グサン・ヴィルの密議―勇者召喚の是非について―

和希羅ナオ

グサン・ヴィルの密議―勇者召喚の是非について―

 左肩には深々と宝剣が突き刺ささり、私は壁に縫い付けられていた。

 出血がかなり酷い。咥内に溜まった血を吐き出すと、どうにか笑ってみせることができた。


「何がおかしい?」


 彼は血走った瞳で睨んでいる。その様は今代の勇者のそれではなく、個人的な復讐リベンジに駆られた一人の男か。いや、それとも、悪に対して正義の名のもとに報復アベンジする者か。


「いや、これも因果応報なのだろうな、と思っただけだ」

「理解しているんだな」

「少しは、な」


 柄が足蹴にされて刃がさらに深く押し込まれ、激痛に身を捩る。吐き出しそうになる嗚咽をどうにか堪えながら、易々と壁に刺さる宝剣の切れ味と、それを可能にする勇者の力に心底感心していた。だが、彼はそこで動きを止めた。


「まだだ、まだ殺さない」

「こっちも、まだ死ぬわけにはいかんな」

「分かっているなら、残りの四人の居場所を教えろ」


 反旗を翻した勇者を恐れ、私以外は身を隠した。最初に狙われたのが私で本当に良かった。彼らを庇う気持ちは欠片もないが、最初に剣を向けられる相手は私であって欲しかったのだ。そこに理由はない。それが運命であり、必然であるべきだとずっと考えていた。


「居場所だけでいいのか?」

「それ以外に何がある?」

「もし、お前を召喚したときの記録があるとしたら?」


 彼がひゅうと息をのむのが分かった。

 出来損ない、と育ての親から罵られ生きてきた私が授かった唯一の能力ギフト。他の四人には気づかれないように、一年前の密議をすべて記録していたのだ。魔族を討ち果たした後、いつか、こういう刻が来るのではないか、そう運命じみたものを感じていたのだ。


「勇者よ、お前の運命を変えたすべてがここにある」


 まだ動く右腕を振り、球体の映像記録レポジトリを投射する。そこには、彼の運命を変えた五人の姿が映っていた。





*****





 窓すらない小さな部屋の中央に、木製の円卓が一つ。その周りには、三つの国と二つの同盟から集まった、合計五人の代表たちの姿があった。街の名はグサン・ヴィル。大陸の中央に位置する、人口三千名程度の小さな街である。


結界サークルはきちんと張ってあるのですね? 盗聴の疑いがあるのであれば何も話せませんよ」


 五人の中で人族としては最も高齢の男が口を開いた。齢六十。絹糸の白法衣で身を包み、銀細工で縁取られた帽子を被っている。彼の国の最高位は法王であり、完全なる単一宗教国家である。七人いる枢機卿の中で、彼は最も法王の寵愛を受けていたため、今回派遣されたのだ。


「カルロ枢機卿よ。失礼を承知で訊ねるが、我々を超える阻害魔法ヒンドランスを展開できるものが配下にいるのであれば、ぜひ教えてもらいたいが」


 笹耳の美丈夫が表情を変えずに答える。容姿だけ見れば五人の中で一番若そうではあるが、それはエルフであるが故であり、実際は百を超えている。名をフレデリィツィアといい、獣人やドワーフそして彼の属するエルフたちの国家で組まれた北方同盟の代表としてこの場にいた。


「そもそも、地上では百名を超える各国の精鋭が見張ってるんだ? 気にしすぎなんだよ、爺さんは」


 五人の中で紅一点、ルディア元首がすらりと伸びた足を組みなおす。商人上がりの彼女にとって儀礼や作法はさして重要ではない。辺境国家を束ねる同盟の代表にのし上がれたのも、男勝りの気性と無関係ではない。


「口を慎んで下さい。非公式の場とはいえ、相手は枢機卿ですので」


 ルテオス公爵が彼女を窘める。年は四十八。ルディア元首の次に若い。王国の中で最大勢力を持つ貴族である。国王がこの場にいないのは、病に臥せっているからだけではなく、国王という立場よりも彼のもつ権力のほうが遥かに巨大だからである。


