第23話 伯爵の城にて、不穏


 ――ここは、マーシール領ザガンの領城にある執務室。



 室内の壁には名画が飾られ、魔物の皮をなめして作られたソファやガラス製のテーブル、執務机などが置いてある。

 置いてある調度品は、どれもこれも高価な品ばかり。



 だが装飾は必要最低限に留まっており、貴族らしからぬ倹約ぶりが窺える。

 南向きの窓に垂れさがっているのは、マーシールの紋章である【矢を受けたサイ】を描いた軍団旗だ。

 敵の脅威に晒されても、決して止まらず戦い続けるという意思を表したのが、この意匠。

 ひとたび領地が危険に晒されれば、その覚悟が示されるのだという。



    ■



 エルブン王国の子爵にして伯爵家の家令であるバスク・ルアは、自らの勤め果たすため、この執務室を訪れていた。

 ――家令。

 基本的に家令と言えば、大抵が家事使用人を思い起こさせる。

 だが、それが辺境を治める大貴族のものとなれば話は別だ。

 領主一家の生活に関する業務はもちろんのこと、招待した他の貴族への対応、他領の領主との折衝、領地における政務の補佐に至るまで、様々。

 領城での一切を取り仕切る、いわば領主の右腕とも言える存在へと変化するのだ。



 バスクが一通りの報告を終え、最後に残った重要事項を伝えた折、



「――なに? 【古代魔術師エンシェントメイジ】が勇士隊ギルドに登録した?」



 バスクの報告に対して聞き返したのは、ライヴェン・ドゥ・ザン・マーシール。

 この執務室の主にして、マーシール領の領主。

 御年52となる、西部閥の筆頭貴族だ。

 背には王国貴族の証たる、金刺繍が施された赤い片マント。

 左胸にはそのマントを留めるための金ブローチ。

 腰には貴族の権力を表すという宝珠オーブが据えられた装飾剣。

 髪には白髪が混じり、灰色の髪を思わせ、顔には浅いシワの他に戦で受けた傷も刻まれている。

 初老の男だ。

 しかし瞳には強い光が宿り、訓練と魔物の討伐で鍛えた身体は矍鑠かくしゃくとしており、その壮健さを窺わせる。



「それで、それはまことか?」


「は。間違いないと」



 バスクの言葉を耳にしたライヴェンは、良い報せを聞いたというように笑みを浮かべる。



「そうか……【古代魔術師エンシェントメイジ】か。その者がザガンに根を張る勇士であれば、ありがたいことだな」



 バスクの報せを聞いたライヴェンの機嫌は良好だ。

 それも当然だろう。

 マーシール領は、領地が他国と接し、軍備に関して常に悩まされている状況にある。

 そこへ戦闘職、それも最上位の者が現れ、勇士として活動の拠点とするのは、領主としてもありがたいことなのだ。



「ただ問題がありまして」


「ふむ。その問題とは?」


「どうやらその者、隷下の呪術印を付与されているらしく、行動が制限されているのです」


「む……奴隷か。最上位職にある者が隷下に置かれていることには疑問があるが……」


「は。私はそれを懸念しておりまして」


「ふむ。それで? 何が言いたいのだ。バスク」


「私が愚考するに、その【古代魔術師エンシェントメイジ】を閣下に保護していただければと」


「私がその者を囲い込み、手元に置くと?」


「は!」



 ライヴェンの問いに対し、バスクは声に力を込める。

 これは、ギルドに【古代魔術師エンシェントメイジ】が登録したという報告がバスクのもとへと上がってきたときに、彼が企んだ案であり策だ。

 バスクは、マーシール家の家令である。

 主から良い評価を得るような結果を出し続ければ、これからも重用される。

 そうなれば、【西部閥筆頭貴族の家令】という高い地位は安泰だ。

 当然、それに見合う金銭も懐へと入って来る。

 伯爵からの報奨しかり。

 家令という隠れ蓑の裏で吸う、甘い蜜しかりである。



