和解 (ii) ――― g ° f

 突如、けたたましい音が鳴り響いた。

 全員がびくりと肩をすくめる。鳴っているのは力の端末だ。手もとの着信画面には「三郎丸さん」の文字。

 皆の視線が集まるなか、とまどいながら力は電話に出る。「もしもし?」


「午角くん? 私、三郎丸」


「ああ」名乗らなくても画面でわかる。なんの用だろう、とリーダー(彼だけでなく、おそらくは多くの生徒にとってもはや環は「元」とつけて差し支えない過去の人だろう)に応答する。


「まずは、和解をしましょう」


 ――うん?

 脳内に浮んだ特大のクエスチョンマークのせいで、力は次の返事が出てこなかった。

 まずもって、なんのことを指しているのかまったくつかめない。

 先ほど環がみずから獲得したばかりのイメージから連想したのは、街なかで見かける「神と和解せよ」的なあれだった。


 日曜日に家でごろごろしているとき(スポーツマンタイプの力も年がら年中、表を走りまわっているわけではない。特に予定がなく、なにもせず家にいることだって当然ある)にチャイムが嗚り、玄関の戸をあけると、よそゆきの小ぎれいな身なりをした、妙齢(意訳:老齢)のご婦人ふたりがにこやかに、なんとかの塔と書かれた薄っぺらい紙を差し出し「こんにちは。私たちは今日、聖書の勉強会について皆さんにお伝」まで言ったところで「あ、うち、浄土宗なんで間にあってます」とぴしゃりとドアを閉じるときの「間にあってます」の勢いで思わずお断りしかけたが、いくらなんでもこのタイミングで布教活動は開始しないだろう、との常識的判断が彼にブレーキをかけた(わらにも紙にも神にもすがりたい気持ちはあるが、まさかそこにつけ込み教えを説きはじめるわけでもあるまい)。

 とりあえずは話を聞いてみよう。神様のかの字が出てからでも切断ボタンを押すのは遅くない。


「私はさっき、不覚にも少し想像の翼を広げすぎ、あちらの世界をさまよってしまった」


 力の指が赤地の「切断」と書かれたボタンに伸びた。


「待って! なにか今、通話を切ろうとしてないっ?」


 矯正視力、そんなにいいのかな、三郎丸さん。

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