[5-06] 不正解が正解の引っかけ
「この
ニィはひょいとケースの中から手榴弾を取り上げて手の中に転がした。
「……流石にダミーか」
「ええ」
と、近場に控えていた試験用スタッフがニィに答えた。
「試験用のダミー手榴弾ですが、重量は実物と同じにしています。それでも実際に爆薬も入れていますし、信管も入っています。ご注意を」
「破片材を抜いているのか?」
ニィは手にした手榴弾の抜きピンのまるわっかを指でなぞりながら、横目でスタッフに問いかける。
一般的な手榴弾である破片手榴弾は、爆発によって金属片を周囲にまき散らして相手を殺傷する。破片材が入ってなければ殺傷能力は限定的になる。
「ええ、代わりに小粒にしたペイント弾を詰めています。ドローンへの命中および被害判定はペイントが付着した瞬間に、感知センサーで。致命傷を負ったドローンは即座に停止します」
「ふふ」とニィは笑う。「致命傷、ね」
「何か?」
いや、とニィは口元を撫でて笑みを隠した。
機械であるドローンに致命傷という表現がおかしかった。破壊ではなく致命傷だ。ニィはちらりと横目で四つ足を折り畳んで待機している獣型のドローンを見た。
あれには頭がない。銃やセンサーなどのアタッチメントを取り付けやすくするためだろう。背中はまな板のように真っ平らなのだ。
「おかしいですか?」
技術屋らしきスタッフは不満そうな声をもらした。
「いや、そんなことはない。俺は、そういった倒錯は嫌いじゃないんだ」
「そうですか」とスタッフは肩をすくめた。
その仕草の中に、ニィはしこり残る不満を感じて、目を細めた。
「しかし、お前さんの可愛い犬には頭がないな」
「……本当は、つけてやりたかったんですよ」
「ロクが反対したか?」
「ええ……。でも、きっと代行が正しいのです。技術屋のセンチメンタリズムのせいで、この子たちの生還率が下がったらそれこそですよ」
「ほう」
ニィはアタッシュケースから取り出したホルスターを肩と腰に巻き付けながら、「俺は、頭があったほうが好きだな」と拳銃を取り出す。
「そう言ってくれますか」
「ああ、俺からあいつに言ってやろうか? 今からでも、頭をつけるべきだ、それが戦場のリアリティなんだ、とね」
「リアリティ、ですか?」
「兵は自分の武器を愛するものさ」
ニィは脇下のホルスターに差し込んだ拳銃を、左右の手で次々に抜き構えて動きをチェックしていた。それを何度も繰り返しながら、やがて右手にもった拳銃の銃身を左指でつぅと撫でる。
「道具は愛されないといけない、そうだろ?」
「ええ! そうなんですよ。……でも」
「でも」
「でも、やっぱり。代行の言うとおりなんでしょうね」
「そうか?」
「そうですよ。あの人は本当に凄い人なんです。俺、本気で尊敬しているんですよ。このプロジェクトであの人と一緒に開発できて、めちゃくちゃ興奮しているんです」
「……」
そう言ったスタッフが目を輝かせているのを見て、ニィは視線を足元にそらした。その視線の先にはアタッシュケースの片隅にあった小さなケースに止まる。
それを取り上げてケースの口を引っ張ると細いが強靱な糸が出てきた。ブービートラップ用の特殊繊維だろう。
ニィはインスピレーションを感じて、そのケースを腰のホルスターにねじ込む。
「この子たちだって、代行の設計があったから完成できたんです。人工筋肉で駆動する歩行ドローン。それにどれだけの技術革新が必要が想像できますか?」
「……できないなぁ」
ニィは苦笑いを浮かべた。
「筋肉に見立てた繊維状の伸縮駆動素材のための材料工学、それらの制御系を定義する情報工学、動物的なアーキテクチャに生物学と運動工学、それにアーキテクチャの構造センスはまさに芸術的なんです。それだけじゃない。個々のドローンを連携させるための人工知能に、データリンクのための通信工学も完璧だ。
まだまだありますよ、忘れちゃうくらいですよ。ロクさんはどの分野でも超一流で、それを美しく組み上げて統合しちゃうんだ。エンジニアの神様ですよ」
「そうか……なるほどね」
ニィは肩をすくめた。
そういえばそうだったのだ。ロクは陰気な根暗ヤローだが、こういったオタク気質からは妙に好かれている。あいつの学校での数少ない友達もそういった奴らばかりだ。