 バスクが己の欲に思いを馳せていると、ライヴェンが口を開く。



「そんな提案をするということは、それが可能な状況にあるということか。それで、その主はどんな人物なのだ?」


「その者は、どうやら平民らしく」


「……それだけの職の者を平民が隷下に置くとは意外だが、なるほどな。それでそのような提案をしたのか」


「は」



 そう。

 相手が平民ならば、その所有物を奪い取るのはたやすいことだ。

 奪われる方にとっては横暴極まりないが、貴族の力とはそういうもの。

 そもそも貴族の仕事とは、平民から税という利を吸い上げて、自領の防衛や発展を進めることにある。



 要はこれも同じこと。

 平民から戦力を取り上げ、領地の守りに使う。

 領主としての正義だ。

 領主から安全を保障される平民は、文句を言える立場にはない。

 それでも頷かないのであれば、武力でもいい。

 適当な罪をかぶせてもいい。

 所詮は後ろ盾を持たぬ平民なのだ。

 権力を背景に迫れば、こちらの要求を呑むしかなくなる。



 だが、ライヴェンの表情は芳しくない。



「閣下は何か懸念でも?」


「……しもべの扱いに関してはデリケートなことはそなたも知っていよう。下手に扱えば王国法に抵触する」


「相手はたかが平民です。他の貴族もいちいち口は挟みますまい」


「だがな」



 やはり、乗り気ではないか。

 いや、ライヴェンが気にするのも当然だ。

 ライヴェンは王国西部の筆頭領主。

 常に派閥外の貴族から、その地位を狙われている。

 どんな敵対する貴族たちはどんな些細なことであってもあげつらい、駆け引きに利用し、勢力を削ごうとしてくるのだ。



 ライヴェンも当然それを危惧しているらしく。



「その【古代魔術師エンシェントメイジ】は、すでにギルドに登録をすませているのであろう? ギルドから人材を取り上げたなどという話に持っていかれてはかなわぬよ」



 勇士隊ギルドは教会と同じく、貴族間では一種聖域のような扱いをされている。

 彼らは王国、帝国全土に支部を持ち、独立した武力と権力を有している。

 そのため、貴族の権力をもってしても、その頭を押さえることはできないのだ。

 そのうえ、依頼による魔物の討伐や、生産職などが必要とする素材の採取も行う。



 もし彼らが領地から引き揚げてしまえば、領地運営にも支障が出てしまうだろう。

 もしここで他の派閥の貴族が、ライヴェンがギルドから人材を奪ったとギルドの本部に吹き込み、ギルドとライヴェンとを対立へ導こうとすれば……余計な負担となる。



 危うそうな藪はできるだけそっとしておきたい。

 ライヴェンの口ぶりからは、そんな思いが窺えるが、



「それに関しましては、私に腹案が」


「……………」



 一計あると口にしても、ライヴェンはまだ渋っている。



「閣下、領地周辺を魔王軍の魔物がうろついているという報告も上がってきております。やはり領軍の戦力強化は、最優先なのではないでしょうか?」


「アンデットだったな」


「は」



 つい最近になって、マーシール領内にアンデットが現れたという報告が相次いでいる。

 出没する数もそれほど多くないため、領軍と勇士たちで十分対応できる程度だが、アンデット――魔王の軍を構成する魔物であるため、油断はできない。



 領内への侵攻も念頭に置かねばならないのだ。



「いまの戦力では、心許ないか」


「ウェイドさまのお話を聞く限りでは、たとえ勇士隊ギルドと連携したとしても、撃退は難しいのではないかと思われます」



 伯爵領にも、すぐに動かせる戦力はある。

 領軍という十分な常備軍を持ち、魔物に対する戦力として、勇士隊の活動にも資金を注いでいる。



 だがそれでも、領地の防備に対し憂慮はあるのだ。

 アンデットは、命を持たない存在だ。

