[1-09]ごめんなさい、という呪詛

 黒条組は関東の極道組織を統べる東道会の直系組の一つであり、古い歴史を持つヤクザ組織である。

 明治時代から続く古い極道で、東京の巣鴨周辺をシマにしている。祭りの屋台を営む組織から派生した的屋組織であり、治安が悪化した戦後には地域の自警団として活躍したこともある。いわゆる穏健派の地域密着型ヤクザであり、相互扶助的な性格の強い団体で地元商店街からの信頼も厚い――というのが宮本のざっくばらんな説明だった。


「だから、あんまり緊張しなさんな。旦那」


 宮本はバックミラーに映った後部座席にいる布津野に向かって、車のハンドルを左に切った。

 布津野は、はぁ、と曖昧に返しながら、傍らに座る少女にチラリと目をやった。黒く長い髪に赤いダウンジャケット、年は十四、五歳だろうか、最適化された整った横顔は鋭く、とても少女のようには見えない。

 彼女は気丈な様子で前をジッと睨んでいた。

 彼女は純人会に誘拐され、外国に売られる寸前で、宮本の部隊によって救出された一人だった。あのクリスマス・イブの夜、警官たちはロクとナナだけを取引していたわけではなかった。その他の子供たちも拘束されていたのだ。

 彼女の緊張は無理もない。今の彼女にとって周りの大人を信じることは難しいだろうし、その大人たちに自分や宮本が含まれていても不思議ではない。

 布津野は彼女をそっとしておくことにした。あと十分もしたら家に帰れるのだ。例えそれが極道の家だとしても、彼女が長年暮らした家であることには変わりない。少なくとも、研究所よりかは安心できるだろう。


「未調整?」


 突然そう少女がそう問いかけてきて、布津野は不意を打たれた。


「えっ、あ、うん。僕かい? 未調整だけど」


 しかも、無職なんです。と布津野は内心で付け加えた。

 先ほどまで前方を睨んでいた少女が、こちらを正面から見据えていた。切れ長の目が特徴的な、典型的な最適化美人。しかし、どこか抵抗しがたいオーラを感じるのは、彼女が極道の娘であるからだろうか。


「そこの運転している人とは、どういった関係なのかしら」

「あ~、えっと……実は自分でも分かってないんだ」


 事実、布津野は自分の現在の状況について良く分かっていなかった。

 研究所に半分監禁状態ではあり暇で仕方なかった。そんな時に、宮本にバイトだと言われて仕事を手伝っていて今にいたる。あれ、これは無職なのだろうか。フリーターかもしれない。


「とりあえず、僕がバイトで、そこの宮本さんが雇い主かなぁ」と首を傾げた。

「雇い主がバイトに対して旦那って呼ぶのかしら。一般的には逆だと思うわ。それに雇い主に運転させているのも変ね。どちらかというと貴方が雇い主みたい」

「そうだそうだ、旦那。五万円も払っているのに俺に運転させて、自分は若い娘とおしゃべりたぁ、いい身分だ」


 かっかっ、と笑いながら宮本が茶化す。


「すみません。僕は十年以上運転していないペーパーなんです。宮本さん、代わった方がいいですか?」

「それは止めて欲しいわ」

 そう、少女が横から釘を刺してくる。

「お姫様の命令だ。旦那はおとなしくしていてくれ」

 宮本はいっそう大きく笑った。


 自分のできることの少なさに恐縮するばかりだ。

 なんとなく、みにくいアヒルの子という童話を思い出した。まっ白なアヒルの群れに混じってしまった汚い茶色のアヒルのように肩身が狭い。みにくいアヒルの子の正体は美しい白鳥だったが、残念ながら僕の正体はニートである。

 バットエンド以外の結末しか見えていない。


「で、貴方の正体は何かしら?」

 切れ長の目が非難するように、みにくいアヒルを睨みつけてくる。

「正体?」

 ニートですが……。

「あの運転している宮本という人。私を助けた部隊のリーダーでしょう? サツもしょっ引いていたわ。おカミのかなりの権力をもつ高官、それも実働部隊のトップ。それを顎で使う未調整の貴方の正体は何?」

