私と殺人鬼たちの、一夜の夢

Owl

第1話 最初の夢の話



 嫌な蒸し暑さを感じ、ふと目を開けた。


 首の後ろにしっとりと汗をかいているのを感じる。


 昨晩、飲み会後に夜遅く帰ってきた部屋はキンと冷えていて、急いでエアコンをつけたのだが、そのまま布団の中にダイブしいつの間にか寝てしまっていたのだ。


 手探りでエアコンのリモコンを探し、暖房の設定温度を見てヒッと声をあげる。


「30度……いくら寒かったとはいえ上げすぎでしょ……」


 人は酔うと正常な判断ができなくなるというのは本当らしい。


 電気代が心配になったが、時計を見るとまだ3時。

 昨日家に帰ってきたのが23時過ぎだったのでまだそんなに時間は経っていない。助かった。



 私は、設定温度を下げてから、重くかぶさってる布団を取っ払って熱を逃がし、ふぅ、とため息をついた。


 一回この時間に目が覚めてしまうと、なかなか寝付けないんだよな。

 こういう真夜中って、風の音とかでも全部幽霊のせいか、って思ってしまってますます眠れなくなるし、本当に嫌だなぁ。

 皆バカにするけど、私は幽霊とかって絶対いると思うんだよね。


 とりあえずSNSでも見て気を紛らわさせるかと、左にゴロンと身を倒し、枕の隣に置いてあったスマホに手を伸ばす。



 その時。


 背中の後ろから、コツ、コツ、という音が聞こえてきた。



 ベッドに仰向けで寝た時の右側――今は身を左に倒しているので後ろ側だが――には、ベランダに続く大きな窓がある。


 そこから、一定のテンポで、コツ、コツ、と音が鳴り続けている。


 

 (……これは……やばい……)


 もしかしたら雨が降り始めてきたのかもしれない。風が吹いて窓が鳴っているだけかもしれない。大きな虫が窓にぶつかっているだけかもしれない。

 こんなことで気にしていたらこの先一人暮らしなんてやっていけないぞ、と自分に言い聞かせる。



 しかし、恐怖で完全に身体が固まり、頭の中では危険を知らせる警報が鳴り響いていた。



 恐る恐る、手に持つスマホの画面を通して後ろの窓を見る。


 その途端、完全に思考が停止した。



 カーテンの開いた隙間から、人の目がこっちを覗いていたのだ。



 「うわあああぁぁああぁぁあ!!!」



 私は真夜中であることも忘れ大声をあげ、布団から飛び出し急いで電気をつけた。


 その目は変わらずこちらを見続けていて、電気をつければ幽霊はいなくなるだろうという淡い期待は一瞬で砕かれた。


 

 とにかく、誰かに連絡しなきゃ――!


 ガタガタと震える手を抑えて、スマホの電話帳を開く。



 しかし、予想外の出来事が起こり、それどころではなくなってしまった。


 その幽霊の目が映っている窓が、ガラガラと開き始めたのだ。


 それを見るや否や、私は手に持っていたスマホを吹っ飛ばして窓の方にすっ飛んで行き、開いていく窓を全力で押さえつけた。



 「待って!それはさすがにやばいから!!やめて!!!!」



 まだ窓越しに向かい合っているだけなら直接危害を加えられることはないかもしれない。

 でも、こいつが私の部屋に入ってきたら、それは即ち私の人生の終わりを意味する。絶対に入れるわけにはいかない。


 幽霊だったら物理的な壁など関係ないだろうということは頭の中からすっぽり抜け、私はとにかく窓を閉めることに全力を注いだ。


 昔綱引きが得意だったのもあり、いけるのではと思ったが、相手もさすが幽霊だけあって、ものすごい力で窓を開けようとしてくる。



 押し合い引き合いをしているうちに、ふと、幽霊の手らしきものが見えた。

 細っこくて血管が浮き出ていて、やけに白い。

 

 こいつ、手のあるタイプの幽霊だったのか。こんな白い肌で羨ましい……と幽霊相手に嫉妬心が膨れ上がり、手にますます力がこもった。


 その勢いに押されたのか、相手の力がふっと弱くなった。


 私はそのチャンスを逃すまいと、急いで鍵を締めた。



 「か、勝った……」


 人間ならざるものに勝利した自分の力を誇り、安堵し肩を下ろした。

 

