11

「なんてね、あなた」

 髪を結い終えて腕組したシクラメンがシンクへもたれかかる。

「今、パパが来たりしたら、ショックで卒倒するわよ。せめて下着くらいつけなさい」

「ええぇ」

 唸り返すパーリィは、確かに今、素っ裸だ。

「裸でご飯を食べる女の子なんて、どこにいるの?」

「やぁだよ。やっちゃダメなことが終わった後ってさ、体に何かくっついているの、苦しいんだもん。こうさ、ぱーっと脱ぎたくなるんだよ。それにこの間はさ、一か月もあのダサい制服、着てたんだよ。もう限界。パーはパーだ。このままで食わせろ」

 つけあわせのプチトマトへ食らいついた。とたん弾けて中から汁は飛び出し、すすってパーリィはその目をシクラメンへ持ち上げる。

「それってもしかしてさ」

 そうして浮かべた笑みはニンマリがちょうどの形だ。

「パーのおかげで、久しぶりにムラムラ来ちゃった?」

 とたん腕組みしたままの手をひらひら泳がせたシクラメンは、キッチンからとっとと抜け出してゆく。脱ぎ去ったエプロンをリビングのソファへ投げ込み肩をすくめてみせた。

「冗談。青臭い小娘だけでも願い下げよ。あたしの好みは震えが来るようなたくましい男なの」

 つまりシクラメンは誰がなんと言おうとパーリィが愛着を込めて「クラ男」と呼ぶ、れっきとした男だ。パパとシクラメンが夫婦であるはずのない、ましてパーリィがそんな二人の間の子供であるはずもない、これがそもそもの理由だった。

「げー、マッチョ。クドいよそんなの」

 叫べばパーリィの口の中、赤と黄は混じり合う。

「いやぁね、栄養失調みたいなひょろひょろのどこがいいの?」

 ソファの足元、立てかけられていたベージュのトートバックを、掴み上げてシクラメンは投げていた。

「やっぱりクラ男は、変だ」

「裸で飯食う女に言われたくないわよ。じゃ、今からあたし行ってくるから」

 見て取ったからこそ急ぎ皿のオムレツをかき集める。まとめて口へ放り込み、食みながら「ごちそうさま」でパーリィはフォークを投げた。「いってらっしゃい」で席から立つと、振り返りざま駆け上がったソファをぼうん、と飛び越え折りたたみの小さなテーブル前に収まる。

 そう、これもパパからの大事なプレゼントだ。テーブルにはパールピンクのノートパソコンが置かれていて、閉じたその上には相棒のもぐも乗っけてある。

 そんなもぐへ、へへ、と笑いかけて抱き上げたなら、股ぐらへとかくまった。

「こら、パー。あたしはもう行くんだからお皿、洗ってからになさい」

「あとでする」

 小言へ返して電源を入れ、ちらり、盗み見た場所へ手を伸ばす。星柄が散らばるピンクのホットパンツを引き寄せ足を通したなら、これがなければどこにおっぱいがあるのか判然としない。引っかかるようについてきたチューブトップもまた頭からかぶった。

「って、いつもそこから動かなくなるじゃないの。あなた」

「だから後でするって。だって今日、ユースケと約束してるんだもん」

 何しろホテルに詰めていたせいで、ここしばらくそんな暇などなかったのだ。

「約束に遅れるのはさ、レディーのすることじゃないよ」

 教えてまだ暗い画面へと、パーリィはこれでもかと顔を近づける。映り込んだ影をたよりに前髪をふた筋つまんで整えなおしたところで「あのさぁ」とシクラメンへと口を開いた。

「あたしとユースケは、付き合っているんだよ」

「なにそれ」

 カバンの中をのぞき込むシクラメンは言ったきりだ。

「ネットだけで会ったこともないんでしょうに」

 上げた顔で中から細長い箱を掴み出しもする。

「関係ないよ。だってパーには分かるんだもん」

「何が?」

「さいっ、てー」

 歯をむき出したところで「あらそう」と、放つシクラメンにこそ言われていた。

「本当はその彼、あたし好みのマッチョかもしれないわよ」

「そんなのない。ぜぇったい、ないっ」

「どうして。わかんないわよ。だってあなた、会ってないんでしょうに。あらやだ。そのときは譲ってもらわなきゃ」

「絶対にないんだって。だってユースケはさぁ、BMXでプロ、目指してるんだよ」

 と話し始めたそれは、かわす文字で知ったユースケについてだろう。

「プロなんだよ。去年のチャンピオンシップではさ、フリースタイルでいいところまで行ったんだって。ダート部門で、雑誌に載るところだったんだから。じゃなくてもユースケにはちゃんとファンがついててさ。すごいのはユースケの友達がやってるお店で、ユースケのオリジナルロゴがついたグッズ、販売してるの。パーもそれ写真で見た。Tシャツとか、キャップとかさ、むちゃくちゃかっこいいの。今年は絶対に優勝して大きいスポンサーつけるんだって。で、海外遠征して、表彰台に上がるんだって。その時はさ、必ずパーを会場に招待してくれるって。ユースケはさ、パーに言ってくれたんだよ。それってさ、パーはユースケの彼女だから、なんだってばぁ」