「興味深い話しだが、そろそろ時間かな」
「すみません。無駄話でした」
「いや、楽しかったよ」
「がんばってください」
「ああ、お前さんの可愛いワンちゃんだが、手加減はしない。壊しても怒らないでくれよ」
「はい。こっちだって、今のところ全勝ですから」
そう言って、スタッフは走っていく。
さて、とニィは深呼吸をした。
悪いが、ロクが作った犬っころどもに負けるわけにはいかんのだ。
「おい、ロク!」
「出来たか?」
「ああ、始めろ」
観衆やスタッフはすでに二階に待避して、防弾ガラス越しにこちらを見ていた。
その二階から見下ろしていたロクが、手をあげて合図を左右を飛ばす。
ニィはそれを睨みつけながら、十字路の壁に見立てた掩蔽に身を潜ませた。腰裏から拳銃を一つ抜き、前に垂らす。手榴弾はダミーらしいが、この拳銃は実弾だ。
スライドを引いて、薬室に初弾が装填されていることを確かめる。
「開始10秒前。カウントダウン」とロクの声。
親父の言う呼吸とやらをしてみようか。
まぁ、俺が真似をしても単なる深呼吸だが……。
「8、7、6……」
犬は正面に2、路地に見立てた左右の
空いた左手で、手榴弾の位置を確かめる。
あれを相手に長期戦は不味い。初動で正面の2匹は潰しておきたいところだ。
速攻なら奇襲の
「2、1、0、」
騙し合いで俺に勝てるかよ、犬っころが。
「初め!」
ニィは飛んだ。
飛び上がって、壁に見立てたパネルを左足でさらに蹴り上げて宙を舞った。
ほぼ同時に駆けだした正面の2匹は、照準を上に向けるのがわずかに遅れた。
——足止め優先のアルゴリズム。頭上はその裏目。
ニィは空中で右手の拳銃を伸ばし、一発撃ち放った。
それは、正面の1匹の前足に当たり、束ねた人工筋肉を破り飛ばした。
竹を引きちぎったような断面をぶら下げながら、獣型ドローンは姿勢を崩し、ペイント弾の連射が床を塗りつぶしていく。
ニィは降り立った場所は、箱型の掩蔽の裏だった。
そのまま身をかがませて姿を隠す。
途端に、箱の掩蔽をペイント弾の雨が塗りたくっていく。
ニィそこで一呼吸だけ息を吸った。右手の拳銃を引き寄せて構え直す。
さて、ホローポイント弾を使ったのは正解だったようだ。弾頭を平らに潰して貫通力を犠牲にして、面への破壊力を強めた特殊な銃弾だ。人工筋肉をバラバラにするには、こいつに限る。
たったっ、と足音。
音の方向は3つ。1匹は足を潰した。残り2が合流。接近のドップラー音。先行する1匹は右側から回り込んでくるようだ。
その右側の進行ルートに、ニィは手榴弾を転がした。
回り込んできたドローンは、それを避けようと横っ飛びに跳ねる。
それと同時に、ニィは手榴弾が
ニィの目の前には放り投げた手榴弾がある。
手榴弾はピンを抜いてから、4秒程度で爆発する。
しかし、彼はそれに構わなかった。銃を両手でしっかりと構えて、その着地に二発打ち込んだ。
手榴弾を避けたドローンの着地の前足が吹き飛んで、二発目の銃弾がその胴体に抉り込まれる。獣型の体が床に滑り回って動かなくなる。
「手榴弾を投げても、ピンを抜いたとは限らないんだな。これが」
まぁ、機械に言ってもしょうがないだろう。
妥当な行動としては手榴弾を見たら避けるのがいわゆる最適な戦術行動だ。正しく調教された優秀な犬どもだ。ご褒美の餌ももらえないのにお利口さんなことだ。
だが、残念なことに俺が出す問題は不正解が正解の引っかけばかりなんだ。
ニィは再び掩蔽の裏に引っ込む。
再び銃弾の雨。残りは3。初撃で足をバラバラにされて動けずに定点射撃のみが1。まだまだ元気いっぱいが2。
こちらはマシンガンの乱打で掩蔽に釘付けの状況。
こいつらを調教したのが最適解の根暗なら、次の手はセオリーどおりだろう。すなわち、定点射撃は制圧射撃を続け、残りの二匹を左右から回り込ませる。まぁ間違いなく必勝パターン。
対して、こちらは拳銃一丁に床に転がった不発の手榴弾しかない。
でも、忘れないで欲しい。
あれはピンを抜いてないだけで、きっかけさえあれば、本当はできる子なんだ。
ニィは右手だけを掩蔽の裏から覗かせて、床の手榴弾に向けて引き金を絞った。
銃弾は手榴弾の安全ピンの付近を吹き飛ばし、手榴弾は反動で跳ね上がる。