「いや、顎でなんて使ってないし、そもそも宮本さんとはそういう上下関係があるわけでもないよ……」

「つまり正体を明かせない、という事かしら」

「いや、そもそも明かす正体が無いというか……」


 十代の、それも初対面の若い娘さんに、ニートであることを打ち明けるという羞恥プレイはいささか上級者過ぎて苦痛でしかない。


「答えて、これは私にとっても重要な質問なの」

「……僕は、無職なんだ」


 カッカッ、と今度ははっきりした声で宮本が笑った。


「笑えない冗談は嫌い」

 少女は切れ長の目を細めて睨み返してきた。どうやら怒らせたようだ。

 なんだろう、この状況。羞恥に耐えてニートであることを暴露したら、こんどは怒られてしまった。特殊な性癖を持った人なら大好物なのかもしれない。僕にはこの良さが良く分からない。

「私は、黒条百合華こくじょうゆりか。今年で十五。先代黒条組組長の娘。貴方は?」

「布津野、布津野忠人。えっと今年で三十になりました」

「随分と童顔ね。二十代に見えるわ」

「……どういたしまして」

 これは誉められているのかな?

「それで?」

 百合華は顔を近づけてこちらを覗きこんできた。

「貴方の黒条組に対する要求は何かしら? 東道会内部の情報? 警察と極道の癒着の証拠とその人脈? あるいは汚れ仕事の依頼? 単純に資金かしら?」


 百合華は品定めをするように布津野を覗き込む。綺麗な目に鋭い光が走っていた。布津野は思わず息を呑んだ。


「いや、僕は単純に君を家に送り届けるだけ……」

「貴方が白々しい嘘を、いかにも無害そうな顔で言えることは分かったわ。本当に私を組に返すだけなら、どうして一週間も私を拘束したのかしら? 関東最大の極道、黒条組に何か思うところがあったからではなくて? 警察組織を再編している今、極道についてどのように対処するか、それはお上の懸案でしょう。これから行われるのはその交渉。でも、その交渉役である貴方の正体が、それだけが分からない」


 僕にもよく分かりません。布津野は泣き叫びたくなった。

 過大評価も甚だしい。自分はあくまでも五万円に釣られて、あまり深く考えずにヤクザ組織の身柄受け渡しというバイトをするために来た愚かなニートだ。

 この百合華という少女はかなりの勘違いをしているらしい。古今東西、十五歳といえば何かと突飛な発想をしがちな年齢だ。

 昔は盗んだバイクで走り出す十五歳が多くいたという話を聞いたことがある。


「旦那、着きましたぜ」

 宮本が意地悪くそう言って、車を止めた。

「着いたみたいだよ」

 布津野は安堵の息をこぼした。これで少女の勘違いから解放されると思うと心が休まる。

「……そうみたいね」


 百合華は布津野を睨みつけながら、車から出た。これで終わりだ。柔らかな革張りのシートに深く腰掛けた。

 車の中で美少女とハードな言葉攻めSMプレイの相手をするだけで、五万円は割が良いといえるだろう。このプレイによって誰が得したかは謎だが、宮本さんには感謝だ。

 ガチャと反対側の扉が空けられて、いつの間にか外に出ていた宮本が顔をのぞかせる


「旦那、俺たちも外に出るぜ。早くしてくれ」

「えっ、僕も?」

「当然だ、これからが本番だ。俺たちは交渉しに来たんだから」

「交渉……?」


 嫌な予感がして躊躇する布津野を宮本は腕を引っ張って外に出した。

 目の前には純和風のいかにも極道の屋敷といった建物があった。その巨大な門の左右を黒服のいかついスジ者の男達が何十人も整列している。

 布津野が外に引っ張り出されると同時に、黒服たちは一斉に頭を垂れた。

 その男達の中央には百合華が立っていた。その左右にはいかにも極道の重鎮といった老年の男達が姿勢を低くして侍っていた。


「ようこそ、黒条組へ。この度は助けて頂き感謝しています。改めて自己紹介させて頂きます。私は、東道会直系黒条組、十代目組長、黒条百合華。布津野さん、お上の交渉役としてあなたを歓迎させて頂きます」


