[1-12]痴人の愛

 布津野はまた車に乗って緊張していた。思えば、自分はいつも車に乗っているような気がする。そして、ペーパードライバーである自分はいつも後部座席だ。もはや、ここは自分の定位置と言ってしまってもいいかもしれない。

 前回の黒条組への交渉の際の時も思っていた事だが、今乗っている車は相当な高級車ではないのだろうか。シートに使われているのは柔らかい革だし、上手く表現できないが、なんとなく全体的な雰囲気の重厚感が半端ない。


 布津野は、チラリと隣りを見た。

 そこには絶世の美女がいる。

 ショートヘアの透き通るような白い髪、宝石のような真紅の瞳……宝石なんて見たことないけど。完璧に整った顔立ち、すらりとした身体は、その姿勢の良さもあって芸術的ともいえる曲線美がコートの上から想像された。

 臼井冴子——ロクとナナと同じ品種改良素体。

 彼女は、第五世代というやつらしく、最新世代であるロクとナナとは少し違うらしい。

 しかし、布津野にとっては第七世代だろうが第五世代だろうか、その違いについては良く分からない。とりあえず、品種改良素体が大人になった時、これほどに美しくなるのかと思うと、両手を合わせてお祈りをしたくなる衝動にかられてしまう。


「布津野さん、どうされました?」

 そんな女神像のような彼女が、こちらの視線に気がついて問いかけた。

「えっ……と、あの、どうして僕もここにいるのでしょうか?」

「それは、黒条組組長である黒条百合華が貴方の同行を望んだからです」

「……そうでしたね」

「何か不都合がありますか」

「いえ、そういうわけではありませんが……」


 先日、黒条百合華からの電話で聞かされた内容は、物騒なものだった。

 近く、関東圏の掌握にむけて黒条組による非純人会派に対する一斉攻勢を行うつもりらしい。そのための戦略・戦術面における打ち合わせと、可能な範囲での具体的な協力内容の確認……。それが百合華からの電話の内容であった。

 黒条組の影響が拡大するのは素晴らしいことなのかもしれない……よく分からないけど。ロク君は黒条組を高く評価していた。あの子がそういうなら間違いはあまりないのだろう……よく分からないけど。

 黒条百合華は協力において三つの条件を提示した。

 一つ、この攻勢に出る前に、政府側の方針について全体を把握している人物との打ち合わせを希望すること。もっともな要求だと思う。本質的には立案者のロク君が対応する内容ではあるらしいが、頭脳は大人以上、見た目は十歳の子供である彼を、交渉の場に出すことは躊躇された。

 二つ、戦闘制圧作戦における知見のある人物との面会。これについては宮本が適任だが、彼は新しい治安組織の設立にむけて奔走中で手が離せないらしい。

 よってこの二つの条件を兼ね揃える人材として、冴子が選ばれることになった。布津野はこの白い美女に対して、まだ分からない事ばかりだった。

 ロクとナナは彼女のことをグランマと呼んで、信頼しているようであった。宮本も彼女の意見を常に尊重しているように見える。彼女も品種改良素体で年齢は二十歳らしい。ロクのような優秀な個体が成人したとすれば、それは凄まじいほどに優秀に違いない。きっとこれ以上ないくらいの適任だろう。納得だ。

 最後の三つ目の百合華の条件は、面会の場には布津野本人が同行し、黒条組としては布津野を代表者として扱うということだった。


 ——意味不明だ。


「僕はどうすれば良いですか?」

 布津野は隣の冴子に尋ねた。たのむから教えて欲しい。自分にはこの打ち合わせにおいて何の意見も展望も、当然のように自信もない。

「それは、代表者として、私の判断を求めているのでしょうか」

「……そう言うことになりますね。可能であれば代表者自体お任せしたいです」


 布津野は、冴子との距離感を測りかねて戸惑ってしまう。

 最近はロクとナナ、宮本とは上手くやっていける気がしていたが、この冴子とは未だにギクシャクすることが多い。自分も社交的なほうではないし、冴子については明らかに違う。

