不可能な条件。 必死の逃走と追跡 後編
帰ってきたムラン達の姿を兵達がほっとした顔で迎えてくれた。
開戦の挨拶に行ってくると言っていたので、そのまま敵の隊長に切り殺されて帰ってこないかと心配していたのだ。
兎にも角にも生き延びるという僅かな、髪の毛一本程の希望を見出すには彼らが必要だということは重々承知しているからだ。
『開戦の挨拶たあ、上品な兄さんだな!』誰かが呟いた野次を笑顔で受け流し、帰ってきたムランは兵達を集め、説明を始める。
「まず貴方達に最初に言っておくことは無理をするなということです。 前線での兵の相手はこのスアピとイヨンに受けてもらいます。貴方達は二人が漏らした少数の敵を多人数で倒してくれればいい!向こうの兵士一人につき四人で攻めかかってください」
兵士達が顔を見合わせて困惑する。
ただでさえ数はこちらが少ないのに、一人に四人でかかれだって?
そんなことをすればたちまち取り囲まれて自分達が殺される筈だ。
「どうやってそんなことをすればいい!俺達よりも敵の方が数が多いじゃないか!」
当然の反問にムランはうんと頷き答える。
「そうですね、まずはこの場から移動しましょう……幸い数キロ行った先に、吊り橋がかかっているのでそこまで行って布陣しましょうか?」
「そんなことできるわけないだろ!俺達がそこに行くまで敵が見逃すはずないじゃないか!」
「……そのために俺達がここで踏みとどまって奴らを一定時間抑えてやるよ」
周囲を威圧するようなスアピの言葉に文句を言っていた数名が黙り込む。
「ま、まあどちらにしろこのままでは全滅は必死ですから……よろしくお願いします」
ささくれだった空気を取り成すようにムランが口を挟んでその場は収まることになった。
いくら文句を言おうが結局はムラン達の言うことを聞く以外無い事は彼らもわかっている。
なので渋々とはいえ、ムランの提案は入れられた。
粗末な陣立てと防衛準備に向かう彼らが振り返り見た三人は絶望的な状況でも妙に気楽なように見える。
『まるで遊びに行くように見えるな』
誰かがそんなことを呟いていた。
「時間だ……返答は無いな」
刻限の時間が来てもムラン達の返事は無かった。
グラムが要求したのは副官カンバルを殺した人間の要求だった。
しかしムラン達には身に覚えの無いことであり、そんなことは知らないとこたえたが、『それ以外の解決法は無い』と一蹴し、僅かな猶予期間を与えて返したのだった。
そしてたった今、その猶予期間がタイムリミットを迎えた。
つまりは徹底抗戦するということだろう。
おそらくカンバルはあの従者のどちらか二人にやられたのだろう。
いや、赤毛の方は怪我をしていたはずだから、槍の方か、もしくは多人数で殺したのかもしれない。
ふと奴の最後の表情を思い出す。
照れたように笑う顔、それだけが自分の心に残っていた。
「現金なものだな……自分の首を締めている今の方が心が軽いとは」
ムラン達の降伏を受け入れなくても、放っておけば自身の逃亡の成功する確率は高まる。
実際にアッサームもこの追撃に難色を示してはいたが、言うことを聞く気などなかった。
私腹を肥やそうとも惨めに亡命することになろうとも奴の敵だけは討たねばならない。
でなければ自分はこの先生きていくことが出来ない。
一歩も進むことも出来ず、復権どころか惨めに卑屈にこの先を過ごしていくことになるだろう。
グラムは国の武官としては唾棄すべき人間ではあったかもしれないが、武人としての矜持だけは十分に備わっていた。
でなければ荒くれ者の兵士隊の長になどなれず、部下達もついてきてはくれなかっただろう。
もしも王国が腐敗していなければ、あるいは有能な人間の下であれば自分もこのような状況には置かれなかったのではないか?
