─間章2─ 初任務①

 先輩である女性隊員に手を引かれて、わずか数分後。伸は、目的地である灯台を目の前に拝むことができた。

『すごいね、あっという間だ』

 胸ポケットから鼻先を出したトカゲが感心したように呟く。この声はもちろん先輩隊員には聞こえないので、のぼるもお礼を述べた。

「ありがとうございます。すごいですね、あっという間に着いちゃいました」

『道、ぜんぶ覚えてるの?』

 トカゲの疑問は、伸が代弁する。

「全部じゃないよ。でも、よく行く場所とかはさすがに覚えちゃうかな。毎日通ってるし……」

 先輩は、少し困ったような表情を作って間を置いた。

「え、あ、そっか。今日初めてなんだもんね。そりゃ迷子にもなるわけだ」

 伸はまだ、今日が転属初日だとは伝えていない。しかし先輩は、今その事実を知ったかのような反応を見せる。

 疑問に思いはしたが、口には出さなかった。北部派遣隊に所属する隊員なら、伸のように、本人以外に聞こえない声の持ち主がそばにいてもおかしくはない。だが近くを見渡しても、伸と彼女以外に人影は見当たらなかった。

「きみ、私とおんなじ班だって。初任務よろしくね! 藤城ふじしろ伸くん」

「え……?」

 フルネームを言い当てられてさすがに困惑を隠せない伸に対し、先輩は握手を求める手を差し出した。勢いに圧された伸は彼女と握手を交わす。すると、先輩は伸の手を握ったまま歩き出した。

「あの……東雲しののめ先輩、どこへ……」

愛理あいりでいいよ。しののめって、言いにくいでしょ。これから班長たちと合流するから、ついてきて」

「あ、はい」

 二人は灯台の内部へと進む。

 伸は、東部派遣隊の拠点である廃寺を思い浮かべていた。荒れ放題の外観の割に意外と使い勝手のよい内部、夕方近くになると隊員たちが集まってくる掲示板──外観こそ違えど、中の造りは似たようなものだと思っていたのだが。

 灯台の建物の中には、何もなかった。

 伸が目にした範囲には、椅子一つない。もっとよく見れば紙切れの一枚くらい落ちていたかもしれないが、内部を見渡す前に、愛理は伸の手を引いて地下への階段を降り始めた。

「あの、愛理先輩、僕らはどこへ……」

 長い階段を下りながら、不安に駆られた伸の足取りが重くなる。

 おそらく、この階段の先は都の外へ通じている。都の外へ行くのは初めてではない。伸は東部派遣隊にいた時も、任務で何度も外へ出ていた。だが、行き先が北部地方とあってはわけが違う。

「班長たちのところだよ」

 愛理は伸の手を離さない。離せば、この新入隊員が立ち止まってしまうとでも思っているのだろうか。

 伸は、愛理の手のぬくもりを全身へ巡らせようと、無駄な試みをするので精いっぱいだった。



 その後、どれくらい地下を歩いたかはわからない。だが、気が付いた時には、伸はすでに地上を歩いていた。相変わらず愛理に手を引かれながら、真っ暗な地上を。

『真っ暗だね』

 伸の意識を呼び戻したのは、トカゲの声だった。小生意気なのは変わらないが、その声は幾分か緊張感を含んでいた。

「……真っ暗ですね」

 目が慣れてきたのか、前を歩く愛理の後ろ姿は辛うじて確認できる。

「いつもこんなんだよ」

 前方から愛理の声が聞こえてくると、伸は少しだけ気が楽になった。いつの間にか、この手を引くのが愛理ではない、別の何かだったら……そんな恐ろしい考えが脳を掠めていたのだ。

 それにしても、足元もろくに見えない暗闇の中、愛理は迷いなく歩き続けている。まるで、愛理自身を誰かが導いているかのように。

 そして、愛理は唐突に歩みを止めた。

「ついたよー」

「え」

 ついた、と言われても。

 都から離れたせいか、白樹はくじゅのない北部地方、この辺りはどこを向いても暗闇しかない。一体どこに着いたのか、伸がそれを訊ねようとした時、愛理以外の声が聞こえてきた。