 一見、彼女には感情というものが欠落しているような気がする。与えられた役割を正確に遂行していくその様子は、常軌を逸していて機械のような印象を覚える。しかし、機械のような人間などいない。よって、これは彼女が自分のことを嫌っていることが原因だと思う。


「黒条百合華が、あなたが代表者であることを望む以上、私が意思決定すべきではありません。しかし、意見を述べさせて頂くと、今回の黒条組の依頼は彼らの影響範囲を拡大するためのものです。それが我々の利害と一致する限り、可能な範囲内で彼らの援助を惜しむべきではありません」

「そう、ですよね」

 予想通りの、期待以下の回答に、溜息がこぼれた。「貴方では不安ですから私の言う通りにしてください」そう言ってもらえることを切に願っていた。しかし、彼女の答えは融通の利かない正しさにコーティングされてその期待は上滑りしてしまった。布津野は絶望的な気分なる。


「思うに……」冴子はそう言った。

 布津野は彼女から発言したという事実に驚いた。

「布津野さんは、自分の置かれた状況に戸惑っていると思います。黒条組の組長である黒条百合華は明晰な頭脳とビジョンを持った人物です。その彼女があなたを指名したことには理由があるのだと思います」

「百合華さんのこと、ご存じなんですか?」

「はい。彼女が誘拐事件から保護されている期間に、彼女と何度か打ち合わせを行っています。同時にナナの能力による人間性の鑑定も行いました。結果、彼女には優れた知性と行動力が備わっています。加えて、ナナによると信頼にたる人物であるとのことです。そうであるからこそ、こちらから黒条組に協力を申し出たのです」


 なるほど、ロクたちの方でも十分に検討した結果が今の状況につながっているのだということだ。なおさら、無知で無関係な自分が関わって良いような状況ではない。


「冴子さん、正直なところ僕は邪魔ではないでしょうか」

 いや、間違いなく邪魔ですよね。だから、僕をここから叩き出してください。

 そう思いながら布津野は冴子を見つめた。布津野の視界の真ん中で、非人間的なほどに美しい顔が傾むいた。

「どういうことでしょうか」

「その、つまり、僕が代表者なんておかしいじゃないですか」

「ふむ、確かに異例ではありますね」

 傾いた顔がゆっくりと戻っていく。

「しかし、現実として関係者のことごとくが貴方の介入を望んでいるように見えます」

「……」

 布津野はぐっと言葉に詰まった。

「本来であれば、貴方は関わるべきではないと思います。しかし、事実として、貴方を中心にして物事が進捗しています。それは黒条組組長もそうですが、ロク、宮本もそうです」

「それは……偶然ですよ」

「そうでしょう。しかし、その偶然を無視する明確な理由もありません。現在のところ、その偶然で上手くいっているようです」


 ふとした拍子に、さらりと、冴子の白髪が揺れた。

 綺麗だと布津野は改めて思った。こんな完璧な存在たちが関わる問題に、自分が立ち会わなければならない滑稽さを思わずにはいられない。

 ふと、布津野は思った。ロクとナナも大きくなったら、こんな綺麗な人になるのであろうか……。それは是非、見てみたい。きっとそれは、世界のなによりも美しい存在に違いないだろう。そんな彼らと一緒にいることは幸運なのかもしれない。


「冴子さん、お願いがあります」

「なんでしょう」

「これから、僕が何かを決めなければならない状態になったとします。その際は、どのように決断すれば良いかを教えてください。僕は冴子さんの言った内容を全て肯定しますから」

「それは、実質的に私に意思決定を委ねるということでしょうか」

「僕が、意思決定を冴子さんに委ねる、そういう決定をしたということです」

 冴子は指を曲げて唇に当てて、なにやら思案をしていた。

「……それは構いません。私は、貴方に助言をし、貴方がそれを承認するというのであれば黒条組長の意向を損なうものではありません」

「それを聞いて安心しました」


 布津野はシートに背中を預けると、深く安堵の息をついた。

 これで、懸念していた最悪の事態は避けられたはずだ。何かと面倒なやり取りになるかもしれないが、実質的に冴子の判断で進行するのなら問題ないはずだ。なにせ、自分には政治も司法も治安も、なにもかも分からないんだから。

