彼女の魔法レベルはZ
探求快露店。
こんにちはコウノトリさん
――ある朝、目を覚ますと。
私は私の物語をそんな有り触れた冒頭で始めたいと思う。
しかしながら別段、見知らぬ土地に飛ばされていただとか漫画やアニメ、ゲームで見た覚えのある場所に転生、あるいは転移をしていた訳ではないことはあらかじめ述べておこう。
……いや、心境的には竜宮城から帰ってきた浦島太郎のそれ。
知っているけど知らないに等しい世界という点では『見知らぬ土地』に飛ばされたとも言えるのだけれど。
あえて言うならパラレルワールド。
ほんの少しだけ認識からズレた世界に私は迷い込んだのだ。
――ある朝、目を覚ますと。
私より先に目を覚ましていた80過ぎの祖母が居間で見知らぬ赤子をあやしていた。
繰り返すが『見知らぬ赤子』である。
2年前に籍を入れた長兄夫婦にそろそろ、なんて話を数日前にした記憶はあるけれど。
便りがないのがないのがいい便り、を地で行く長兄は婚姻の報告に帰省したっきり。
顔を覗かせるどころか音沙汰すらない。
逆に大した用がなくても連絡を寄越す次兄は先月の頭に『できちゃった婚』だ。
次兄の名誉のために付け足しておくと元々入籍の予定があった相手。
結婚記念日となる日をいつにするか。
新婚旅行は、と日程を見合わせていたら入籍の方が後になってしまったというだけの話である。
身内の赤子と聞いて思い当たるのはそんな2人の兄夫婦くらいのものなのだが、共に県外で就職を決めてそのまま根を下ろすように暮らしているし、丁度よく帰省しているなんてこともない。
そもそも、どっちの子供も産まれる前。
祖母が腕に抱ける訳がないのである。
休日らしく惰眠を貪って午前10時と遅めの起床だったことを踏まえて、寝ている間に来客があったのかとも考えたが……。
赤子を除くと居間には祖母1人。
……母親は?
「ああほら、お寝坊なお母さんが起きてきましたよー」
いつになく間延びした声で赤子に話しかける祖母に私は浮かべた疑問符を増やす。
うん? ……お母さん?
誰が? 誰の? お母さん?
しまいにはもっとちゃんと母親の自覚を持って生活しなさい汐雫、と叱られるんだから堪ったもんじゃない。
先に述べておくがさっさと奥さんを捕まえて婚姻を結んだ兄夫婦とは違って私は年齢イコール彼氏いない歴を更新し続けている。
悲しい干からびた女である。
それを抜きにしたって高校を卒業してすぐ。
大学には進学しなかったので社会人に数えられる立場ではあったにしろ、お酒も飲めない未成年。
心当たる相手がいたって子供を産むには早過ぎた。
覚えがないんだけどっ!
散々揉めに揉めたが、その辺りの言い争いについては割愛して結論から述べよう。
祖母があやしていた赤子は私の息子でした。
しかも血まで繋がってる。
まったくもって意味が分からない。
意味は分からなかったがしかし、警察、病院、市役所、有りと有らゆる公共機関、どこを訪ねても積み重なるのは実子の証拠ばかり。
疑われるのは私の主張と頭である。
仕方ない、心が折れた。
泣く泣く、渋々、鬼の形相の祖母に見守られながら私は産んだ覚えのない息子の子育てを開始する。
……ぶっちゃけた話をすると主張や頭を疑うついでに育児の放棄とみなしてくれたら楽だったのに、と思わなくはなかった。
産んだ覚えがないなんて主張する女に育てられるよりは養護施設に預けられた方が子供としても良かったろう。
母親になり切れない母親のまま。
時間だけが過ぎた。
成長した子供は何もかもを悟っている大人のように達観した振る舞いを見せる。
それが私のせいなのか。
生まれ持った性格なのかは分からない。
その聞き分けの良さは『子供が親の顔色を伺って我慢している』というより『赤の他人に迷惑をかけるのを忌避している』と言った方がしっくりとくるのだ。
……どこを訪ねても実子と診断される以上、私にとっての『真実』は母になることを受け入れた日から口に出したことはなかったというのに。
私と彼は『母親と息子の仮面を被った赤の他人』だった。
達観した振る舞いを見せる息子は事実、初めから何もかもを理解し、知っていたのではないかと思う。
世間的には聡明なだけの子供でも私にとっては唐突に現れて実子と語った異分子だ。
多少の非現実が追加されようとさしたる差はないに等しい。
……ところで『コウノトリ』と聞くと皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
鳥類。赤子を運ぶ幻想の鳥。
私は断然後者である。
正直に言ってただの鳥としての『コウノトリ』がどのような生態系で、どこに分布しているかなんてことはさっぱりまったく分からない。
サイズ感からあやふやだ。
手乗りのインコと同じくらい?