「待たせたな、愛理君」

「おっ、それが例の新人くん?」

 二人分の、男性の声。だが姿は確認できない。

「班長! こちら、今日配属された藤城くんです。伸くん、こちら、我らが石桁いしけた班班長と、班員の中山くん」

 未だに手を離してくれない愛理に色々と紹介されるが、誰がこちらで何がどちらだかわからない。とりあえず声のする方に顔を向けて会釈する。というか、向こうはこちらが見えているのだろうか。


『暗闇にはじき慣れる。それまでは相棒に目を貸してもらうといい』


「……えっ?」

 突如、今色々と紹介された人たち以外の声が聞こえてきた。もちろん、トカゲの声でもない。ないのだが……トカゲが話しかけてくる時のような、脳内に直接響く声だったので、伸は驚いて声を上げた。

「ん?」

「何だ」

「どうした?」

 どうやらあの声は、トカゲの声同様、愛理や班長たちには届いていないらしい。

「いや……今、声が……」

 初めて北部地方に来て、早速気でもふれたと思われるだろうか。伸は背中に嫌な汗が滲むのを感じた。ところが予想に反して、愛理たちの反応はあっさりしたものだった。

「ああ、大丈夫大丈夫。あたしたちにも聞こえるよ。内容は違うと思うけど」

「慣れないと最初はビビるよな」

「ふん。脳みそを乗っ取られているようで気分は悪いがな」

 やはり、本人以外に聞こえない声の持ち主が、他にもいるようだ。伸は、自分にそう納得させた。

「シロちゃんが来たなら安心だね!」

 長いこと伸の手を握っていた愛理だったが、そう言うとついに手を離した。伸は急に暗闇に一人取り残された気分になり、不安に襲われる。するとまたあの声が聞こえた。


『これは北部派遣隊が使っている連絡手段だ。指示等は今後この形で伝える。まずは目を開け』


 目を開け……? そういえば、さっき相棒に目をどうとかこうとか……

 声の正体についてはわかったが、肝心なところがわからない。通信が一方通行ではないことを祈って、伸は疑問を口にしようとした。すると、その疑問を解決してくれたのは、聞き慣れたあの声だった。

『伸、ちょっと目を閉じて。初めてだけど、やってみるね』

 トカゲの言う通り、目を閉じる。そして次に目を開けた時、伸の目に驚きの光景が飛び込んできた。

「おっ……」

 目の前に、岩肌の露出した山肌。行く手の左右には人の背丈ほどの木々が生い茂っている。そして隣には愛理が、斜め向かいには背の高い男性が二人、並んで立っていた。

 風景に色はない。白黒写真のようだが、物の形ははっきりとわかる。何も見えない真っ暗闇よりは何倍もマシだった。

『どう? 見える?』

(……うん。でも、何をどうやったの?)

 トカゲの声に、伸も心の中で答える。

『さっき教えてもらったんだ。やり方は……伸に言ってもわからないよ。見えるならそれでいいでしょ』

 伸の預かり知らぬところで、トカゲもあの声と会話していたのだろうか。本当はもう少し聞きたいところだったが、石桁班長が神妙な面持ちで喋り始めたので、内なる会話は中断される。

「では、本日の任務についてだが―――」

 自分の身に起こった劇的な変化に一生懸命順応しようとしていた伸の前で、事は意外にあっさりと進む。しかしながら今度は見えているので、先程のような不安はなかった。



 北部派遣隊員としての伸の初任務は、最近発見されたという、この先にある洞窟の探索だった。

 洞窟内の地形を把握し、簡単な地図を作成。その後一端拠点へ帰り、内部の状況によって班を編成し直して再探索。

 単純といえば単純だが、初回というところが恐ろしい。もし洞窟内で危険な鬼に遭遇すれば、隠れ場所や逃げ道の限られた洞窟内で、生きのびるのは難しいだろう。ましてや、ここは北部。鬼が潜んでいると仮定して探索すべきだ。

 今回は鬼の討伐が目的ではない。それを思うと少し気が楽になったが、伸の背中を流れる嫌な汗は止まらなかった。

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