 後は、適当に、うんうん、と相槌を打っておこう。

 そう思うと布津野は一気に楽な気持ちになった。それが原因になったのだろうか、布津野は隣の万能の美女に、胸中に抱えていた悩みを打ち明けたくなった。

 もしかしたら、彼女なら、真実をそのままに教えてくれるかもしれない。


「冴子さん、僕はあの時、どうするべきだったのでしょうか?」

 ぽつり、と布津野は問いかける。

「どう、とは?」

「あの時、僕は……殺しました」


 そう絞り出すと、後は次々と言葉があふれ出てくる。まるで、そうすることで自分の罪が洗い流されるような錯覚がして、止めることが出来なかった。


「僕は、ある刑事を殺しました。その刑事には子供とか家族とかがいて、彼が死んだら当然、当たり前だけど、悲しむわけで……。そういった人たちはきっと、どうしようもなくて」

 彼女は無理矢理に笑って、思わず泣き叫ぶくらい。どうしようもなくて、

「でも、僕はそういった当然で、重大なこと、一切考えずに、引き金を引いたんだなぁって……」

「……」

 冴子は目を細めて、続きを請うように首を傾けた。

「だから、いや、うん。すみません、僕は間違っていたんです。僕が殺して、僕が人を不幸にして、僕はそれを考えもしなくて……」

「ご助言を申し上げさせていただくと、」


 冴子の明瞭な声が、布津野をはっとさせた。


「当時の状況は、関係者より聞いています。結論から言いますと貴方は間違っていません」

 冴子は無表情で淡々と続ける。

「あなたはその直前に、死亡した刑事から銃を突きつけられて、明確に殺すと言われています。つまり、相手の殺意が明確な状態で、自分の命を守る上で相手の命を奪う結果になったのです。よって、非難されるべきではありません。その刑事の親族が、その死によって経済的、心理的苦痛は、当然、考慮して然るべきです。しかし、生命の危機的状況においてそこまでの配慮を当然と見なすことは困難です。よって、貴方に非はありません」


 それは、布津野が予想し、期待したあらゆる回答とは違っていた。

 思った以上に機械的で、耳を素通りする冴子のその言葉を聞き流しながら、布津野は不思議に思った。自分が期待していた答えは何なのだろう、慰めだろうか、罵倒だろうか。どちらにせよ、それが自己満足なのは間違いない。


「それでも、人を殺すのは、ダメだと思う」

「貴方の生命の価値が死亡した刑事のそれよりも低ければその通りです」

「命に順位なんて……」

「ないのであれば、貴方は間違っていません。それとも貴方の命の価値は彼よりも低いのですか? 命の計量は困難だと思いますが……」

 どうなんだろうか、少なくとも刑事の命を奪った引き金は、羽のように軽かった。

「それとも、貴方はあの状態で誰も殺さずにその場を切り抜ける自信があったのに、わざとその刑事を殺したのですか?」

「……わかりませんよ」

「ロクから当時の状況は聞いています。本当はロクが刑事を殺そうとしたそうですね。貴方はそれを阻止して、自分で殺しました。ロクが殺した方が良かったのですか?」

「……」

「いずれにせよ、貴方の殺人行為は間違いではない思われます。最良とも言えないのかもしれませんが、誰も貴方に最良を求めていません」


 美しい赤い瞳が布津野を見据えていた。絶対に揺るがない正しさを宿した瞳だった。完璧がそこに座って言う。僕は間違っていないと。その程度だと。誰も期待していないと。


「……ごめん」


 そういうと、布津野は冴子と反対側の窓に映る外の風景を見た。窓に反射しておぼろげに見える自分の未調整の顔が醜くて、嫌になった。



 ◇

 ホテル・プリンセス・三世——それが、黒条百合華の指定した会合場所だった。


 そのホテルは、その奇天烈な名前に相応しく、不可思議な構造をしていた。

 漫画やアニメに出てくるような先の尖った塔を何本もつらねた西洋風の城の外観に、大きなカーテンで遮られた駐車場。外壁のレンガはペンキをぶちまけたような鮮やかな赤で、屋根は苔むしたようなぼやけた緑色。