ちょうど、右側から回り込んでいたドローンが通りかかった時だった。手榴弾はドローンの至近距離で、爆発した。
辺りにまき散らされる破片材のペイント弾。それの着弾判定など無関係に、爆風によって体の半分を吹き飛ばされたドローンはもはや部品の塊になって地面に転がる。
それを確認もせず、ニィは逆側の左手をぐっと引き寄せた。
掩蔽のふちから、ドローンの前足が出現した瞬間。
そのドローンの体は真っ二つに切断された。
そのまま四肢をバラバラにして、その勢いのまま転がっていく動かなくなる。
ふぅ、とニィは息を吐いて、引き寄せた左手のあたりの空中を銃のグリップではじいた。
ピンッ、と音がなる。
「流石だねぇ。これも最適解さまの材料工学のお陰かね」
ニィは左手を緩めて、そこに巻き付けておいた糸をふりほどいた。
初めに陣取っていた壁の掩蔽。そこにくくりつけておいた糸を、ここまで引っ張ってきたのだ。引き絞られた軍事用の特殊ファイバーはもはや刃物だ。そんなところに尻尾ふって飛び込んでくるなんてな。
……馬鹿な主人の命令に身を捧げる忠犬。胸が痛いね。
さて、残るは動けない1匹、か。
「ニィ、終了だ」
拳銃を握り直したニィを、マイク越しのロクが止めた。
「ほう。……あと一匹、いるはずだが」
「そいつは手榴弾の破片に巻き込まれたよ」
「ああ、なるほどね」
「お前の……勝ちだ」
そのロクの一言を聞いて、ニィは満足げに鼻を鳴らした。
◇
宮本はソファの上に散らかしていた書類や上着となどを掴み上げると、そこらに適当に寄せ集めて座れるスペースを作った。
「ほら、適当なところに座れよ」
「……相変わらず、散らかってますね」
ロクが顔をしかめて空けたばかりのスペースに腰掛ける。
それに向かい合う形でニィが座り、その間に布津野が座ってキョロキョロとあたりを見回している。
宮本はロクの何か言いたげな口の形を見て、機先を制した。
「整理整頓は仕事の基本、なんて言うなよ」
「分かってるなら、と言いたいのですが」
「正論を持ち出されたら、こちらも正当防衛のために正論を撃たねばならねぇ。例えば、最近の俺の労働時間が法定領域を突破し、もはや侵略の意図が明確であること、とかな」
「整理整頓をすれば、その侵略に対しても効率的に応戦できますよ」
「やだねぇ。戦争を知ろうとしない文民本部の理想論」
宮本は棚から角張った瓶と、もう片方の手にグラスを二つすくい上げるようにしてもを引っ張り出した。
「旦那ぁ、飲むだろ」
「ええ、え〜と」と布津野の目が泳いで、ロクのほうに流れる。
「付き合ってくれよ。なぁ、ロク、いいだろ」
「ダメ……といっても無駄でしょうね。本当は宮本さんにも聞いておいて欲しいのですが」
「軍人は文民の領域に口を出さない。そう決めたのは文民側ではありませんでしたかな」
「文民統制を批判しても、業務中飲酒の理由にはなりえませんよ」
「臨機応変、ってやつよ」
宮本は布津野の向かいにドカッと腰を落とすと、口元をゆるませながらグラスに酒を注ぎはじめた。
琥珀色の液体がグラスの氷を濡らして、てらり、と光る。
宮本はグラスを上掴みにして手をのばし、それを布津野の前に置いた。
「とっておきの奴だ」
「良い匂いですね」
「ああ、良い匂いだ。残念ながらBGMは政治のくそつまらん話になったが、まぁ酒で紛らわせば気にはならんさ」
宮本は肩をすくめて左右に座っているロクとニィに視線を散じた。
くそつまらん話、と軽口にのせてみたが、宮本は自分がわくわくしていることに気がついた。
目の前には珍景がひろがっている。左右に犬猿のロクとニィが座って、真ん中にその父親が座る。しかも、これから話される内容は、その父親が首相になるかどうかだ。
それを最高の酒を片手に観賞できるというのなら悪くはない。
「ウィスキーですか?」と布津野が首をかしげる。
「ああ、スコッチだ」
「へ〜」
「まぁ、ようは旨いやつだ」
布津野はグラスに口をつけて目を閉じる。
スコッチ・ウイスキーのまだ氷が溶けきっていない、原液に近い香りを舌に転がす。蒸留酒の燃えるような刺激に、香りの爆発。それを鼻に通して吐く。
「うん、美味しい」
ニィが身を乗り出した。
「いいなぁ。俺も欲しい」
「お、飲む?」
