2章メイドは唐突に⑥
そして当日の朝がやってきた。
向こうで用意された馬車が宮城にやってくる。
馬車の運転手。
下働きとはいえ名門に使えている男は今回の任務に対して不満を持っていた。
放逐にも近い主の異動に伴いこのような田舎に来ることになった。
そのうえにろくに整備もされていないような悪路のせいでヒリヒリと尻が痛む。
こんな田舎で一生を終えたくなどない。
俺には息子や妻がいるのだ。
若いころから必死で働いてやっと名門家中の末席に入れたのだ。
息子も順調に育ってきて庶民向けとはいえ学校に入れられる算段もついた矢先にこんな辺境の地へとくることになってしまった。
妻は気丈にも彼を励まし、自らの仕事に励んでいる。
しかし慣れない田舎暮らしゆえの苦労は着実に彼女を疲労させている。
息子も息子で彼の仕事を手伝いながら頑張っている。
貴族仕えである以上は仕方ないことだ。
今ままでに理不尽な目にあったことなど数え切れない。
それでもわずかに見えた希望が遠くなってしまったことへの絶望と悲哀。
それを未だ見ていない田舎領主の息子に転換して彼は愚痴を心中で吐き続けていた。
門の前に馬車を止め、何も無い殺風景な周囲を見渡しながら彼はまた溜息をつく。
「使者殿、お待たせしました」
声に反応した彼はそれでも貴族の従者にふさわしい素振りで振り向く。
そして呆気にとられた。
エキゾチックな服装をした赤髪の少女は念入りに手入れがされて鮮やかな紅色で、まるでルビーのように日の下で光っている。
偉丈夫でありながら都の紳士のようなスアピはその服装がアンバランスであり、野暮ったくも見えなくも無い。
だがそれくらいの方が辺境であるこの場所では気取っているようにも捉えかねないような衣装が色々な意味でバランスが取れている。
そして主のムランは彼がいつも来ているであろう礼服だけで飾りも質素な代物だった。
イヨンやスアピと比べれば主人であるムランの方が貧相にも見える。
使者は恭しく挨拶を交わすと彼らを馬車へと誘導する。
その心中ではやはり田舎者だな。
自分の方がまだセンスがあると内心で嘲笑めいた呟きを吐くが、彼らの後ろから着いてきたメイドを見て、慌てて顔を伏せる。
もしかしたら嘲りが表情に出ているかもしれない。
もちろんそんな感情を表に出すわけではないが、うっかり見せてしまえば殺されるかもしれないのだから当然の反応だった。
実際に彼の前を通るメイドは不機嫌そうに唇を真一文字にして、一言も発していない。
胸元にある緑色のブリーチが太陽の下で対照的にキラリと光っている。
気づかれてしまったのだろうか?
従者は内心怯えながらも、この眼鏡のメイドを含めた四人が乗ったことを確認してから慎重に扉を閉めた。
どうやら気のせいだったようだ。
そして馬車が一台しか来ていないことにもこの田舎者達は怒ってはいない。
ホッと一息つきながら、従者は座席に座り馬に鞭をくれた。
本来ならば従者達と主の馬車を別々に用意しておくものだ。
しかし辺境の地であるここでは本来馬車は荷物を運ぶための道具であり貴人を乗せるようなものなど隣のサンシュウの街のような大きい街の主くらいしかもっていない。
それとてそれを二台そろえるのも大変ではあるが、不可能ではない。
しかし今回の宴の主催者であるルドブールの主人自体が二台も使う必要は無いという決定をしたので馬車は一台だけであった。
それだけで宴の主が内心、この若き領主代理達を歓迎していないことがわかる。
とはいえ、当の本人達はこの扱いに対しては何とも思っていないようである。
なぜなら従者が馬に鞭を入れて走り出してしばらくしてからの会話がわずかに空いていた隙間から漏れ聞こえてきたからだ。
「いい加減機嫌を直してくれよ」
「…別に怒ってなどいません、ただ憤っているだけです」
それは怒っているというのではないだろうかと運転する従者は心の中で呟いた。
「そんなに変かな?」
「変ではないだろ、確かに動きづらいけどな、これじゃ屋根の上や木に登るのが大変だわ」
「イヨンは好き~!」
元気な子供のような少女の声が耳をすまさなくても従者の耳に入ってくる。
「イヨン様はこの際良しとしましょう……スアピ様も似合ってるいるかどうかはともかくそんなものでしょう」
「こんな服が似合ってたまるかよ」
ぶっきらぼうな口調を無視したメイドの少女の声が強く場車内と外に漏れる。
「問題なのはムラン様です!」
「これってそんなに変か?」
「いや、別に…いつもどおりだろう」
「うん…いつもどおり、かっこいい!」
「そうか~、イヨンありがとな…よしよし」
「エヘヘ…もっとして~」
「それじゃ俺もなでてやるよ、ホラヨ…って痛え!」
とたん、馬車がガタリと右に揺れる。
「スアピ…頭、撫でるの下手だから、イヤッ!」
「だからって思いっきり叩くことはないだろうがよ…」
「まあまあ…迷惑だから、この辺に…」
「いい加減にしてください!こんな狭い馬車の中で揉めない!」
ビリビリと全体が震えたあとに馬車内の会話が途切れる。
「…ごめんなさい」
「わ、悪い…い、いやごめんなさい」
「…とにかく、私が問題にしてるのはムラン様なんです」
「えっ? お、俺なの?」
「…普段通りの格好というのはわかりますが、もう少し飾りつけやもしくは多少なりとも見栄えをどうにかしようくらいは考えてください。今回の主催者のルドブール様は都でも上位の貴族様であった方ですよ?本来ならその方の集まりに平常のような礼服で来るだけでも心象を害すかもしれないとうのに……」
「いや~、資金難だからさ、見栄も晴れない…みたいな」
「数日前の買い物で大量に洋服を買いましたよね?主にイヨン様用ですが…」
「だ、だって…どれもイヨンに似合ってたから」
「その気持ちはわかります…だからってご自分の分が買えなくなっては意味が無いでしょう!」
まるで娘を溺愛する夫とそれを嗜める妻の会話だな。
従者は馬に鞭をくべながらまたツッコミを入れた。
「そういえば貴方も珍しいからってずいぶんと買い食いしてましたわよね、しかもムラン様のツケで」
「えっ? そうなのか? 通りで思ったよりも値段があるなとは思ったんだが」
「い、いや…それを俺だけのせいにするのはズ、ズルイぞ…イヨンだって結構食ってたんだからな」
「…私、そんなに食べてない」
ガタリと馬車が動く。
ああ、おそらく馬車内で立ち上がったんだろうな。
従者は馬を器用に操りながらバランスを取る。
「う、嘘つけ!バクバク食ってたじゃねえか、あれもこれもそれもって」
「…食べてない、スアピが嘘をついてる」
「なっ、う、裏切ったな…お、俺を裏切ったな~~~!」
「静かにしなさい!」
また馬車内に静寂が戻った。 今度は息子と娘を叱る母親か~。
ふと坂の上にあるルドブールの屋敷が見えてきた。
それでもたどり着くまでには少しの時間があるだろう。
なんとなく名残惜しいような気持ちになって視線を後ろに向けるがシュンとした顔の赤い髪の少女と短髪の少年の顔が見えた。
本当に叱られた子供みたいだな~という感想と同時に従者の口元は自然とほころんでいた。
この決して短くはない時間の間に彼は後ろの乗客達に対して好感を持ったことに気づく。
そして無事に帰ってこれるといいなと言う不安も同時に持ったのだった。
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