それともフラミンゴ?
かろうじて分かるのは羽の色が白色だってことくらい。
それも、昔に絵本か何かで見たイラストで得た知識で正確性には欠ける。
さらに言うなら子宝に恵まれるために必要なのは幻想の鳥の力ではなく現実的な男女の営みである。
大人になれば誰しもが知っている。
幻想は幻想でしかない。
無垢な子供に聞かせるには生々し過ぎる話を大人の都合で引っ張り出した鳥の姿で誤魔化しただけ。
けれど、じゃあ、男女の営みなんてものとは縁遠かった私は『誰』から『実子』を授かったのか。
相手はいない。
産んでいないのだから認知のしようもないのは当然と言えば当然だが、父親の情報は集めようとしても手掛かり1つ掴めないのである。
だから、相手はいない。
私に子供を授けた『誰か』は幻想の『コウノトリ』に近いと言える。
――――息子を得て5年。
まるで私に子育てのイロハを教えるためだけに生き長らえていたとでも言わんばかりにポックリと亡くなった祖母の四十九日が明けた頃。
再び、朝。
目を覚ますと居間の
竹で編んだような造りのそれだ。
恐る恐る中を覗き込んだ私は思わず真顔になる。
すやすや。
心地良さそうに眠る赤子に、添えられた書類一式。
2人目だった。
クリスマスにサンタクロースが不法侵入してプレゼントを置いていくが如く『コウノトリ』が2人目の息子を運んできた。
多少の非現実が追加されようと、とは述べたけれど何も2人目を運んでこなくたっていいだろう。
誰の子だ。……私?
育児と仕事、祖母が老衰に倒れてから亡くなるまでの間は介護に忙殺されて相変わらず彼氏いない歴を更新してましたが?
例によって各公共機関を訪ねて回っても実子と判定されるばかりで養護施設に引き取られることもなく。
添えられた書類一式というのは私の息子であることを示す戸籍謄本とか母子手帳とか、証明書の類いだったのだがこちらについても全て正式に発行された、本物であると断定された。
抜かりはないとドヤ顔を見せる幻想の鳥が頭をよぎって軽く殺意を覚える。
全力で殴り飛ばしてやりたいが残念ながら想像の産物に実体はない。
「母さん」
一通りのことを確かめ終わって一息ついた時。
身に覚えのない息子1号に呼ばれて振り返る。
因みに勤め先には覚えのない育児休暇が申請されていて、昨日までフルタイムで働いていたはずなのに産休に当たる頃から休みを取っていることになっていた。
こんなにも唐突で嬉しくない長期休暇は人生で2度目である。
「まさかとは思うけど俺の時も……?」
硬い声音。硬い表情。
俺の時も……。
その後に続く言葉を想像するのは容易かった。
俺の時も同じだったのか。
その問いに私は答えることができなかった。
厳密に言えば異なるが似たようなもの。
どう言えばいいのか分からなかったし、そもそもありのままを本人に伝えていいかも分からなくて。
新しく増えた『家族』を居間に置かれた籠の中に戻すことで視線ごと顔をそらす。
「……そっか」
しかし、無言は肯定と同義。
聡い彼はその察しの良さを遺憾なく発揮して私を問い詰めるようなことはしなかった。
ただ、どことなく悲しげに響いた声に視線を戻す。
「
「それでもあなたは母親であろうとしてくれたんだな」
眉を下げてほんの少し困ったように笑った。
この世界で2人きり。
私と同じように異常事態を認識している『子供』が眉を下げて笑った。
――母親であろうとしてくれたんだな。
確かに、私は母親であろうと努めてる。
子を育てる以上は、と。
けれど、それを言うなら君だって。
子供らしくあろう、息子でいようと努力を重ねてくれていただろう……。
柔らかく艶のある黒髪。
異国の血を感じさせるヘーゼルグリーンの瞳。
あまりにも私に似ない顔立ちは幼さの中でも美しさを感じさせる。
彼との親子関係を証明するものは、それこそ私を『親』の枠組みに追いやった公共機関に登録済みのデータ以外にない。
