逃走 (ii) ――― r ∪ n

 今にも一八に追いすがり牙にかけようとする灰色の塊に向かって、力が疾走する。

 50m――20m――10m

 校内随一の脚力でまたたく間に距離を詰め――


「うおおあっ!」


 ザッ。

 グレーの臀部に一刀を浴びせる。ブモウッ、とミナスが低くひと鳴きした。

 足を止め、尻を斬りつけた男子生徒をにらみつける。肉食動物をも震えあがらせる草食動物の眼光が、力の背筋をぞくりと冷やした。

 呑まれたら終わりだ。力は「選手交代だっ」と駆けだす。

 追いまわしていた牛が、力に率いられるように離れていき、一八は、助かった、と膝に手をついた。


 絶え絶えの息を整える間に、環が力と話していた。あれだけ走ってよくまだしゃべれるな、と一八はあきれ顔で感心する。


「――そうね、いい案だと思う。それでいきましょ。宮丘くん、作戦変更」環が一八に呼びかけた。「剣は宮丘くんと午角くんで交代しながら強化する。一方がモンスターを引きつけつつ剣を伸ばし、一方は体力を回復。様子をみながらバトンタッチを繰り返すの」


 なるほど、効率的な方法だ。しかし、力は連続で走っているが大丈夫なのか。HPに表れていたようにダメージも受けている。


「私も不安だったけど、午角くんは『ハイハイよりも先に走るのを覚えたくらいだ』って自信たっぷり」


 話、盛りすぎだろ。遠方で、色はネズミ、サイズは象と形容しうる牛と、追って追われてを繰り広げるクラスメイトに苦笑する。


 環は、交代のタイミングが最も危険なのでじゅうぶん気をつけるようにと念押しした。安全性を高めるため、また、ダメージを少しでも与えるためにも、できれば疾走如意剣けんを使ったほうがいいと思う、と。

 ただ、斬れば剣の長さを消費する。その成長の遅さから、交代を繰り返さざるをえず、結果、戦闘が長引く。そのぶん危険が高まることになり、痛しかゆしだ。

 判断は任せるので、状況を見て決めてほしい、と環は言った。


 一八は交代時に剣を用いるつもりはなかった。環の案ずるようなリスクよりももっと単純な理由が主だ。

 

 ゲームをプレイする際、彼はけちけちするタイプだ。使わずに済むものは極力出し惜しみする。疾走如意剣ランニングソードのように低い成長率のものをむやみに消耗するつもりは毛頭なかった。ダメージなら腹でも蹴りつけてやればいい。


 問題はあいつだ。空気を読まず、せっかく育てた剣を勝手に使ったりしないだろうか。さっきもモンスターを斬ったばかりだ。もしも使いやがったら、その回数ぶん、ケツに蹴りを入れよう。

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