マジョに与える鉄槌

吉城チト

プロローグ


そして、△帽子さんかくぼうしが血に濡れた。



森の中、空の天気は芳しくない。風が轟轟と吹き荒れ、降り注ぐ雨は勢いが強い。


そんな森に人間が一人いた。


頭にはピンと尖った△帽子を被り、深紅のマントを肩から下げている。


腰まで伸びる髪は駆ける足を踏み出すたびに跳ね上がり、広い縁の下に隠れた、燃えるような群青の瞳と同じ色をしていた。


肝心の身体の方は、齢十六にしては未発達な低い身長と凹凸おうとつだが、その顔は恐ろしいほど端麗。

顔の全パーツが時計の歯車のように組み合わさり、魅力を最大限に発揮している。


しかしその姿、憤怒の罪が小娘の皮を被っているようであった。


彼女の名はヴェル。私の持ち主である。

そう、小さな両の手で持っている大鎌サイズ、イデアの契約者である。


ヴェルの足がとつぜん止まった。そして、きょろきょろと囲む木々を見渡す。

「おやおや、囲まれたねえ」

木の影に隠れていた骨格標本、つまり竜牙兵が姿を現した。全てで六体。

「お前は黙っていろ。集中が途切れる」


じりじりとにじり寄って来る竜牙兵を前に、ヴェルは焦った様子も大してなく、私に暴言を吐く。


いつも思うがどのような教育を両親から受けたのだろうか。

常日頃の言動からまともな教育を受けていないことは確かか……。


すぐに私を構えるかと思いきや、柄を深々と地面に突き刺した。

非常に度し難い。自慢の身体に土が付き非常に度し難い。


私の気持ちを他所に、鎌の刃に写る自分を睨みつけたヴェルは鍵文字キイワードを唱え始める。

「私は終ぞ目標に達したことがない。


私の拳は終ぞ敵を圧倒したことがない。


私の心は終ぞ幸福を味わったことがない。


悲しみ痛む私の胸は憧れの灰を終まで飲み干す」


目を閉じて再び、

「飲み干す、飲み干す、飲み干す」

唱える。


魔法? 否、違う。自己暗示だ。

特定の行動を課すことで無意識のリミットを解除するという代物だ。

ある奇術師から学んだと彼女は言っていたが、詳しくは聞いていない。


ヴェルは身の上話しをしないのだ。私から聞かない限りは。

それにしても、私を鏡代わりにするのは止めてもらいたい。想定されていない用途に使われるのは、あまり良い気分ではない。


自身を強化したヴェルは私を抜き取り、片腕で前方を横に一閃。雨音を骨の圧し折れる音がかき消して、三体の竜牙兵は骨屑に変わった。


相変わらず雑な攻撃だが、絶つ肉の無い竜牙兵には効果的だ。


そして、ヴェルは間髪を入れない。振り返りざまに後方の三体も一挙に倒す。


「どうやら、この近くで当たりのようだね」

竜牙兵は使い魔でしか存在し得ない。即ち、近くにそれを操るマジョがいることを示していて、

「ああ、この近くにマジョが──ッ!!」


最後まで言い切らずにヴェルが前へ身を投げだした。さっきまで私達のいた場所を、火の玉が飛んできて焼く。

近くの木に燃え移ったそれは、煙を大量に吐き出しながら木を包み込んだ。


火力は高い。雨では消し止められないほどに。


〝ファイアボール〟総称だが、そう呼ばれる魔法だ。温度的に中級だろうか。

「ヴェル、なかなかやり手かもしれないぞ」

「そんなん知ってっから黙れ、ポンコツ!」

人が親切に教えてやったというのに、いつもこうだ。

もう教えてやるのを止めてしまおうか。


マジョは次々とファイアボールを撃ち放ち、私たちの喧嘩が終わるのを待ってくれる様子はない。

しかし、どれもこれも初弾ほどは狙いが正確ではない。


ヴェルが火から逃げている最中もマジョはしっちゃかめっちゃかな狙い目で撃ち続ける。


薄暗かった森は炎で明るく照らされ、煙で空気は濁り始めていた。