真実の親子にはなれないものと知りながらそれでも『親』と『子』であろうとした私たちは愚かだったのだろうか……。
木造の戸建住宅で3人暮らし。
元々祖父母の代に建てられた家は古く祖母が亡くなった今では他に住む人間もいない。
先に述べた通り兄2人は県外だし祖父については小学生の頃に他界している。
それは自分たち以外に頼れる相手というのが側にないことを示してもいた。
祖母から子育てのイロハを教わってなければもっと悲惨だったろう。
苦労した。泣いた日だって沢山ある。
口にこそ出さなかったがいくつの恨み言を胸中に並べたか分からない。
息子たちの存在以外はこれまで通りのこの世界は、私にとって知っているけど知らない別世界だ。
よく似てるだけ。会社も友人も。
知っているけど知らない。
この世界で私たちが私たちの生活を守るには割り当てられた役割を大人しく担う以外に道なんてなかった。
母親の私と息子1号の勇人くん、息子2号の
私たちは『親子』ではない『何か』になんてなれなかった。
「――――っ、どういうことだよコレ!」
「ちょ、声がでかい!」
「……どうしたの?」
英明くんも成長して3歳になろうかという頃。
騒ぐ息子たちの声が耳に届いた。
柔らかな癖っ毛につり気味の目元。
例によって私とは似ても似付かないけれど勇人くんとは違った系統で将来を有望視できる英明くんもまた子供らしくない『子供』だった。
口の悪さと鋭い眼力を合わせて大人しい性格というのとも少し異なるのだけれど、声を荒げるようなことはもちろん、勇人くんとは口喧嘩すらした試しがない。
……まあ、高々3歳。
物心がついて喋れるようになったのが最近のことであれば、しなかったというよりできなかったというのが正しいのでは? と、言われたら閉口する他ないのだけれど。
あくまでも『子供』として振る舞う勇人くんとは違って隠す気がないとでも言うように3歳児らしからぬ言動を取る英明くんはもはや『体だけが子供の大人』だ。
それについて行ける勇人くんもきっと、そう。
だから彼らが精神相応の年齢と体格を得たところで、英明くんが声を荒げて、勇人くんと口論するのが珍しいということに変わりはない。
抱えていた洗濯籠を足元に置いて声のした部屋を覗く。
こちらを振り返った勇人くんはあからさまにしまった、という顔をした。
何があったのか。
つり目をさらに吊り上げた英明くんの手には1冊の漫画本。
…………漫画本?
「何でもねえ」
「いや、でも」
「コイツに少し聞かなきゃならないことができただけだ」
突っぱねられてどうしたものかと悩めば困り顔の勇人くんに「ごめん、母さん」と謝られる。
……聞かない方がいいらしい。
仕方なく引き下がる。
彼らが見た目通りの子供なら1も2もなく仲裁に入るところだ。
けれど、そうではないのだから下手な介入は要らぬお節介となるだろう。
……しかし、英明くんが持っていたあの漫画。
滅多にワガママを言わない勇人くんにせがまれて揃えたものなのだが何かあるのだろうか?
漫画の存在を知った時の勇人くんの反応もいつにないものだった。
せっかく買ったのだからと暇を見つけて目を通したこともあるけれど、気になった点と言えば勇人くんと同じ名前の人物が登場したことくらい。
それも故人として。
――――舞台は現代日本。
高層ビルが立ち並び、電子機器も発達しているけれど一般常識に魔法の概念が加わるため根本的なところで社会システムが異なる。
そんな漫画の世界の裏社会に身を置く主人公
危険な橋を渡ってたら若くして死にましたってヤツ。
……そういえば、主人公には勇人くんともう1人、仲の良い相手がいたとか何とかそんな描写があったっけ?
洗濯籠を持ち直して洗い立ての衣類を干すためベランダに移動する。
――ある朝、目を覚ますと。
少しずつ認識からズレていく世界。
その異常性を私はもっと深刻に受け止めるべきだった。
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