聖王伝抜粋 一

 セリティア一行にはベンシブルにおける大きな課題があった。如何にしてベンシブルから協力を取り付けるかである。

 ベンシブル王国は、王国と呼ばれ、国王もいるものの、実態は高原の遊牧民の氏族の寄り合い所帯だ。氏族の長達の合議によって物事は決まる。国王の選出もそこで行われる選挙で決まる。


 現在の国王は最大の氏族、セーリー族の族長であるケラールだ。セミリオンの妹の息子、つまりセリティアの従兄弟にあたる彼はこの亡国の王子に協力したかったが、彼の一存ではそれを決めることはできなかった。古からの規則に則って、族長達の合議を通さねばならない。

 この合議においてセリティアの前に立ちはだかると思われたのは、セーリー族に次ぐ力を持つマンスール族の族長、アリだった。


 彼とケラールは長年政敵として争い続けており、ここ最近も「アメルセアに味方すべき」と主張するケラールと、「ハンニバルとの友好を」と主張するアリは激しい弁の応酬を繰り広げている。

 武人肌で義に厚いケラールと、リアリストで狡猾なアリとではタダでさえ気が合いそうもない。ましてやそこにセーリー族とマンスール族の確執かくしつも相まって、両者の対立は根の深いものだった。


 しかし、彼を説き伏せない事にはベンシブルの協力は得られない。ベンシブルの協力が得られなければ祖国奪還など夢のまた夢。それどころか、帝国軍に身柄を引き渡される可能性すらある。


 セリティアは族長達の合議の席において、ケラールの紹介のもと熱意を持ってマンスール派の族長達に語りかけた。

 冷笑れいしょうを浴びせられようと、侮蔑ぶべつの視線を投げかけられようと彼は語り続けた。覚悟は既に決めた。


 己の心中をすべて語りきった彼は肩で息をすることで命を繋いでいるような有様だった。そんな彼に向かってマンスール族のアリは、瞳に冷たい光を浮かべたままこう言い放った。


「セリティア王子、私もケラール王に賛成します。あなた方の力になりたい」


 途端、周囲に激震が走った。セリティアとて例外ではない。茨の道を覚悟の上だったため、拍子抜けだったのだ

「アリ殿……それは……まことなのですか……」

「この場で冗談を言って何になると?」

痩せぎすの壮年の族長から、抑揚のない、しかしどこか温かみを感じる言葉を聞くや、若き王子は満面に喜色を浮かべた。

「……かたじけない。まことにかたじけない……」

「言い忘れましたが、我々はあなた方の勝利を期して支援をするのですよ。それをお忘れないよう」

「はい……必ずや帝国を打ち倒してご覧にいれます!」

絞り出すような声だったが、青年は力強く誓った。


 さて驚いたのは他のマンスール派の族長達である。

「そんな、いったいアリ殿に何が」

「わからん。帝国を敵に回してはベンシブルは終わりだと常々おっしゃっていたはず……」

「なぜ今になって……」

 困惑を隠せずに同志達と語らう彼らであったが、頼みの盟主が翻意した今、彼らには黙って従う以外に選択肢がなかった。




 無事に協力を得られ一息ついたセリティア一行であったが、事態はすぐに風雲急を告げるものとなった。ハンニバル帝国の大部隊が国境を超えてきたのだ。その数約二万。

 しかしベンシブル諸侯の大多数は窮鼠きゅうその態ではあったものの腹を決めており、帝国皇帝レウリウスの国書もとい脅迫状を読んでも顔色を変えど考えを変える者はいなかった。


「まさか私を仕留めるために猟犬ダートンを当ててくるとは……」

軍議の場でセリティアが呟く。彼がそう言うのは追っ手の将の名を聞いてから何度目になるだろうか。

 それは、追っ手の将が「猟犬」と呼ばれている理由を目の当たりにしたからこそだった。


「殿下、ダートンなど恐るるに足りません。猟犬という二つ名は言い得て妙です。奴の用兵には繊細さがありません。勘は働きますがそれだけです。詰まるところ本能のままに戦う獣なのですよ。我らの敵ではありません」

ゲッセル伯爵家の嫡男であるテラリスが背後からそう言う。

「本当に我らの敵ではないのか」

「そうですとも……と、言えれば良かったんですけどね」

問い詰められたテラリスはため息と共に椅子に深く腰掛け直す。


「今の言葉に偽りはありません。ロナルド・ダートンは優秀ですが獣に過ぎません」

テラリスは一度語りを止めると、勿体ぶって列席者を眺めた後、大きく息を吸って再び語り始める。

「しかし、その獣を御しうる人間がいたら。勇猛な猟犬が熟練の狩人に連れられていたら。その力は二倍にも三倍にも跳ね上がります」

「つまりロナルド・ダートンには優秀な目付役めつけやくがついていると」

「ええ。いかにも」

席上の誰かの質問に対し、どこか他人事のように答える。

「副司令官コッポラ・アゾート。彼女の存在が無ければ、今頃ロナルド・ダートンの首は胴体を探して彷徨う羽目になっているでしょうね。何が厄介かというとダートン自身がそのことをよくわかってることです。逆もまた然り。類い希な勇猛さと直感を備えた総大将と、いついかなる時も慎重で理知的な副将。この相反する二名が強固な信頼のもと互いの背中を預け合っている点。これが帝国西方混成軍の強さの理由、少なくとも私はそう見ています」


