第20話 オペラ座の血筋

 あの惨劇の後が大変だった。


 アッガーラ達は王妃がやったのだと悟ったが、悟ってしまっただけに動けない。


 この技の冴えはこれまで十数人を殺してきた技では無い。それこそ、こんな状況などいくらでもあったのだろう。そしてそれを全て一人で潜り抜けて来たのだ。このようにして。


「王妃、さま……」


 二の句が継げない。


 すっかりと固まってしまったアッガーラに、王妃は無慈悲に告げる。


「さぁ、今がザナスを連れ出す好機です。あとを頼みますよ」


 ゾッとした。無表情なだけに、人をこれだけ屠っていながら何の感慨も贖罪の意思も見られない。人を殺した人間というのは……たとえそれがどんな屈強な戦士であれ……少しは罪悪感というものに悩まされるものだろうし、ないしは高揚感というものを得る者もいるらしいが、この王妃にはそのどちらも無い。


 作業をこなした、という感覚に見える。


「ありがとう、ナタリア。よかったのかい?」


 これは、技を人前で振るっても、という意味だろう。


 アッガーラは独立した国。確かに友好な取引相手の国内に悪い情報を流す事は無い。王妃がこんな非現実的な事をしたという話も、信用される理由が無い。


(後ろの侍女二人は……王妃が自国から連れて来たという二人だ。きっと知っていたんだろう)


 バルクは素早く観察するも、どう考えても「この場で技を振るわない理由」に思い至らなかった。


 ここまで読んでナタリアが技を振るったのだとしたら……または、それを見越してアッガーラを連れてきていたのだとしたら……大変な策士でもある。


 しかし、シャイアの前ではどうにもか弱い普通の女性に見える、とバルクは首を捻った。


「いいんですの。今は一刻も早く街をどうにかせねばならない時。ここで時間を取ってはいけません」


「支えてくれると言っていたものね。嫌な事をさせてしまった」


「私は、もともとこういう者ですから」


 シャイアはそんなナタリアに平然と話しかけた。気遣う風まで見せている。


 バルクをはじめとするアッガーラは茫然と眺めていたが、王妃が、さぁ、と視線で促すとザナス辺境伯を連れて邸を後にした。あの王妃と同じ空間に居るのが、なまじ腕が立つだけに嫌だったというのもある。


 狩られる側の気分を味わい続けるのだ。ゾッとしない。


「カレン、ニシナ。ごめんなさい、汚してしまったわ。お願いできるかしら」


 今日の会談という名の宣告について来たのは当然この二人である。


 ナタリアが申し訳なさそうな声で告げると、お任せください、と二人は綺麗にお辞儀をした。


「では行きましょう。街ではアカム様とリァン様が調査と交渉を行っております」


 死体の処理と邸の掃除を二人に任せると、ナタリアはシャイアを促してスピリトの街へと戻っていった。




 宿ではアカムとリァンが待っていた。


 略式の礼で国王夫妻とアッガーラ、捕らえられたザナス辺境伯を出迎えると、アカムは微かに顔を顰めた。


「血の匂いがなさいますが……」


「ごめんなさい。ちょっと伏兵がいらしたの」


「そうでしたか。ご無事で何よりです、王妃様」


 彼は父が近衛の兵士だそうだ。昔から小競り合いやちょっとした鎮圧騒動の帰りには、血の匂いをさせていたらしい。血気盛んな性質なのだろう。


 対照的にアカムは銀縁の眼鏡に鋭い青い目をした理知的な青年である。黒い髪をロダスのように後ろに撫でつけているが、着ている服はリァンが元々着ていた司書部のローブに近い。ところどころのパーツに組み込まれている色が、司書部は赤なのに対し財政部は青という違い位だろうか。


「ご報告をしても?」


「あぁ。部屋に行こう。すまないがバルク、ザナスを見張っておいてくれ」


「承りましたよ、国王陛下」


 広間の長椅子に四人がかけると、アカムから報告を始めた。


「私は貸金屋へ向かいました。帳簿に目を通しましたが……借金はザナス辺境伯だけのものと考えてよいでしょう。利率は三割五分。はっきり言って異常に高い数字ですが、返済の滞りはありませんでした。そこは幸いというべきでしょうね」