「漏れようが漏れまいが、こちらにとってはどうでもいいことだ。さっさと本題に入ってくれ」


 一際、濃密な空気を身に纏った男は、帝国の代表としてたった五名の随伴騎士と供にやってきたジル将軍である。五十を超えてもなお、他の追随を許さない個人武力はその雰囲気に明確に表れている。


「分かりました、それでは本題に。今回集まってもらったのは勇者召喚の儀を行うかどうか、その是非について非公式に合意を得たいということです」


 一か月後の同日、大陸中の五十一の国家を集めた会議が開かれる。議題は当然のごとく、活動を活発化させた魔獣・魔族への対応について、である。その前段階として、彼らは非公式の会談を持つこととしたのだ。


「まずは魔族と境界を接する辺境国家の状況についてルディア元首から……」

「前置きはいい」

「あたしも将軍に同感だね。悠長なことをやってる暇はないんだよ」


 忠実な司会役としてふるまおうとするルテオス公爵を遮り、ジル将軍が野太い声を出した。ルディア元首が苛つきながら同意し、話を始める。


「今は雪のせいで奴らの歩兵や魔獣どもも山を越えられないし、山脈からの風で劣飛竜ワイバーン女面鳥獣ハルピュイアも無力化されてる。だけど、冬が終わって自然の砦がなくなれば、後は半年持つかどうかってところだね。寒さでは奴らは数を減らさない。ただ冬眠するだけで、疲弊するのはこっちだけって寸法さ。だから、さっさと勇者とやらを召喚して、奴らを大陸の端へ押し返してくれ」


 魔素の濃い土壌である大陸の東の端では、魔獣が自然発生し、突然変異として知性を伴ったものが魔族として生まれる。彼らは定期的に西へと勢力を伸ばし、辺境国家とぶつかっていた。彼らは同盟を組み、それに対処してきたが、数十年に一度、突発的に極大侵攻スタンピードが発生し、甚大な被害をもたらしてきたのだ。


「ご説明感謝します。つまり、現在のままでは一年後には辺境国家群は壊滅し、将軍のいる帝国へと到達、その後は、他のすべての国へと影響が及びます。我ら三か国と二つの同盟で意見を統一することはすなわち、大陸中のすべての国の総意に他なりません」


 ルテオス公爵の補足に、ルディア元首はうんうんと満足して頷く。


「分かっていると思うけど、あたしは『一刻も早く勇者を召喚してくれ』という同盟全体の総意を持ってここに来ているんだからね」

「そこなんだがね、将軍が帝国軍を率いて辺境国家と合同で対処すれば済む話ではないのかね? 法王様もそう考えておられるのだ」

「それはできん」

「大陸一の武力を持つといわれた将軍も、魔族の前には手が出ぬか」


 カルロ枢機卿の嘲笑の後、どん、と床を踏みしめる音が響いた。ジル将軍の指は固く握りしめられている。


「枢機卿よ、あまり将軍を虐めるものではない。彼は外に出たくても出られないのだ。齢十歳の幼き皇帝を狙う、獅子身中の虫どもで満ち溢れているからな。それ故、今回もお忍びのご旅行なのだ」


 無表情のまま、フレデリィツィア代表が窘める。そのまま、ルテオス公爵に目配せして発言権を奪い、言葉を続けた。


「こちらも端的に北方同盟の意見を述べさせてもらう。我らは勇者の召喚には消極的反対の立場をとる。仮に辺境国家群が一年で落ちたとしても、帝国が食い止めれば済むだけの話だからだ。それに、勇者召喚には莫大な量の魔石が必要となるが、生み出せるのは我らエルフやドワーフのみで、提供には民の抵抗がある。だが、辺境国家群が落ち、難民が押し寄せるのもまた好ましくはない。よって、まずは召喚せずに人族で対応できぬかどうかを検討すべきと考えている。それは一か月後の公式会議までに人族で知恵を出せばよい」


