狭間町のパン屋さん。ウチの娘焼きたてですけど、お一ついかがですか?

つかさ

第一斤 異世界パン屋と焼きたて少女

第1話 春風はパンの香りとともに①

とある県にある羽佐間はざま町。地方都市から東に離れた小さな町。観光名所もなければ、娯楽施設もない。山と海に挟まれた辺鄙な住宅街だ。

 そんな町に、この春から高校一年生になる俺、板更歩いたさらあゆむは引っ越してきた。たった一人で。


 ああは言ったけど、やっぱり、二人についていった方が良かったかな……


 高校受験の願書出願が間近に迫っていたある日、父さんの海外赴任が突如決定した。毎日、夜遅くまで働いていた父さんが今度は遠く離れた海外に行ってしまう。その事実は俺以上に母さんの心に相当の衝撃を与えた。いつもバラバラの生活をしていた板更家の絆を繋ぎとめるため、母さんがどれだけ頑張って、そして、耐えていたかを俺は知っていた。だから、


「二人で行ってきなよ」


 両親の背中を押そうと決めた。

 海外の高校に行くのはちょっと……とか、こっちに親友もいるから別れたくないとか、適当な理由を並べて3日かけて両親を説得した。最初は難航した交渉だったが、あらかじめ根回ししておいた地方に住む叔父夫婦が、俺を預かると言ってくれたことをトドメに、俺は両親と離れて暮らすことになった。

 本当はついていっても何も問題なかったと思う。だけど、あっちに行けば、少しは仕事量を調整できると聞いて、なおのこと、俺は行かないほういいと思った。母さんのためだけじゃなく、自分自身のためにも。


「それにしても、なぁ……」

 こっちの高校に出願し、いざ受験しようとやってきて、この寂れっぷりに対面した。都会暮らしの自分には十分すぎるくらい衝撃的だった。


 嘆いても何も始まらない。もうすぐ3月も終わる。俺は来るべき4月の高校デビューに向けて全力を投入すべく、頭の中で自己紹介とクラスメイトへのファーストコンタクトのイメージトレーニングをしていると、叔母から「ちょっと行って来てほしい所がある」と用事を頼まれた。


 行き先は駅前の商店街。といっても、小さな文具屋や品揃えの悪い本屋とか、ろくな店がない。それどころか、半分くらいはシャッターで閉じられていて、もはや商店街の体を成していないようにすら感じた。高校へはこの先にある1時間に3~4本しか来ない電車に乗っていくため、ここは通学路になるわけだが……どうやら、寄り道には向いてなさそうだ。


 そんな残念商店街の一角にある2階建てのお店の前で立ち止まる。

「『フェアリー』ね……」

 薄汚れた看板にはそう書かれていた。叔母に聞いたところ、ここはパン屋らしい。入り口はシャッターで閉まっているので、内装はわからない。だから、パン屋なのかも怪しい。

 叔母はなぜかここの家主に会いに行ってくれと頼んできた。自分が行けばいいのに、と思ったけど、こっちは居候、断れるほど大層な身分じゃなかった。


 裏口へ回る。扉と小さな表札がひとつ。藤堂……『とうどう』って読むのかな。

「すいませーん。藤堂さん、いますかー?」

 扉を何回かノックする。返事はない。でも、中から断続的に続く物音がするから、たぶん誰かいると思うんだけど。

「あっ、開いた」

 試しにドアノブを捻ったら、ドアが開いてしまった。無用心だなと思いつつも、このままだとらちが明かないので、思い切って中へ入ることにした。


「あのー、板更ですけど、藤堂さん、いますかー?」

 短い通路を抜けると広めの部屋に出た。大きな冷蔵庫やオーブンみたいな機械が並んでいる。この感じ、街のパン屋で見たことある。どうやら、この店は間違いなくパン屋のようだ。

 すると、ビー、ビー、とアラーム音が鳴り響いた。思わず驚いて体がビクンと反応してしまった。


「サチー。焼けたー」

「知ってる。こっち忙しいから、オーブンから出しといてくれる?」

「届かないー。ビービーうるさいー」

「わかった!すぐ行くから」

 小学生くらいの女の子がオーブンの前で両手で耳を塞いでいた。その直後、大人の女性が現れて、慌しそうにオーブンから焼きたてのパンを取り出す。

 おぉ……うまそう。

 なんて、思っていたら、二人と目が合ってしまった。


「あの……どちらさま?」

「ねぇ、サチ。ドロボー?」

「う~ん……たぶん、違うんじゃないかな」

 と、とりあえず、説明しないと……。

「あの、俺は……」


「ねぇ、サチ。私、寒いんだけど。早くなんとかしてくれない?」


 突然、オーブンの前に立つ二人の後ろから声が響いた。視線を少し上げると、さっきまで誰もいなかったはずの場所に女の子が立っていた。髪は見事な金色。胸の辺りまで伸び、その先端は二つの胸に押される形となって少し前に跳ねている。きりっとした目に、端整な顔立ち。スタイルもスラリとしていて、今まで生で見た女性の中でトップを争うくらいの容姿だ。


「……そこの男子、私の生まれたままの姿を凝視して、無事でいられると思っていますか?」


 すっかり彼女が全裸だというのを忘れてしまうくらい、俺は見惚れていた。


 金の髪を靡かせて、少女がこちらに向かってくる。というか、飛んでくる。艶のある美しい右足を前に突き出したまま。そして、それは俺の鳩尾に吸い込まれるように深く食い込んだ。


 体中に走る激痛と、薄れ行く意識の中、なんかいろんなものが見えてしまった気がするけど、残念ながら俺の脳内に保存される前に意識が強制シャットダウンしてしまった。

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