 まるで、不味い菓子のお城のような滑稽な建物。昼間だというのに、ペカペカと光るネオンに縁取られた看板があった。そこには、ご休憩は二時間三千円から、と記載されている。

 ……つまり、そこはどう見てもラブホテルだった。

 車から降りてそれを見上げていた布津野は、隣りに立っている冴子にチラリと視線を移した。彼女は相変わらず平然とした様子で玄関に向かって歩くと、布津野の方を振り返った。


「どうしたのですか? 入りましょう」

「え〜と」

「どうしましたか?」

「本当に、ここなんですか」

「何か?」と冴子は首を傾げる。

「どうして、こんなところが会合場所なんですか」

「このホテルは黒条組の傘下が経営しているからでしょう。密室で盗聴の心配もありません。都内のアクセスも良いので会合場所として適しています」


 納得しがたくて、布津野は周囲に助けを求めて視線を泳がせた。

 二人の周囲には、随伴の車から降りてきた大きな男たちが辺りを油断なく警戒していた。宮本の部隊の隊員たちだ。彼らは冴子の護衛として同行しているらしい。


「皆さんも、ご一緒ですよね」


 二人きりでラブホテルに入るのは、とても気まずい。せめて他の人と一緒に、と考えたが、複数人数でホテルに入るというのも気まずい気がする。


「黒条の組長は、貴方と私の二人きりと指定しています。彼らはここで待機してもらうほうが良いでしょう」

「そうなんですか……」


 躊躇する布津野を無視して、冴子は玩具のような門をくぐり抜けていく。布津野はしぶしぶと後に続いた。

 ロビーは薄暗くて赤い絨毯が敷き詰められていた。受付らしい小さな窓の向こうには女性が座っていたが、曇りガラスが張られていて互いに顔は見えないようになっている。改めてここがラブホテルだと再認識できる。


「お部屋は?」と受付から声がした。

「『痴人の愛』のように、彼を虜にできる部屋を」冴子がそう答えた。


 布津野はギョッとした。驚いて冴子の横顔を見る。彼女が相変わらず無表情で、受付から「こちらになります」とキーを受け渡されてのを見て、それが会合のための暗号なのだということに思い至った。何とも意地の悪い暗号だ。

 キーを受け取った冴子はスタスタと歩いていく。布津野はそれにおとなしくついて行った。

 廊下はひどく浮ついた雰囲気の内装だった。壁に飾られた大仰で安っぽい絵画には巨乳の裸婦描かれている。ところどころに、大きな壺とか西洋甲冑人形とか、日本刀とか、いかにもな置物が無秩序に並べられている。まるで悪い夢の回廊に迷い込んでいるような気分がして酔いそうだった。

 冴子が601号室の前で立ち止まった。キーを確認して、トントン、と扉を叩いた。


「はい、どなたかしら?」扉の奥から声がした。

「ナオミです」


 ナオミって誰だ? と布津野が思い巡らせていると、扉がゆっくりと開いて黒条百合華が、満面の笑みを浮かべて姿を現した。


「ようこそ、布津野さん。また、お会いできてうれしいわ」


 百合華は冴子の後ろに控えていた布津野に視線を向けて軽く会釈をした。慌てて布津野も頭を下げる。

「それと……あら、物凄い美人を連れて来たのね。本当にナオミのよう。ちょっと、私に会いに来てくださったのに、意地悪じゃなくて」

 そう言って少しふくれてみせた百合華は二人を部屋の中に招いた。


 広い部屋だったが、内装はこのホテルの外装に輪をかけて酷かった。壁はワザとらしいほどに鮮やかなパープルの下地に、赤い蝶が無数にあしらっている。ショッキングピンクのソファが二つ、テーブルを挟んで向かい合っている。真ん中には大人が十人は一緒に寝れそうなくらい大きなベッド。シーツも枕も黒に統一された。

