[2-06]消える入り身

 宮本十蔵は、布津野と対峙していた。

 二人は互いに間をおいて相対している。宮本は体を正面に開くように構え、布津野は右肩だけを相手に見せるように半身を切っていた。

 そこは畳じきの稽古場で、二人を何十人もの屈強な男たちが取り囲んで座っていた。彼らは固唾を飲みながらも、二人の様子を伺っている。


 宮本は、自分の攻撃範囲は二メートルだと認識している。

 徒手格闘において、自分の間合いの長さは自分自身の身長と同じくらいになる。ゆえに宮本は200cmであり、布津野は170cmとなる。

 ゆえに一歩だ。

 宮本は一歩分だけ間を詰めれば一方的に攻めることが出来る。


 ――とはいえ、布津野の旦那相手に、その一歩が難しい


 布津野の旦那との立ち合った回数は過去に何度もあるが、まともに勝てた試しはない。

 いくら旦那がうちの部隊の格闘技術顧問とはいえ、俺もGOAの隊長だ。周りで見ている隊員の目の前で、そう何度も無様な姿は見せるわけにはいかねぇ。

 旦那を中心にしてゆっくり回り込むように横に移動する。

 旦那に隙はある。しかし、それは罠かもしれない。

 旦那は後の先を得意としている。こちらの攻撃を誘い、返り討ちにするのが旦那のいつもの手だ。この前もそれにやられた。


 旦那の後ろにはこちらを真剣にみている隊員たちの姿がある。

 旦那の技術指導は隊員の必須訓練ではない。業務時間外に開催される有志のみが参加する訓練だ。

 しかし、ほとんどの隊員がこの稽古を希望し、人数制限のせいで順番待ちになっている始末だ。

 俺の部隊、GOAは世界最強の部隊だ。Gene Optimized Army――遺伝子最適化部隊の隊員は第三世代戦闘特化型調整を施された生まれた実験部隊。

 そのGOAの隊長よりも強い最強の未調整、布津野の旦那にみんな興味津々だ。


 ふと、隊員の中に見えた白い少年に目が留まる。

 ロクじゃないか。あいつ今回も参加してんのかい。

 ロクはまるで飢えた狼が獲物を狙うようにこちらを見ている。凄まじい集中力で一挙一足すら見逃さまいと目を逆立てている。

 そう言えば、ロクから今日、緊急の話があると言っていたな……


「何か気になることでもありますか? 宮本さん」


 と、向いの旦那から声をかけられて慌てて気を引き締める。


「おっ、すまねぇな。集中、集中。しかし、旦那、余裕じゃねぇか、仕掛けてこねぇんだな」

「まぁ、そうですね。稽古ですから」

「怖い、怖い。実戦ならやられていたぜ」


 まずいな、旦那は完璧に集中してやがる。

 これはジンクスだが、ロクやナナが見ている時に旦那は一度も負けたことがない。


 ジワリ、と全身から汗がふく。これは予感だ。負ける予感ってやつだ。

 実戦なら逃げるところだが、これは訓練だ。


「ゼァ!」

 

 迷いを腹から吐き捨て、一歩踏み込んだ。

 旦那は不動。こちらが一方的に攻められる制空圏内。

 足を跳ね上げ折りたたむような横蹴りを放つ。旦那は半歩引いてそれをやり過ごす。

「セィァ!」

 かまわず軸足を組み替えて蹴りを放つ。

 小さく変化にとんだ素早い連続の蹴り。旦那がさば空間よゆうを削り切る!

 旦那はしかしほとんど動かずそれを捌く、一切の無駄がない最小限の動きでギリギリを縫うように。

 旦那はけっして速くない。むしろ緩慢だと言える。

 しかし、当たらない。

 完全に、呼吸と間を握られている。

 動き続けろ。自分の距離を保つんだ。俺の200cmの内の旦那の170の外。

 蹴り下ろす足を次の軸足に、跳ね上げた足は最速の前蹴り。

 そのつま先が旦那の腹に当たる紙一重で、旦那が消えた。

 

 ――不味い!