 ちっ、とあからさまな舌打ちが起こる。


「七十年前の先代勇者の召喚の際は賛成してたんだろ? あたしの感だけど、あまりに勇者の力が強大すぎて、人族の勢力が増すのは避けたいって?」


 ルディア元首の不躾な問いに、フレデリィツィア代表は内心苛ついたが、顔には出さなかった。


「戯言を。そもそも、魔獣どもは人族より亜人や我らエルフの肉を好む。脅威は我らとて十分に感じておるのだ」

「で、その過去最強と名高い将軍のご意見は?」


 彼女は言葉巧みなエルフの説得を早々に諦め、体に似つかわしくない小さな椅子に座る隣の男へと話を向ける。


「どちらかといえば賛成の立場だ。辺境国家群の同盟による防衛線が崩れても単純に魔族の侵略だけであれば、帝国の兵力でどうとでもなる。だが、難民を受け入れる余地がない。勇者が魔族どもを処理してくれるのであれば、それで構わん」

「将軍個人のご意見は? 勇者と剣を交えてみたい、とかさ。あたしは万の軍勢を単騎で退けたっていう力に興味があるけどね」

「私見は挟まぬ」

「けっ、可愛げのない」


 沈黙が訪れた。再び発言権は司会役のルテオス公爵へと戻る。


「枢機卿、法王は動かれぬのですか? "クルス・エル"の問題にも対処されておらぬようですが……」

「先代勇者召喚の際には、法王の枕元に神の使徒が現れたという。それがまだないのだ。神託がなければ我が国は、法王様は動かれぬ」


 顔を歪めるカルロ枢機卿に対し、ルディア元首が前のめりになった。


「神託とか胡散臭いもんだ。召喚の儀には膨大な魔石の他に、生贄千人――しかも、穢れのない子供のみって記録があるらしいね――を費やさなければならないらしいじゃないか。しかも、七十年前は一回では成功しなくて、三回繰り返したんだって? 下手すりゃ、内乱が起こっても仕方がないね」

「贄は他国からも徴収すればよいのだ。問題ではない」


 彼女は嘲りながら質問を繰り返す。


「移動の手間や時間を考えたら、大部分は国内で補うしかないのは分かってるんだろ?」

「だからそれは問題ではないと、何度言ったら分かるのだ。神託が……」


 相手を感情的にさせる。そうすることで思考力を奪い、主導権を握るのが彼女の手練手管の一つであった。


「だったら、あんたが法王になって神託があったことにすればいいじゃないか。あたしらが裏で手助けしてやるよ」

「何だと! 貴様、商人あがり風情が法王様に向かって……」


 どん、っとテーブルに拳が叩きつけられる。テーブルが無事に済んだのは、フレデリィツィア代表が事前に破壊阻止アンチブレイクを施していたからである。口論の末に殺傷に至らぬように、細かな魔法が部屋中に仕掛けられている。


「出自、立場の上下など関係なしに、大陸の命運――勇者召喚の是非を話し合うのがこの会談なのだろう。多少の言葉には目を瞑れ。が、ルディア、お前は限度を超えているぞ。玉座を取れ、と言われれば怒らぬほうがおかしいというもの」


 ジル将軍の静かなる刃に、ルディア元首は諦め顔で椅子に背を預けた。


「確かに。議会の合意なしには事を進められない彼女に責められる筋はありませんね」


 フレデリィツィア代表の呟きに、ルテオス公爵が口を開く。


「しかし、あなたも彼女と同じ立場ではないのですか? 今回、獣人族の方々が出席せずにあなたに代表を任せたのは、単に彼らの中に"クルス・エル"がいないからでは?」


 再び出された単語に反応し、他の四人は沈黙した。一つため息をつき、フレデリィツィア代表が静寂を破る。


「確かに、この大陸で先代勇者の血を取り込んでいないのは、獣人族だけだ。彼らはその血を取り込まなかったために短期的な利益は得なかったが、結果的に、今に至る長期的な問題から逃れることができた。おそらく、今回仮に召喚したとしても、また血は取り込まぬだろう。故に、興味がない、のだよ」


 七十年前に召喚された勇者は、その神のごとき力を用いて、魔族の軍勢を大陸の東の果てへと押しやった。魔獣や魔族はその土壌から自然発生するため、根絶することは不可能ではあったが、しばらくの間、その脅威を取り去ることには成功したのだ。だが、その後のことまでは、当時召喚した者たちは考えてはいなかった。


