第13話 トルッペン砂漠
テラニグラを
それを確認したエスタが、手綱を強く握る。主の力強い手を感じた機械馬はデゼールロジエを1歩出た瞬間、西北西の方角――エスタの住む大都市テラニグラを目指して駆け出した。
見る間に砂漠の街が遠ざかっていく。
それほどの速度で移動していても馬車内に振動が伝わってこないのは、高感度のバランスセンサーが搭載されているからだと自慢げに話すエスタ。そのセンサーはエスタの所有する工場で製造されたものらしい。
砂漠の旅は長い。特にデゼールロジエを擁するトルッペン砂漠は、まだまだ西へ続く。
エデンからデゼールロジエまで1日足らずで着くことのできた機械馬でも、デゼールロジエを発って数日後、まだテラニグラには着いていなかった。
機械馬に搭載された設備によって砂漠に特有の温度差に苦しめられることはなかったものの、途中途中で見かける生物の死骸を見ると、自分たちにもこうなる可能性があるのだろうか、とカイルはわずかに不安を覚える。
そして、この旅をいつまで続けていられるだろうか……とも。
エデンからの追っ手の存在が、そして奇妙な予感がカイルの心を波立たせる。
一方、ルキウスは陽光が降り注ぐのも構わず、窓に張り付いて外の景色を眺めていた。
彼の目には、広大な白が映っていた。空は青く、陽光を浴びて白く輝く砂がどこまで続いている。その光景は、エデンでは決して見ることのなかったものであったし、またデゼールロジエに着くときには気を失っていたから、彼にとっては初めて見る光景だった。
こんなに世界は広かったのか――ルキウスは、半ば呆然とした気持ちでその言葉を胸に浮かべた。喜びや感動というよりも、途方もない虚脱感に近いものを、この瞬間の彼は感じていた。
……それでも。
ルキウスは、より遠くへ――見えることのない砂漠の向こうを見るように――瞳を向ける。
俺はあそこには絶対に戻らない。あんな地獄みたいな所があるなら、それこそ反対の所だってあるはずなんだ。ルキウスは、知らないことだらけの世界というものに思いを馳せた。
そして、砂漠の旅はまだ続く。
途中で、いくつかの廃墟を見た。人間と魔族が過去に世界中で繰り返した抗争はこの地域にも及んでおり、かつて現在の1割ほどの面積であった砂漠地帯を囲んでいた双方の国を滅ぼした。カイルが見つけた石造りの瓦礫であったり墓標であったりは、その全てがそれら亡国の痕跡であるとエスタは説明した。多くの命が戦火に焼かれ、残ったわずかな命もまた、人間が使った兵器や魔族の使った能力の
後に残った無人の城や宮殿も時間の流れとともに風にさらわれ、今現在見ている瓦礫からそうした命の名残を感じることなど、カイルにはできなかった。今いる場所がかつて緑豊かな地であったあったらしいというエスタの説明も、容易に信じられるものではなかった。
ふと、それまで黙って外を見つめていたルキウスが口を開いた。
「なぁおっさん。ちょっと聞いてもいいか?」
「おぉ、どうした?」
「さっき話したやつみたいに、いくつもの能力を使える魔族っているのか?」
それはルキウスだけではなく、カイルの中でも燻っていた疑問だった。魔族は1人につき1つの能力しか持たない。それがカイルの、いや恐らく魔族側も含めて全員の常識だろう。しかし、ルキウスを連れ戻しに、そしてカイルを殺そうとしたあの追っ手は…………。
エスタは少し考えてから、口を開いた。
「オレもその辺りについて詳しく知っているわけではないが、魔族の能力が能力核を元にしているのは知ってるな?」
「はい」
首を傾げるルキウスに代わって、カイルが答える。
人間とほぼ変わらない外見をしている魔族が、それにも関わらず人間とは一線を
この部分を著しく傷つけられた場合、魔族は能力を失うだけではなく命の危険にも陥りかねない。生後間もなく受ける検診には、自身のアキレス腱にもなりうる能力核の場所を確認させ、自衛の意識を持たせる狙いがある――そこまでが、カイルの知る「能力核」についての全てだった。
「オレにしたってそうだ。オレが持っているのは目で見たものの価値であったり成分であったり、そういうものが見える。物の売り買いだったり薬の調合だったり、まさにうってつけの能力ってワケだな。それと、その要領で他の魔族の力も見えてな。
たとえばルキウス、お前の能力は空間を切って繋げる……そんなところじゃないか? カイルを連れて逃げたりできたのもそのおかげだな?」
「……あぁ」
この言葉にはルキウスが頷く。自分の能力については幼い頃から散々教え込まれてきたのだ。いずれ「あの女」のものになる為に。
「まぁ、見ようとしなきゃ見えないもんだがな。それでも一応出会ったやつは全員見たつもりだぞ? 能力によってアレルギー反応を起こしやすい薬なんかもあったりするからな。で、オレが今まで見てきた限り、2つ以上の能力を持つやつは1人もいなかった」
「ってことは、あいつの能力も1つだけってことなのか?」
信じられない、という口調でルキウスが尋ねる。それはカイルだって同じだった。