 

 旦那を見失った。

 

 ミキィ、と自分の脇腹から心臓にかけて刺すような痛みが駆け上る。

 筋肉が付かない肋骨の隙間に差し込むような細い打撃。

 旦那だ。右に回り込んでいた。

 激痛以上にまるで内臓を直接殴られたような不快感に身をよじらせる。

 苦し紛れに闇雲に拳を旦那に繰り出す、がどれも当たらない。

 するりと背後に回り込まれ、あっという間に首を絡めとられる。

 完全な形での羽交い絞めだ。


 呼吸器官と脊髄がギリリィと締め付けられる。

 ゾクリと走る背の悪寒。

 脳への酸素の供給が完全に止まる。

 反射的に旦那の手を二度タップした。

 

「降参だ。旦那」

「ふぅ、宮本さんにしては珍しい。集中が散漫でしたよ」

「旦那が張り切り過ぎてんだ。なんだぁ、今日はキレッキレじゃねぇか」

「まぁ、確かに今日は調子が良かったですね」と言って、旦那は首から手を放した。


 緊張から解放されて、周りの隊員たちからは驚嘆のため息が重なり、ガヤガヤとしだした。「隊長のあの連撃を躱せるのかよ」「どうなってんだ、一瞬で回り込んだぞ」「動きが小さすぎて全然わっかんねぇ」と周囲方々と議論を沸かしだした。

 やれやれ、自分達の隊長がコテンパンだというのに、誰も同情も落胆すらしてくれやしねぇ。


「父さん、あれが消える入り身ですか?」

 ロクが駆け寄るなり問いかけて来た。

 旦那が首を傾げる。

「消える入り身? なんだい、それ」

「紅葉さんが言っていました。父さんの入り身は消えると」

「えぇ、消えないよ。聞いたこともないし、それは紅葉ちゃんが勝手にそう言ってるだけだろ。あの子そういうの好きだしなぁ」

「宮本さん、父さんは消えましたか?」


 ん、俺か。


「なんだ、まぁそうだな。消えたような感じはしたな。確かに旦那の体捌きは不思議だよなぁ。いつの間にか入り込まれている。旦那、あれはそういう技なのか?」

「技っていうか、普通の入り身ですよ。そんな変な感じしました?」

「まぁ、そうだな。ふむ、確かに言われてみれば消える入り身ってのはなかなか言い得て妙かもな」


 よこらしょ、と立ち上がろうとするとズキッと脇腹が傷んだ。

 むぅ、旦那の奴め、もう少し加減しても良かっただろうに……まぁ折れてはいないようだし良しとするか。


「父さん、僕にもその入り身教えてください」

「えぇ、いや別に単なる入り身だからね。別に特別な技じゃないよ」

「じゃあ、どうして消えるのですか」

「ロク、人が消えるわけないよ」


 ロクはむぅと口を尖らせると、ぴしゃりと言い放つ。


「父さんに正論を言われたくありません」

「えぇ」と旦那は困り顔だ。


 なんだか、旦那が気の毒だな。

 宮本は脇腹をさすりながら布津野に問いかけた。


「普通の入り身ってことは無いだろうよ。旦那、なんかコツがあんのか?」

「ありませんよ。相手の呼吸に合わせて一歩一歩ふみ渡るだけです。相手の攻撃に合わせるだけ」

「そんなもんかね、どうも道理がわからねぇな。どうやったら相手の攻撃に合わせられるんだい」

「どうやって、といわれても……」


 旦那は頭を抱えて、うんうんと悩みだした。

 横からロクが食い入るように旦那を見ている。


「……そう言えば、僕の師匠が」

「ん、ああ、覚石のじいさんかい」

「ええ、覚石先生が言うには呼吸を合わせれば相手の攻撃を自在に引き出すことが出来るって言っていました。攻めの意思は呼吸を吐くに対応する。備えの意思は吸うに対応するそうです。相手の呼吸と同調し、呼吸を自在に合わせればピストルだって避けられる……らしいです。マシンガンは無理だけど、って言ってました」