と、布津野は言った後に、ちらりとロクを見る。ロクの表情は控えめにいってあまり良いものではなく、布津野を睨みつけていた。
「……やっぱり、ダメです」
「えぇ、ロクなんて無視して飲みましょうよ」
「お酒はハタチになってから。それに、大切な話でしょ」
「そうでした。今からロクを論破しなきゃならない。忘れてました。酒で手心がくわわったら一生後悔だ」
ニィはそう言って、ロクのほうに皮肉な笑いをむける。
宮本は酒を一口含んで、ゆっくりと味わった。さて、整ったね。
「邪魔したな、そろそろ始めたらいい」
ソファに背中を預けて、グラスの氷をまわして酒になじませる。
やはり、これは相当に面白い見物だ。最近の激務のご褒美がこれだとしたらまぁまぁだろう。第七世代トップの二人が対立し、その間で旦那はオロオロする。なにせ、議題が議題だ。
「さて、確か……次期首相を旦那にする、って話だったか?」
ぶはっ、と旦那が酒を吹きこぼした。
いや〜、いいね。いいねぇ。旦那のリアクションはいつだって期待を裏切らない。
口に含んだ蒸留酒が肺の中に入ったのか、旦那はもの凄い咳き込んで、どんどん、と胸を叩いている。
「大丈夫ですか、親父」と、ニィが旦那の肩に手をかけた。
「い、今。なんて?」
「安心してください。俺が親父を絶対に首相にしますから」
「え……えっ!」
こいつはいきなり面白くなってきたな。
「ふざけるのはいい加減にしろ、ニィ」
「おいおい、お前こそ状況を読めているのか? この盤面での次の一手、親父以外にないだろう」
「どうしてそうなるんだ。父さんは素人だぞ」
「
ニィは髪をかき上げて、笑った。
「そんなもの俺がフォローするさ、徹底的にな。そうだ、俺が内閣代行をしてやろう。お前には研究所の所長あたりに閑職を用意してやるから、そこで犬でも作って遊んでろ」
「今は非常事態なんだ」
「非常ではない日常が、俺たちにあったのか?」
「言葉遊びになぞ、付き合っている状況ではない」
「状況? お前のいう状況というのは、つまり、在任期間50年の支配者が死の間際にボケた。後継者も満足に決められず側近どもが右往左往。しまいには素人を後継者にするとわめき散らし始めて、周囲は浮き足立っている。そういう事か?」
ニィは肩をすくめた。
「……そうだ」
ロクが重々しく頷くのを、ニィは嘲笑う。
「その認識がそもそも間違っている」
「前提を覆すのはやめろ。詭弁で乱すな」
「はぁ。型通りの言葉では十分じゃないんだ」
「お前は言葉で遊んでいるだけだ」
「遊ばせて切り口をかえてみる。言の葉はそのための
「……」
ニィは人差し指をロクに突きつけて、それを水平に
「認識を切り直すべきだ。日本はどうせ変わらなければ崩壊する」
「それは……」
ロクは両手を組んで目を閉じた。
宇津々首相による50年体制の崩壊。それに平行する世界情勢は最適化の是非を巡って動乱期にある。たしかに、足元が崩壊しつつあるのは事実だ。
「……そうかもしれない。しかし、父さんではない」
「では、誰だ」
ニィの薙いだ指が、ぴん、と天井を指し示した。
「誰なんだ」
「……」
「いったい誰なんだ? あのジジイは間違いなく人類史に名を刻むだろう。まさに傑物だった。民主主義のはずの日本に50年も君臨し続けてきた独裁者。人類の革新者にして遺伝子の破壊者。その悪評の次を担うべきは、いったい誰なんだ」
ロクは目を細く開けて、横目にして布津野を見る。
そこには呆然として、グラスを持ったまま固まっている自分の父親がいる。
「それが、父さんだと?」
「それ以外にあるのか、そう質問しているのは俺だ」
「……」
ロクは右肘を膝上にのせて、ニィを睨んで無言になった。
宮本はその様子を酒を忘れて見守っていた。無言になった合間を紛らわすようにグラスを口に運ぶ。無言になったロクの表情はめずらしく苦しい。
観客気分で寸評を言わせて貰えば、ニィの意見は的を得ている。
首相のじいさんはまさに傑物だった。あれ以上の政治家は世界中ばかりか、人類史を振り返ってもいないだろう。その強烈なビジョンに引きずられるようにして日本は最適化をひた走り、世界から孤立し、そして人類を革新しつつある。
しかし、今、そのリーダーが死に瀕している。