「滞ってしまっていたら、ザナス以外にも同じ条件で金を貸していたかもしれないな」


「はい。そういう意味ではザナス辺境伯は良い働きをしたと言ってもいいでしょう。……ただ」


 アカムがそこで言葉を切ると、続いてはリァンが話始めた。


「次は私から。私は街の調査に……主に貧民街の調査に向かいました。護衛を二名つけて頂けたのは幸いでした。通りを一本進むごとに片手では済まない数の強盗、追剥、恐喝を受けましたから。悉くをいなしていただいたので話が聞きやすかったのですが、どうにも納税できずに仕事にあぶれた農民、仕事をつぶされた商家の者、その下働きといった者たちが貧民街を形成しているようです。アッガーラの案内で元締めの元へ行き、国王直轄地になる事、仕事の斡旋と補填を行う旨を話したところ、まだこの貧民街が出来たばかりと言うのも大きいでしょうが、納得していただけたようです」


 一度乱れた生活に慣れた者が、元の生活を望む、そういう道があるというのを信じるのは難しい。


 しかし、今回はまだ日が浅い。彼らの心に少しは希望が残っていたと見て良いだろう。


「では、アカムは貸金屋への返済と利率の取り下げを行う旨を。リァンは元締めと話を詰めたいので、その者を王宮へ招く手配をそれぞれ行ってくれ」


「……良いのですか?」


 アカムが怪訝そうな顔でシャイアに尋ねる。


 一領主の借金の肩代わりをした事が知れ渡れば、今後シャイアの元に届く嘆願書はもっと増えるだろう。


「なに、構わないさ。その時は、爵位と領地を明け渡すなら、という条件で金の貸付を行う事にするよ」


 なるほど、それならば無茶な嘆願書も届くまい。


 シャイアの茶目っ気たっぷりな笑顔にアカムが肩の力を抜くと、リァンと共に立ち上がって礼をして出て行った。




 二人きりになると、シャイアは窓辺へと寄ってうんと伸びをした。


「実はね、私は君が男だったら、敵だったら恐ろしい、と考えていたんだ」


 情けない事に、と頭をかいたシャイアの背に、ナタリアはまっすぐに目を向けた。


「でも、思ったよ。君は私の為に力を振るってくれる。そこには一点の曇りも迷いも無い、って」


 どこか晴れやかな顔をしたシャイアの横顔。ナタリアはひとつ頷いてみせた。


「我々は技を振るう者ですが、ただの武器なのです、シャイア様」


 ナタリアは満を持してシャイアにそう告げた。


「オペラ座は、もとより使う者と振るう場が無ければ錆びた刃になってしまうだけなのです。我々は兵の一つ、頭が無ければ胴は死ぬもの。……私は、あなたの役に立ちたいと思います。時にはあなたを危険な目に合わせる事も、あなたを諫める事も致しましょう。ですが、全てあなたの味方たらんとする思いからなのです」


「うん。そうだね、ナタリアはいつもそうしてくれている」


「……私はあなたに自分の正体を晒す前は、己の意思でこうしたい、と思う事はありませんでした」


 目を伏せてナタリアは続ける。シャイアは言葉の意味が掴み切れずに首を傾げる。


「うん、と……?」


「例えば、シャイア様はどういった勉強がお好きでしたか?」


「そうだな、剣術と、歴史は面白かった」


「私にはそういう感覚がございません。必要か不要か、それのみです」


 生きるのに必要ならば人の腸も食べるし、不要ならばどんな豪奢な晩餐も要らない。


「ですが、国を離れて……あなたの元へ嫁いでから、あなたが私を見つけてくださいました」


 それは誰もが見逃すだろう感情の機微。今迄得て来た知識の活かし方。新しい考え方。守りたいと思わせる人の価値。


「私は今、何も考えずに従うだけの人形であった事を恥じています。今は自分の意思で、あなたのお役に立ちたいと自覚しています」


 ナタリアは立ち上がってシャイアの隣に立つ。今日の月は満月、夜が青く光っている。


「どうか、いつかオペラ座のナタリアではなく、ただのナタリアとしてあなたのお役に立てる日が来るまで」


 青い光に照らされたナタリアが微笑む。シャイアも、彼女へ笑いかける。


「どうぞあなただけは、私を恐れずにいてくださいませ」


「あぁ、もちろんだ」


 ナタリアの白磁の頬をシャイアの大きな手が包む。剣の修練でごつごつとした親指が、滑らかな肌を滑る。


「知っているのと、知らないのとでは……大きな差があると思うんだ」


「はい」


「だから、教えてくれてありがとう。これからもよろしく」


 ナタリアの横顔にシャイアの顔が被る。ゆったりと目を閉じたナタリアに、シャイアはそっと口付けた。

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