 布津野は無性に、バイクを盗んで逃げだしたくなった。




 ◇

「……まぁ、こちらとしても悪い条件ではなさそうね」


 黒条百合華は宮本から手渡された資料を一読して、そうこぼした。


「助けられた恩もありますし、前向きに検討させて頂きます。東道会に対する調整もふくめて我々が進めるという認識でよろしいか?」


 百合華はそう目線で布津野に問いかけたが、布津野に答えられるはずもない。頑なに黙っていると、宮本が答えた。


「ええ、そちらのことは全てお任せします。資料にあるとおり、我々もまだ微妙な立場ではあります。黒条組とはあくまでも協力関係ではなく、互いに黙認しあう関係でありたいと考えています」


 いつもの適当な口調とは違い宮本は丁寧に応対していた。

 もしかしたら、宮本が布津野の代弁者であり、外から見たらこちら側のトップは布津野のように見えなくもないかもしれない。事実、百合華を含め、相手の人員はいちいち布津野を見て問いかけてくる。


「新しい公安体制が、極道者の協力を得ていたという醜聞は避けたいと、いうことでしょうか」

「そちらも、体制側の犬に成り下がるつもりはないかと」

 なんだかのっぴきならない緊張感をはらんだやり取りだ。しばらく沈黙がおりる。


「組長。ワシは反対じゃ」


 百合華の横に座った重鎮らしき老人が口を挟んだ。


「こやつ等は、お上の中でも『もどき』の派閥じゃろう。組員も傘下の皆も納得するかね。ワシらのほとんどは未調整じゃ。未調整が助け合ってやってきたのが黒条組じゃ」


 百合華は腕を組み、わずかに眉をしかめた。


「爺、組長の私がまさに『もどき』です。それに黒条は純人会とは袂を分けてきた。私の誘拐も奴らの差し金だろう。いまさら純人会派の野党に協力することは出来ません」

「お嬢は別じゃけ。黒条がこんだけ大きくなって、路頭に迷っとった未調整が暮らせるのもお嬢のお蔭じゃ。そげなこと、皆、わきまえとる。もう組の中は打倒純人会で一色じゃて。しかし、かと言って、もどきの派閥に組みするのは別じゃなかろうか」

「とても、彼らにまっとうな職をあてがっているとは言い難いですが」

「十分じゃけ、他の組では薬や子供の誘拐ばかりで任侠気取る余裕もありゃせん」


 その老人はシワをさらに深く刻み込んで宮本を睨みつけた。

 宮本の普段のざっくばらんな態度や、まわりの人間が異常に美しいために忘れがちになるが、宮本自身もかなりの男前だ。二メートル近い恵まれた体躯にしなやかな筋肉、短く刈り込んだ黒髪、男性的ではあるが秀麗な顔。


「宮本さん、いうたかな。随分とお上の重役についているそうじゃないか。今、いくつじゃ」

「……生まれて二十年になります」

「二十年じゃ、二十のもどきの若造が、でかい顔するのが今の体制じゃ。それについていくことはワシらには出来んて。お嬢、どうか考え直してくだされ」

「爺……」

 百合華は一息をつくと、布津野を見た。

「布津野さん、貴方は今の日本の状況についてどう考えていますか」


 突然に話を振られても、布津野は動揺した。

 そもそも答えるような立場にもない。さっきから逐一、交わされる話の規模が大きすぎる。布津野にとって、この場所にいる意味は日給五万円以上のものではなく、それ以上の責任はないはずだ。