 その内装や調度品には、色彩的な統一感はいっさい無かったが、人を奇妙な気分にさせるという機能については十分以上に連携を果たしていた。


「『痴人の愛』はご存じかしら」

 百合華はショッキングピンクのソファに腰かけると布津野に問いかけた。

「いや、聞いたことがあったような、なかったような」


 すっかり周りの異様な光景に立ちくらみを覚えていた布津野は、フラフラになりながら百合華の向かいのソファに腰掛けると、目頭を手で押さえる。

 音もなく、その隣を埋めるように冴子が座ると、口を開く。


「灰谷潤一郎の耽美小説です。真面目なサラリーマンである謙治が、少女のナオミと出会い次第にナオミの体の虜になっていく話です」

「……ああ、それでさっきからナオミなんて言ってたんだね」

「そうよ、謙治さん」


 百合華はおかしそうクスクスと笑った。

 布津野はどうやら自分がからかわれているらしいことに気が付いた。このラブホテルを会合場所にしたのも、暗号に『痴人の愛』からの引用を用いたことも、百合華の悪戯なのだろう。

 つまり冴えないサラリーマンの謙治の役が布津野であり、それを溺れさせるナオミの役は……この場合、百合華なのか冴子のどちらになるのだろうか。

 どちらにしても、自分にとっては荷が重い。もはや自分は骨抜き状態だ。


「はぁ、それで、百合華さん。僕たちが呼ばれた件についてなのですが……」

「あら、もう少しお待ちくださるかしら、もう一人のナオミが参りますから。話はその後でさせて頂きましょう」

「もう一人、来るのですか」


 それも、また女性らしい。布津野は溜息をつきそうになるのを、ぐっと堪えた。


「ええ、すぐにここに来るはずで……」

 コンコンと扉をノックする音がした。

「来たようですね。布津野さん、申し訳ないですけど迎えに行ってくださるかしら?」

「はいはい、仰せのままに」


 布津野は言われるがままに、扉に近づくとドアを開けた。


「わぉ、本当に先輩じゃん」

「紅葉……ちゃん?」


 そこにはショートヘアの元気な女の子、安達紅葉が敬礼のようなポーズを決めて、目を丸くして立っていた。



 ◇


 東京には『モドキーズ』という若者を中心とした連合チームがある。


 その名の由来となったmodified kids《調整された子供達》が示す通り、モドキの少年少女が集まって形成する不良集団である。

 遺伝子最適化法が施行される前のかつての東京では、愚連隊や暴走族といった未成年の不良集団が乱立し、暴力団の下部組織として違法な営利行為に携わることも多かった。

 しかし、遺伝子最適化法以降、暴力団の構成が失業した未調整を中心としたものに変質していく中で、モドキである未成年の不良集団と暴力団は関係を薄め、次第に対立するようになる。

 中でも決定的に両者が対立し決裂した原因は、多くの純人会派の暴力団が手を出していた未成年の誘拐ビジネスである。誘拐の被害者は多くの場合、家出した子供や彼らのような不良チームのメンバーであったのだ。

 そもそも、最適化された彼らの将来はある程度は約束されたものであり、過去のギャングや暴走族のような犯罪行動を行う理由は薄かった。犯罪集団とは、社会的基盤を持たない個人たちが群れることによって現状を打破しようとすることで形成される。アメリカのマフィアやギャングが、黒人やメキシカンなどの少数民族や人種を単位として形成されるのは、それが原因である。

 かくして、若者たちの不良集団はその犯罪性を薄め、自衛と相互扶助のための集団として変性し、暴力団による誘拐事件に対抗するための実力集団とその姿を変えていった。学校や地域を単位としていくつものチームが乱立していたが、あるカリスマによってモドキーズと呼ばれる一つの巨大な組織に統一されていったのだ。


「あたいは、モドキーズの新宿五番隊の隊長なんだよ」

 紅葉が小鼻を膨らませて胸を張った。

「それは……すごい事なのかい?」

「どうだろうね? 一応、中間管理職ってやつらしいよ」

「はぁ」


 そう布津野が事態を掴みかねていると、冴子が補足してくれた。


「モドキーズは東京全域に広がる、若者による相互扶助組織です。純人会派の暴力団と対立し、彼らの誘拐事件の阻止や麻薬販売の妨害を行っています。少なくとも暴力団と渡り合えるほどの実力と統制力のある数少ない組織です」