 どうだ私の力は、と幽霊の目を見上げて、思わず仰け反った。


 窓の向こう側、ベランダには、手も足も顔もある普通の人間の男が立っていたのだ。


 どうやら先ほど目の幽霊だと思ったのは、その部分だけがカーテンの隙間から見えていただけのことだったらしい。



 ふと、いつも母から言われていた言葉が頭の中に浮かんだ。


 『あのね、一番怖いのは幽霊じゃなくて、人なのよ』


まさか、こんな形でその言葉の意味を知ることになろうとは。



 その男は、私が腰を抜かしているのを見てにやっと笑い、どこかへ消えた。



 先ほど目を見た時とは別の恐怖感が体の中から湧き上がってきた。


 ――殺される。



 何かを考える暇もなく、急いで先ほど放り投げたスマホを探す。


 一刻も早く警察に連絡しなければいけない。でないと本気で命が危ない。



 幸い机の下に落ちていたのをすぐに発見したが、拾い上げた途端、絶望に包まれた。



「画面、割れてる――」



 投げた時に机か何かに当たって割れてしまったのだろう。


 一応電源はつくものの、液晶の破片が指に刺さって全く操作ができない。


 

「なんで、こんな時に……!」


 

 思えば、私の人生いつもこんなんだった。


 欲しいなと思って見ていた服は次の日にはもう売り切れていたり。

 予約して楽しみにしていたクリスマスケーキが実は予約できていなかったり。


 一番そばにいてほしかった人が、いつの間にか私から離れてしまっていたり。


 死ぬ時までこんなだなんて、本当に笑っちゃうなぁ。



 そんな自虐的な気持ちに浸っていると、ふわっと、生暖かい風が吹いた。




「よぉ、さっきはよくもやってくれたな」



 いつの間にか私の隣に立っていたのは、先ほどまでベランダにいた、あの男だった。


 上下ボロボロの灰色のスウェットに、白い肌に映える少し伸びた黒い髪。

 そしてその目は、怖がっている私の姿を見て楽しんでいるかのように細められていた。



 下手な動きをしたら殺されてしまう。でも動かなくても殺されてしまう。

 

 私は震える唇を動かし、言葉を振り絞り出した。


「……お金、なら、全て渡します。だから、命だけは、助けてください」


 ところどころ言葉が上ずってしまい、顔がどんどん熱くなってくるのを感じる。



 部屋にまで上がってきた人に命乞いなんてしても無駄だろうことはなんとなく分かっていた。

 しかし、どうしてこんな男に私の人生を終わらせられなければいけないのか。


 悔しくて悔しくて、涙がボロボロとこぼれだした。

 


 そんな私の様子を見て、その男は心底おかしそうに、くくっ、と笑う。


「確かに俺は殺人鬼だ。でも、お前を殺すためにこの部屋に入ったんじゃねぇし、お前が持ってるようなはした金なんていらねぇよ。」



 それなら一体何が目的なんだと、私は赤くなった目でその殺人鬼の顔を見上げる。


 殺人鬼は、光の失った真っ黒い目で、私を真っ直ぐに見た。



「この部屋、俺も住んでいいか?」

 

「……へ?」


 予想外の言葉に、思わずすっとんきょうな声が出てしまった。


 ……なに、部屋?住む?


 あっけにとられている私をよそに、その殺人鬼は表情を崩し、ペラペラと喋り出す。


「今までそこらで野宿してたんだがよ、最近寒くなってきてとても外にはいられなくなっちまったんだ。それで、寝泊りできる場所を探してて、ここにたどり着いたってわけだ。……しかし、この部屋は暑すぎだな」


 目の前で手をパタパタと扇ぎ苦笑する殺人鬼の言葉に、完全に理解が追いつかなくなってきた。


 ……よく分からないが、どうやらこの男は私の命ではなく、この部屋に用があるらしい。


 少なくとも殺される可能性は低いと知り、身体の震えが徐々におさまって頭が働くようになってきた。


 まずは、この謎な状況を整理しなければ。



「ね、寝泊りって、なんで、私の、部屋なんですか……?」


「んー、まあ一番は、セキュリティがガバガバだったからだな。窓の鍵も玄関の鍵も、簡単に開けられるように細工してあったぞ。誰にやられたか知らねーが、交換してもらった方がいいんじゃねーの」