 フレデリィツィア代表は言葉を選びながら語り始める。


「伝聞とはいえ、この中で実際に先代勇者の末路を文献以外で知っているものは私だけだろう。齢二十に満たぬ青年は確かに魔獣を、魔族を打ち払った。しかし、その後は政治の道具になり果てた。その比類なき力や能力ギフトを血という形で取り込もうと、各国から女をあてがわれ――まあ、実質は種馬だな――となり、酒と女に狂って五年も経たずに自殺した。自ら超常の魔法を用いて、日に百人以上の女と交配したとも聞いている。だが、事はそううまくはいかなかった。第一世代の子供には稀に一つや二つの能力ギフトは継承され重宝されたものの、第二世代に至っては凡人と変わらぬ。それが、すでに第三世代まで生まれる始末。残ったのは百万を超える、この世のものではないの血を受け継ぐ者ども。生み出したのが我々の自業自得とはいえ、"クルス・エル"などと自称して組織化し、新たな国を建国しようなどと考えるとは、あの時は思いもよらなかった」


 カルロ枢機卿が彼の話をまとめにかかる。


「つまり、今回勇者を召喚すれば、錦の旗を得たといわんばかりに、彼らが決起して方々で国を興しかねない、と」

「しかし、それは彼らが差別されていると感じているからでしょう? それをなくせば何も問題ないのではないでしょうか?」


 ルテオス公爵の提案に、残る四人全員が声を上げて笑った。


「軍人ならともかく、貴族の代表たる貴公がそれを言うのか。帝国貴族でもそんなことを言うものはおらんぞ」

「というより、先代勇者の血を我先にと取り込んだのが王国貴族でしょうに……。先々代の勇者召喚が記録上では三百年以上前だったために、我らエルフは確認程度に数百人ほど交配させた程度。王国貴族では、長女以外の娘はすべて先代勇者に送られたと聞いていますよ」

「偏見をなくせというのは、法王様のお力をもってしても不可能な事柄だな」


 法王の決定は絶対ではないのか、とフレデリィツィア代表が苦笑する。ここでは秘密は漏れぬのだろう、とカルロ枢機卿が返す。

 二人のやり取りを尻目に、ルテオス公爵は話を続ける。


「一切の差別・偏見をやめよ、と合同で声明を出せばよいのでは? 一定の地位を認め、彼らの存在を認めるのです。組織などというものはいずれ瓦解するでしょう」

「そんなことをしても、目に見えていたものが、見えない場所へと移るだけなのが分からぬのか。いや、むしろ、種族主義が先鋭化して、対抗組織が生まれるかもしれぬ。仮に七十年毎に召喚の儀を行うのであれば、毎度同じことに対処しなくてはならなくなるのだぞ。そもそも、次は三十年後かもしれぬ」

「では、国を与えればよいのでは?」


 うぬぅ、とジル将軍の呻きが漏れた。ルディア元首は呆れ果て、鎖骨まで伸びた髪をかき上げた。再び、ジル将軍が口を開く。


「貴公は何の話をしているのだ? 七十年毎に新たに国を作るというのか? 勇者が女を求めれば、与えないわけにはいかぬ。我らにはそれを止める術がない上、それが戦へ出たものへの褒章であるなら、なおさらのこと。それによって血族が増えるのは致し方ないとしても、国を興されるのは困るのだ。それをどうするのか、今、話し合っておるのだろう」


 ジル将軍に凄まれ、ルテオス公爵は黙り込んだ。代わって、フレデリィツィア代表が話を続ける。


「先代勇者が自殺したことを知れば、今回召喚された勇者は我々へ敵意を持つかもしれない。少なくとも、信用はされないでしょう。その時、我らに対抗する手段はない。直接的に武力や能力ギフトを用いて戦争を仕掛けてくることはないにしても、"クルス・エル"の意図に沿うことは想像に難くない。つまり、国興しになります」