「そうだよ。あいつら特に新宿で悪いことやってんのさ。私の学校の子も攫われて行方不明になった子、何人もいるんだから」


 布津野は頭を左右に振った。

 何がどうなってるのか、訳が分からない。紅葉がそのモドキーズというチームの一員で、それが黒条百合華とどのような関係にあるのだろうか。


「つまり、黒条組がモドキーズの親組織として連携していると、そういうことですか」

 冴子がそう言って百合華を見る。

「ええ、察しがいいわね」


 百合華は相変わらずショッキングピンクのソファに腰掛けながら足を組み替えた。

「純人会系の組と対立する彼らとは利害が一致していましたし、彼らには資金や装備などバックアップが必要だと思いましたから……。モミちゃんの隊はこの新宿での屈指の精鋭なのよ」

「クロちゃんとこの家には、色々と助けてもらってるんだ」

 クロちゃんとは、黒条百合華のニックネームだろうか。


 幼子の頃から知っている紅葉が何やらただならぬ団体の一員であり、黒条組の組長と愛称で呼び合う仲で、しかも暴力団と対立していることを知って、布津野は唖然としながらも眉をひそめた。


「紅葉ちゃん、危険なことは良くないよ」

「む、先輩」

 紅葉は警戒心を露わにして、布津野から後ずさる。

「そう言ってくれるのはうれしいけどね。こいつは譲れないよ」

「でも、危険なことしてるんじゃないのかい」

「見てるだけなんて無理」

「やっぱり」


 思わず眉間に力が入る。これは黙っているわけにはいかない。紅葉ちゃんに何かあれば覚石先生に何と言えば良いのだろうか。

 紅葉は負けじと踏みとどまって、勢いよく手を振り払う。


「私らは警察が救えなかった子たちを何人も救って来たよ。大人たちは頼りにならないんだ」

 純人会と裏で繋がっていた東京の警察組織の裏事情を知っているだけに、布津野は即答することが出来ずに、返答に窮した。


「……そうかも知れないけどさ。それでも紅葉ちゃんが危険なことしてるの、黙って見過ごせないよ」

「友達が攫われて、酷いことされるのを黙って見てられるわけないよ」


 そう言って、口を堅く結んだ紅葉は布津野をジッと見た。

 これはかなり頑固になっている。目に若者らしい正義感が宿っていたし、こうなった紅葉はてこでも動かないことを布津野は知っていた。どうしたものだろうか……。


「実は、そのことについて布津野さんに助けて欲しいと思いまして」

 百合華がその会話に割り込んできた。

「どういうことですか?」

「赤羽組は……、もちろんご存知ないですわね」

「ええ」

「五人ほど、中高生が捕まってしまったのです。犯人は赤羽組です」

 何やら不穏は雰囲気が張り詰め出した。モドキーズに、赤羽組に、紅葉ちゃんに百合華さん。何だか嫌な気がする。

「現場はすぐ近くです。新宿の歌舞伎町、黒条のシマ近くで舐めた真似を」


 百合華は笑って見せる。

 布津野はそれを見てぞっとした。何となく、彼女がすでに赤羽組とやらに対して具体的な報復を行うことを決心しているように見えた。

 紅葉が百合華の言葉を引き継ぐ。


「モドキーズの仲間なんだ。あいつらの麻薬売買を邪魔して逆に……」


 布津野の表情が険しくなった。やっぱり危険なことなんだ。紅葉ちゃんには悪いが、このことは覚石先生にお伝えしておかなくてはならないだろう。

 百合華は笑みを消した。


「奴らは捕まえた未成年を海外に売り飛ばす。おそらく、今日か明日には彼らは日本から連れ出されてしまうでしょうね。そうなれば、もう遅い」

「あたいたちは今夜、赤羽組の本拠地に乗り込んであいつらを取り返す。新宿のモドキーズは全員参加する。先輩、止めないでよ。あそこには友達もいるんだ」

「……」


 布津野が、どう反応して良いのか分からず黙り込んでいると、


「布津野さん、助言をよろしいですか」と横から冴子が声をかけてきた。

「え、ああ、是非、おねがいします」

 布津野は息をついた。非常に有り難かった。

「この依頼、我々の立場としては全面的に協力すべきだと判断します」

 冴子の透き通った声が結論から下す。

「その判断の根拠は三つ。一つ、純人会と対立する黒条組が関東全域に勢力を拡大することは我々の利害に一致することです。誘拐犯の赤羽組は純人会派であり、この新宿にも影響力を持っています。この赤羽組の打倒は黒条組にとって必要不可欠です。おそらく黒条組長もそれを見越しての、今回の依頼であると思います」

