余談 彼女の結婚式
ローザがナタリアに話しかけたのは、冬から春へと向かう最中、一時の晴れ間が見えるうららかな日だった。
「王妃様、実はご相談したいことがございまして……」
「あら、どうしたのローザ」
普段私用な事を口にしないローザだから、ナタリアは珍しいと思いながら耳を傾ける。
王族付きの侍女というのは仕事が出来れば良いというものではない。
時に話し相手になり、時には黙って壁の花になる事が求められる。話し相手と言うのも、相手の話を聞くという技能が必要なわけで、自分の事を話すようなでしゃばりが勤められる仕事では無いのだ。
ローザは首都の商家の出であるが、優秀な侍女として若くして王妃付きに抜擢された。成人とされる年齢が十五歳、王妃が十七歳、ローザは十八歳で歳が近いという事もあるだろうが、それでも若い。
中々優秀に今迄勤めてきたのである。
そんなローザであるから、私用を自ら切り出すという事は大変珍しい。ナタリア付きになってからは初めての事だろう。彼女自身も戸惑いながら二の句を継いだ。
「少しの間、暇をいただけないかと……」
「理由を聞いてもいいかしら?」
雇用側に落ち度があるのならばそれは正さなければならない。まして、ローザはナタリアがこのヴァベラニア王国に来てからずっと側で支えてくれた人だ。
明かせない秘密があるにしても、ナタリアにとって大事な人である事には変わり無い。
そんな彼女に暇乞いをされて、ナタリアも無表情ながら戸惑っている。冷たくならないように努めて柔らかい声音で尋ねたが、そんな彼女の心配をよそに、ローザは頬を赤らめてそれを両手で零れないように覆った。
「あの……結婚するんです! リァンと!」
「あら! なぁに、そういう事なら詳しく聞かせてちょうだい」
ついに、という感もあるが、彼女と元司書で現軍師のリァンがようやく結婚するらしい。
ナタリアにとっては最初、ローザは利用できる良い相手だった。実際彼女を通してリァンを知り、リァンを通して山賊事件を解決に導いたのである。その頃はまだ王に正体を明かせないからという理由で面倒な事をし、彼女たちを巻き込んでしまったというのは少しだけ悔やんでいたのだが、これは良い報せである。
恩返しと罪滅ぼしをする絶好の機会と見て、ナタリアはローザに横に座るよう示し、詳しく話を聞いた。
「あの人が、その、プロポーズをしてくださいまして……」
「えぇえぇ、やっとね」
周りが焦れていたのはきっと本人たちは知らないのだろう。
「きっと軍師になったからだと思うんです。だから、早く結婚して帰ってきてくれる場所になりたいと思って……」
「……そうね」
安全な王宮内の図書室と資料室の管理をすればいいだけではなくなった。身の危険が迫る場所へ向かう事になった。そういう理由から、リァンはとうとう結婚に踏み切ったのだろう。
裏を返せば、そうでもなければ結婚を申し込まなかったとも言える。彼は仕事と読書における行動力は抜きんでているが、他の出来事に関してはどちらかと言えば愚鈍である。鈍重と言ってもいいかもしれない。
放って置けば飯も睡眠も後回しにするような男なのだ。ローザの苦労も知れるというものである。
「ですので、冬の催事の無い間に式と家族用の部屋への引っ越しを済ませてしまおうかと思いまして。侍女長と執事長には既に了解を戴いております」
「そういう事でしたら、またドレス造りね!」
「はい??」
拳を握って断言したナタリアである。
「王妃様、ドレスは結構ですわ。先輩の侍女がお下がりを下さるので少し直せば着れますし……」
「駄目よ。貴女の結婚式でお下がりなんて私が許しません。そうね、あとは青いもの、古いもの、そして何かを貸さなければいけませんね」
古くから伝わる花嫁の幸せを願う四つの贈り物である。
何か一つの新しい物、青い物、古い物、借りた物。
これらをナタリアは揃える気だった。新しい物はもちろんドレスである。支払いは当然ながら国王払いだ。店にも『王族御用達』の箔がついて良いことだらけだろう。
「王妃様……、楽しんでいらっしゃいません?」
「そんな事ございません。全力で応援しようと思っているだけです」
ナタリアは式には参加できない。結婚式の主役より身分の高い来賓というのは控えなければならない。
また、一侍女の結婚式に出たとあっては国中の貴族諸侯から結婚式の招待状が届くだろう。それは遠慮したい。
「では、何を貸そうかしら……、あぁ、そうだわ。良かったら私の靴を履いてくださらない?」
「えぇえぇぇ……あのぅ、私めには多分に過ぎますぅ……!」
「サイズが分からないわね。ちょっと持ってくるから待っていて」
「王妃様ぁ!」
