうとも、国家であったとしても、無暗に破壊してはならない聖域だ。

 だが、デボラは気にも留めない。

 三百五十メートルもの身体を支える巨足が、小さな家々を踏み潰していく。足から逃れた家々は、気紛れに振られた平べったい尾によって蹴散らされた。まるでため息のように易々と吐かれた爆風が、彼方の住宅を粉砕する。

 何もかもが破壊されていく。何もかもが奪われていく。

 蓮司にはそれを見る事しか出来ない。何故なら蓮司達が使っていた『迫撃砲』は、デボラの攻撃により吹き飛ばされたのだから。蓮司は幸いにして瓦礫の隙間に入り、下敷きにならずに済んだが……

「……隊長。ジェイムズとハリーは……」

「……返事をしたのはお前だけだ。瓦礫の中にいるとは思うが……」

 決して分厚い瓦礫ではない。地上からの呼び声が聞こえないという事はないだろう。だとすればジェイムズとハリー……蓮司の仲間達は、きっともう助からない状態なのだ。

 彼等もまた、蓮司と同じく初陣だった。デボラに故郷を破壊され、家族を奪われた仲間だった。何時の日かデボラを倒そうと語り合ったものであり、共に訓練を乗り越えてきた。蓮司としては彼等に負けるつもりなど毛頭ないが、勝っているとも答えられない、優秀な兵士達だ。

 なのに、自分達が命懸けで、命を失って、得られたものはなんだ?

 デボラの足止めすら出来ずに、ただ命を失っただけ?

「……違う。俺は、俺達は、こんな事の、ために……」

「……ラッキーボーイ、今は自分の無事を喜べ。悲しむのは後でも出来る。生き残り、次に活かせ。俺も辿ってきた道だ」

 嗚咽が零れ、ぶつぶつと言葉が漏れると、隊長が蓮司の背中を叩きながら励ました。とても強い力で、走った衝撃により嗚咽が止まる。潤んでいた目を拭い、怒りを燃え上がらせた瞳で正面を見据えた。

 暴れ回るデボラに止まる気配はない。これからも奴は暴れ続け、破壊を続け、人々を蹂躙し続けるだろう。

 蓮司は、それを許さない。

「何時か、絶対……殺してやる……!」

 決意の言葉を発し、蓮司と隊長はデボラに背を向けた。

 蓮司達――――作戦行動中の太平洋防衛連合軍に撤退命令が出されたのは、それから間もなくの事であった。




 太平洋防衛連合軍。

 日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア……様々な国から集められた『民兵』が所属する部隊。太平洋と名に付いているが太平洋に面していない国出身のメンバーも居るし、連合軍を名乗っているが主権国家に属していない武装勢力の類である。資金源は民間からの募金が主だ。

 実態だけならテロリストと変わらないが、彼等は殆どの国家から邪険にされていない。

 何故なら彼等は、デボラと戦う事だけが目的なのだから。

 構成員の多くはデボラに故郷を破壊され、家族を奪われた者達。次いで『モンスター退治』に憧れる勇猛にして無謀な者達だ。彼等の大半は善良な人間であり、派遣先の国でも問題を起こす事はない。基本的には『ボランティア』団体のようなものだ。正規軍では手が回らない村落での避難誘導や、正規軍が嫌がるデボラの誘導作戦を率先して行っている。非常に危険な任務が多く、実戦に投入された人員の大半は一年以内に死亡するとも言われていた。

