第五話 邂逅

 本陣は混乱のさなかだった。いつまにやら馬防柵ばぼうさくは両方破られている。コッポラもよく持ちこたえているようだったが、例の連中に背後から中央を突破されたか、崩れ始めている。

「味方だ! 味方の騎兵だぞ!」

「司令が助けに来た!」

「勝てる! 勝てるぞ!」

 あちこちから希望の混じった声が上がるが、生憎あいにくここから勝ちに持っていける腕は持ち合わせていない。逃げられれば御の字だ。


 叫喚きょうかんの渦へ目をやると、戦線が下がり始めていた。コッポラか! 俺のやることに気がついて逃げる準備を始めたのだろう。さすがコッポラ。よくわかってる。

 撤退はアイツに任せて、俺は自分の仕事に集中するか。



「おめえら! これから本隊の援護に入る! 具体的には敵に突っ込んで時間稼ぎをする。そこまでの無茶をするつもりはないが、ヤバくなったら各自退いて本隊の護衛をしろ! わかったな!」

喧噪の中、声を張り上げ発破はっぱを掛ける。

「「「おう!」」」

返答として蹄の音をかき消さんばかりの声が返ってきた。


「よし! 勝ち誇った奴らの面に俺らの底意地を刻んでやれ!!」

「「「うおおおおお!」」」


 敵味方の隙間を縫って最前線に辿り着く。こちらの意図を察したか、相手は一旦退き体勢を立て直しにかかった。


 ここだ! 俺達は時計回りに後退を図った敵軍の後方目がけて突っ込んだ。


 急な後退のせいで先頭が詰まったのだ。みるみるうちに敵全体の動きがとろくなる。間合いを詰めて騎射と機動力を封じた弓騎兵などカモでしかない。


「グアッ!」

「ウグアアアア!」

 敵兵が断末魔をあげて馬から落ちていく。俺はベンシブル語はわからんが断末魔は万国共通らしい。

 機動性を重視した革鎧は刺突に弱いのだ。



 十騎ほど仕留めたところで振り切られた。退き際に騎射を受けたが、大した被害はなかった。時間はかなり稼げただろう。敵が戻ってくる前に逃げ遅れた奴らを拾いつつ引き上げるとしよう。


「敵の追撃です! あれは……双戦斧ツインハルバード! 近衛騎士団です!」

その刹那、誰かがそう叫ぶ。おのれ最悪のタイミングで来やがって。



「負傷者の収容を急げ! ただし腕に自信のある奴は俺に着いてきて欲しい。もうちょい時間を稼ぎたい。手伝ってくれ!」

 そうとだけ言って馬を飛ばす。


 彼我の距離は見る間に詰まっていった。ゆっくり息を吐きながら呼吸を整え、機を図る。



 ここだ!



 振り抜いた槍が敵の先頭を突き倒す。扇形に襲いかかってくる刺突をいなしながら一人ずつ潰していく。


 俺はそれなりに上手くいっているが、他のやつらはそうもいかないようだ。よくて膠着、押されているやつもいる。かくいう俺も囲まれかけているし、退くことにしよう。これくらい時間を稼げれば充分のはずだ。


 後退の指示を出し、俺はその援護にあたる。あらかた後退し終わり、俺も身を翻そうとしたときだった。


 右方から刺突が一筋飛んでくる。



「余程の手練れだな」


 槍の柄に食い込まんばかりに引っかかっている戦斧の穂先を睨みつけ、独語する。


 早さ、重さ、周囲の敵とは比べようもない。無論敵はアメルセア近衛騎士団。ここまで質の高い部隊をつくるのは簡単なことではないだろう。

 だが、それは部隊としての評価。個々の武において、俺の相手になる者はいない。いや、いなかった。



「手出し無用!」

 戦斧の主とおぼしき男の声を聞き、引き下がる敵の騎士達。


 人波の中から姿を現したのは、俺と同年代に見える偉丈夫いじょうぶだった。


「貴殿が武勇名高きロナルド・ダートン将軍か」

「何故……それを……」

震える手で槍を持ち上げながらなんとか途切れ途切れに返答する。


「その左目が何よりの証。それに……」

奴は、一度言葉を切ると俺を睨みつける・


「あれを見切って受けられるような者がそう何人もいられてはたまらないのでな。」

「奇遇だな……俺も……同じ事考えてた……」


「我こそはアメルセア近衛騎士団一番隊隊長、レンソン・ヨナハルト。亡き主君が仇、取らせて頂く。」

厳かな調子でそう告げると、彼は得物を振り上げた。



 まずは・・・上段斬りか!


