第二幕:始まりの一夜

一歩目

 そこには物乞い、平民、貴族、王族といった階級はもとより、獣、魔物、魔族などなど。

 中でも最強の種族と名高き竜ですら、等しく敗者と成り下がる。

 伝承に残された最大の脅威は暴竜アスラン、まがつ竜ケトロオス。

 共に長期に渡って人々の暮らしを脅かし、魔物の生態系を変え続けた移動する災害だったが、ある山での目撃例を最後にぷつりと消えてしまった。


 曰く付きの火山に棲まう小さき黒竜は、いつしか人々の信仰を集め一つの宗教体系が築き上げられ、名を混沌竜の棲処カルオットと称した。

 興した教主は記録はなく、竜神と祀る小さき黒竜の安寧を守るための厳格な規律ルールが存在する。

 歴史上類を見ないほど単純明快な規律ルールは、当時の国境を越えて伝播し、辺境で絶大な求心力を得ていた。


 火山の小さな黒竜を『武の神』と祀るその特性から、信徒でなくとも戦闘に従事する者からの支持が大きい。

 また、カルオットは竜神を崇拝するに相応しく修行場とも機能し、腕に覚えのある者や力を求める者の訪問が絶えない。


 勇者・・ヴィクトル・ヘンラインもまたその中の一人。

 特別枠とも言える火山道の使用許可を得、通い続けること約半年。

 何度挑戦しようとも揺らがず、戦う度に新たな方法で打ち負かされ続けた彼は、かくて竜神と祀られる小さき黒竜と言葉を交わす。

 勇者は「俺の片翼ちからになってくれ」と請い、竜神は<退屈させるなよ>と承諾した。


 かくて世界は回り出す。


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 人の心情の機微に疎い…いや、まったく理解できない、世代を超えた引きこもりの竜神アルカナは、ごつごつとした足場をひょこひょこと勇者ヴァルの手を頼りに歩く。

 変異の魔法で強引に種族を変えたアルカナは楽しそうであり、未知の感覚を味わうかのようだったのは、ヴァルにとっては救いだと言えるかもしれない。


(勢いで同行してもらってるが、竜神を聖域から連れ出して大丈夫なのか?)


 辺境で絶大な人気を誇り、権威を持つカルオットを黙らせるのは、武力的な特権の行使を許される勇者と言えども難しい。

 宗教に喧嘩を売っても損ばかりで何も良いことはない。

 特に人類が追い詰められている今、紛争にでもなれば目も当てられない。


(はぁ…これで一気に解決か、と思って喜んだのが馬鹿らしい)


 また、人の世の面倒さを知るヴァルは、これからの難事を思って途方に暮れる。

 そして過大な戦力を手に入れて冷静さを欠くとは、とありがちな失敗に静かに反省し、ヴァルは手を引く隣を歩く少女を静かに見て思う。

 人をかたどったアルカナの容姿は際立っている、と。


 背の高さはヴァルの胸ほどしかなく、竜としては最古とさえ言われるアルカナの容姿を人の年齢に直すと十六歳くらいだろうか。

 凛々しい柳眉と緋色の目は意志の強さを宿したかのように苛烈で、腰まである黒髪は細く柔らかな光沢がある。

 細身だがしっかりと肉が付き、少女に色香を纏わせたかのようで背徳心を掻き立てられる。

 ただ容姿を列挙するだけで十分に蠱惑的だというのに、竜神の箔とでも呼ぶべきか…後光を背負っているかのように見る者を圧倒する。


(これを神々しいと呼ばずしてなんと表現すべきか)


