第3話 巫女さんが異世界から来たと言い張って紐をたぐる

 あたしとシロカさんは社務所の中にいた。

 だって、境内は寒いので。

 とは言っても、お守りなんかを並べたここは、外気がまともに入ってくるので、やっぱり寒い。足元では電気ストーブを焚いてるし、巫女装束の襦袢じゅばんの下にはヒートテックを着たり、110デニールのタイツをはいてたりするけど、それでも寒い。冬の巫女さんは実はゴテゴテしてる。

「うーん。菊花さんのお話でなんとなくわかった気がしています」

 そんな寒さなんて感じない顔で、シロカさんは言う。

「あ。今さらだけど、菊花でいいよ。そういうの面倒で」

「なら、わたしもシロカと呼んでください」

 面倒だって言ったけど、他の人を呼び捨てするのは実はちょっと照れる。

 社務所に移ってから、シロカに聞かれるままに、神社とか巫女さんとかの話をしていた。詳しいわけじゃないから、本当に当たり前のことばかりだけど。

「やっぱりわたしの世界とこの世界は、巫女や神様、神社の意味合いがまったく違うみたいです」

 シロカさんは別の世界から来たことを前提に話す。

「わたしの知っている神社は神様をお祀りするだけの場所です。一般の人が参拝にやってくることなんてないんです。入ると死にます」

「死ぬの!?」

「死にます。だって、神様が宿る場所なんです。神社に入ることができるのは、巫女と、見習いの禿かむろだけ」

「えっと……。神様って、いるの?」

 巫女さんやってて聞くことじゃないけど。

「いないんですか!?」

「いや、なんというか……。いるのかいないのかわからない」

 シロカは心底不思議そうな顔をしていた。

「そ、そうだなー。シロカの言ってる世界って、神様は何か色々ダイレクトにしてきそうだけど、何をするの? 人が死ぬとか、そういうの以外」

「死ぬ以外ですか……」

 きれいな眉を寄せる。悩むの?

「神様が何をお考えかは、ぜんぜんわかりません。でも、何かをなさりたいって時には、わたしたち巫女を通じて、みんなに伝えます」

「みんな?」

「それぞれの神様が治めている人たちですね。ほとんど全ての人が、どこかの神社に所属しているっていうと、わかりやすいですか?」

「うーん。氏子のすごいやつ?」

 あたしの知ってる神社も、地域の人たちを氏子にしているけど、所属とかそういうのとは違う気がする。そもそも、そういうのお正月ぐらいしか気にしないし、地元と関係ない大きな神社に行く人も多い。

