幽霊が一杯

nobuotto

第1話


「宗介、どうにかしてくれ。邪魔で歩けない」

 ビール瓶を両手に持って明夫は立ち往生していた。

 生前お相撲さんだった幽霊が明夫の前にいて、明夫のビールを飲みたそうに上から眺めている。大きな体のせいで狭い台所の通路が塞がっているらしい。

「関取、通してあげて。どうせ飲めないでしょう、死んでんだから」

 明夫がブツブツいいながら雀卓まで戻ってきた。

「存在感のある幽霊ってどういうことだよ」


 夏休みに入ってから、バイト終わりに宗介のアパートで朝まで麻雀を打つ毎日が続いていた。宗介だけがアパートを借りているで、自然にみんなのたまり場になった。

 昼過ぎに各自家に帰って寝て、夜のバイトが終わったら宗介のアパートに行く。ある意味、とても規則正しい毎日である。

 今日も宗介の独走状態である。

「宗介。幽霊が俺たちの手をお前に教えてんじゃないのか」

 一人負けしている隆が悔しそうに言う。

「昨日は雀荘で勝ったでしょう。幽霊はついてないけど、ツキは僕を離さない。なんてね」

「うるせえ。どうも後ろで見られている気がしてしょうがねえ。背後霊ならぬ、パイ後霊だ」

 隆は自分一人で大笑いしている。麻雀パイにかけたダジャレだ。

「お前の頭、疲れ切ってるな」と僕が言うと宗介が「いるよ、後ろに中年のおじさんの幽霊が」と指さした。

 隆が「うそー」と振り返る。

「おじさんね、涙流して大笑いしてる。今のダジャレ、俺らに響かないけど、中年には受けるみたいだね」

 他人が聞けば少し変で怖い会話だろうが、僕もみんなもこんな生活が今は普通になっていた。


 僕と宗介は小学校からの腐れ縁だった。宗介は小学校の時から幽霊を見たとよく言っていた。宗介がそう言うたびに僕は「やめろよ」と怖がったが、「見えるものは仕方ないよ。ほら、道を歩いていると猫や犬に会うだろ。それと変わらないから」と言うだけだった。

 中学、高校は別だったが大学でまた同じになった。そして似たもの同士というか、最初から妙に気の合った隆と明夫との四人で、授業の代返とバイトと麻雀の日々を送るようになった。

 大学に入った頃から、もともと強かった霊感がより進化したと宗介は言う。幽霊が見えるだけでなく、なぜか異常に好かれるようになって自分についてくる幽霊が増えてきたのだと言う。取り憑くのでないから害はないが、それでもついてくるだけでも何かと不便だとこぼしていた。


 宗介だけが見えるという幽霊については、正直どうでもよかった。宗介も昔のように幽霊が見えたといちいち報告しない。しかし、出会った幽霊が宗介についてきて、アパートに居座るようになると、僕らにも実害がでてきた。

 幽霊は夜中に姿を表し朝には消えるらしい。つまり、バイト終わりの夜に麻雀を打つ僕らと幽霊の生活時間帯がぴったり重なることになる。

 最初は信じられなかった。けれど物音は鳴るし、何かを踏んだ感触があるし、何かにぶつかって身動き取れなくなるし、宗介の言う通り確かに幽霊はこの部屋にいる。

 とにかく邪魔でしょうがない。


「俺を狙い撃ちかよ。隆じゃないが、お前のお友達が、俺の手を後で見て教えている気がしてしょうがないんだけど」

 役満を振り込んだ明夫が皮肉っぽく言う。

 そう言われると僕も誰かに囲まている気がする。

「そうなんだよ。今日さ、大学から幽霊が沢山ついてきてね」

「ということは、女子大生かよ」

 隆は回りを見渡して嬉しそうに言った。

「ならいいけど爺さん達なんだよ。お前らの横に座ってるよ」

 思わず「うわっ」と言って僕らは横を見たが、当然何も見えない。

「きっと教授の幽霊なんだろうなあ。ああだこうだとみんなで打ち方を批評してるよ。手を教えるような卑怯なことはしないけど、ずっと批評してるからお前らの手がなんとなく分かるんだよね」