涙目で訴えるローザだが、ナタリアは止まる様子が無い。涙目の主役を前にやる気満々といった雰囲気を醸し出している。
自ら衣装室に赴くと、自らが結婚式で履いた靴を箱ごと持って戻って来た。
「さぁ、サイズを合わせてみましょうね」
足を出して、と言わんばかりの様子に流石に焦ったローザが箱を強奪する。
「あ、あの! 自分で履きますので!」
「うふふ、はい。じゃあ、履いてみせて。きつかったり大きかったら直しましょうね」
「王妃様ぁ~~……!」
ローザは言葉も出ないが、促されるままに足を通してみる。
白い繊細なレースのフリルと、硝子の踵。シルクの敷布は足を置いただけでもうっとりするような触り心地である。ところどころに飾り玉として真珠が散りばめられている。何とも豪華にすぎる靴である。
幸いにも足に合っている様だ。あまり派手な事をしないようにと冬の間に身内だけで済ませてしまおうと思っていたのに、何やら大変なことになってきてしまった。
「ちょうどいいわね。よかった、それに合わせてドレスも造るわよ」
(王妃様、言い出したら聞かないところがあるのよね……絶対に派手な事になるわ……)
同じく式の主役であるリァンへ心の中で謝ると、ローザは王妃に言われるまま式の準備を進めていった。
王妃は侍女……ニシナに仕立屋の手配を頼み、別の侍女……カレンに自分の持っている宝飾品の中から青い石の物を持ってこさせた。ニシナは自らの足で仕立屋に赴いた。それが一番早いのだ。
結婚祝いや輿入れの際に国王から贈られたもの、自ら嫁入り道具として持参した物などをテーブルの上に並べたが、溢れる程の宝飾品が目の前にしてローザの涙目が一層ひどくなる。いや、もう泣いている。
こういった宝飾品は、ナタリアも全部を身に着けた事があるわけでは無い。
王妃はそういった身に着けていなかった物の中から一つを取り上げてはローザに当てて見立てている。
「ううん、あまり派手すぎるのは良くないわね。ローザ自身が華やかなのだから、もう少し引き立てるような……」
「あの、王妃さま、まぶしいです……」
確かに手入れの際には目にして触る事もある宝飾品の数々だが、こうやって並べてしまうとまさに圧巻である。その光の塊の中からどれかを選ぼうだなんて、とてもじゃないが無謀に思う。
「そうね、私には花嫁のローザの方が眩しくて選べないわ。ねぇカレン?」
「全くです。ローザには素晴らしい式にしてもらわなければ。その為に見合う宝飾品を選びましょう」
「そうだわ、式には私の代わりに出てくれるかしら? ニシナも一緒に」
「えぇ、喜んで」
ローザを横目に今度はカレンまで加わってローザを飾り立て式を盛り上げる相談が始まった。
元々涼やかな騎士のようなカレンが加わってローザのドキドキは最高潮になってしまう。
リァンという婚約者がいても、彼女が女性でも、見目の麗しさとは別腹である。甘味と一緒だ。
あぁでもないこうでもないと宝飾品を見立てていると、仕立屋へ行っていたニシナが戻って来た。
「まぁ、まぁまぁ、私だけ仲間外れですか? 混ぜてくださいませ」
ニシナも王妃とローザの前に跪いて宝飾品を取りあげてはローザに当てる。こういった見立ては、実はニシナが一番得意である。
「御式では靴がこちら、仕立ては最高級の物になりますから、宝飾品は多少派手でも構わないと思いますよ」
そう言って余りに控えめなものは避けてしまったり。
「本来は真珠がいいんですけど、身内の方と数人のご招待で済ませたいんですよね? でしたら多少は控えめに、此方の首飾りが良いかと」
と言って真珠が両脇に着いた、石は大きく鎖の細い首飾りを勧めてきたり。
一番張り切っているのはナタリアでは無くニシナなのかもしれない、と内心思いながらローザはそのセンスの良さに感心した。
「すごく素敵ですわ」
「王妃様、どうです?」
「えぇ、えぇ。気に入ってくれるものが一番ですもの。その青い石の首飾りは私からの結婚祝いね」
繊細だが、末代まで家宝にしてしまえそうな造りの良い宝飾品である。嵌っている石も大きい。ローザ自身では一生買う事のないだろう品に、涙目のままナタリアから渡されたそれをそっと受け取る。
「ありがとうございます、私には過ぎた物ですが……お気持ちと一緒に頂戴します」
「まぁ、ローザ。宝飾品は似合っている人が着けるのが一番なのよ。過ぎた事など何もありません」
首飾りに揃いの耳飾りと髪飾りを添えて、王妃からの結婚お祝いの品がローザに贈られた。
「本当に良いのですか……?」
「もちろんよ。ぜひ着けて式をして頂戴」