「神様に守ってもらう代わりに、粗相すると死にます」

 氏子のとんでもない奴だった。

「神様、そういうことしかしないの?」

「いえ。他の神様と対立したりもします」

「また争ってる!」

「対立の理由は人間であるわたしには遠く考えも及びませんが。そんな時、神様の代行者として、巫女同士が決闘することになります」

「……死ぬやつ?」

「負けると死にます」

 ちょっとここまでの情報を整理してみる。

 腕を組んで今までの話を最初から考える。とにかく、神様がよく人を殺す。

「ゴメン。信じられない」

 正直に言った。

 シロカは「むむぅ」と、口元に手を当てて、小首を傾げてかわいく考え込む。

「わたしも神様がいないとかいう話は信じられないんですけど。あっ! そうです」

 ポンと手を叩いた。

「神様の力を見てもらえれば信じてもらえるかも」

「あたし、死ぬの!?」

「ち、違いますよ。わたしのはそういう力じゃないです。だから、ちゃんとこの手で殺すことができるように、鍛えているんです」

 フフと得意げだった。社務所荒らしへの手際のよさからよくわかる。

「それじゃ、どういう力なの?」

「ちょっと失礼しますね」

 言うと同時に、シロカはあたしの胸に手を入れた。

「……っ!?」

 例えとかじゃなくて。

 指が、巫女装束を貫いて、胸の中心に入り込んでる。どう考えても刺さってる。

 息が詰まる。

「ふんふん……。見つけた」

 根本まで埋まってた指がするっと抜ける。

 でも、指が埋まっていた巫女装束にも、胸にも、痛みもなければ出血もない。

 ただ、シロカの白い指先に紐が絡みついていた。

 赤い紐。

 一瞬、血管かと思ったけど、結い目のある正真正銘の紐だ。

 でも、それはあたしの胸から伸びてる。

 それだけじゃなくて、紐の端はシロカの指ではないもっと遠く、社務所の外へ伸びていた。その先は夜の闇に消えている。

「え? これ、え?」

「少しだけ我慢してくださいね。解きます」

 シロカさんが紐を弾く。あたしと社務所の外を繋いでいる紐には、結び目があった。

 それが結び損ねた靴紐のように、ふわりと解けた。

 直後、何もかも消えた。

 何も見えない。目の前が真っ暗……暗くもない。

 音も聞こえない。身体は何も感じない。声を上げたはずなのに、それも聞こえない。

 何もない。

 パニックになりかけた瞬間、深い呼吸の音が耳に入る。

 今度は何もかも戻ってきた。

 わたしはもとのとおりの社務所にいて、シロカがいる。

 シロカの指先にはさっきの赤い紐があって、解けたはずがもとどおりの結び目ができていた。

「今の……なに?」

「驚かせてすみません。これがわたしが神様から、白山神社の祭神、菊理媛神ククリヒメノカミから授かった力です」

 紐を手放す。

 それは空気に解けるように消えていった。

「菊理媛神は結ぶ神様。わたしの力は、色々なものを結ぶこと。結ばれているものを解くこと。さっきの紐は菊花の感覚と世界を結んでいた紐です」

「それを解いたから、何も見えなくなったし、聞こえなくなった。そう言うの?」

「はい。わかってもらえてよかったです」

 嬉しそうに言われても。

 いまだ信じることなんてできない。でも、実際に色々見てしまった。

 どう考えても、普通じゃない言動が、そういうキャラだからとは思えない。

 他の世界から来たかどうかはともかく、あたしと違う世界に生きてる人なのは間違いない。

「でも……。シロカの神社、白山神社なんだね。うちもだよ」

 東武白山神社と書かれたお守りを見せる。

「うわっ! ほんとです! 神様が導いてくれたんでしょうか?」

「こっちから言っておいてなんだけど、白山神社っていっぱいあるから、そういうわけでもないんじゃない? 菊理媛神をお祀りしてるけど、それもたくさんあるし」

 由緒のある神社から、分霊という形で神様をお招きしてお祀りするのはよくあること。だから、同じ神様を祀る同じ名前の神社が存在する。それが普通。

「わたしの知ってる神社は、神様ごとにひとつずつしかないですよ」

「そうなんだ……」

 神様が実際にいる世界だとそうなるのかもしれない。

 あたしの世界に神様がいるのかいないのかははっきりしない。

「それで、別の世界から来た理由ってわからないの?」

 仮に信じるとして。

「わかりません。でも、わたし自身には何かした憶えがなくて、他の巫女に仕掛けられてもいません。神様に送られたとしか考えられません」

 シロカは何かに気づいた顔で、社務所の外を見る。

「そうです。ここが白山神社で、わたしが出てきたのが拝殿なら、あそこからわたしの世界に繋がっているかも。結ばれているかもしれません」

「そういうものなの?」

「そういうものです」

 シロカは社務所を出て、拝殿に向かう。

 あたしもついていった。

 一年に一度、巫女をすることで見慣れた拝殿を見上げる。

 古びた木造の建築物。この奥にあるご神体を祀った本殿に神様がいる。

 ぼんやりとしか考えたことがなかったけど、ここに神様は存在する。

「神様がいません」

「えっ? あれ?」

 いなかった。

「どういうこと? だって、拝殿だし、奥は本殿じゃない」

「でも、神様の存在を感じないんです。それに……」

 シロカの指先が何かを探すように、虚空を撫でる。

「当たり前の繋がりしか感じません。結ばれているのは、この世界とばかりです」

 シロカは眉を下げて立ち尽くす。

 半信半疑のあたしは、かける言葉を思いつかない。

 大晦日の冷たい風の中、あたしたちは照明に照らされた境内に佇む。

 ふと、人の声がした。こんな夜遅くに遠くで鐘が鳴る音がする。テレビの音かもしれない。

「除夜の鐘! 年が明ける!」

 鳥居のほうを振り返れば、参道に人影が見え始めていた。

 屋台はお客を迎えて、さっきまで静かだった夜がざわめいていた。

 シロカと目が合う。

 別の世界から来たとかいう、不思議な力を使う巫女さん。

 だけど、そんなことよりも、今は大晦日だった。

 一年で一番神社が忙しい日、元旦がやってきてしまう!

「巫女が足りないんですよね」

 シロカが微笑む。

「わたしがやります」

「今のどっちのやります?」

 救世主! と思いつつも、「や」なのか、「」なのかは真剣に気になった。


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