 とたん堪えきれなくなってパーリィは、ぐふふと笑う。

「BMX?」

 だがその十分の一もシクラメンには伝わっていない様子だ。

「自転車」

 教えたところで「ああ」と言うが様子こそ怪しげでならない。

「いくつなの?」

「二十三」

「本当に、男?」

 などと、どの口が言おうと確かめておかなければならない例はここにあった。

「ホンモノっ。大会の写真、顔はよく写ってなかったけど、空飛んでるとこ見せてもらった。オトコ!」

「それであなた、招待されたら行くつもりなの?」

 質問が膨らませる妄想にパーリィは、またむふふ、と笑う。

「グッズにはね」

 それは思い出さずにはおれないものだった。

「十字架が描いてあるの。それってユースケのおまじないから取ったんだって。右手のタトゥーがさ、試合に勝つための、なんだか神様の言葉なんだって」

 どうしても見てみたくてねだって送信してもらった画像は、四方がチューリップのように割れて開いた十字架だった。十字架はバーコードのようなローマ字に囲まれると、映し出されたユースケのヒジから下も手首の辺りにくっきり刻まれていたのである。

 最初、タトゥーなど見慣れていないせいで気味悪く眺めていたが、それがユースケを支えているのだと思えば次第に頼もしく思えてきて、今ではもう何ともない。むしろそこまで眺め過ぎたせいで興味は刻むユースケの腕へ移ると、まるで違う、と思わされてもいた。

 太い手首や左右に張った筋肉はパーリィの倍ほどもあり、すごいな、と目を見張っている。ままに自分の腕を前に並べて、やっぱりユースケは男の子なんだと感心しもした。ならパパのことは思い出されて、その手でパパのように頭を撫でられたらどんな気分になるだろうと考えてみる。すぐにもそれがとんでもない想像だったと思い知らされて、パソコンの前で一人、小さくなったこともあった。

「そんなのが似合うんだよっ」

 振り払ってパーリィは声を張る。

「絶対、シクラメンの好きなマッチョじゃないよ。パーの好きな背が高くて足の長い、笑ったら優しい、もの凄くかっこいい男子なんだって」

 だが「はいはい」と目を逸らすシクラメンは、もう聞いていない。

「ならせいぜいおしゃれしてデートなさいな」

 様子に「もう」とパソコンへ向きなおっていた。握りしめたマウスで猛然とダブルクリックを繰り出せば、視界へそれは入り込んでくる。なぞり視線を持ち上げていた。「はいこれ」とそこでシクラメンは、トートバックから出していたあの箱をぶら下げていた。

「パパからのご褒美。今回の分、預かって来たわよ」

 パーリィの目はそのときゴウ、と景色を吸い込んでいた。

「なんでそれが最後になるのよ、クラ男のバカっ!」

 箱を奪い取る動きは早く、立てた爪で一刻も早くと包を破る。革ばりの黒い箱がのぞいたならもう、おっかなびっくりだ。静かに開いて「ふわぁ」と声を上げていた。

 時計だ。

 つまめそうな文字盤を金は縁取り、柔らかな光を放っている。傾ければ文字盤は虹色に反射して、その中でまつ毛のような秒針が、文字盤に埋め込まれた七色の宝石をつないで時を刻んだ。

 眺めるほどに口は開いて、何て綺麗なんだろう、思うままパーリィは息することをしばし忘れる。

「パパがいつも会えなくてごめんね、って」

 同じようにのぞきこんで、シクラメンが囁いていた。

「ほら、見てないで出してみなさいよ」

 弾む声でパーリィの頭を突っつきもする。

 促されて我を取戻し、パーリィは時計へと触れていた。そのチェーンベルトはネックレスのように華奢で、だというのに思いがけずずっしり重い。そこにはまるでパパの思いが詰めこまれているかのようで、感じ取りながらさっそく腕へ巻きつけた。慣れないせいかうまく金具が留められないでいたら、見かねたシクラメンが代わってくれる。

「あら、いいじゃない」

 言う声はまんざらでもない。確かに、ゴボウのようだったパーリィの腕もこれでセレブの装いだ。

 かざして眺め、眺めてパーリィは瞬きを繰り返した。こんな物をプレゼントしてくれるなんて本当にパパは凄い、と思う。プレゼントしてもらえるパーリィは本当にパパに愛されているんだ、と噛みしめた。なら進む時計の針はもうパパからの愛情がたまってゆくメモリのようにしか見えず、パーリィはなおさら時計へ釘付けとなる。

「じゃあね。お皿、洗っておくのよ」

 傍らを離れたシクラメンがトートバックを担ぎ上げていた。ひたすら手首をひねって時計を眺め、パーリィはただ「うん」とだけ答えて返す。

「パー」

 それは玄関口からだ。

「壊れるから洗うときはそれ、はずしなさいよ」

 パーリィはそれにもまた「うん」と返しただけだった。

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