 ルテオス公爵以外の四人が刹那、思考を巡らせる。


「人族よりも血を重んじる我ら北方同盟諸国には、彼らの居場所はない、と断言できます」

「領地を分け与えるとか、そんな権限はないね。議会のお飾りのあたしには、ね」

「法王様もお認めにはならないだろう」

「そんなことを一度認めれば、我も、我も、と次が生まれる。皇帝陛下に顔向けできんな」


 堰を切ったように四人が否定の言葉を紡いだ。

 静観していたルテオス公爵が、それでは話が進まないのでは? と疑問を投げかけると、フレデリィツィア代表がルディア元首のほうに顔を向けた。


「辺境諸国の一つや二つ、受け皿にはちょうどいいのではないですか? 勇者召喚を一番望んでいるのはそちらなのですから。そもそも、血筋が一番関係ないのが辺境諸……」


 言い終わらないうちに、彼女は血相を変えて言葉を挟んだ。


「エルフは黙れ。"クルス・エル"で一番困っているのはエルフじゃないのかい? なまじ長寿な分、第一世代がまだ現役でぴんぴんしてるっていうじゃないか」


 反論を受けたフレデリィツィア代表は受け流し、ジル将軍へと話を向ける。


「では、皇帝陛下の成人の儀に合わせて、領地を分け与えるという手は? 理由付けとしては正当でしょう? そもそも、勇者の力をあてにして、軍人の多くの娘が交配したと聞いていますし、魔族討伐の恩賞としても使えるかと」

「交配などと下賤な言葉を使うな。彼らはすべて正式に婚姻しているし、もちろん帝国軍内にも多くいる。だからといって、許されるわけもない」

「では……」


 彼が次に矢を向けようとする前に、カルロ枢機卿は、法王はお認めにはならぬ、と断言した。





 会談を始めて、最も長い沈黙が訪れた。

 天井を見上げ呻く者、両手を組んで目を閉じる者、髪をいじり始める者、全員の顔を順に眺めていく者、それぞれが黙ったまま考え込んだ。


「一つ、妙案が」


 黙っていたルテオス公爵が口を開いた。


「土地ならあります」


 その場にいた何人かが唾を飲み込んだ。真っ先に彼の提案に食いついたのは、ルディア元首だった。


「まさか、王国にかい?」

「いえ、誰も住んでいない地が」


 そんな場所などあるまいて、とカルロ枢機卿が呟いた。


「魔獣や魔族を追い払えば、そこに土地ができます。人の住める土地が」


 ルテオス公爵以外の全員が顔を引き攣らせた。災害が起こると分かっていて、誰がそこに好き好んで住むのか。


「繰り返し魔獣や魔族が発生するぞ。生きていくのはかなり困難になるはずだ。いくら勇者がいようとも、たった一人ですべての土地を管理できるわけでもなかろうに」


 カルロ枢機卿の疑問は自然と口から出たものだった。そこに謀略の類はない。


「嫌なら、国を興すのは諦めればいいのです。多少迫害されようとも構わないのであれば、各国で受け入れればよい。だが、私は彼らがそこで妥協するとは思いませんね。"クルス・エル"はたとえそれが困難な土地であったとしても、自ら国を興す道を選ぶでしょう」


 ルテオス公爵の話は四人にとってひどく魅力的なものだった。勇者が魔族を追い払い、その平和な土地に彼の世界の血を引くものたちを住まわせる。理にかなっているのだ。"クルス・エル"にとっての聖地とさえなるかもしれない。


 いや、そういう話を作ってしまえばいいだけの話なのだ。数百年前は"クルス・エル"が住んでいた、そんな噂を流すだけで済む。国内の異分子を排除でき、将来的な独立運動・領土割譲の懸案も消える。勇者召喚はまさに一石二鳥の案となる。