「さ、細工!?」


 だからあんなにすぐ窓の鍵を開けられてしまったのか。

 玄関の鍵も、ということは、この男は玄関の鍵を突破して入ってきたのか。


 誰かに細工された覚えなんて全くないし、そんなことになってたなんて思いもしなかった。



「まぁ、あとは……」


 男は、こちらを探るような目を向けた。


「お前、前にもここに殺人鬼を泊めたことがあっただろ」



 ありもしない疑いをかけられて、頭が真っ白になる。


 どこの世界に、わざわざ好き好んで人殺しを家に泊めるような人なんているのだろうか。


「そんなこと、あるわけがないじゃないですか!」


 その男は、憤慨する私を見て嘲笑した。


「龍介。金髪でキモい喋り方する奴。覚えがあるだろ?お前はあいつのこと信用してたんだろうけど、あれは俺の仲間だ」



 その名前を聞いて、しばらく忘れていた一人の男性の顔が思い浮かんだ。


 確かに、私はその人を知っている。


 その人の名前は、たちばな 龍介りゅうすけ。彼は所謂、オネエの人だ。

 私が前に新宿で一人酔っ払いふらふらしていて、怖い顔の人たちに囲まれてしまったことがあった。

 その時に「こっちよ!」と手を引いてくれて、頭の回っていない私を、私の家まで届けてくれたのが彼だった。


 その日は終電もないしタクシーも捕まらないため空いていた部屋に龍介を泊まらせたのだが、諸事情で今ちょうど家がないというので、お礼を兼ねてもう何日か泊まらせてあげることになったのだ。


 私の知らない色んな世界の話をしてくれて、本当に楽しかった覚えがある。

 

 ある日突然、「ありがとね」という置き手紙を残して去ってしまったのだが。




「でもあの人、自分が殺人鬼だなんて一言も――!」


「バカか、自分で殺人鬼を名乗るのなんて俺くらいだよ」



 あの時はなんとかこの人にお礼をしたいという思いと、どんな人なんだろうという好奇心だけで泊まらせてしまったが、一歩間違っていたら私は殺されていたのか。



 自分がいかに危ないことをしてしまっていたのかを思い知り、背中がブルブルと震えた。


 そんな私をよそに、男はのんびりとした声を出す。


「その話を龍介から聞いてたから、俺も来たってわけだ。

 もう説明はいいだろ?腹が減ったからなんか食べ物くれ」

 

 私を助けてくれた龍介さんと、無理やり部屋に押し入ってきたお前とは全然違うぞ、と抗議の声が出そうになったが、相手が殺人鬼だということを思い出し、おとなしく言うことを聞くことにした。


 今は素直にこいつの言う通りにして、朝になったら警察に駆け込もう。





 私はたまたま買って置いてあったレトルトのカレーとご飯をチンして男に持ってきた。


「うわっ、レトルトかよ。まあお前料理しなさそうだもんなー」


 ブツブツと文句をいう男に殺意が芽生えつつも、ガツガツとカレーを食べる様子を見て本当にお腹が空いてたんだな、と驚く。



 そういえばこの男、殺人鬼と言う割には包丁などの刃物を持っているように見えない。

 もしかして服に隠しポケットでもあるのか……?とジロジロ見ていると、男が睨んできた。


「んだよお前、お前も腹減ってるなら作ればいいだろうが」


「ち、違います!あの、凶器的なものお持ちではないんだなと……」


 恐る恐る気になっていたことを尋ねると、男は大笑いし始めた。


「お前やっぱりバカだな!そんなもん普段から持ち歩いてたら銃刀法違反になるだろ!!」


 

 こんな頭の悪そうな男にバカにされたのが悔しくて、思わず反論する。


「だって、殺人鬼っていうからにはそういったものを持ってるのが普通じゃないですか!」


 男は、スプーンの柄の部分を振って、チッチッチッと呆れた顔をする。


「俺は仕事の時しか自分の道具を持ってこない主義なんだよ。ま、お前なんて刃物なんてなくても一捻りだがな」


 さらっと言われた言葉に、この男はやっぱりいつでも私を殺そうと思えば殺せるんだ、と身構える。


 気を抜いてしまったら、一瞬でやられてしまう。気をつけないと。


 ピリピリしている私の気持ちなど知りもせず、カレーを平らげた殺人鬼は気持ちよさそうに大きく伸びをした。


「食べてばっかで寝るのも体に悪りぃから、なんか話そーぜ」






 一体こんなやつとなんの話をすればいいんだと最初こそ絶望したが、この殺人鬼は意外にも聞き上手で、いつの間にか、友達にしか言えないような悩みをペラペラと喋ってしまっていた。



