2章 メイドは唐突に⑦
宴の主は不愉快だった。
本来なら早くこんな田舎から都へと返り咲きたいと思っているが、いまだそれが叶う目算が立っていないこと。
そしてさらに不愉快なことは成り上がりの息子と粗野な従者達を主賓として客人として歓迎しなければならないということだ。
田舎貴族と接するだけでも気分が悪くなる。
しかし都に返り咲くまではそのものたちと親交を結ぶことは仕方がない。
不名誉とはいえ本人からしてみれば理不尽な理由でこの場所に飛ばされたのだ。
その場所でさえ何かしら揉め事を起こせば更なる失脚へとつながる。
自分の政敵がそうしてくるだろうことは太陽が昇り落ちていくのと同様に当たり前のことだ。
自分とて立場が違えば間違いなくそうする。
洗練された町並み 様々な美食に美酒 センスのある人々。 自分の生きる場所はここにあらず。
幸い都落ちしたとはいえ田舎者どもは金と威光を示せば無条件で従う。
だが一平卒から成り上がった出自さえわからぬ男のましてやその子倅に礼をつくさなければいけないことはそれ自体が耐え難い屈辱だった。
それならば無視していればいいのだが、グランスカル家の嫡子であるオルドからの手紙で『ムラン殿達をよしなに』と言う文面が来た。
都の中でも特に上の階層に属する人間からの手紙では黙殺できない。
よほど媚びがうまいんだろう。
まったく下賎なものは生き方すらプライドもない者だと見下していた。
そしてやってきたムラン達を見て、やはり下賎だと自身の考えを確信した。
宴の参加者である田舎者達はムラン達の服装を見て多少なりとも快哉を叫ぶ。
物不足である辺境の地では珍しいのだろうが、都住まいであった男には彼らの服装は仮装、もしくは旅芸人のような非洗練されたものにしかみえなかった。
世界に冠たる王国の末席でありながら田舎者達はさらに辺境の民族どもの服装に快哉を叫んでいる。
その姿は獣達がうごめいているように男には見えた。
「余は体調が優れぬ。 座を離れる。 適当にあやつらを相手しておけ」
「し、しかし…それでは…」
ジロリとにらむ主人に萎縮して彼よりも年長である老人は何もいえなくなる。
ドロリとにごるような主人の目、そして都を追われたとはいえ有象無象の権力闘争を生き抜いてきた男とその底知れぬ眼光に長年仕えてきた執事でさえ畏怖を抱いてしまう。
『もうしわけありません、我が主は体調が優れぬようで座に少し遅れます。主人からまことに申し訳ないという言付けを授かっております。』
冷や汗をかきながら謝る執事にムランは『そうですか、身体をご自愛ください』と返す。
「このまま会わないで終わらないかな~」
「…一体何を言ってるんですか、そういうわけにはいきません。お覚悟を」
会場の隅で笑顔を貼り付けながら後ろに控えているアメリアに冗談のような本気を言い、鉄面皮のように表情を変えない彼女が冷たくそれを否定する。
「せっかくなのですから社交をしてみればよろしいのでは?」
促すアメリアの視線の先にいるスアピとイヨン達は近隣の領主たちの子息である若人達に囲まれていた。
「いや~あの方たちはスアピたちが目的だからな~」
いつの時代も若者達は自分達の力を持て余していて、自分達が出来ないことをしたものに憧れを持つ。
そのしなやかさは危なっかしさと同義でもあるが美点と捉えることも出来る。
反乱軍とはいえ王国軍との戦闘を経験し、また討伐軍に唯一加わってわずかながらでも(ということになっている)武功を上げたスアピらを彼らは若者特有の素直さで取り囲んで話を聞いている。
スアピは得意げに、イヨンは恥ずかしそうに彼女の兄貴分である男の背中に隠れながら縮こまっている。
また彼らがスアピたちの戦場話を聞くのにはもう一つ理由があった。
辺境とは言うが、端的に言えばそれは自国と他国の間にある国境地帯だ。
異民族、異国、盗賊に山賊そして反乱軍とここ数年の間、彼らの周辺地域では小競り合いが続いている。
数年に一度はそれらが手を組み、あるいは吸収統合して王国に反旗を翻す。
戦争は彼らにとってはあり得る事態だ。
そしてムランの父親がそうであるように彼らの親も戦場を疾駆し、中には煌びやかな功績をあげた者もいる。
若さという無謀とも勇敢とも付かない勇気を持った男達は自分も華々しい戦功を上げたいという気持ちもあって、身分差も忘れてスアピの話を真剣に聞いている。
一方ムランはというと……。
ああ早く終わらないかな~という本音を隠しながら、たまにやってくる他の招待客達に愛想良く接し、それらが去った後にアメリアに駄目だしをされている。