 それゆえ、その身の安全を勘定に入れない。

 移動できる地形ならばどれだけ険しくとも関係ないし、戦いとなれば強者に対しても怯むことはない。

 腕が落ちても足がもげても、お構いなし。

 それこそ動けなくなるまで戦い続ける。

 知恵が回る相手よりも、よほど危険だと言えるだろう。



 もちろんザガンの勇士隊ギルドにいれば、有事に支援してくれることは間違いない。

 だが、いざ戦いとなっても指揮下に置くことができないため、思い通りに運用できないというデメリットも存在するのだ。



「閣下。エルエリンノールからのエルフの招聘も芳しくありません」


「おそらくそれは、アーヴィングが裏で動いているのだろうな。マルクスめ。忌々しい男だ」


「なればなおのこと!」



 バスクはダメ押しとばかりに、一層強く訴えかける。

 ライヴェンはそれを、領地の安全を憂慮する者の熱意と受け取ったか。



「……わかった。その件はそなたに任せる」


「必ずや【古代魔術師エンシェントメイジ】を閣下のもとへ」



 その下知に、バスクは内心、ほくそ笑んでいた。

 ライヴェンのもとに【古代魔術師エンシェントメイジ】を連れてくれば、バスクの評価は確実に上がる。

 いや、上げざるを得ない。

 【古代魔術師エンシェントメイジ】ならば、活躍は約束されているようなもの。

 領地への貢献があれば、必然それを連れて来た自分のことも、蔑ろにはできないのだから。


 ライヴェンへの挨拶を終えたのち、執務室から退出する。

 そして、扉の前で、忍び笑いをかみ殺す。



「運が回ってきたな」



 【古代魔術師エンシェントメイジ】を、連れてくる計画を進めるため、自室に向かって歩いていると、前から一人の若者が歩いてくる。

 優し気な雰囲気を持つ青年。

 線は細く、顔は甘く、年上の女性を殺しにかかっているような風貌を持っている。



 ウェイド・ザン・マーシール。

 ライヴェン・ドゥ・ザン・マーシールの三男である。



 少し前に帝国に赴き、帝国軍と魔王軍との戦いを視察していたが、つい先日、その視察を終えて帰ってきたばかりだ。



 やがて距離が縮まると、ウェイドがにこやかに話しかけて来る。



「子爵、いつもお仕事ご苦労様」


「は。ウェイド様、ご機嫌麗しゅうございます」


「それで、今日はどうしたんだい?」


「どうした、とは?」


「なにかいいことでもあったように見えるけど?」


 ウェイドはそう言って、無垢な笑みを向けて来る。

 そんな主人の子息に、特に隠すこともなく、笑みを返した。


「はい。少々」


「あのさ、ちょっと相談があるんだけどいいかな?」


「は。なんなりとお申し付けを」



 甘い蜜の香りが漂ってきたのを感じ取り、恭しい態度を取る。


 ……このウェイドと言う青年、見た目同様穏やかな性格をしているが、腹にはなかなか黒いものを持っている。

 バスクもつい最近までは、彼のことを見た目通りの男だと思っていたが、視察から帰ってきた折にとある話を持ちかけられ、彼の一面を知ることができた。

 そしてそのときに一枚噛ませてもらった仕事では、かなりいい目を見させてもらったのだ。



 頭の固い領主と違って、話が分かる。

 間違いなく自分の同類だ。

 今後とも彼と良い付き合いをしていけば、懐もさらに潤うだろう。

 だからこそバスクは、彼を次期領主に押し上げるつもりなのだ。

 ライヴェンの長男を押しのけて。



「――それでさ子爵。またあそこに行けるよう手配してもらいたいんだけど」


「は、私にすべてお任せください」



 彼の言う場所とは、ザガンで秘密裏に行われる、奴隷オークションのことで――

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