「……それで、私の親友のことが好きだからって、彼に婚約破棄されちゃって……」


「うっわ!まじでそいつねぇわ。そんな後先のこと考えないで行動する奴結婚しなくてよかっただろ!」


「やっぱりそうだよね!!でも本気で好きだったんだよなぁ……」


「いやお前、世の中にどんだけ人間がいると思ってんだよ。

 鍵に細工されてるのに気づかないような奴なんてほっといたら危なっかしくて、きっとお人好しで優しい奴が声かけてくれるだろうよ」


「それ褒めてないよね……でもありがとう……」


「もっと自信持っていこーぜ。お前は少なくとも俺より全然マシな人間なんだからよ」



 ……深夜4時に、何故私はこんな得体の知れない男と恋話をしているのだろう。


 こいつは殺人鬼で私の部屋に不法侵入してきた奴なんだから、気を許してはいけないと知りつつも、自分がかけてもらいたい言葉をポンポンくれる目の前の男に徐々に心を開きかけていた。


 先ほどまでこの男が怖くて怖くて仕方がなかったのに、今はもっと話を聞いてもらいたいし、もっとこの男のことを知りたいとまで思ってしまっている自分に腹が立つ。



「……あの、殺人鬼さんは今までどうやって生活してきたの?」


 自分のことを全然話さずに私の話ばかり聞く男にしびれを切らし、つい質問をしてしまった私に、殺人鬼さんはニヤニヤと応える。


「何、俺のことが気になってきたわけ?」


「いや、そうじゃなくて――いや、そういうことだけど――」


 焦ってワタワタする私を見て、「いいぜ、別に大した話はねーけど」と、殺人鬼さんはケラケラと笑った。



「……俺のこと知ろうとしてくれるのなんて、あんただけだぜ」


 声のトーンが一つ低くなり、不覚にも胸が疼く。



「今から3年前――」



 少し遠くを見ながら殺人鬼さんが話し始めた時だった。


 ピーンポーン、ピーンポーン……



 深夜4時、鳴るはずのないベルの音に思考が停止する。



「今から俺の貴重な昔話しようと思ったのによぉ、なんだ男か?」


「それはいないってさっき散々話したでしょ!」



 もしかして夜中に騒ぎすぎて、下の階の人が文句を言いに来たのだろうか。

 それともまた何か怪しい人がやってきたのだろうか。


 色んな可能性を考え足踏みをする私を見て、殺人鬼さんは、はっ、と笑った。


「悩んでたってしょーがねぇんだから、さっさと出ろよ。

 なんか悪い奴だったら俺が追い払ってやるから大丈夫だって」

 

 確かに。こっちには自称だけれど殺人鬼さんがついているのだ。

 

 ばくばくとうるさい心臓に手を置き、ホカホカした部屋から冷えた玄関に出て行った。


 ドアの穴から外を見ても誰もいない。


 すでに殺人鬼が部屋にいるのだから、もう何が飛び出してきても驚かない。

 ええい、ままよと勢いよくドアを開けると、見知った顔が私を迎えた。


「はぁい、元気にしてた?」


「龍介さん……!!」


 ギラギラの金髪に派手な格好、独特の香水の香り、そしてこの喋り方。

 紛れも無く、私が昔、部屋に数日間泊めた龍介さん本人だ。


 また会えたのは嬉しいけれど、なぜ、このタイミングなんだ。


「こんな真夜中に、一体どうしたんですか?」


 龍介さんはふふ、と微笑んだだけでそれには答えず、

金髪をくるくると指で巻きながら、カツカツと玄関に入ってきた。


 そして、リビングに向かって声を投げかける。

 

「あんた、いるんでしょう?」


 あんたとは、もしかしてあの殺人鬼さんのことか。

 そういえば、あの男、龍介さんの仲間って言ってたもんな。


 そして、その話が本当なのなら……


「龍介さん、あなた、殺人鬼……だったんですね」


 顔を強張らせ恐る恐る尋ねる私の頬を、龍介さんは思いっきりつねった。


「いたたたた……」


「アナタ、もしかしてアタシがアナタのこと殺すとでも思ってんのぉ?