「ああ~!このまま帰れないかな~」
往生際の悪い愚痴をムランが零している。
それを聞いてアメリアが少し眉を吊り上げた。
「いい加減にしてください、社交とて領主として必要な仕事でしょう?……それに私だって怖いのを我慢してるん…だから」
「えっ?それは…」
疑問を口にしようとした際に横合いから大きな声が響いた。
「お待たせした、我輩がルドブール=ダランである」
大柄な身体とギラギラとした瞳をしたルドブール家当主がやってきた。
その後ろには彼ほどではないが筋骨隆々とした護衛を二人引き連れて、自身よりもやや背が低いムランを見下ろしながら挨拶をする。
「サンシュウの街の領主トール=グランの代行であるムラン=グランであります。本日は良き宴にご招待いただいて感謝にたえません」
アメリアの教育と先ほどまで続けられていた駄目だしが功を奏したのか中々に堂が入った挨拶だ。
「ふむ、思っていたよりもお若いのですな…それにやや貧弱だ。失礼だが貴公はいま少し鍛錬をなさった方がよろしいのではないかな?」
全く失礼だと思っていない口調でダランがムランをからかう。 その後ろで警護の男達も冷ややかに笑っていた。
「ご指導ありがたく存じます」
そんな彼らの態度にも目下の態度を崩さずに礼儀正しく返す。
いくら中央の貴族だったとはいえ無礼な言動であることは確実だが、内心ムランはほっとしていた。
彼の頼りになり、時に困らせてくれる従者達は近隣領主の子息達に捕まっていてこの場に居ない。
もし仮にここに彼らが居れば、ムランに対する悪意と侮蔑を正しく感じ取り、何がしかの行動を起こしていたであろうことが用意に予測できたからだ。
ちなみに何がしかの行動とは、ダランをぶん殴るか、ぶちのめすか、あるいはこの会場ごとぶっ壊すか……あるいはそれ以上かを意味する。
「よいよい、せいぜい王国に忠誠を尽くしなされ、オルド殿だけでなく……な」
最後の言葉はいよいよ持って嫌味だった。
言外には有力貴族の尻尾振りばかりしてるという誤解の元に正しくムランを見下していたのだ。
それでもムランはシラっとした態度のままで、
「ははっ、これは手厳しいですね…ですが以後、気をつけます」
無難に返す。
いや、無難どころではなく、これでは媚びへつらいに近い。
だが彼としては予測できたことであるし、実際に外面はどうあれ今日の参加者達も同じようなことを思っている者達もいるであろう。
ムランからしてみれば自身の評判などどうでもよい。
ただただ自分の生まれ育った街と領民が平和にそこそこ豊かに過ごせればいいだけなのだ。
そのためならば自分がどう思われようが気にしない。
そこもまた彼が領主の子息らしからぬところの一つであった。
「ふん、まあこの宴を楽しみたまえ…このような地では珍しい代物ばかりであろうから、王侯貴族の方々と交流するときには大きく助けになるであろう」
傲慢なまでの気位には面食らってしまったが、どうやら今宵の宴の主人はそれだけで自分に興味を失ってくれたようだ。
ムランは内心ホッとしながらも、油断せずにニコリと笑って返事をした。
そう言って立ち去ろうとするルドブール卿が足を止めて、ムランの後ろに控えながらやや俯いていたアメリアの顔を覗きこむ。
「うん? …ほほお、アメリヤではないかね、今はグラン家中に勤めているのかね?」
「…は、はい」
珍しくアメリヤが口が重い。 いつでも冷静な彼女が珍しいなとムランは驚いた。
その怪訝な表情がうっかり出てしまったのか、ルドブール卿がニヤリと笑い、答える。
「ムラン殿は知らなかったようですな…このアメリヤは半年前までは我が家中で働いていたのですよ」
「ほ、ほお…そうですか」
体裁を取り繕うように返事をしながら、ムランはアメリヤの身体が硬直していることに気づいた。
そして同時に震えていることにも…。
「とは言いましても、この女はいささか主に対する口の聞き方を知らないものでしてな、よく折檻をしたものです…ほら、この鞭でですよ」
ズルリと懐から何かを取り出して自慢するようにそれをムランの鼻先へと持ってくる。
それは鞭だった。 乗馬用の鞭を改造したようで、よく使い込まれていることが見て取れた。
そしておそらくは馬に使ってはいないのだろう。
領主の言葉とその表情、そしてうつむいているアメリアの様子でよく理解できた。
鞭をおもむろに取り出して、ムラン達の前で大仰に振る。
アメリヤの顔は蒼白になって、はっきりとわかるほどに震えていた。
「どうか…その辺で」