 槍を縦に構え首筋ギリギリのところで受け止める。主君が主君なら家臣も家臣と言うところか。半端じゃなく強い。


 つい口角が上がる。やっぱたまんねえなこの感覚。



「取りたきゃ取ってみろぉ!」


 奴が柄を回したのを見て、叫びながら右手を放し、槍を上に抜く。鉤爪が甲高く吠えて滑り落ちた。これだから戦斧使いは油断ならない。使いこなせてる奴に限るが。


 さあこっちの番だ。抜いた槍をそのまま左から突きにかかる。


「でやあっ!」


 決まった。向かって右に払っておいたのを左に構え直す時間などない。

 鎧に穂先が突き立つ……はずだった。



 しかし、俺の目に映ったのは奴の戦斧にはじかれた愛槍の姿だった。



「んな馬鹿な!」

思わず叫ぶ。


 慌てて体勢を立て直し左からの刺突を凌ごうとするが、かわしきれずに右の肩口に一撃貰った。目に背中ときて今度は肩かよ畜生。


 嘆いていても始まらない。


 利き腕の肩をやられたがなんとか次は防いだ。だがこれでわかった。



 奴には勝てないと。



 そうしている合間にも、奴の攻撃は続いている。逃げ出したいのは山々だが、それすら難しい。せめて奴に隙が出来ればいいが、さっきの応酬で多少の間では隙にならないことが判明している。


 最悪の事態を覚悟した方が良いかもな。



 勝負が決まったのは打ち合いはじめて二十合近くになった時だった。

 下からの斬撃に、一瞬左手の反応が遅れたのだ。奴、ヨナハルトにとって、それは充分な隙だった。


 槍の重さが右手にのしかかるとともに、下顎に痛覚が走り鮮血が飛ぶ。


 止めを刺すべく正眼に構えている奴に対し、右へ大きく得物をはじかれた俺が出来ることなどなかった。



 すまんな。最期までドジってばっかの司令官様で。



 馬のいななきと共に戦斧が振り上がる。


 あれ?


 いや、戦斧が振り上がったのではない。静かに主を見守っていたはずの奴の馬が、主人もろともその身を持ち上げたのだ。


 何が起こったかは分からないが、ともかくチャンスだ。急いで馬首を返し逃げ出す。


 方向転換をした際、ヨナハルトの馬に何が起こったのかがわかった。その馬の尻尾は赤く燃えていたのだ。賢い馬であろうと本能には勝てない。


「あれだ! あそこの魔導師だ!」

そして犯人が見つかったようだ。少し離れたところで帝国軍のローブを着た魔導師が追われていた。


 助けに行きたいが間に合うか?


 敵と魔導師の距離が二馬身にばしん程に詰まったその時、騎兵の一隊が魔導師と敵の間に割って入った。砂塵の中、なんとか敵をさばきながら魔導師を馬の上に引きずり上げる。


 味方だ! あいつらいつの間に戻って来てやがったのか!



「司令! ご無事ですか!」

救出を見届けて速度を増した俺に、一人が馬を並べて問うてくる。


「無傷とはいかねえが無事だ。そこの魔導師マージのおかげさ。それよりお前らいつの間に戻ってきてた」

 騎兵の一人に小脇に抱えられる様に運ばれている魔導師に目をやって聞くと、彼はさも呆れた表情で答えた。

「司令がヤバいのやり合いはじめてすぐですよ。まさか後ろにいたの気がつかなかったんですか」

 なんだよ。いたのかよずっと。それならそうと言ってくれって。


「助太刀に入ろうとは思ったんですけど、入る隙間が無かったというか……入ったら足を引っ張りそうだったというか……」

「まあそれは向こうさんも同じ事だったらしいな」


 ヨナハルトの後ろにも多数の部下が控えていた。彼らが横槍を入れてこなかったのは上官の意思を尊重してというのもあるだろうが、自分達が入ったところで意味がないと悟ったのもあるだろう。



「まあ何にせよ、これじゃ副司令も苦労が絶えない訳です。こぼしてましたよ『昔から将軍は一騎討ちになると興奮して周りが見えなくなる。悪い癖がちっとも治らない。』って」

「言ってくれるなあいつも……」

 最初は苦労をするのは俺の方だったんだが、いつからこうなったのか。まああの時のコッポラに戻って欲しい訳ではないが。むしろ絶対に戻って欲しくない。



「さて、追っ手もいないし、ここまで来れば充分かな。ここからはゆっくり帰るぞ」

場もわきまえず呑気のんきに雑談をしていたら、敵は遠くで撤退を始めていた。こうやって逃げ切った時が、一番生きている実感が湧く。

「負け戦の癖にやけに明るいですね」

「負け戦だからこそだ。負けたからって下向いてたら上手く逃げられねえだろうが」

「説得力があるようなないような……」


「説得力があって当たり前だ。俺は『熾天使してんしの翼』の中で一番負けが多いからな」

これは誇張でも何でも無い。俺が一兵卒からここまでのし上がれた訳は、負け戦でことごとく生き残ったからだ。言うまでもなく、勝ち戦で生き残るより負け戦で生き残る方が難しい。


 それに、最初からある程度采配を握れた他の面々と違って、俺は長らく戦況に関われない下っ端だった。俺が、というか俺達が指揮を執ってれば勝てたはずの戦も幾つもあった。


「あ……」

そうだ。負けで思い出した。

「どうかしましたか司令」

「いや、話しかけないでくれ。今、気の利いた返しを考えてるんだ」

「はい?」


 うーん。だめだでてこねえ。合流するまでに思いつけるといいなあ。

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