アタシは確かに殺人鬼だけど、アナタの事絶対手にかけたりしないわよ。

泊めてもらった恩もあるしね♪」


 どうやらこの殺人鬼も、私のことを殺すつもりはないらしい。

 

「と、とりあえずここではなんですし、部屋へどうぞ」


 素性が知れない殺人鬼さんと二人きりでいるよりは、まだ龍介さんが加わってくれた方が安心かもしれない。

 二人とも知り合いみたいだし、きっと積もる話もあるだろう。


 


 龍介さんを部屋に連れてくると、殺人鬼さんは露骨に嫌な顔をした。


「お前……、なんでここに来たんだよ」


「なんでも何もないでしょう!あんたがいくら獲物に飢えてるからって、この子を手にかけたら許さないんだからね!」


「別にこんな普通の奴殺したって面白くもなんともねーよ!」


「なんですって!この子の侮辱は許さないわよ!」



 顔を合わせると同時に掴み合いの喧嘩を始めた殺人鬼二人を、私は必死で宥めた。


「あんまり騒ぐと隣とか下の人たちが様子を見に来ちゃいますから!落ち着いてください!」


 その後もお互いを罵倒し続ける二人をなんとか抑えこみ、三人でお茶を手に狭いテーブルを囲んだ。


 深夜4時。私の狭い部屋に、殺人鬼二人と私。

 一体どういう状況なんだよと疑問を抱きつつも、また喧嘩を始めてはまずいので、とりあえず私が話を進めることにした。


「それで、龍介さんは、私を心配して来てくださったんですか?」


 龍介さんは、ズズズ、とお茶を啜りながら、そのキラキラした目で私を見つめる。


「そうなのよ、最近こいつがアナタに興味津々って噂を小耳に挟んでてね。こいつの動向を伺ってたの。そしたら、今日急に足取りが掴めなくなって!アナタに何かあったらどうしようって、飛んできたのよ」


 龍介さんが訪ねてきたとき、もしかしたら龍介さんはこの殺人鬼さんと共犯で私を殺しに来たのではないか、という疑惑が一瞬頭を横切ったのだが、そんな心配は無用だった。


 ……やっぱり、前に話した時と変わらず、優しい人だ。


 龍介さんとフフフ、と微笑み合っていると、隣から不機嫌そうな声が聞こえてきた。

「だーかーら、俺は一般人を殺したりしねぇって。」


 私は、そうだった、ちゃんと弁解しなきゃと、龍介さんに向かって座りなおす。


「あのね、龍介さん。この人は急に来て、最初はちょっと怖かったけど、いや、今でも危ない人ではあるんだけど、泊まる部屋を探してるだけなんですって。だから、多分私に危害が及ぶことはないと思うんです」


 一生懸命隣の男をかばう私を見て、龍介さんは噴き出した。


「……っ、アナタは本当に優しいわね、そういうところ、本当に好きよ」


 その言葉に少し照れる私の横で、殺人鬼さんは、ウゲェ、と吐く真似をする。


「こいつ、誰にでもこういうこと言うんだぜ」


「うん、まぁそうなんだろうなとは思ったけど改めて言われるとちょっと傷つく……」


「ひど〜い、今はアナタだけよ!」


 龍介さんは口を尖らせて自身の風評被害の弁解をする。



 よし、先ほどと比べると、大分良い雰囲気になってきた。

 このまま談笑する方向に持ち込んでいこう。


 そう意気込んでいた矢先、龍介さんがふと、申し訳なさそうに私の顔を見た。


「突然押しかけてごめんなさいね。この人が来たのも、アタシがアナタのことを話したせいだしね。償いではないけど、アタシ達のこと少し話させてちょうだい」


 確かに、この性格も見た目も真反対な二人が、どうして同じ殺人鬼なんてやっているのか、すごく気になる。

 場を和ませるのも大事だけど、まずは事情を聞いてみたいかもしれない。


「はい、是非お聞きしたいです!」


 なんだか大変なことになってしまったけど、一体どんな話が聞けるのだろうとそわそわしている私に、龍介さんは優しく微笑みかける。



「アナタは本当に可愛いわね」


 またこの人はそんな甘いことを言って、と思わず頬が緩んだが、急に、龍介さんの目つきが鋭くなった。



「……でも、その前に」



 龍介さんはそう、低い声で呟いて急に立ち上がり、突然、殺人鬼さんに向かって突進していった。



 それは一瞬の出来事で、何が起こったのか、全く分からなかった。



 殺人鬼さんの胸部に突き刺さるナイフに、グレーのスウェットをじわじわと染めていく赤い液体。



 意味がわからない、というように目を見開く殺人鬼さん。



「……りゅ、すけ、お前……」



 その時私の目の前にいたのは、優しい龍介さんではなく、紛れもなく、”殺人鬼”だった。

 