あの黒衣の少年が引き起こしたと思われる爆発と突風が同じ原因であるとはとても思えなかった。もっとも、カイル自身が能力を持っているわけではないから詳しいことは何もわからないが。
「……例外がないわけでもないだろうが、あまり考えられんなぁ。複数の能力なんていうのは」
しかしあるいは……エスタは黙考する。
ルキウスが囚われていたらしい中央収容所内の研究棟ならば、あるいはそういった技術があるのではないか……と。確証のない話ではあるが、調べてみる必要はあるかも知れない、とエスタは思った。
再び廃墟群に差し掛かった辺りで、ルキウスが少し慌てた声で「おっさん!」とエスタを呼んだ。
エスタにはその声が何を思ってのものであるかわかったのだろう、「あまり大きな声……いや音を立てるな」と潜めた声で返した。
「どうしたの、2人とも?」
ただ1人状況の変化を理解できずにいたカイルも、馬車の中に流れる空気に従って小声で尋ねる。警戒心を剥き出しにしてじっと目を凝らしているルキウスと、その姿を不安そうに見つめるカイル。そんな2人を見かねたエスタは、安心させるようにカイルの頭を撫で、「あそこに遺跡が見えるな?」と遠くを指差す。その指先を、カイルは目で追う。
その先には、かつて富豪の住まう大都市として栄華を極めた地の名残が残っていた。鉄筋で組み立てられた高層建造物が森のように乱立していた在りし日の面影を残しているのは、今や「人類が作った最も高い建造物」として名高い巨大な廃墟だけである。周囲には、それに比べると遥かに高さが低く、かなり古い年代の物と思われる建築物が立ち並んでいる。
「カイル、気を付けろ。あの小さい建物からこっちを覗いてるやつがいる」
尚も警戒心を剥き出しに話の腰を折るルキウスを、エスタは軽い口調で窘める。
「ルキウス、そう警戒するな。あそこにいるのは敵じゃなく、いわゆる『遺跡の管理人』だ」
「管理人?」
「……、『遺跡の民』とも言い換えられるかも知れんな。彼らには、この遺跡以外に居場所がないからな」
遺跡の民。
そう呼ばれる人々について、エデンで普通の生活を営めていた当時真面目な学徒であったカイルは少しの知識を持っている。
以前、抗争が止まった後の歴史である「後史」――エデンを始めとする共存計画が実行されたことにより世界は大きく変わったとされ、その最たるものである抗争の終わりを境に「前史」「後史」に分けられるようになった――の講義で習ったところによると、それはある特定の民族を指すわけではないのである。
いわゆる前史に分類される時代に世界中で燃え盛った戦火。その中では人間も魔族も等しく大切なものや住む場所を失っていった。
その後、
しかし中には、そうして築かれた新しい世界に順応することができず、例えばこのトルッペン砂漠の遺跡のような、かつて祖先が住んでいた――現在では荒れ地と化している――地に住み続ける者もおり、それを総称したのが遺跡の民という呼称である。つまり、「遺跡の民」というのは何もこの遺跡に住む者たちだけを指すわけではない。
「かなり少ないって言われてましたけど、まさかこんな所で見ることになるなんて……」
ルキウスほどでもないが、カイルの声音にも警戒の色が混じる。エデンでの教育を当たり前に受けていたカイルにとって、彼ら遺跡の民はほとんど異世界の存在に近い。恐らくカイルでなくても、エデンの都市内で暮らしている者は似たような反応を示すだろう。エデンを疎い、エデンから逃げ出したとしても、やはりカイルはエデンの住民なのであった。
「……遺跡の民になるのは決して少数派ではないぞ、カイル。エデンではどう教えられてきたか知らないがな」
その声音に、浅からぬ悲しみのような色が混ざっていることを察したカイルは、口を噤む。世界中を旅して、今でも世界を股にかけて商いをしている彼には、きっと自分たちには見えていない世界の姿が見えているのかも知れない……と。改めてエスタとの距離を感じたカイルをよそに、「ここまで来たし、顔くらいは出しておくか」と呟いて、エスタは機械馬の手綱を握る。
その力に反応して、機械馬は猛スピードで何者か――遺跡の民がいる廃墟へと向かい始めた。
「おい!? あそこに行くのかよ!」
警戒していただけに、ルキウスの声に険しさがある。
カイルが言ったような境遇を持つ遺跡の民とやらを警戒しているだけではない、ルキウスは少しでも早くエデンから離れたかったのだ。そうでないと、デゼールロジエに現れた追っ手の言葉が呪いのように絡み付いて離れないような感覚がして、体中が侵されていくように思えたのだ。
「昔な、ここの
エスタの
予感がある。
もうすぐ、何かが自分たちに迫ってくるような気がする。
だから、早くここから離れないと……! ルキウスは尚もエスタに訴えようとした。それでも、その間もなく馬車は遺跡へと向かっていく。そして、馬車は一際大きな廃墟の前で止まった。
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