「未調整である貴方が、もどき達の上に立ち、体制派に協力する理由を教えて頂きたいのです」

「……」

 だから、上になんて立ってないから。単に監禁されているニートだから。

 布津野は頑なに黙っていた。明らかにこれは五万円の範疇の話ではない。チラリと宮本に助けをもとめて視線をむける。

 しかし、宮本も黙って布津野の反応をうかがっている。


 ――宮本さん、あなたは仕事してください。


 それとも、これが五万円分の仕事だというのだろうか。だとしたらこれは詐欺ではないだろうか。


「私たち黒条組は、国内最大の極道組織です。しかし、これほどに黒条組が巨大になったのはこの十年足らずのこと。先代組長が社会からあぶれた未調整を組員として受け入れ、それを引き継いだ私が彼らに職を斡旋したことで巨大化してきました。しかし、未調整にまともな職をそれも一万人の構成員に対して確保することは至難です」

 百合華は、黙り込んだ布津野から回答を引き出すように語り出した。

「結局、出来たのはいわゆる、もどき達がやりたがらない、法的にもグレーな事業でした。ありていに言うと、アダルト関連商品、風俗店、賭博、闇金業、債務徴収代行、土木工事の請負です。企業からあぶれた未調整には、一般企業での重役まで上り詰めた人間も多くおり、彼等の経験と人脈がありました。そういった未調整たちが協力して黒条組はここまで何とかやってきたのです」

 百合華は布津野から目を離さず、ハッキリとした口調で繰り返した。

「布津野さん、『もどき』と『未調整』が抱えるこの問題、貴方はどのように考えますか」


 こちらを見据える視線は、少女のものではなく、多くの部下に対する責任を背負った組長のものであった。適当な受け答えが許されるような状況ではない。

 視界の端で宮本も無言で布津野の発言を待っていた。この人は一体、僕に何を期待しているのだろうか。


「……質問の答えになっていないかもしれないけど」


 布津野は重い口を開いた。

 もう、いいや。そのまま自分の感想を答えてしまおう。どういった結果になっても、宮本さんのせいだ。


「僕の周りはいつも、最適化された人間ばかりでした。僕が生まれた時代には最適化は一般的だったけど、両親は僕に最適化を施しませんでした。色んな理由があったのだと思います。現在は否定されていますが、遺伝子最適化による胎児の死亡や奇形児リスクも噂されていましたし、母はクリスチャンでしたから遺伝子を操作することに抵抗があったんだと思います……」


 話し出した瞬間に布津野は後悔しだした。

 この話題にまとわりつく、自分の過去の感情は良いものではない。それは、恨みとか妬みとか、そういった負の感情が凝り固まった不快な塊だった。


「当然ですが、まわりの友人はみんなカッコ良くて、勉強も運動も出来ました。教室では自分だけが異質でした。明らかに劣っており、ありとあらゆる場面でみんなの邪魔だったのだと思います」


 やっぱり、だんだん悲しい気持ちになってくる。

 色んな、苦い経験が思い出される。その中で、一番の、不快で、象徴的な記憶が、やはり浮かび上がってくる。三十歳にもなって自分の心の中心に未だにこびり付いて消えない汚い塊。


「『ごめんなさい』それが、母の口癖でした。『調整をせずに生んでしまって本当にごめんなさい』小学生になってから、ずっと母は私にそう言って謝り続けました。僕は、周囲と明らかに劣った自分として生んだ両親を、随分と恨んでいました。そして、母は私に毎日、謝り続けていました。そして、そんな母を恨むことを止めることが出来ない自分が大嫌いでした」


 ――ごめんなさい。忠人、私のせい。本当にごめんなさい。


 それは呪詛だった。幼い頃から、何かある度に母はこの呪詛を繰り返し唱えた。テストの点が悪かった時、運動会で最下位だった時、クラスでいじめられた時……。

 この呪いから抜け出るために、努力したつもりだった。でも結果はついて来なかった。いくら勉強しても成績は上がらなかった。いくら練習しても最下位は動かなかった。どうして自分がいじめられるのか、どうして自分の努力は実らないのか、それは分かりきった事だった。