「父さんは銃でもさばけるのですか!?」


 ロクが食い気味に割り込んできた。

 旦那は慌てて手の平と頭を同時に振る。


「僕は無理だよ。ピストルなんて向けられたら頭抱えて逃げるしかないじゃないか。覚石先生ならもしかしたら……。だけど、先生も結構適当なこと言うからなぁ」


 宮本は周囲を見渡すと隊員たちが前のめりになってこちらの会話に耳を澄ませていた。こいつら、普段の訓練よりも随分と熱心じゃねぇか。


「ロク、旦那が困ってるだろ。それに、今日はうちの部隊の訓練だ。お前はいつでも旦那に教えてもらえるんだ。後にしてくれ」

「むっ、分かりました。父さん、家に帰ったら消える入り身、教えてください」

「あぁ、うん。まぁ、普通の入り身だけどね」

「約束ですからね。絶対ですよ」


 ロクはそう何度も念を押すと、しぶしぶと引き下がった。


 旦那に会ってからというもの、ロクは徒手格闘術の訓練に余念がない。

 流石は身体、知能、全てにおいての能力を追及した品種改良素体。年齢こそまだ13歳だが体も随分と出来上がってきた。GOA隊員でもロクには適わなくなってきている。

 しかし、政府の最高意思決定顧問であるロクが格闘術を重点で鍛える必要はないだろうに。戦闘は俺たちみたいな脳筋の個体に任せてロクはそれをどのように使うかを考える立場だ。

 ふと、今日はロクから打ち合わせしたいことがあると言ってきたことを思い出した。


「そう言えばロクよ、話があるらしいじゃねぇか?」

「そうでした」

「じゃあ、そこで話そうぜ。旦那の稽古の邪魔してちゃ悪いからな」

「分かりました」

「みんな、邪魔して悪かったな。見てのとおりだが旦那は強い。いろいろ教えてもらえ」


 了解、と号令が返ってくるのを聞き流しながら、ロクに目配せして訓練所の隅まで一緒に歩いていく。


「で、話ってのは?」

「緊急事態です。二ィが現れた可能性があります」

「はっ、にい? 何が現れたって?」

「二ィです、第七世代品種改良素体、サンプル02のニイです」

「おい……マジかよ」


 思わず声を低くなる。慌てて周囲を見回した。これは隊員ですら聞かれては不味い。


「信じられん、生きていたのか。ロク、やはり場所を変えよう。隊長室でいいか?」

「ええ、行きましょう」


 そう言うと、ロクはくるりと旦那のほうを振り向いた。


「父さんっ! 僕は今日、遅くなります。グランマとナナも一緒に帰りますから先に帰っておいてください」

「分かったよ」と稽古中の旦那から返事がした。


 なんだかなぁ。これが本当にあの最適解なのかねぇ。


「行きましょう」

「お、おう」


 前をすたすたと歩いていくロクに付いて行きながら違和感に酔いそうになる。

 旦那に出会うまでのロクは幼いながら政府の重要案件の立案してきた頼りがいのある奴で、改良素体らしく冷たい感じのする少年だった。


「すっかり親子だなぁ、お前たちは」

「そうですか、僕にはあまり実感はありませんが」

「そうだな、俺にも親はいないから正直テキトー言っただけだがな。しかし、親子ってのはこんな風なんだなぁと思うぜ」


 GOAの隊員は第三世代戦闘特化調整型の最適化個体だ。

 これは、第三世代品種改良素体から派生して合成された個体で、社会的な意味での親はいない。遺伝子的な親はいるだろうが、顔も見たこともなければ興味もない。多分、自分の遺伝子的な親も白髪赤目の顔をした誰かのはずだ。

 それはロクにしても同じだ。

 しかし、旦那とロクの様子を見ていると、本当の意味での親ってのがいたとしたら、こんな風になるのかと妙に感慨深い。


「人の『最適解』と呼ばれたロクがよ、普通に子供しているところを見ると正直なところ気味が悪いぜ」

「気味が悪いとは随分ですね。それに最適解なんて過大評価も良いところです」

「おやおやロクよ、過度な謙遜は人を不快にするぜ。世代を更新するたびに性能を上げてきた品種改良素体が、お前が生まれてもう13年たつのに未だに第八世代の合成に成功していない。それは、お前以上の性能をもつ個体の合成に未だに成功していないからだ」


 品種改良素体の世代は5年ごとに更新され続けていた。それがロクの第七世代以降はしばらく更新されていない。

 ロクは歩きながら、宮本を見上げた。


「優良個体の遺伝子を選別し配合、最適化。結局のところ品種改良を繰り返してもいずれ向上限界に到達するのは予測されていたことです」

「つまり、その到達点がお前だった、ということだろう」

 

