第1話 様相、揺動②
東地区【
荒れ放題の外観とは裏腹に、内部は清潔に保たれている。しかし仏像や彫像の類は一切なく、内装からはここが寺であるという特徴が見られない。あるいは寺の造りに詳しい者なら、太い柱や間取りやなどから普通の家とは違うということがわかるかもしれない。
外観を手入れするつもりがないのは、ここへあまり人を寄せ付けたくないからだった。ここへ集う者たちは、都にとって厄介な存在を相手にする専門集団で、特に身分の高い貴族たちが住まう東地区では疎まれる傾向にある。面倒ごとを避けるためにも、荒れた外観は最大限の装いでもあるのだ。他の地区にある拠点も、それぞれ地域の特徴に合わせて偽装が施されている。
わざわざ拠点のための建物を用意できない、という事情もあるのだが。
廃寺の内部、本来なら観音様でも納めていた脇間だろうか。一段高くなったちょうど座りやすそうなところに、細身の男がだらしなく座り込んでいた。
「で、昨日の被害者、ウチの隊員だって?」
男は手元の書類を弄びながら、目の前に立つ若い女性に問う。
「はい。名は
少女のようにも見える女性は、機械のように淡々と答えた。
「東部の隊員が、なーんで西の公園で死ぬのよ」
「不明です」
明確な答えを期待しているわけではないようだが、二人の短い問答は続く。
「犯人誰よ?」
「不明です」
「いつ死んだの?」
「深夜二時過ぎだそうです」
「見た人いる?」
「調査中です」
「捜査進んでる?」
「不明です」
「今何時?」
「午前十時十三分です」
「……眠くない?」
「はい」
「帰りたいね」
「そうですか」
「
「そうですね」
「オレもかわいそうだよね」
「そうですか」
「帰っていい?」
「不明です」
「
「はい」
「今日ちょっと厳しくない?」
「そうですか」
関係のない話も混ざっている気がするが、これもいつものことなのか、周りの男女は二人の会話を気にも留めず忙しく動いていた。次第に、そうした人々も次第に少なくなっていく。
「美涼ちゃん」
「はい、
「帰ろっか」
「よろしいのですか」
「よろしいのです」
千住は脇間を降り、書類の束を美涼に押し付ける。ひとつ伸びをしながら寺の内部を見渡すと、もう二人の他に誰もいなかった。
寺正面の大玄関には板が打ち付けられており、人の出入りはできない。二人は少し廊下を歩いた先にある小さな引き戸を開けて外へ出た。
「おいおいおい、帰るのかよ」
戸のすぐ横に、たばこをくわえた男が立っていた。
伸び放題の髪をそのまま放題に泳がせている千住とは対照的に、きっちりと前から後ろへなでつけた黒髪が目を引く、清潔感溢れる男である。
「帰るよ。だいたい、殺人事件の捜査は
たばこの煙をよけながら、千住は足を止めずに男の横を通り過ぎた。男は千住の背中に向かって少しだけ声を張る。
「お前さあ。長年勤めた隊員に対してそれだけかよ?」
「はあ? 任務もおろそかに毎晩歓楽街で夜遊び、金も女も尽きて公園で濁った水を飲みまくり、挙句の果てにポイ捨てまでしてよくわかんない死に方したやつに何を想えって?」
「よく読んでるじゃないか」
黒髪オールバックの男は、千住の返しに満足した様子で呟く。たばこの火を足で消すと、マントを翻しながら大股で千住を追い越した。
「千住。俺の勘だが、この事件ヤバいにおいがする」
「
再び横を通り過ぎていく千住を今度は目で追いながら、廉次と呼ばれた男はたばこの吸い殻を拾いに戻る。振り返ると千住はもう門を超えて見えなくなっていたが、機械のような動作でこちらにお辞儀をする美涼が見えたので、また少し声を張り上げて言った。
「夜までに調べまとめとくからなー。おやすみー」
時刻は昼に迫ろうとしていた。この辺りには住宅も少なく繁華街もないので、都が一番明るい時間帯を迎えようとしていても、喧騒とは隔離された静かな時が過ぎてゆく。
今この瞬間にも、恐ろしい鬼が都の時流を脅かしていることなど、まるで嘘のようであった。
都には、空がない。
あったとしても、都全体を覆う天蓋は遥か頭上の彼方にあり、様子を窺い知ることはできなかった。その天蓋に届くか否か、上層が闇に吸い込まれるように建つ城を中心に、ほぼ円形に広がる都市。城を大樹に見立て、人々はこの都市を【
東西南北の地域にはそれぞれ特色があった。東は貴族たちの住まう豪邸が立ち並ぶ、高級住宅街。西には一般家庭から貧困家庭まで多くの住民が暮らし、南地区との境には大きな公園がある。南には商業施設が立ち並びとりわけ活気に満ちていたが、反対に北はほとんど民家がなく非常に閑散としていた。
北地区が閑散としているのには理由がある。〈
白樹とは、都の昼夜を決定している植物の総称で、幾種かに分類されている。大きなものは樹齢数百年に及ぶかとも思われる大木から、小さなものは他の木々に寄生するツタ類、空き地に群生する雑草の類まで、実に様々だ。白樹と呼ばれる所以は、それらが幹から枝の先、葉から果実まで一様に白い光を発しているところにある。光は昼に一番明るく、夜は暗い。もしかすると先人は昼夜を決める際に、光を発している時間帯を昼、暗くなる時間帯を夜としたのかもしれない。朝晩の区切りは存在するものの、光の加減から朝方か夕方かを判断するのは難しかった。
皇樹と呼ばれる城もひときわ輝きを放っていたが、それはこの白樹の蔓がしっかりと壁面に根を這わせているからにほかならない。どういうわけか、都の中心、城に向かうほどに白樹はその輝きを増している。外側に向かうほど、光よりも闇の方が勝っていった。
さらに重要なことに、白樹の放つ白い光には鬼を遠ざける性質があった。
負の集合体のような存在である鬼は人々が生む穢れに群がり、都の平和を脅かす。しかし白樹の光がある限り安寧は保たれ、鬼は自分たちの領分での活動を余儀なくされるであろう。白樹が極端に少ない北地区は、鬼対策として外周を高い壁と深い水堀で囲われていた。
白樹は都の人々にとって欠かせない存在であり、平和の象徴として神聖視する者も少なくない。
間もなく
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