 何よりも問題なのは、こんなにも目立つ黒髪の美少女アルカナが身に着けているのは丈の長い水蜥蜴の衣のみ。

 力を求めて入った火山に下着を抱えているわけもなく、当然のように素っ裸。

 ヴァルの体格に仕立ててあるため丈は長いものの、肩で引っ掛けるように身に着けるケープでしかなく、連れ歩くには少々どころか過分に危ない。

 何より全く隠れていない太腿や素足が眩しく、ヴァルは目のやり場に困るばかりで現実逃避に忙しくもあった。


「ヴァル。おい、ヴァル!」

「ぶへっ!? 何だよ、いきなり殴るなよ!」


 手を繋いだまま、いきなり横っ腹へ突き込まれたヴァルは思わずうずくまり、ゴホゴホと咳き込みながら膝をついて抗議する。

 様々な加護を持つヴァルなら、溶岩を被ってもちょっとした火傷で済む程度なのに、と恨めしそうにも見る。

 華奢な見た目とは裏腹に、素手で岩石を殴って無傷の頑丈さは健在らしい。


「何度呼んでも返事をしないからそうなる」


 ふんす、と鼻から息を抜いて語られる言葉には棘はない。

 どちらかと言えば面白そうな雰囲気だが、ただつかれただけとも思えない威力に、ヴァルはやせ我慢して立ち上がる。

 また、竜神様を放置するとこうなるとも心に刻んで。


「そりゃ悪かった。で、どうしたんだ?」


「言いたいことは二つ。

 考えてることが全部口に出てるぞ」


「な、んだと…?」


 アルカナの評価を駄々洩れにしていたことに愕然とするヴァル。

 またも黙り込んだ勇者に、アルカナは溜息を零しながら続ける。


「未来への検討は結構だが、我を楽しませるのも忘れてもらっては困るぞ?」


「…ん? 未来への検討?」


「違うのか?

 先程から『神殿』やら『神々しい』だの呟いていたが?」


「…なるほど、そうか。気にしないでくれ。ちょっとこれからのことが迷宮入りしそうになってただけだ」


「迷宮入り…? 迷宮ダンジョンの攻略が必要なのか?」


「そういう意味で言ったんじゃないけどな」


 首を傾げて疑問を示すアルカナを、ヴァルはさらりとあしらう。

 直前に見た目を気にしていたことから、本当に聞いていないのだろう。

 ともあれ、恥ずかしい『アルカナ品評会』は知られなかったようで、ヴァルは一人胸をなでおろして「それで、二つ目って?」と話題を戻す。

 しかし


「目の前に火山とは違う、恐らく人工の『巣らしきもの』があるのだが?」


「え…」


 戦闘者にあるまじき、ポカンとした表情を一瞬浮かべ、アルカナに焦点を合わせて視線をすぐに周囲を見渡した。

 すると確かに足場がごつごつとした山道から風景は変わり、聳え立つ高い火山は遥か後方。

 本来なら山道の先にある関所を通るはずが、無意識の内に外れて交易路に降りていたようで、なだらかな下り坂へと姿を変えていた。


 常人では踏破不可能な場所ですら、片や考え事、片や身体を動かすことが不慣れでも、勇者と竜神の身体能力は実現させてしまっていた。

 風景から現在地を推測すると、気付けば二時間…いや、アルカナを連れていることで三時間は歩いている計算だろうか。

 現実逃避の過去のおさらいに加え、考え事に費やした時間は膨大だったらしい。


「何にも決められずにここまで来たのか…」


「決断力が無いのか?」


 ヴァルは内心で『誰のせいだと思ってる…』と悪態を付くが、そんなことを言えるわけがない。

 何より帰路はアルカナにとってはアスレチック的な楽しさがあったかもしれないが、ヴァルにとってはある意味で災難だ。

 何せ関所を通っていけば否応なしに神殿に直行してしまい、悩むことすらできずに何とかしなくてはならない。

 逆にこうしていったん離れてしまうと、色々と考える時間と余裕が生まれてしまい、ただひたすらに頭を悩ませることになる。


「神様連れ出して良いのかなぁ、とかな」


「ただの竜を相手に何を言っている?」


「本当にな」


 結果、ヴァル個人にとっての大問題は棚上げして、ぼやくように口にしたのは社会的に大きな問題の方。

 対するアルカナの感想はまったくもってその通りなので、ヴァルは手をつないだままの状態で肩を竦める。

 人の世はとにかく手続きが面倒なのだ。


「先に神殿に行くか、服を揃えるか…どっちが良いと思う?」


「ヒトの都合など我は知らぬ」


「ですよねー。ただ余りアルカナをひと目に晒したくないな…」


「ヒトの目? 随分と前からヴァル以外のヒトは通り過ぎていたぞ?」


 先程ヴァルも確認したように、ここは既に火山のそばを通る交易路。

 いくら辺境の地とはいえ、人里に近い大通りだ。

 安全な街中より少なくとも、それなりに人通りはある。


 と、ようやく考えが至ったヴァルは「はぁ?!」と驚きのあまり軽く仰け反った。

 隣を歩くアルカナは今更ではないか、と呆れるような仕草でヴァルを眺める姿は余りに対照的…彼の受難の日々は始まったばかりだ。

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