2029年

加藤光彦の生活

「……金の延べ棒に、真珠のネックレス。それとこれは、プラチナの指輪か? 豪勢なもんだねぇ、全く」

 電気の付いていない暗い部屋の中で、光彦は箪笥の中身を物色しながら、肩を竦めて独りごちる。

 彼が漁っている箪笥は、彼のものではない。見知らぬ誰かの家に住む、誰かさんの私物だ。余程の金持ちだったのだろう、中にはたくさんの貴金属がしまわれており、光彦一人では持ちきれないほどだ。光彦は目利きが出来る訳ではなかったが、これだけあれば足下を見られても、質屋などで数百万ほどに換金出来ただろう。

 ……十年前であれば、という前書きは必要だが。

「今じゃ漬け物石にもなりゃしねぇ。まぁ、キュウリも大根も今じゃ嗜好品だがな……あー、浅漬け食いてぇなぁ」

 金品を投げ捨て、光彦は箪笥漁りを止めた。こんなものを持っていても役には立たない。すっかり伸びた顎髭を摩りながら、光彦は貴金属を踏み付けてこの場を後にする。

 箪笥が置かれていたリビングを通り、彼はキッチンへと向かった。キッチンには小さな人が居り、戸棚に頭を突っ込んで中身を漁っている。

「おい、アカ。なんか良いもん見付けたか?」

 光彦が呼ぶと、小さな人は戸棚の中に突っ込んでいた頭を出した。

 人は、十歳ほどの少女だった。顔立ちの整った子で、美少女と呼ばれるほどではないが、可愛い方であろう。長く伸びた髪はポニーテールで結ばれており、如何にもお洒落だが、その髪を結んでいるのは輪ゴムだった。着ている服はぶかぶかかつボロボロなTシャツとジーパン。ついでにいうと、ちょっと体臭がキツい……体臭については光彦が言えたものではないが。

「うん、こんなのあったよ、父ちゃん」

 アカと呼ばれた少女はニコニコと笑いながら、両手で小さなものを掴んでいた。光彦が顔を近付けてみれば、それはサバ缶だった。

「おっ、でかしたじゃねぇか。あと、俺はお前の父ちゃんじゃねぇって何度言や分かるんだ」

「別に良いじゃん、父ちゃんみたいなもんでしょ。大体私、本当の父ちゃん知らないし」

「そりゃまぁ、そうだがよ」

 アカの言葉に反論出来ず、光彦は目を逸らす。アカはくすくすと笑った。

「ま、良い。それより飯だ飯。早速食うぞ」

「うんっ! ところで父ちゃん。これ、なんて読むの?」

「サバだよ。魚の名前だ。十年前は普通に食われていた魚でな、うめぇぞ」

「うまいのかぁ、楽しみ」

 大事そうにサバ缶を抱えるアカ。実際のところ、そのサバ缶が食べて大丈夫な代物なのかどうかの問題はあるのだが……食べれば分かる事なので、光彦は特に言わなかった。

 光彦はアカから缶詰を受け取り、プルタブを指で摘まんで引っ張る。恐らく十年ほど放置されていた缶詰は、ぷしゅーっ、と空気の抜ける音と共に開いた。漏れ出た空気から中身の臭いがする。甘くてジューシーな、タレの香りだ。腐敗臭ではない。どうやら腐ってはいないようだ。

 中身の方は、どろどろに溶けて原形を留めていなかったが。

「……どれがサバ?」

「あー、まぁ、どうせ十年前とかに作られたやつだからな。中身が崩れてても仕方ねぇ」

 アカの疑問に、苦笑いしながら光彦は答える。懐からスプーンを二つ取り出し、一本をアカに手渡した。

 まずは光彦がどろどろに崩れた缶詰の中身を掬い、その味を確かめる……調味料の味しかしない。懐かしのサバの味を堪能出来るという期待を打ち砕かれ、光彦は僅かに肩を落とす。