 蓮司が所属しているのは、そんな組織の実働部隊だった。

「レンジ。おい、レンジ」

 組織の海上母艦の通路で、蓮司は背後から声を掛けられた。振り返れば、そこには若い男が一人居る。スキンヘッドの白人男性で、強面だが朗らかな笑みを浮かべていた。

 彼の名はリチャード。蓮司と同じく今回の……オーストラリアでのデボラ攻撃作戦が初任務の同期であり、そして蓮司と同じく生き残ったメンバーの一人だった。

「……リチャード。お前も生きていたか」

「ああ、なんとかな。奴の攻撃で吹っ飛ばされて、人差し指がおじゃんになったが」

 そう言いながらリチャードは右手を上げる。自ら話したように、その手には人差し指が欠けていた。

 人差し指は、様々な機械の操作で頻繁に使う。義手などが使えれば戦線復帰も可能かも知れないが、そうでなければ後方支援が限度だろう。

 或いは除隊もあり得るし、彼自身がそれを希望するかも知れない。

「……これからどうするつもりだ?」

「義手が使えるなら付ける。無理なら物資の搬入係でもやるさ。俺はアイツが、俺の町を踏み潰したアイツがボイルになるまで戦いを止めるつもりはねぇ」

 尤も、太平洋防衛連合軍の自主除隊率は極めて低いが。

 復讐心は人を狂わせる。故にどんな兵士よりも強い。彼は今後どうなるか分からないが、『強い兵士』になるのは間違いない。蓮司は同僚の将来をそう考えた。

「お前はどうなんだ、ラッキーボーイ」

「その呼び名を知ってるって事は、聞いてるんだろ? 無傷だよ」

「全く羨ましいね。迫撃砲の下敷きになって生き延びるなんてな……ジェイムズとハリーは残念だ。亡骸、回収出来なかったそうだな」

「ああ。二人とも、家族の墓に戻してやりたかったんだがな……」

 蓮司の言葉に、リチャードも神妙な面持ちとなる。ジェイムスとハリーは、倒れた自走迫撃砲などの瓦礫の下敷きとなっていた。そのため二人の遺体を確認出来た訳ではないが、呼び掛けをしたが反応がない事、隊員のバイタルサイン生命兆候をキャッチするセンサーに反応がない事から、戦死したと判断された。

 二人を『救助』するには瓦礫を掘り起こすしかないが、重機はデボラに踏み潰された市街地に回されている状態。ほぼ間違いなく死亡している兵士に回す余裕はない。市街地での救助が終わり次第派遣するにしても、何週間先の話になるか分からないとくれば……放置が、最も合理的な選択だった。

 デボラとの戦いで死んだ場合、遺体が回収される事の方が少ない。訓練生時代幾度となく聞かされた話であるが、まさか戦友がそのような結果になるとは。母と妹の亡骸が十年経とうと ― そしてきっとこれからも ― 見付からない蓮司としては、トラウマを呼び起こされる気持ちだ。乗り越えた、とは思わないまでも幾らか慣れたと考えていたのに、ざわざわとした感覚が胸を苛む。

「……あー、そうそう。そういえばもう一人、ラッキーな奴がいるらしいぞ」

 蓮司の気持ちの変化を察したのか、リチャードは話を変えてくる。蓮司としても、何時までもこの感覚に苛まれたい訳ではない。小さく息を吐き、リチャードの話に乗る。

「へぇ。俺以外にラッキーボーイがいたのか」

「いや、ラッキーボーイじゃない。ラッキーガールさ」

「ガール?」

 蓮司は首を傾げながらリチャードに訊き返す。

 別段、女性兵士が珍しい訳ではない。デボラ被害はある意味男女平等だ。家族や恋人、友人を奪われた女性が復讐に燃え、この組織に加わる事はよくある。万年人手不足な太平洋防衛連合軍にとって、そうした女性も貴重な人員だ。正規軍と比べかなり兵士や幹部の女性比率が高いらしい。

 なので純粋に、興味を持って訊き返しただけだ。しかしリチャードは、何故かにこにこと嬉しそうに笑っている。

「ああ。かなりのかわいこちゃんらしいぞ」

「……お前、まさか口説きに行くつもりか?」

「勿論。ラッキーボーイが一緒なら、俺みたいな残念兵士にもチャンスがあるだろう?」

 肩を組まれ、リチャードは平然とそう語った。なんとも軽薄な男に見えるが、多分自分を励まそうとしての事だろう。酒を飲みに行くようなものだ。

 それに、『かわいこちゃん』に興味がないといえば嘘になる。あの世に行った時、再会した戦友への土産話ぐらいにもなるだろう。

「分かった、付き合うよ。で? その子は何処に居る?」

「食堂でよく見掛けるって話で……おっ、やっぱりお前はラッキーボーイだな」

 リチャードは蓮司の肩をバシンッと叩き、通路の先を指差す。蓮司はその指先を目で追い、

 その目を大きく見開いた。

 通路の先に、一人の女性が居た。いや、女性というよりも少女だろうか? 太平洋防衛連合軍の規則には、十八歳未満の子供の参加は認められないとあるので『少女』という事はあり得ないのだが……そう見えてしまうぐらい、あどけない顔立ちをしていた。非常に整っていて、人形のようにも見える。

 或いは無感情な黒い瞳が、その印象を抱かせる理由だろうか。蓮司は太平洋防衛連合軍に参加して、まだ数年の新人だ。しかしそれでも、この連合軍に参加している人々の大半が何かしらの感情に燃えている事は知っている。なのに彼女には、ある筈の感情が見付からない。

 おかしいとか、奇妙とか、相応しい言葉が他にあるだろう。けれども蓮司は、こう思った。

 綺麗だ、と。

「……リチャード、彼女の名前って分かるか」

「ん? ああ、勿論」

 蓮司が尋ねると、リチャードは機嫌を良くしたように笑う。それからすぐに教えてくれた。

「レベッカ・ウィリアムズだ」

 その、可愛らしい女性の名を。




 これが、蓮司とレベッカの出会い。


 二人はまだ知らない。自分達が進む先を。


 二人は知る由もない。これから訪れる困難を。


 そして二人は想像も付かない。






 自分達が目の当たりにする、本当の『絶望』を――――

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