「それじゃ、手を教えてるのと同じだろ」

 明夫が横を向いてどなった。

「先生達、黙って見ててくれませんか。と言ってもこの方向にいるのか分からんけど。宗介、どうなった」

「先生達、すまなそうに小さくなってるよ。お年寄りをいじめるなよ、可愛そうだろ」


 いよいよ限界が来た。もう部屋中幽霊で一杯になった。トイレに行くにも、幽霊が場所を移動して道を作らないと行けない。昼間は打てるがバイト終わりに麻雀をやろうとしても雀卓用のテーブルを置くことさえできない。幽霊も満杯で息苦しそうだと宗介は言うが、それはどうでもよかった。


 そこで、僕たちは近くの神社の神主に相談することにした。

 神主は明夫の父親である。将来は神主という保証がある明夫は、たまにしか学校に来ないいい加減な男であったが、その父も息子に負けずいい加減そうな神主だった。

 僕たちが相談に行くと「任せなさい、任せない」と気軽すぎるくらい気軽に承諾してくれた。不安を感じつつも神主を連れて宗介のアパートに行った。

 部屋に入った途端に神主は叫んだ。

「これはいかん。幽霊だらけだ」

「親父、ほんとに見えるのか。今は昼だからいないはずなんだけど」

 明夫の父であるが、いや明夫の父だからこそ怪しいと僕も思った。

「痕跡じゃ、痕跡が見えるのだ。それも数限りない。これはいかんいかん、実にいかんぞ」

「あのさ。いかんから親父に来てもらったんだけど。どうにかなりそう?」

 少し考え込んで神主は言った。

「話しは実に簡単だ。幽霊に引っ越してもらえばいい」

「引っ越すって。どうやってですか」

 僕は一応丁寧に聞いた。

「いいから私に任せなさい」

 神主は、持ってきた榊を振り回して何か呪文を唱え始めた。

 よく分からないが、僕たちも畳の上に正座して神主の唱える呪文を頭を下げて聞くことにした。

「これで完璧だ。うむ、いい出来栄えだ。明夫、いずれお前にもこの秘法を伝授してやるからな」

 そして嬉しそうに神主は帰ってしまった。

 みんな半信半疑であったが、確かにその日の夜、幽霊たちは現れなかった。


 次の日の夜も幽霊は現れず、僕たちはのびのびと麻雀を打っていた。

「本当に、お前の親父信じていいのかなあ」

 隆の言葉に僕と宗介も頷いた。

「まあ、まあ、結果オーライでいいじゃん」

 明夫の言う通りだ。ここは明夫のお父さんに感謝すべきである。

「しかし、どこに引っ越したのかなあ」

 宗介は少し寂しそうだった。

 ふと、宗介の頬で何か小さな黒い物が動いたような気がした。

「宗介、頬に何かついてるぞ」

 頬をなでながら、宗介も僕の顔を見て言った。

「そういうお前の顔にも」

 宗介が僕の顔を覗き込んだ。

「あー、右の頬と額に先生がいるよ」

「先生ってあの教授の幽霊かよ」

 スマフォのカメラで自分の顔を見ようとした時、隆が叫んだ。

「うあ、腕に何かでてきた」

 古くさい茶色の瀬戸物が浮かび上がっている。

「あっ、この子はね、台所にいた茶碗の付喪神」と宗介が懐かしそうに言う。

 嬉しそうな宗介を無視して、僕らは明夫を睨んだ。

 明夫の顔は、まるまる太っていた。きっとあのお相撲さんに違いない。

「お前の親父が言ってた引越し先ってのは」

「だなあ、俺らの体だっだんだなあ。くそ、ヘボ神主め」

 そう言って明夫は急いで父親に電話をかけるのだった。

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