 その後、五人は具体的な移住方策についての話に移ったのだった。


 密議は終了した。まずルディア元首が席を立ち、次に、ジル将軍が部屋を去った。カルロ枢機卿は足腰が弱かったため、呼んで入ってきた従者に連れられていった。

 残ったフレデリィツィア代表は部屋を出るとき、振り返り、ルテオス公爵に向かってゆっくりと訊ねた。


「召喚の是非に、貴公は最後まで意見を述べなかったな」


 ルテオス公爵は僅かに頬を引き攣らせたが、返事を返そうとはしなかった。


「あと一つ」

「何でしょう?」

「他の者には気づかれなかっただろうが、微かに、能力ギフトの波動を感じるぞ。年齢からいって、第二世代なのだろうな」


 そう言われて、彼はぎこちない笑みを浮かべた。


「仮にそうだとして、それが何か関係が? 例えば、この場には相応しくない、と?」


 フレデリィツィア代表は表情を変えず、そこまでは言っていない、とだけ呟くと、そのまま部屋を去っていった。

 残されたルテオス公爵は、一度天井を見上げると、息を一つ吐き、静かに席を立った。





*****





 記録を見てもなお、彼は微動だにしなかった。


「これが偽物フェイクでないという保証がどこにある?」

「勇者の下位互換でしかないこの能力ギフトの真贋は、上位互換のお前なら当然分かるのだろう?」


 彼は唇を噛み締めたまま、私の――公爵家の一室で立ち尽くしている。


「すまんな、お前は元の世界にはもう帰れんよ。抜いた刃は元には戻らんのだ」


 私は自嘲して言った。彼はすでに理解しているはずだが、どうしても自らの口から言わねばならなかった。


「私もな、この世界に居場所は見つからなかった。先代の勇者の血を引く者として、どうしても自己の精神的な故郷ルーツを持つことができなかった。そうだ、他の四人とは違うのだよ。国や民を思うわけでもない。名誉や金に溺れているわけでもない。ただ己が存在意義の確認のためだけに、お前という存在を無理やりこちらに呼び出したのだ。ただひたすらに、お前という存在を見たかったのだ」


 先代勇者との交配の末に生まれた子。それが私の父親だった。勇者から能力ギフトを授かる確率は千分の一、その確率に勝った父親は、世継ぎが生まれない公爵家において密かに嫡子として育てられることとなった。父親は息子である私にも、公爵家運営に役立つ能力ギフトが発現することを願っていた。だが、継承されたのは自らのいた場所を記録するという、執事にでもやらせれば済むだけの能力ギフト。父親の落胆は酷かったが、単に長男であるというだけで、私は家を継ぐことになったのだ。だからだろう、"クルス・エル"いうものたちに心惹かれたのは。


「それで、何か分かったのか?」

「何も。いや、ただ一つ、我々が生まれたときも、どこかの誰かが我々の運命をこうやって作り出したのだろうな、と、そう納得はできたかもしれないな」

「そうか」


 目の前の彼の名は何だったろうか、私は己に問うた。血が流れすぎたのか、それは思い出せそうにはなかった。それでも、先代の――祖先の名は分かる。"クルス・エル"とは『来栖の一族』という意味なのだから。


「四人の居場所など知らぬ。国ごと焼き払え。お前なら簡単だろう」


 彼にすべてを見せることができて、もやは悔いはなかった。


「そうか。なら、一つ、死地への贈り物だ」


 ぼやけてよく見えないが、そう言った彼の表情は暗く、淀んでいるように思えた。


「公爵、あんたは自分が独りだったと思っているようだが、ルディア元首の育ての親は第一世代の"クルス・エル"だった。カルロ枢機卿は"クルス・エル"の子供たちのための孤児院を密かに運営している。ジル将軍の一番弟子も、第二世代の"クルス・エル"だ。フレデリィツィア代表の娘婿も……これ以上は言わなくても分かるか」

「では、なぜ彼らは……」

「さあな。個々は好きでも、集団としては嫌いなのかもな。というよりは、個人で対処できる限界を思い知っている、といったところか。まあ、知ったことじゃないね」


 彼の言葉は諦めか、それとも、これから殺す者たちの真意を知りたくないということなのか。


「まあ、ともかく、お前らがどのような考えを持っていようが、勇者という兵器を実際に利用したんだ。その報いは受けてもらう」

「訳も分からず転移させられ、魔族と戦わされた、その復讐ではなかったのか?」

「違うね、お前らを殺せば、次に召喚を行おうとする者たちへの牽制になるだろう? 犠牲はもう必要ない。止めさせてもらう、この先のために」


 ふいに、全身から力が抜けた。


「過去ではなく、未来のため、か……」


 瞼が重い。零れ出た言葉は、自らの最後には相応しくない気がした。

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