第3話 夢想、迷走①
耳障りな音がする。
カシャン……カシャン……間をおいて何度も、何度も。
気分が悪い。
音のせいだけではないかもしれないが、どうにも気持ちが悪い。
こめかみの下あたりから苦い味のする液体が頬の内側に滲み出て、吐き気にも似た感覚があごの下を撫ぜた。
カシャン
ああ、五月蝿い。
音の出どころを突き止めて捻りつぶしてやりたい。
カシャン
五月蝿い、もう限界だ。
カシャン
……
……
…………
音がしなくなった。
―――ッバシャァァァ…………
ああ。
今度は何の音だ。
いつの間にか離れには寝床が敷かれており、おそらく芳哉が取り計らったのだろうが、枕元には簡単な食事までもが用意されていた。
昨夜のことを思い出し、少々後ろめたい気分になった耀宗は、そっと庭へ降りた(散策用のサンダルが置かれていたのは幸いだった)。
昨日散々なことを思った庭の装飾たちは、昼間はまた違う顔を見せている。
都には有名な庭師の一族があるが、鷹司家は代々その一族とは違う庭師を雇っていた。基本は枯山水という様式らしいが、「水が枯れる」という割に、砂地のど真ん中に大きな池がある。庭を飾るのは枝葉の少ない種類の
耀宗は庭の造りにケチをつけられるほど詳しくはないが、やはり池は蛇足なのでは……と思うのだった。
なるべく目立たないように庭をぐるりと回り込み、耀宗は通用口へと向かう。使用人とすれ違うことは覚悟していたが、ありがたいことに誰とも会わなかった。
もちろん今回も、行く当てなどない。
なるべく人に会わないように、病院や大通りに向かう道を避けて外地区へ向かう小道を進んでいると、意外な人物に出くわした。
「あり?」
片方の眉を持ち上げて、眠そうにだらだらとこちらに歩いてくる人物。こんな日中に会うのは珍しい。
「
耀宗は普通にあいさつをしようとしたが、一瞬待って気まずそうに目をそらす。
「……何か、あったんですか?」
言ってしまってから後悔した。耀宗も、いつもなら学校に行っているはずの時間帯にふらふらしていることが珍しくて「お前こそ何かあったの?」と訊かれると思った。が、その言葉が千住の口から出てくることはなく、耀宗は面倒を避けることができて少しほっとした。
「ああ……実はちょっと、事件があってな―――」
話によると、昨夜遅くに西地区の公園で
「……で、その隊員っていうのが東鬼の隊員だったんだけど、死に方にちょっと問題があって匣舟さんに呼び出されたんだよ。だからたたき起こされてこの通り、ご機嫌がナナメ」
説明をしたのは千住ではなく、文字通り地面からナナメに生える千住の体を脇で支えている青年だった。
「なんで
千住の姿勢にはあえてツッコまずに青年――薫に問いかける。
「あ。お前今、
ナナメになっているだけでなく、腕をぶらんぶらんし始めた千住を軽くあしらいながら薫は言った。
「あいつは今、西に行ってるよ。情報収集と捜査協力にさ。俺らは東で匣舟さんやら貴族さんやらのお相手。まあ、適材適所に人選振り分けられた感じだな。さすがは
適材適所、か。
薫は代々医者の家系、
鬼導部隊の隊員でありながら、医学生としての肩書き、そして貴族という身分を持っているため、気難しくて頑固な匣舟のお偉いさん連中も、粗末な扱いはできないのだろう。
まあ薫も、貴族ながら鬼導部隊に所属する、世間一般的な貴族社会から逸脱した存在なので、悪評ばかりが先立ち、あまり良い噂は流れない。だが耀宗は匣舟ベルトコンベアーを無視して我が道を進む薫に、ほんのちょっと憧れを抱いていた。
「こんな時間から……大変ですね」
なんだかデジャヴを感じずにはいられないセリフだった。
「俺はほら、寝不足には慣れてるから」
千住が皮肉の一つでも返すかと思ったが、爽やかに答える薫に体重を預けたままぼそぼそと呟くようにしゃべり始める。
「何が問題って……曲がりなりにも死んだのが鬼導部隊の……ウチの隊員だったわけですし……天寿を全うして勝手に死んだのならともかく……ただの殺人事件だったとしても匣舟オンリーのお仕事でともかく……ともかく穢れとか鬼とか絡んでるっぽいし廉次が気になるとか言うからほんと面倒くさいしたたき起こされて絶賛不機嫌ですよともかく…………」
千住の言う面倒くさいの意味は、なんとなく判る気がする。鬼導部隊と匣舟は相性が悪い。
そもそも鬼導部隊は〈匣舟〉という巨大組織が気に入らなくてわざわざ民間で作られた組織なので、二つの組織がお互いに協力し合うなんて、
「昼間だからってあんまりふらふらするなよ」
薫はそう言って、いい加減ちゃんと歩けと千住を促して去っていった。
なるほど、離れで叩き起こされる事もなく、この時間に出歩いていてもなんら不思議がられなかったのはそういうことか。おそらく、よく言えば事態を重く見た、悪く言えばビビった〈匣舟〉は学校を休校にし、生徒に自宅待機を命じたのだ。
文華も政迪も、姿が見当たらなかった他の使用人たちと共に、広い屋敷のどこかで自宅学習でもしているのだろうか。
自宅待機であったとしても屋敷に戻るつもりは毛頭なかったので、耀宗はそのまま外地区方面に足を向け、事件があったという西地区の公園へ向かって歩き出した。
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