「そう言われると確かに腑に落ちるものがあるな」

よく通る低い声でつぶやいたのはレンソン・ヨナハルト。今は亡き王の命でセリティアを守って落ち延びた殊勲者だ。

「一分の隙もない守りを見せたと思えば、一転荒々しく相手の喉元に食らい付く。よく頭を切り替えられるものだと思ったが、そういうカラクリか……」

若いながらも幾多の死線を超えてきた騎士の言葉が一同に重く響き渡る。


「しかしながら、弱点とは強みの中に生まれるもの。」

そんな雰囲気を気にせず、テラリスはスクッと立ち上がってまた喋り始める。

「アゾートのいない西方混成軍は獣の寄せ集めに過ぎませんし、逆にダートンがいなければ畑の案山子かかしが手一杯です。両者を十分引き離せば我らにも勝機はあるでしょう。私の意見は以上になります。愚見がお役に立てば何よりです。ご静聴ありがとうございました」

 伯爵家の嫡男は妙に芝居がかった調子で一礼し、自席についた。

 後に「千里眼の軍師」と讃えられる稀代の天才軍略家も、今はまだやたら気取ったお坊ちゃまであった。


 さて敵の弱点は洗い出したので、こちらの弱点も把握しておくべきだろう。

 だが、残念ながらベンシブル・アメルセア連合軍の欠点は枚挙に暇がなかった。


 まず一つに兵力の劣勢である。帝国軍二万に対し、連合軍はベンシブル軍一万五千に加えアメルセア軍千騎ほど、しめて約一万六千といった状態であった。しかも、ほぼ全戦力を投入しているこちらと違い、帝国軍は必要とあれば旧アメルセア領から援軍を送ることも可能だ。最悪の場合、敵の数は二倍ほどに増えることになるだろう。

 なんとか敵が比較的少ない内に一度決着をつけたいところではあるものの、比較的少ないとは言ってもこちらより兵数は上。至難の業となるのは火を見るより明らかだ。


 その兵数劣勢に加え、大きな問題となっているのがバラバラの指揮系統だ。

 古代に覇権を握ったタスガル帝国軍の強さは徹底した中央集権制を活用した指揮系統の一本化であった。帝国は遙か昔に滅びたが、それ以後兵法において指揮系統の統一は戦術の基本とされた。

 アメルセア、ハンニバル含む、タスガル帝国の版図の内にあった国々ではそれが忠実に実践され続けており、内戦中以外に地方領主が兵権を持つことはなかった。

 しかし、当時完全に未開な山脈だった「悪魔の牙タメンディア」がタスガル帝国を阻んだベンシブルでは話は違ってくる。ここでは族長が独立した兵権を持っている。そのため国王こそいるものの、指揮を執れるのは自部族の兵のみということになる。この有様では部隊間の連携など期待すれば最後、裏切られておわりだろう。




 状況としてはこの上ないくらいに絶望的であった。

 だが、セリティアはやり遂げなければならなかった。なんとしてでも帝国を討ち果たさなければならない。今や来世の人となった父にそう誓ったのだ。


「人の欲望とは果てなきものだ。皇帝レウリウスをこのままのさばらせておけば戦禍は更に大きなものとなる。渦中にあるのは荒廃した土地に荒み疲れ切った民だけだ。他に何もありはしない生き地獄だ。それを止め得るのは、セリティア、お前だけだ。わしにはできなかった、そしてわしはその責任を取らなければならない。不甲斐ない父に代わり、大義を成せ」


 帝国軍による包囲が完了する直前、アメルセア王の証である聖剣を渡しながら父が言った言葉を彼は一字一句誤りなく覚えている。


 年若い彼には、戦渦だの大義などは漠然としていてよくわからなかった。しかし、彼の周りには彼を主と呼び尽くす者達がいる。彼らを守らなければならないことは彼にも十分理解できた。そのためには負けるわけにはいかないのだ。


 聖王セリティア。彼には決して他を圧倒する武勇はなかった。全てを見通しうる知略もなかった。だが彼には人材という大きな武器があった。

 彼は己が武にも智にも秀でていないことを知っていた。だから彼は人の上に立つ者たろうと努力した。それは本人も知らぬ間に「魔性」とも言える魅力を生み出していた。

 これこそが聖王セリティアの最も強力な武器だった。


聖王伝 第二章より一部抜粋

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