ニコニコとした顔で止めに入るが、興の乗ったダランはムランの制止を無視して話を続ける。
「貴公も苦労しているであろう…このメイドは教育作法を教えるサヌーラ家のものだというから雇ってはみたが、作法はともかく主に対する礼儀を弁えぬとんだ欠陥品でな、あれが違う、これが違うと細かいところばかりに言うのでな、私自ら礼儀を教えてやったのだ…ほれ、こうやってな」
そういうと鞭を振りあげてたたきつける素振りをする。
「ひっ…」
それだけでアメリアが悲鳴を小さく上げる。
「ははは、まだこの恐怖を覚えているようだな毎日毎晩これでお前を教育してやったころが懐かしい…もっともそのおかげでこのような地に来る羽目になったのだがな」
ダランの目はもはや笑っていない。
ドロドロとした恨みとその歪んだ欲望で煮込まれたその瞳はまるで獣のようにさえ見えた。
なるほど、このお方が都を追われた理由はこれか…。
そっと後ろを振りかえるとアメリアは顔色をますます白くして目線を下に向け続けている。
よく見ると身体は震えていてまるで泣いているようにも見えた。
「ここでまた出会えるとはなんという僥倖であろうか! ムラン殿と申したか、特別に貴殿に私が従僕へのしつけを教えてやろうではないか」
それを聞いたアメリアの震えがひどくなり、あとずさる。
「もうしわけありませんが遠慮いたします。メイドの体調が悪いようなので失礼いたします」
おびえた様子のアメリアの手を引いてムランがその場を離れようとするが、ダランが彼らの前に立ちはだかる。
「いやいや待ちたまえ!なるほど、貴公は交渉が上手いようだな」
「…何のことでしょうか?」
「よいよい、みなまで言わなくても…先の戦で供出した物資のせいで困窮しているのであろう?この私が助けてやろうではないか」
ダランの目は血走っている。
彼の言葉が嘘や冗談ではないことをそれは表していた。
「それはありがたい話ではありますが…」
「そうであろう!そうであろう!本物の貴族の教育というものを特別に教授してやろうではないか…さあこっちに来い!」
「い…いやっ…」
ムランを押しのけてダランがアメリアの華奢な手を掴みあげる。
恐怖に怯えながらも拒否しようとする態度でさえグランの興奮を増す材料になっていたようで、荒々しい息を吐きながら強引に引きすっていこうとする。
「………………」
ムランは無言であった。
必死であがなおうとするアメリアとダランの顔を交互に見た後に彼は大きく溜息をつく。
「どうした小僧、お前も早く手伝…ぶわっ!な、なんだ!」
ジットリと素肌に汗をかいたダランの顔に何か柔らかいものがぶつかり、それがパサリと床の上に落ちた。
「な、何のつもりだ!」
大きな怒声は広い部屋の中でも響き渡り、会場に居た全員が振り返って何が起こったかを確認した。
手袋だ。
綺麗に染色された絨毯の上には純白の手袋が落ち、それを若き領主代理が主催者の顔に投げつけたのだ。
場が静まり返る。
招待客もその従者も、宴の主に使える者たちでさえその状況に何も言えないでいる。
「き、貴様…こ、このダラン=ルドブールに…ぶ、無礼な」
思いがけない屈辱にダランの顔は真っ赤になっている。
後ろに居た護衛の男達も一瞬あっけに取られてはいたが、すぐに気づいて腰にさしていた獲物の柄に手をかける。
「黙れ下郎!招待された身であるゆえ、我慢を重ねてきたが目の前の蛮行許しがたし!貴公も都で誉れ高き貴族の一員であったであろうに、我が連れに対する破廉恥な愚行をもはや見逃せぬ」
「な……なんだと」
おどおどと気弱な田舎領主の子倅と思っていた若造からの罵倒に一瞬怒りを忘れてダランは何も言えないでいた。
しかしすぐに招待客達の視線が自分達に集中していることに気づく。
そしてそれによる恥辱に対する怒りが猛烈に沸いてきた。
なぜこの程度のことでこのような大恥をかかされなければいけないのか!
貴族に仕えているとはいえ所詮は従僕、ましてや教育の行き届いていないメイドの躾を代わりにしてやろうとしただけだとういのに……。
「こ、小僧、たかがメイドのことで、この大貴族ダラン=ルドブールに決闘を申し込もうというのか」
決闘という言葉に周囲の客達がざわめき、たかがという言葉を聞いて、ムランの眉がピクリと動く。
「他家の従者に鞭打とうとし、あまつさえその歪んだ愉楽を共に楽しめとは……恥をしれ!」
若者の声はダランに負けず劣らず空間内に強く響きわたった。
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