「もぐもぐ。ん、美味しい。もぐもぐ」

 その僅かな時間に、アカは猛烈な勢いで缶詰の中身を頬張っていた。

「あっ!? テメェ何勝手に食ってんだ!?」

「早い者勝ちー」

「ちょ、ま、あ、あああああっ!?」

 『父親』からの制止を無視して、アカは缶詰の中身をどんどん食べていく。慌てて光彦もスプーンを出したが、出遅れは致命的。

 光彦が三口も食べたあたりで、サバ缶の殆どはアカの胃袋に収まってしまった。

「げぷぅ。ごっちそーさまー」

「こ、コイツマジで殆ど食いやがった……」

 幸せそうな顔のアカを、大人げない憤怒の目で睨む光彦。しかしアカは気にも留めず、むしろにししと楽しげに笑う始末。まるで飼い主に怒られる事を期待している、イタズラ犬のようだ。

 こうなるとゲンコツをお見舞いしても、向こうの希望に添うようなもの。光彦はため息と共に、怒りを吐き出すしかなかった。それに半端な量の食べ物が空きっ腹を刺激し、ますます腹が減ったような気がする。怒るよりも食べ物を探したい。

 尤も、その空腹を吹き飛ばす『音』が聞こえてきたのだが。

「――――父ちゃ」

「しっ、黙ってろ。そこを動くな」

 アカの口許に手を出し、光彦は一人キッチンから移動する。

 外から聞こえてくる、きゅるきゅると金属が擦れるような耳障りな音。

 光彦はカーテンが掛かった部屋の窓から、こっそりと外を覗く。と、丁度目の前に一台の『乗り物』がやってきた。光彦は慌てて頭を下げ、それから恐る恐るもう一度窓の外を見る。

 戦車だった。

 市街地の中を戦車が走っている。軍事兵器なんて殆ど知らない光彦だが、でっかい砲台とキャタピラを持つ鋼鉄の乗り物が戦車である事ぐらいは分かっていた。戦車はゆっくりとした動きで進んでいて、まるで何かを探すようである。

 そして車体には赤い星形のマークが付いていた。

 息を殺して光彦は戦車を観察し続け……戦車の方は、光彦には気付かなかったのか。そのまま光彦が潜む家の前を通り過ぎていった。見付からずに済んだと、光彦は深々と息を吐く。

 戦車はもう家の前から居なくなったが、光彦は這うように部屋を進んだ。キッチンまで戻ると、言いつけ通りじっとしていたアカが体育座りをしていた。アカは光彦の顔を見て、花が咲くように笑う。

「もう、行っちゃった?」

「ああ。だけど此処はもう駄目だな。ま、もう食い物なんてろくに残ってねぇし、そろそろ潮時だと思っていたが」

「ん。分かった。今度は何処に行くの?」

「一端町に戻る。仲間から、アイツらが居なくて、最近廃墟になった町を聞かねぇとな」

 光彦は立ち上がり、合わせてアカも立ち上がる。アカは光彦の手を握ったが、光彦はそれを振り解いたりはしなかった。

「でも、アイツらって本当に怖いの?」

「たりめぇだろ。全く、嫌な時代になったもんだ」

「テレビだと、正義の味方って言ってるけど。あ、私ら悪者か」

「確かに俺らは悪党だが、アイツらに比べりゃ優しいもんだ。とんでもないド悪党だよ」

「テレビが嘘言ってるの? なんで?」

「嘘言わなきゃ殺されるからだよ」

「へぇー」

 納得したのか、してないのか。暢気な言葉からはいまいち真意が読み取れない。が、光彦はさして気にしなかった。どうせ自分達には関係ない事なのだから。

「そんじゃ、見付からないように行くぞ」

「はーい」

 親子のように手を繋いで、二人は戦車が居なくなった外へと向かう。

 家の外へと出た光彦は空を見上げ、ぶるりと震えながら独りごちる。

「ああ、降ってきやがったか……」

 悪態と共に光彦の頬に付いたのは、一粒の雪。

 しんしんと降り始め、地面に落ちては溶けていくそれを見つめながら、光彦はアカの手をぎゅっと握り締めてから歩き出した。

 自分が知っている『四月』が、もう戻ってはこないのだと感じながら……

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