 お母さんが僕を調整しなかったせいだ。


「僕は未調整です。そしてそのことをずっと恨んできました。今では随分と諦めをつけることが出来たと思いますが、正直よく分かりません。ですから、黒条組のみなさんが最適化された人たちに対して、平穏な気持ちになれないことは自然なことだと思います。だから……」


 だから、どうすべきかなんて、そんなこと分かるわけがない。

 自分自身、今の自分がこの呪いから抜け出せている自信なんてない。

 諦め、それしか答えがないのだろう。少なくとも自分にとっては青春時代とは長い時間をかけて自分がどうあがいても未調整であるという事実を認めるための時間でしかなかった。


「……だから、黒条組のみなさんでよく話し合って決めてください。僕が言えるのは、この宮本さんや、この件に関わっている人たちは良い人たちだと言う事だけです」


 布津野はハハッと乾いた笑いを浮かべた。

 まったく、本当に何も意味のないことしか言えない自分に呆れる思いだった。


「爺……」

 百合華はそのまま視線を滑らせて、となりに座る重鎮を見た。

「……お嬢、ワシが間違っているのかもしれん。すまんがお嬢がこの件、決めてくれんかのう。余計なことゆうて、すまんかった。ワシはお嬢の意見に従う」


 百合華は頷き返すと、布津野に視線を戻して少しだけ目尻をゆるめた。


「布津野さん、黒条組は今回の件について協力させて頂きます。ただ、この協力関係は永続的なものでもなければ、契約でもありません。私と布津野さんの単なる口約束です。それで、構いませんか」


 視線の隅で宮本が頷くのを確認して、慌てて布津野は頷き返した。




 ◇

「旦那、助かったぜ」


 宮本がいつもの調子で布津野に語りかけたのは、黒条組の屋敷を後にした車の中であった。今度は布津野は助手席に座り、宮本は相変わらず運転だ。


「あれで良かったんですか」


 まったく要領がつかめないまま、布津野は眉をしかめた。

 なんだか宮本に騙されたような気がしてならない。結果的に上手く行ったみたいだし、自分のやったことはソファに座って組長である少女に向かって昔の話を少しだけ披露しただけだ。これで五万円がもらえるなら割の良い仕事であるのは間違いないが、二度とやりたいとは思えなかった。


「ああ、理想的な展開さ。旦那を連れてきて正解だったぜ」

 そんな布津野の内心とは対照的に、宮本はどうやらご機嫌のようだ。

「結局、どうなったんですか? 黒条組と協力するみたいですけど」

「ああ、協力っていうよりも、黙認だな。少しややこしいが、旦那は関係者になってしまったから簡単に説明するぜ。詳しくはロクに聞いてくれ。これも、計画の立案はやっぱりアイツだからな」

 なんだか、また複雑な話らしい。

「さて、実は東京における治安は過去最低な状況にあることは知ってるかい?」

「ニュースでそう言う人は多いみたいですね」

「そうだ。メディアの主張することは事実とかけ離れることはいつものことだが、今回に限っては、まあ、珍しく主張通りだな。犯罪件数が増加している。特に誘拐、麻薬あたりが顕著だが、全体的な犯罪件数が増加している」

「でも、それは東京を管轄する警視庁が純人会と癒着していたのが原因なんじゃ……」

「残念ながら、そうは簡単に言い切れる状態とは言えない。極論を言ってしまえば、急増する犯罪の原因が純人会にあるというのは、俺たちが仕掛けたプロパガンダだ。まぁ、事実、増加している犯罪のほとんどは純人会がらみではあるんだがな」


 どうも話が見えてこない。黒条組との協力と、犯罪については何が関係するのだろうか。

 それにしても、宮本からこんな難しい話が出てくるとは思いもしなかった。ロクや冴子の頭脳明晰さが印象的であり、宮本も十分に知能が高い最適化個体であることを忘れてしまう。


