─間章1─ 辞令①

 人手が足りない。

 そんな理由で異動させられた僕は戸惑っていた。

 鬼導部隊北部派遣隊――白樹はくじゅの恩恵も無く、最も鬼の脅威にさらされる過酷な土地を活動拠点とする、対鬼戦闘の玄人が集まる部隊。その隊に、僕なんかが行っていいのだろうか。




『元気だしなよ、のぼる

 胸ポケットから顔を覗かせたのは、手のひらサイズの小さなトカゲ。

「……お前のせいだぞ」

『え、なにが?』

 その声が伸以外に聞こえることはない。頭の中に直接響いてくる小生意気な声を振り払うように、伸は大きなため息をついた。

 ――鬼導部隊員は、鬼をもって鬼と相対する。

 その事実を知ったのは、鬼導の学校に入ってからだった。そして、いつも一緒にいるトカゲが鬼だと知ったのもその時だ。


 道具であれ生き物であれ、けがれが許容の限度を超えれば鬼になってしまう。しかし、元々感情や意思を持たぬ道具の類が穢れてしまうのには外的要因が大きく、自らの穢れによって暴走する危険は少ない。鬼導部隊員は、そういった道具を武器として扱っていた。

 いつから鬼を扱うようになったかは、学校では習わなかった。が、大方見当はつく。鬼との戦闘において、通常の武器を使えば、穢れの最前線にさらされた武器はいずれ鬼になってしまうだろう。初めから鬼を使えば、戦闘中に新たな鬼が生まれる事態を避けることができる。

 一方で、内的要因により鬼になってしまう可能性があるのが、意思を持つ人間や動物、妖精たちだ。自らが生んだ穢れが原動力となり、狂暴化する危険が高まる。こうした鬼の多くは、鬼導部隊と敵対する運命にあった。

 では、自らの意思とは関係なく鬼になってしまった生き物はどうだろう。

 限定された環境でしか生きることのできない妖精や、弱い立場の動物は、いとも簡単に穢れに飲まれてしまう。

 鬼は穢れを取り込まなければ生きていけない。生きるために必要な最低限の穢れを収集するために、彼らは、最も穢れやすい生き物――人間の近くで隠れるように生きていた。


 伸が物心ついた時から一緒にいるこのトカゲも、そうした環境で生きていた鬼、ということらしい。確かに普通のトカゲに比べると目玉が大きい気もするし、急に火を噴いたりもするが、別段とりたてて言うほど鬼っぽいところはない。

「君は本当に鬼なの?」

 幾度となく繰り返される質問に、トカゲもまた、その都度小生意気な声を伸の頭に響かせる。

『鬼だよ。伸がそんなふうに能天気な性格でいられるのが、その証拠さ』

 能天気で悪かったな。

『だって、喋るトカゲなんていないでしょ? あともう一つ言わせてもらえば、ぼくはトカゲじゃなくてヤモリだから』

 言葉は実際口に出さなくても、トカゲとコミュニケーションは取れる。

『だからトカゲじゃないってば』

「はいはい」

 傍から見ればひとりごとの多いただのアブナイ人間だ。しかし伸の中に羞恥心や疑念、不安といったような負の感情はあまり生まれなかった。おそらく、片っ端からこのトカゲが「喰らって」いるのだろう。

「ねえ」

『何?』

「穢れを食べ過ぎて、お腹がいっぱいになってしまったら、君はどうなるの?」

 暇を持て余した伸は、トカゲと会話を続けることにした。当然の疑問に対し、トカゲは少し沈黙した後に答える。

『お腹がいっぱい……っていう言い方はちょっと違うけど、ぼくが満腹になることはないと思うよ』

「どうして?」

『伸が能天気だから』

「……」

 生物型の鬼を扱う人間が全員能天気なわけではないとは思うが、確かに能天気でもないとやっていけない。勝手に話し掛けてくるし、一方的に心を読まれることもある。それにこいつが鬼だとしても、トカゲはあくまでトカゲであって武器ではない。代わりに戦ってくれるのであれば、それはそれでありがたいが、自分は丸腰になる。ついでに言うなら、このトカゲは戦闘向きではない。

 鬼導部隊の中でも生物鬼を扱う隊員は数少ないが、ほとんどが自分の身を守るために常時武装していた。だが扱いにくいことこの上ないにもかかわらず、北部派遣隊ではこうした生物鬼使いが重宝されている。理由は下っ端にはわからない。

 とにかく、伸はこのトカゲを持っているという理由で、北鬼に異動させられた。伸だけではなく、他にも何人か他隊から引き抜かれているらしい。

『ところで能天気な伸。出口はみつかったのかい?』

 トカゲは顔面の大半を占める大きな目玉をべろりと舐め、小首をかしげて見せる。

「……全然。っていうか、君も手伝ってよ」

『ぼく、こう見えても忙しいんだ』

 ぺろっと舌を出し、トカゲは一瞬にしてポケットの中に引っ込んでしまった。

 なんだよ、こういう肝心な時に限って使えないんだからこのトカゲは。

『トカゲじゃないってば』

 わざとらしくポケットの中でキーキー鳴き声をあげるトカゲ。

『わざと言ってるよね、それ?』

 伸はトカゲの声を無視し、歩みを進める。

 異動初日から、こんなところで迷子になっているわけにはいかないのだ。

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