その後継者などいるわけがない。いないからこそ、第七世代などが作られたのだ。最高峰の遺伝子と英才教育を施した12人の意思決定顧問。
しかし、それは失敗した。
「意思決定顧問による政治システムは顕在だ。首相亡き後も政治運営は担保される」
「システムは所詮、システムだ。宇津々のジジイが運営しなければ機能などしない。意思決定顧問には実質的な権限は皆無だ」
「僕がいる」
「ほう、……まぁ、それがいわゆる最適解かもな」
ニィは前のめりになって顎をなでた。
「覚悟はあるのか? ロク」
「……」
「その果てにあるものはまさに独裁さ。しかも遺伝子の優性を根拠にした独裁システム。科学的な貴族政治だよ、それは」
「数年だけだ」
ハッ! とニィは鼻で笑い飛ばした。
「愚民は良王を酷使するものだろ。もう一度言う、お前には覚悟はあるのか? 俺ならまっぴら御免だ。甘ちゃん愚民の
「……」
ぐびり、と宮本は喉を熱くして「おいおい」と声をかける。
「なんだ? 今、良いところなんだ」とニィが宮本を睨みつける。
宮本は思わず、ぐっとつまった。
ニィを目の前にして冷静ではいられないわけが宮本にはあった。
かつて、ニィの連番であるサンを殺したのは自分なのだ。実際にニィからそれを責められた事はないが、睨まれるとそのトラウマと負い目をえぐられるような気持ちになる。
沈黙は数秒。
宮本が握ったグラスの氷がカラリと崩れ、ニィが鼻を鳴らした。
「ジジイの後をつげば、誰でも半端者にならざるを得ない。そんな半端者をロクが第七世代を率いてフォローすれば、どうなる?」
「……」
「傀儡になるに決まってる。第七世代の傀儡政権。そうなれば、12人の第七世代が実権握る政治体制が出来上がるだろう。まるで中世の貴族みたいなもんだ」
ロクが拳を口元にあてる。
「そうはさせない」
「それを決めるのはお前じゃなくて愚かな国民たちだ。厄介なことにここは民主主義なんだ。奴らは全力で、お前に甘えてくるぞ。そして、お前は耐えきれなくなって暴君となる。ヒトラーもナポレオンも、民主的に選ばれて独裁者になった。だから聞いたのだ。覚悟があるのか? とな」
「仮説を重ね過ぎだ」
「そこで、ある、と断言できないお前には絶対に無理だ。やめておけ」
ニィはソファにもたれかかって、片膝を両手で抱え込んだ。
「しかし、だ」
「……なんだ」
「親父なら、この状況は変わる」
「……」
「想像してみろ。明らかだぞ」
ニィのその断言を、ロクは目を閉じて耐えた。
こいつのような思い切りは、自分には許されていない。そんな気がするのだ。確かに、ニィの言うとおりなのかもしれない。未調整である父さんが次の日本を率いることで、色々な矛盾を無視できるようになるのかもしれない。
でも、それだって違う気がするのだ。
「父さんは、それを望んでいないだろ」
「英雄は望まずとも求められる」
「……それは、お前の仮説だ。確かに形にはなっている。しかし、」
「しかし?」
「しかし……」
ロクは目を流して、自分の父親を眺めた。
この人に、
甘えてしまったら、もう最後だ。それですべてが止まってしまう。限界が出来てしまう。
そんな気が、するんだ。
「……日本政府は、卓越した個に依存する現状を改めるべきだ」
「それは正論に過ぎない。いつだって卓越した個は必要とされている」
「それでもだ」
「期待値は低いぞ」
「……」
「親父なら。30年は平和が保証される」
ニィはやはり、見えている。
こいつは暗に問いかけている。世界的な人気を集める未調整。布津野忠人を政府のトップにすえて、政治の実権は変わらずに第七世代が取り仕切る。
遺伝子による選民政治を、布津野忠人という圧倒的なネームバリューで覆い隠す。
それはおそらく機能するだろう。政府が上手く機能しているかどうかは国民の幸福総量に作用する。総体として幸福であれば、国民は政府に愚痴はこぼすが反旗は翻さない。
独裁主義でも全体主義でも民主主義でも、それは同じだ。
「それでも、違う気がする」
「理由は?」
「……」
ロクは言葉につまって、無言になってしまった。
しばらくその時間がつづいた後、ニィは大きなため息をついて目を閉じた。
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