「純人会がらみなら、純人会が原因じゃないのか?」

「旦那、なんで純人会なんていう組織がのさばっている理由。分かるかい?」

「それは……警察が彼らと繋がっていたから?」

「それは結果であって、因果じゃない。本質的な原因はどうして過激組織ごときが、国家の中枢たる警察組織まで浸食し、今日のいままで、俺たちがこれに対処出来なかったのか、ということだ」

「……ダメだ、分からない。お手上げです」


 布津野はあまり考えることなく、降参を伝えた。考えても分かるわけがない。


「それは、純人会と言う存在を支持する民意が相当数存在するから……少なくともロクの分析ではそれが今のところの結論だ」

「……犯罪組織を国民が望んでいることですか?」

「旦那、そいつは論理を飛躍させちまっている。国民は犯罪を望んじゃあいない。しかし、より良い生活を望んでいるのさ。そして有権者の大半が未調整であり、今のこの日本では未調整の大半が比較的貧しい生活を送っている。この格差の社会構造は急速に進み、歯止めがきかない状態だ」

「……」

「歴史上、最大の犯罪は戦争だ。しかし、近代において発生した戦争のほとんどは過半数の国民が支持して起こしてきたことは紛れもない事実だ。ヒトラーは国民投票において九割の指示を得て独裁体制をしき、第二次世界大戦を起こした」


 布津野は押し黙った。この会話のなにやら難しい話に発展してきた。油断しているとすぐに分からなくなってしまいそうだ。


「ヒトラーが率いたナチ党もそうであったように、純人会を単なる犯罪組織として考えるのは危険だ。やつらの活動は、政治、経済、メディア、そして他国にまで幅広く分布している。純人会の本質的な正体は、ヒトの遺伝子操作を前提とした社会構造に対する大衆反動デモクラシーさ。だから、俺たちが積極的に奴らを過激な犯罪組織として報道しても、純人会の支持する人間は減らないし、奴らに活動資金が集まり続ける。大体、古来よりデモクラシーなんてものは過激な奴らがやるものさ」

「それが、今回のことと、どう関係してくることになるんだい」

「おう、そうだな。少し脇道にそれた。つまり、そういった根強い基盤をもつ純人会の過激な部分が、暴力団とむすびついて犯罪が増加しているってことだ。黒条組の御嬢さん組長も言っていただろう。多くの未調整が社会からあぶれて組の構成員になっているってな。それはなにも黒条組だけじゃねぇ」


 百合華さんは、そういった人たちに職を与えようとしているらしい。まだ十五歳だというのに本当に立派だな、と思う。僕なんて、自分の職について考えるだけで必死だと言うのに。

 ……僕の職も斡旋してもらえないだろうか。


「そういった未調整を抱えた暴力団が食っていく方法が、犯罪ってことだ。黒条組はやらないが、他の組では純人会と結びついて誘拐や麻薬、詐欺が中心だ。誘拐は最適化された子供が狙われているが、麻薬、詐欺の被害者のほとんどは未調整の人間だ。未調整が未調整を食い物して生活をしのいでいる。それが今の東京の状況で、警視庁はこれを長年放置してきた」


 少しずつだが話が繋がってくる気配がした。つまり、増加する犯罪は失業した未調整が暴力団の構成員として起こしているということだ。


「その犯罪の取り締まりを黒条組にさせるってことか?」

「そうしてくれれば助かるが、そこまで期待していない。ロクが黒条組に期待しているのは、黒条組が他の極道やマフィアなどの地下組織と抗争を起こして東京圏の裏社会を全て統べる一大組織になることだ。俺らの彼らに対する協力とは、黒条組が他の組に対して起こす抗争、襲撃、あるいは企業買収におけるインサイダーなどの違法行為について、黙認するってことだ」