 ゆえに、研究者たちはロクを『最適解』と呼び、異能を持って生まれたナナを『可能性』と呼ぶ。

 ロクはゆっくりと頭を振った。


「第七世代が優れた遺伝子とは限りませんよ。能力評価では他の世代を引き離していますが、塩基配列の多様性に乏しいことは生物として致命的です。特に生殖能力の低さは異常です。とても生物と呼べるような代物ではありません」

「まぁ、品種改良素体のプロジェクト自体が行き詰っているのは確かだな」

「ええ、そろそろあの研究も一度整理して方向性を修正する必要があるでしょう」

「政府の遺伝子最適化法の基盤技術を支えてきたメインプロジェクトもそろそろお役御免、か」

「十分にその役割を果たしましたからね」


 自分を生み出したプロジェクトだというのに、そう冷静に断じきるロクの様子は以前のロクそのものだ。

 品種改良素体の性能追及と素体からの派生体合成の実験プロジェクトは、遺伝子最適化を前提とした社会体制を推進してきた日本政府の中心プロジェクトだ。その結果として生まれたのがロクやナナ、そして俺らGOAの隊員たちだ。

 それだけではない、現在一般に普及している遺伝子最適化は第三世代品種改良の塩基配列をベースにしたものだ。俺はその第三世代の身体能力と反射的判断力を特に強化した戦闘特化調整型になる。

 いやはや、俺なんかは自分を生み出したプロジェクトが終わるってなるとどうも感慨深いものがあるがなぁ。

 ちらりとロクとみる。

 ロクの表情からはそういった感傷めいたものは見られない。

 冷静沈着で現実的。結構なことだ。

 それでこそ、俺らはロクの判断を信じて戦ってきたのだ。これからもそうなんだろ。


「つきましたね」

「んっ、ああ、ついたな」


 いつの間にか、隊長室じぶんのへやの扉の前だ。

 中にロクを招き入れながら、無駄に大きな応接用のソファに腰かけた。


「座れよ」

「ええ」


 ロクは周囲に視線を走らせながら向かいのソファに腰かける。妙に居心地が悪そうだ。


「……随分と散らかっていますね」

「ん、そうだな。あんまり使わねぇからな」

「GOAは政府の極秘作戦を遂行するための中核部隊のはずですから、政府要人との打ち合わせにこういった部屋は必要なはずですが」


 むむ、何だか自分の勤務状況をチェックされているようで落ち着かない。


「政府要人みたいな奴らがここに来るの待っていたら作戦は失敗だろ。GOAの役割モットーは電撃攻勢だ。少数精鋭最速の戦力による中核への直接アプローチ。それはロクが決めたGOAの存在意義じゃないか?」

「それを応接室でもある隊長室を散らかすことの直接的な原因とするのには、いささか無理があると判断しますが」


 ったく、頭の良すぎる上司はやりにくいぜ。


「なんだか、父さんの部屋みたいで落ち着きません。父さんもほとんど自分の部屋を使いませんし」


 お、やった旦那に矛先が移動した。戦術上、これを逃す手はあるまい。


「そうか、旦那と一緒か。実際、お前たちは家でどんな風なんだよ」

「どんな風、とは?」

「普段の生活の様子だよ。親子になって二年か? もう少したったけ? まぁいい、それなりに一緒にいるんだろ」


 ロクが居心地悪そうにソファに座り直す。


「別に普通なんじゃないですか。変なところに興味持ちますね」

「そりゃ、あの最適解様が未調整の息子になったてんだから、周りは大騒ぎさ。俺達を顎で使い、政府要人を手玉にとってきたあのロクが、だぜ。」

「僕はあくまでも顧問です。僕には実際の権限はありません」


 ロクはいちいちと細かいことにツッコむ悪い癖がある。


「俺は実際の話をしているんだ。内閣代行役としてGOAの指揮権を持っている冴子が、お前を最高意思決定顧問に任命したんだ。現場ではお前の判断は俺よりも優先順位が高い」

「そう言う解釈も可能ですね」

「実際、そうだっただろ」

「今のところは、そうかもしれませんね」

「煮え切らねぇ奴だ。まるで旦那みたいだぜ」

「父さんは関係ないでしょう」


 ロクは珍しく不機嫌な顔になった。俄然、興味がわく。

 宮本はソファから身を乗り出した。


「で、どうなんだよ。お前らの家族、上手くいってんのか? 例えば、そうだな。ほら、冴子と旦那はあれでも夫婦なんだろ、どんなだ」

「何考えているのですか」

「ナニを考えている」

「意味不明です」


 まったく、こういったところはまだまだガキだ。

 しかし、あの冴子と旦那がどんな風に夫婦生活をしているのかは非常に興味がある。隊員たちと飲みに行った時もよく話題に上がり、ああでもないこうでもないと下世話な下ネタはもはやGOAの鉄板の話題になっている。