 ナイフを突き刺しつつ悲しげに目を伏せる"殺人鬼"を目の当たりにして、情けないことに手がガクガクと震えてきた。


「り、龍介さん、あなた……、さ、殺人鬼さん!!」



 なんで。二人は仲間なんじゃないの。

 どうしてあの優しい龍介さんが。

 さっきまで私の話を真剣に聞いてくれた殺人鬼さんを。なんで。

 こんなに血が出てて、私は、どうしたら。



 "殺人鬼"への恐怖と殺人鬼さんの安否の心配で頭がごちゃごちゃになっている私に、"殺人鬼"は優しく声をかける。



「アタシとこいつは殺人鬼。アタシはアナタのことを襲わないって自分で分かってるけど、こいつがアナタのことを襲わないかなんて、アタシには分からない。アナタを狙う脅威はアタシが全部取っ払ってあげる。そう、たとえそれが仲間でもね」



 その"殺人鬼"の目は眩しいくらいキラキラと輝いていた。


 ……目的に向かって真っ直ぐ行動する人には、こんな目ができるのか。


 殺人現場を目の当たりにしたショックで意識が遠のいてきた私は、何をすることもできず、ぼんやりとそんなことを考えていた。


 息も絶え絶えの殺人鬼さんが「逃げ、ろ」と微かに漏らしたのを聞いたのを最後に、私は意識を失ってしまった。















……ジリリリリ、ジリリリリリ



 けたたましく鳴り響く目覚まし時計の音で、私は布団から飛び出した。


 カーテンの隙間から差し込む日差しの強さから、今は朝だと分かる。



 裸足で感じる床の冷たさが、寝起きでぼーっとする頭を急速に冷ましていく。


 ぼんやりした視界も徐々に戻り、物をしっかりと認識できるようにまでなった時、ふと、先ほどまで見ていた自分の部屋の様子と違うことに気づいた。



 3人分の湯呑みが置かれていたはずの小さいテーブルには、昨日ポストに入っていたピザ屋のチラシや町内会の冊子が散らばっている。


 そして、龍介さんと殺人鬼さんがいたはずの場所には、使って床に置いたままにしていたドライヤーやヘアアイロンが落ちていた。



「……今のは、夢……?」



 ついさっきまでこの部屋で繰り広げられていたはずの騒動を、静かに思い返す。



 知らない男が私の部屋に入ってきて、実はそいつは殺人鬼で、でも何故かこの部屋に一緒に住みたいと言ってきて。

 意外にも私のくだらない話を真剣に聞いてくれて実は良い奴なのかななんて思ったりして。

 そこに昔私の部屋に泊まっていたらしいオネエの龍介さんがやってきて。

 ……実は彼も殺人鬼で。

 殺人鬼さんが私のことを殺さないかなんて分からないからと、龍介さんが殺人鬼さんのことを刺して。

 その現場を見たショックで、私は気を失ってしまう。



 確かに、冷静に考えてみると、現実離れした話すぎてちょっぴり笑ってしまうほどだ。


 

 しかし、夢であって良かったという安堵の気持ちと同時に、じわじわと寂しさがこみ上げ、目頭が熱くなってきた。



 ……あれが夢だということは、殺人鬼さんがかけてくれたぶっきらぼうだけど優しい言葉も、龍介さんのあの怖いくらいキラキラした目も、スウェットに滲んでいくあの赤い血も、全部私の脳が作り出したただの空想だったというのか。



 あまりのやるせなさにうな垂れた私の目に、あるものが映った。


 "目の幽霊"が中に入ってこないように必死で窓を押さえつけ、殺人鬼にレトルトのカレーを作り、ドアを開け龍介さんを招き入れ、殺人鬼さんと龍介さんにお茶を渡した、小さな自分の手だ。


 私はその手を大事に自分の胸元にあて、ある決心をした。



 残念なことに、人は自分が見た夢のことなんてすぐに忘れてしまう。でも、この夢のことは、いつまでも覚えておきたい。


 そのために、今私ができることをやろう。




 私は、気づかぬうちに頬を伝っていた涙を拭き、いつの間にか床に転がっていたノートPCを開き、とある小説投稿サイトにアクセスした。




 それは、夢の中での一夜だけの出会いだった。


 けれども、もし、再び会えるかもしれないその時まで。

 あなた達のことを忘れないために、私はここに綴ろうと思う。




 彼らと接触したこの手で、カタカタと静かに文字を打っていく。



 

 小説のタイトルは、「私と殺人鬼たちの、一夜の夢」。




 ……これは夢の話。


 私が最初に殺人鬼さんと、"殺人鬼"に出会った、最初の、夢の話だ。



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