「ふっ、愚問だな、それとも自己憐憫か……」
過ぎる想像に自嘲しながら、彼は部下達と逃げた若造達を探し追いかける。
先だって戦死した愛馬の名前を鞍に刻み、代わりの馬に乗りながら慎重に山道を進んでいく。
この山は何度もカンバル達と探索しているので地理には明るい。
奴らを見失う心配も無いが、反面、道がクネクネと曲がっているところが多いので伏兵を設置しやすいのだ。
それに……
「……部下達には絶対に馬を急ぎさせるなと伝えろ」
先行部隊へ向かう伝令にそう伝え、グラムは逸る気持ちを抑えるために強く手綱を握り締める。
先だっての雨により山のあらゆる道がぬかるんでおり、慎重に馬を進ませないと泥に足を取られて落馬する可能性がある。
それは単純に部下が怪我をしたりするだけではなく、転倒した馬が足を折ったりなどで立ち上がることが出来ない場合、それ自体が道を塞ぐ障害物へと成り果ててしまう。
馬自体が人間よりも重く、退かそうにも踏ん張りの利かないこの泥道ではそれも大きな時間のロスとなる。
痛み等で暴れだした場合、二次被害が起きることもある。
グズグズしていれば敵の本隊がやってきて、あべこべに自分達が追撃されることになってしまい、足が沈みこむようなこの状態では坂を駆け上ることもできず、惨めに殺されてしまうだろう。
そのためにも急がないように。
しかし速度はなるべく落とさないようにというある種の矛盾をかかえながらグラン達は迫いつづける。
一方、ムラン達もこの状況には往生していた。
退却ルートに関しては敵の方が詳しい以上、開き直って最短ルートを通ることはあっさりと決まった。
しかしこの道の状態はムランの予想以上だった。
理由の一つはやはり大雨により発生した泥水が跳ね上がるほどになったこの山道だ。
「ちくしょう、泥で足が取られて動きづれえ」
「あ、足が……重い……動け……ない」
足首まで沈み込むような地面に誰もが疲労して動きが遅くなる
。
いつ恐ろしい敵が後ろから迫ってくるか気が気ではない。
でも焦れば焦るほどに足は取られてもつれていく。
「し、しっかりしてください……あともう少しなんです……から」
足を挫いた一人に肩を貸しながらムランが皆を励ます。
すでに足どころか身体中が泥に塗れて真っ黒になっている。
それでも笑顔を絶やさず、荒く切れる息をなんとか誤魔化して全員に声をかけていく。
「皆さん、この道をもう少し進めば釣り橋があります!そこを越えて橋を落とせば 敵はもう追ってこれません!もう少しです……もう少しですよ!」
声を振り絞りながらも心は正直なもので、隊列の後ろを見ながら声を張り上げていく。
すでに全員が疲労以上に恐怖感で限界を迎えている。
いまこの瞬間に敵が追いついてきたらなすすべも無く蹂躙されるだろう。
それが分かっていながらも彼らを急かすことは出来ないのだ。
無理に急かせばかえって泥にとらわれるし戦うための気力も奪われてしまう。
状況が生み出す矛盾にとらわれながらも最後まで希望を捨てず若者は皆をもりたてて重い足を動かしていく。
しかし事態は絶望へと傾いてしまう。
もっとも前方を進んでいた誰かが悲鳴をあげた。
遅れて今度は複数の声で怒声とも悲鳴ともつかない叫びが山中に木霊する。
『……やはりか』
予想していたとおりだ。
心中でだけ呟いて、無表情のまま支えていた一人を地面に座らせ、先頭へと走り出す。
前へと進んでいくうちに義勇兵の人々の顔が無表情になっていく。
それは希望が途切れた姿だ。
極度の疲労に対抗していた希望が敗北した時に人はその顔になってしまう。
父や父の部下達が何度も話していたその姿を始めて目の当たりにし、足がさらにもつれてくる。
その状態になったときの人間の姿や行動も父たちから聞いていた。
果たして自分はそれを御することが出来るだろうか?
頭をよぎる不安を噛み殺しながら前へ前へと進んでいく。
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