「ん、それは……ダメだ。やっぱり、まだよく分からないな」

「黒条組は純人会と敵対している数少ない組だ。しかも麻薬販売や誘拐、強盗、殺人といった重犯罪によるシノギをご法度にしている。そんな黒条組がもし、関東全域の裏社会を支配すればどうなる? 純人会は裏社会に対する影響力を失い、黒条組における統制により暴力団が起こす重犯罪は統制されることになる。警視庁が機能マヒしている今、俺たちにとってこれほど有難いことはない」


 はぁ、と布津野は溜息をついた。これを十歳にしかならないロクが考えたのかと思うと途方もない心持がした。

 百合華組長だって十五歳でしかない。最適化のされた子供とはこれほどに凄まじいものなのだろうか。それともあの二人が特別なんだろうか。少なくともロクは特別なんだろうけど。


「ロクが黒条組に約束した内容は、抗争における黙認だけじゃない。公共事業の受注優先もだ。黒条組にとってみれば、大量に増え続ける構成員に与える仕事が増え、そこから組の資金も潤う。こちらにしてみれば、未調整の失業対策の意味合いが強い公共事業の雇用斡旋が効率的に進めることができて助かる。だからお互いに協力しましょうよ、ってわけだ」

「なるほど、すごいな」


 これほど重要な取引があの場で交わされていたのだ。

 黒条組としても明確に体制側と協力することは組織内部からの反感を買う事になる。一方のロクたちの派閥としても暴力団との繋がりを持つことは政治的失脚のリスクを負う事になる。それゆえに「黙認しあうだけ」といって明確な協調体制を避けた上での交渉だった。


「まあ、これ以上詳しいことはロクに聞いてくれ。この問題はもっと根深いし、あいつはもっと先を見て判断しているみたいだ。俺みたいな荒事に特化した遺伝子じゃあ、実のところ良く分からんことも多い」

「いや、十分ですよ。僕なんかじゃ、とてもロク君の考えを理解できる気がしない」

「そうか、ロクのほうは、旦那と話すのは好きみたいだから、機会があったら聞いてやってくれ。少なくとも良い気晴らしになる」

「そうかい? 僕なんかじゃ、ロク君をイライラさせるだけだと思うけど」


 そうかな、と曖昧に宮本は答えて手前の交差点を左に曲がった。

 信号を曲がると見慣れた街並みが伸びていた。ああ、ここは新宿のあたりかと布津野は思い出した。そういえば……


「宮本さん、ちょっと立ち寄ってもらいたい場所があるんだけど、いいかい?」

「ん、まぁ問題はないかな。旦那のお蔭で予想以上にスムーズに事が運んだしな」

「実は合気道の道場に挨拶したいんだけど……」

 ほう、と宮本が声を漏らして目を細めた。

「旦那が通っていた道場かい」

「ああ、ここしばらく師匠に会ってなかったし、ちょうど年初めの稽古が終わった頃合いだと思う。新年の挨拶だけでもしていこうかと思って」

「そうか、確か、旦那は合気道の達人だったな」

 布津野は驚いて宮本を見た。

「達人? だれがそんな事言ったんだ」

「誰も言っちゃいねえよ。ただ、俺自身が見たのさ、旦那が警官に囲まれていた時の立ち回り。ヘリの上から」

「ああ、あれは、偶然だよ。合気の術を実践するのはとても難しいんだ、僕にはとても」


 布津野は慌てて宮本に向けて手を振ってみせた。宮本は運転しながら横目で布津野を見た。


「黒条の御嬢さんじゃねぇが、旦那は時々、白々しい嘘をつきやがる。あれが実戦でなかったら、一体何が実戦なんだ」

「だから、あれは本当に偶然なんだ。警官は油断していたし、僕が戦っていたのはほんの数秒程度だったし」

「まあ、いいじゃねぇか。とりあえず俺は旦那の道場とやらに興味がある。立ち寄るのは問題ない。俺もついて行ってもいいか?」

「それは、構わないと思うけど、師匠に挨拶するだけですよ」

「ああ」


 そう言うと二人を乗せた車はその通りをまっすぐ進んでいった。


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