オペラ伯爵父親から嫁入りの際に持たされた物だった気がするが、まぁいいだろう。伯爵夫人母親からもらった物はとってあるのだし、とナタリアは屈託なく考えているが、そもそも文化水準が高いソロニア帝国の中でも腕の立つとされる職人の珠玉の一式である。品がいい上に値段も良いのはナタリアももちろん知っているので、この場合軽んじられたのはオペラ伯爵であろうか。
「新しい物、借りた物、青い物は揃いました。後は……古い物ですね」
「ニシナ、何か心辺りはあるかしら」
「あのぅ、その事でしたら……」
ローザがおずおずと口を出した。自分の結婚式の話のはずなのに、放って置いたら話が進んでしまう。
「なぁに、ローザは何か持っているの?」
「はい。私も貰ったばかりなのですけれど……」
そういって侍女服のポケットから取り出したのは小さな青い布張りの小箱だった。
繊細な飾り金具で留めてあるのを外してローザが見せたのは、細い白金の指輪である。散りばめられた石は金剛石で、射し込む日差しに煌いている。古くならないシンプルなデザインなので、年代は重ねていてもローザの指によく似合いそうな一品だ。
「結婚指輪として、リァンがくださいましたの。おばあさんのおばあさんの代からの物らしく、結婚の報告に実家に帰った時にリァンが受け取って来てくださいまして……、あの?」
おず、と照れながらも精いっぱいに話すローザに、侍女二人と王妃は(王妃は無表情だが)にこにこと嬉しそうに耳を傾けている。
「そういう物があるなら早くに見せてくださいな。もう、ローザったら」
ナタリアが言うと、ニシナも頷いた。
「本当ですよ。この指輪が似合うドレスに致しましょうね」
「きっと素敵な花嫁さんになりますね。式で見るのが楽しみです」
カレンも続け様に告げる。
ニシナやカレンにとっても、同じ王妃付きの侍女としてローザは別格の仲良しである。
まさか目の前に居るのがこの城を安易に攻略せしめる行者三人とは思わないローザだが、それは知らなくても良い事なのだ。
全てを知らなくても真実の友情は手に入る。三人も、ローザを態々危険に晒す気が無いので、これは一生知らせる事は無いだろう。万が一危険に晒す事になったとしても、ローザを必ず守る、そういう決意でもって王妃は告げた。
「本当におめでとう、ローザ。私の友人。どうか幸せにね」
今は忙しいリァンの身の回りの世話があるので晩餐の後には下がってしまうローザだが、朝一番にナタリアの世話をするのは彼女である。
ローザは向日葵の様な女性だ。花が咲いたように笑い、根はしっかり者で、太陽に堂々と顔向けして生きる人である。
「勿体ないお言葉ですわ、王妃様。私は今もとっても幸せです。少しだけお暇を戴きますけれど、すぐに戻って参りますのでまたよろしくお願いいたします」
自分には無い眩しさを放つ笑顔で返すローザに、ナタリアは柔らかく頷いた。
影に生きた時間の方が長いナタリアには、ローザは眩しい。けれど、嫌な眩しさでは無い。
「あぁ、羨ましいわ。私にも素敵な人が現れないかしら」
ニシナが頬杖をついてしみじみと呟く。彼女は女性としての幸せを得る方が嬉しい人なので、行者として生きて来た分を何とかこの国で取り返せないかと思っているのだろう。
口元の黒子が艶めかしいニシナだが、今の所良い出会いは無いらしい。
「司書部の方でしたらご紹介できますけれど……」
「ローザ。ニシナの好みは騎士なんですよ」
「なっ……?! カレン!」
それも白馬の騎士よね、とカレンが涼し気に水を差す。自分の密かな憧れを暴露されたニシナは真っ赤になった。こういう所は可愛らしいと思う。
そうこうしている間に、仕立て屋が到着したという。サロンの一つに通してある旨を聞き、さっそく生地選びから始めなければ、と四人は(ローザは無駄に高い布を使わせないために)意気込んでサロンへと向かった。
式の日も、またすがすがしい晴天だった。
冬だという事を忘れそうな晴天に、温かい日差し。
王妃は一人自室の窓から空を見上げた。変装して忍び込もうかと思ったが、シャイアにもニシナにもカレンにもやめておきなさいと窘められたので遠慮したのである。たしかに、私用で行者の技を振るうのはよろしくないかもしれないが。
(花嫁姿くらいは見に行けばよかったかしら……)
金糸の髪を結い上げ、王妃から贈られたドレスと青い宝飾品、借りた靴、そしてリァンから貰った古い指輪を身に着けたローザが、神の前で結婚を誓っている頃だろうか。
今日の彼女はきっと、太陽もかくやという程輝いているに違いない。
ニシナとカレンが式に参加している筈である。たんまりと引っ越し祝いも別で贈っておいた。
いつもの侍女三人が帰ってきたら、詳しく話を聞かなければ。
彼女の結婚式の話を。
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