もはや森ごと焼き殺すつもりか。いや、私は死なないがな。


焼き討ちを行う敵がどこにいるかと聞かれれば火と煙の安全圏にいるわけで、この場合は、

「箒だ! 空にいるぞヴェル」

「ッ……ポンコツ、双鎌そうれん


二挺の鎖鎌に私は言われるがまま、変形してヴェルの手に収まる。

まったく、鎌使いの荒い小娘だ。


「煙をなんとかしろポンコツ!」

ヴェルは吸い込んだ煙で咳き込みながら、苛立ちを私へぶつけた。いつものことである。

「君は時々、私に無茶苦茶言うよねぇ……」

「できンのかできねぇのか速く言え!」

「無理」


事実を述べると、できなくはないのだが彼女が嫌悪するやり方なので、私は敢えて提案しない。


このまま口喧嘩を続けていると死んでしまうかもしれないからね、ヴェルが。


「ちッ…じゃあ、燃えてない木の場所は!」

「西に70メートル直進したところに辛うじて残っているが、しかし木なんか探して何をするんだい?」

「マジョを殺す。で、西ってどっちだポンコツ」

「そのまま直進」

低い身をさらに低くしたヴェルは火の粉と雨の降り注ぐ中を走り抜ける。


その間、マジョは〝念には念を入れよ〟とでも言いたいのか、火の玉の降り止むことはない。

おかげで、辿り着いたときには火の手の回っていない木は一本のみであった。


ヴェルはその最後の一本に私をときどき使いながら素早く、天辺までよじ登り空を見上げた。


曇天。今にも雷を落としそうな炭色の雲が青を覆い隠していた。

逆に地表は業火が地獄のように広がり続けている。


マジョも必死ということだろうか。

雷で打たれる可能性があるので普通は箒で飛ばないのだ、このような曇りの日は。


「マジョがどこを飛んでいるか分かるか」

「サーモ的に、右斜め上50メートル辺り」

マジョは火力の弱いところへとファイアボール撃つのに夢中で、こちらに気付いた様子はない。

「居た……こっちには気付いていないな」


ヴェルは左手の鎖鎌を逆手に持ち直し、ぶんぶんと柄尻の鎖を回し始める。

狙いを定め、そして、マジョとの距離が近くなったところで、鎖を解き放った。

「伸ばせ」

私は言われるがまま、鎖の長さを伸ばす。分銅がマジョへと届くくらいに。


分銅はマジョへと当たらない。

しかし、それで良い。

ヴェルが手首をスナップさせると、分銅が急降下し、鎖がマジョの箒へと絡まった。


「捕まえた」

そう言う彼女の顔は、やはり罪が小娘の皮を被ったものだった。

至極享楽。

まさに愉悦の極みと、今のヴェルなら声を高らかに謳うだろう。


絡まった鎖のせいでバランスを崩したマジョは、まだ何が起こったのか分かっていないで、あたふたとしている。

マジョが体勢を立て直すのを待つほどヴェルは優しくはない。


「戻せ」

私は伸ばした鎖を縮めて、箒へとヴェルの身体を引っ張り上げる。

ヴェルの身体はやはり軽くてスムーズに運べた。

いや、軽すぎて、と言った方が正解だろう。


箒に加わった重みで、マジョはようやく私達に気付いた。すぐさま傾いた箒を空間固定して、迎撃に呪文を唱えるがもう遅い。

「遅いンだよ、腐れ魔女ビツチが!!」

唱え終わるよりも速く、ヴェルが箒の上へと飛び移りてマジョに密着した。


こうなっては魔法で攻撃はできない。

自分も傷つく覚悟があるなら話は違うのだが、このマジョは別のようだ。


「灰は灰へ、塵は塵へ」

耳元でねっとりとした甘い死の宣告を囁くヴェルに、

「ひっ……!」

マジョが小さな悲鳴を上げるが、二挺の鎌で首を挟み込まれてそれ以上は何も言えなかった。


「死ね」


雷鳴が曇天に轟いた。

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