 あの冷鉄の女と呼ばれた冴子がどのように夫婦の営んでいるのか、これは生命の神秘として興味が尽きない。

 そうだ、今度旦那を飲みに連れて行って無理やり聞き出してやろう。やることやってんだろ。


「話を本題に戻してもいいですか?」

「ああ、そうだった。ニィが生きてたって本当か」


 膨らませていた淫らな想像を中断し、真剣な顔つきでロクを見た。


「まだ可能性の話です」

「どのくらいだ」

「今のところ10パーセント程度でしょうか」

「……十分なリスク、だな」


 ロクと同じ第七世代の品種改良素体はサンプルナンバー00から11までの12種しかいない。

 二ィと呼ばれる素体のナンバーは02。サンと呼ばれていたナンバー03。この二人は数年前に誘拐された。

 想定される犯人は中華人民共和国。この事件が政府を防諜体制の強化へ踏み切らせたきっかけともなった。

 この後の他国の支援を受けていた反最適化組織である純人会への実力排斥、純人会との深く繋がりのあった警察組織の解体。現政府のGOAを実行部隊の中心に据えた中央情報機関の設立。黒条会の裏社会支配への黙認、表と裏の協働による純人会勢力の徹底排除。

 これらの防諜体制の整備強化は全てロクが立案企画し推進してきたものだ。


「その情報、どこからだ?」

「黒条会長からです」

「ほう! あの黒条のお嬢さんからか、相変わらずの嗅覚だな」

「ええ、あの人はやはり異常です。彼女がこちらの協力者であって本当に良かったです」

「敵なら手を焼いてたか?」

「おそらく、実際に手を焼かされたこともありますよ」


 ロクにここまで言わせるのだから相当なもんだ。やはりあのお嬢ちゃんは曲者だ。


「あのロクをねぇ。何があったんだ」

「彼女が父さんに告白した時ですよ」

「ああ、あの件かぁ」


 宮本の声が高くなり、ニヤリと笑う。

 黒条のお嬢さんの非凡なところは旦那に一目で惚れたことだなぁ。

 そう言えば、旦那と彼女を引き合わせたのは俺だった。旦那のお陰で政府は黒条会との協力関係を結ぶことに成功し、裏社会に蔓延っていた純人会勢力を一掃することに成功したのだ。


「まぁ、人の恋路はしかたねぇな。旦那はモテるからな」

「宮本さんは、そう言いますけどね。父さんの教職解雇を食い止めるのに、大変だったんですからね。国内最大の極道組織のトップと恋仲の教師なんて即懲戒免職なんです。加えてその女会長が生徒なんだから」

「確かにとんでもない話だな」

「まったく、黒条の組長も、紅葉さんも、ナナだって、なんであんなに父さんに入れ込んでいるのかまったく理解できません」


 ロクはぷりぷりと怒っている。まるで子供のようだ。


「まぁ、落ち着けロク、話を戻そうぜ」

「……余計な話を始めたのは、僕じゃないと思いますが、」


 不満そうにロクがこっちを睨む。


「で、だ。黒条のお嬢さんの話では?」

「簡潔に言うと、中国系マフィアの青蛇団に白髪赤目の少年がいるのを目撃したようです。その少年はマフィアの中心的人物のように振る舞っており、彼女は面会した結果、彼が品種改良素体だと判断したそうです」

「中国系マフィアに……か、それにあのお嬢ちゃんがそう判断したのなら、油断はならねぇな」

「ええ、宮本さん『白弐参号しろにさんごう奪還作戦』覚えていますか」

「……ああ」


 白弐参号奪還作戦は三年前に俺自身が参加した作戦で、名前の通り誘拐された品種改良素体の二ィとサンを奪還するための作戦だった。

 結果は失敗。大失敗といっていい。

 誘拐が判明した直後に発令され、二人を発見した時にはすでに船に運び込まれて洋上に出ていた。

 この事態に対して、急遽、ロクが発案し俺が直接指揮した作戦が白弐参号奪還作戦で、その作戦内容は二人が監禁されて移動中の船に潜入し、これを奪還するという成功度の低いものだった。