「ふふ、」

 百合華は曖昧にうなずいた。

「二つ、現状での大規模な誘拐事件は現内閣の支持率に悪影響があることです。あの事件以降、国民は横行する誘拐事件が無くなる事を期待しています。しかし、現時点では警視庁の解体にともない都内の治安組織は麻痺しているのが現実です。ここで赤羽組による大規模な誘拐事件を看過するわけにはいきません。

 三つ、この状況で大規模誘拐事件を解決することが出来れば、現在構想中の新治安体制について世論を味方につけることが出来きます。現在、宮本の部隊を実働部隊とした超法規的な防諜組織の設立を画策しています。これは今後の治安、他国からの諜報抑止、国防において重要な役割を持つことになるでしょう。そして、外に待たせている護衛はその部隊の四番隊です」


 冴子がそう言うと、布津野は我に返って、この場の意思決定が自分に委ねられていることを思い出した。

 冴子はいちいち分かりやすく説明しているのは、おそらく自分のためだろう。それでも、半分くらいしか理解できなかったが、そんなことは重要ではない。急いで百合華のほうを見て、機械的に言う。


「百合華さん、そういうことで、この件、協力させて頂きます」


 クツクツと、百合華が笑いを堪えようとし、結局は耐えきれなくなり、アハハと声を上げて笑い出した。


「流石よ、理想以上。やっぱり、布津野さんは最高。有り得ないわ。布津野さんにお願いして大正解」

「はあ、どうしました?」


 布津野は突然笑い出した百合華を怪訝に思った。なぜ、僕が褒められているのだろう。どちらかと言うと、冴子が凄いのであって、自分は彼女の言う事をそのまま受け流しているに過ぎない。

 百合華は笑いすぎて浮かべた涙を、指で拭き取りながら冴子を見た。


「貴方、冴子さんだったかしら? 前にも何度かお会いしましたよね。私を助けて頂いて暫く拘留された研究所で、組の現状やビジョンについて随分と詳しく質問してきたのを覚えていますわ」

「ええ」冴子は軽くうなずいた。

「その白い髪。貴方は特別な人間なのでしょ」

「……」


 冴子が目を閉じて黙秘の意思を示すと、百合華は構わず続けた。


「あなたと同じ白い髪をした男の子と女の子とも面会させられたわ。男の子はとても頭脳明晰、女の子はミステリアスな感じがした。そして、貴方もその二人も異常なほどに美しかった。これは私の想像ですけども、貴方たちは政府の重要な意思決定にかかわる人物なのではなくて? 政府は貴方たちを使って、私が政府にとって都合の良い人間かどうかを品定めした……違うかしら?」

 冴子は微動だにせず、目を閉じ黙秘を崩さない。

「あら、答えづらい質問でしたか。失礼しました。まぁ、貴方たちの正体については、実はそれほど興味はありません。赤羽組さえ追い払う事が出来れば、どうでもいいですから。でも……」

 そう言葉を区切って、百合華は布津野に向かって艶やかに笑いかけた。

「布津野さん、貴方は別よ。利害に関係なく、貴方には興味が尽きません」


 百合華はそう言うと、身を乗り出して、布津野の顔を覗き込んだ。急に近づいた百合華の顔に驚き、布津野は身を引いてソファに倒れ込みそうになる。

 百合華が差し伸ばした人差し指が、布津野の鼻をすぅとなぞる。


「どうして貴方にお願いをすると、国家の重要人物らしき不思議な美女と、国防の中枢を担う戦力がセットでついてくるのかしら?」

「それは……」

「愚かな私としては、貴方こそが特別な人間であると邪推せずにはいられません」

「……偶然じゃないかな」


 布津野はハハッと乾いた笑いが浮かべた。

 もう信じてもらえないだろうけども……。

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