 中国政府はこちらの予想以上に大胆だった。

 逃走に利用していた民間輸送船に堂々と中国国旗を掲げ、国際法を無視して日本国領海付近に空母艦隊を大規模展開していた。

 それは明白な威嚇行為だ。

 輸送船を包囲し品種改良素体を奪還しようとするならば戦争も辞さないという一触即発の状態だった。

 遺伝子最適化を合法化し、国際的孤立を深めていた日本にとって戦争は不味かった。

 取りうる対策は輸送船への潜入奪還という成功率の低いものしかなく、それは当然のように失敗した。

 潜入した四名のGOA分隊のうち二名が戦死。

 作戦の結果、サンプルナンバー03のサンは死亡。ナンバー02の二ィは行方不明となった。

 その二ィが現れた……のかもしれない。


「ロクは、どう判断する? 二ィが中国マフィアにいるという情報も意味深だ」

「そうですね。早急に確認すべきは事実です。宮本さん、GOAの諜報班はどのくらい動かせますか?」

「直ちに、というのであれば二部隊だな。数週間後には追加で三部隊は手配可能だ」

「ありがとうございます。戦闘班は?」

「即応できるのは六部隊だ。マフィアごときの殲滅なら造作はない」


 そうですか、とロクは唇に指を押し当てる。


「彼が二ィだとして、今頃になって姿を現した意図は不明です。こちらの味方なのかどうかも慎重に検討しなければなりません。妥当に考えるならば、これはこちらを誘い込む罠とみなすべきです」

「中国政府の意図は?」

「まだ黒幕が中国政府かどうかも不明ですが、何らかの意図があると見て対応するべきでしょう。早急にこちらからも行動を起こすべきです。まずは基本から、青蛇団の構成員を数名強制的に検挙させてみましょう。インターネット通信の盗聴、人と物流の監視も強化できますか」

「諜報班の十八番おはこだな。問題はない」

「少しつついてもみましょう。グランマには中国政府に対して何らかのコンタクトが可能か要請してみます」

「それで解決出来れば楽だがなぁ」

「外交に解決なんてありませんし、中国政府が二ィを送り出したのならば、この行為こそが外交戦です。なんにせよ、状況確認です」

「急に忙しくなりやがった」


 そこにいるのはいつもの通りのロクだ。

 俺たちに指図して勝利に導くために生まれてきた人の最適解。

 俺たちは良く動く駒であるべきだ。課題を見つけるのがロクで、困難な課題を突破するのが俺たち、そういう分配だ。


「そう言えば、ロクよ」

「なんですか?」

「今回は旦那も参加するのか?」


 それは、ふとして出た質問だった。

 しかし、ロクは最適解とは思えないほどに表情を歪ませて、声を固くした。


「どういう意味ですか?」

「言葉通りさ、旦那に協力を頼むのかって意味だ」

「必要ないでしょう」


 ぶっきらぼうな言い方だなぁ。


「宮本さんは必要だと思うのですか?」

「ん、必要かというと、まぁ、必要ないな」

「なのに、なぜ父さんの協力なんて言い出すのですか」

「さて、どうしてかな」


 なんだか、やたらと突っかかってくるな。

 とはいえ、ロクの言うことは正論だ。

 いくら徒手格闘に強いとはいえ旦那は戦争の素人だ。GOAの格闘術顧問として招いている手前、拳銃の使い方くらいは教えてあるがお世辞にも使い物になると言えたものではない。

 しかし、なんだか旦那がいないとなんというか……な。


「まぁ、俺が旦那と仕事したいだけさ」

「はい?」

「それに、ロクよ。これは事実だ。二年前は旦那のお陰で大成功だった。今回も旦那がいたほうが良いかもしれない、万が一のために旦那にも声をかけておいた方が良いか思ったんだ」

「あれは特例です。一般人である父さんの助けを借りる理由にはなりません」

「さて、子供が親父に助けてもらうのに理由がいるかね」


 そう屁理屈をこねてみると、ロクの顔が一掃険しくなる。


「なんです?」

「あ、いや。まぁいいや。ボスの言う通りにしよう」

「ええ、そうしてください」


 そう言ったロクの表情には、最適解らしからぬ感情的な何かが浮かんでいた。

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