目を惹く目印

上山流季

序章

「閻魔様から『人生をやり直すチャンス』を与えられました。あなたは自分の好きな時代へと戻り、人生をやり直すことができます。あなたはいつの時代からやり直す?」

 男が私に世間話を振ってくる。

 私は無視した。

 男は続ける。

「俺なら、小学生時代からやり直す。特に暗黒時代ではなかったが、今の記憶がある状態で小学生になると、勉強でもスポーツでも英雄になれるからね。神童と呼ばれてしまうかもしれない。なんたって、小学生なのに大学レベルの問題が解けるんだから」

「はあ」

「君ならどこからやり直す?」

「あなたと出会う前です。あなたと出会う未来を回避します」

「冗談きついぜ」

 男は可笑しそうに笑った。

 私は笑わない。

「で、真面目に考えたら、いつからやり直す?」

「………………馬鹿馬鹿しい」

 私の言葉に、男は苦笑した。

「まあまあ、夢があっていいじゃないか。それに、馬鹿馬鹿しい話題を振られても、それに一応乗ってあげるのが大人というものだ」

「たとえ自体が馬鹿馬鹿しくて乗れないんですよ」

 私は言う。

「私ならそのような『チャンス』は欲しくもなんともありません」

「おや」

「既に終わったことを繰り返すなんて、ただの拷問でしょう」

「けど、より良い未来が待っているかも」

「より悪い結果になるかもしれません」

 私は男を見据える。

「そもそも『やり直したい』と思うことこそ愚かですね。それは過去を『後悔』しているということでしょう? 後悔するくらいなら最初から全力投球していればいい」

「ふむ」

「小学生時代から英雄になりたかったのなら、あなたは当時、そのための努力をすべきだったんですよ。馬鹿ですね」

「正論だね」

「つまり」

 私は嘲笑を込めて、男を見つめる。


「そのような馬鹿馬鹿しいたとえ話をする時点で、かなり、馬鹿馬鹿しく愚かしいことです」


「……ひゃははは! まったくその通りだ!」

 男は反論できず笑っている。

「そうか。なら、『やり直したい』と思わない君には、人生における後悔なんてないのかな?」

「ええ、ありません」

「素晴らしいことだね」

 どこか空々しく、男はそう言った。そして続ける。


「けれど、君はいつか必ず後悔するよ」


「私がですか?」

「ああ」

 私は男を、見下すように睨む。

「負け惜しみですか?」

「そう思うなら、そう思っていればいい」

「………………」

 男の真意が掴めず黙る私を見て、男が笑いながら次の話題を提示する。


 …………………………。


   ◆◆◆


 人間という生物の、全ての器官の中で最も優れている器官。それは目だと僕は思う。

 眼球の大きさは直径約二・四センチメートル。丁度片手に収まるくらいのいいサイズ感。その眼球の頂点には、レンズの役割を果たす水晶体と、その周りに色を添える虹彩と、盛り上がった角膜が乗っかっている。

 目というのは優秀な器官である。明るいところも見える、暗いところも見える、遠いところも見える、近いところも見える。その場の明暗や遠近に柔軟に対応し、僕たちにその景色を見せる。

 それだけではない。目は、僕たちに鮮やかな色まで見せてくれる。

 目の存在によって僕たちは、遠くの山で輝く緑を見られるし、足元に咲く黄色いタンポポを見られるのだ。

 ああ、なんて素晴らしいのだろう。

 しかし、目の素晴らしさはそれだけではない。もっと、もっと素晴らしい点がある。

 それは――美しさだ。

 目、眼、瞳。それは、なんて、美しいのだろうか。

 光を受け、虹彩が煌く。

 日本人の目は大半がブラウンだ。そのブラウンの瞳は、光の加減で、黒色にも栗色にも見える。中心の黒い瞳孔から、その美しい栗色が拡散している。光の加減によって、瞳孔が開いたり閉じたりを繰り返す。

 黒目の両端には、眼球が丸いことを想起させるように、つやつやとした白目が空間を埋めている。白い球の表面には細かな血管が赤い筋を引き、この眼球が『生きている』のだということを主張している。

 その球体を、人間は目蓋という皮膚で覆い、危険から防いでいる。目というのはデリケートな器官なのだ。乾燥してもいけないし、砂で汚れてもいけない。だからこそ目に蓋をする。しかもその蓋は自らの意思での開閉が自由で、『見る』という行為の邪魔をすることはない。

 目蓋の縁にはまつげという短い毛が生えている。この毛も、本来は目を守るためのものだ。いまどきは、女たちが目を大きく見せるためにこのまつげに装飾を施すことも珍しくない。しかし、その化粧が目に入り目が痛んでしまうこともあるのだというから、本末転倒である。

 とにかく、目とは美しい。しかも完璧だ。目とは美しく完璧な器官なのだ!

 ……少し熱くなってしまった。

 つまり、何が言いたいのかというと、僕は、目が好きなのだ。この世に『目』以上に美しいものなど存在しないと断言してもいい。どんな芸術品も、どんな宝飾品も、『目』には遠く及ばない。

 しかし。

 子どもの頃から、話をする時、相手の目を覗き込みすぎて気持ち悪がられた。部屋で遊ぶ時は、鏡で自分の目を見つめていたので、同じく気持ち悪がられた。

 そうなのだ。僕の『目』に対する『美しい』という感情は――あるいはこれは執着と呼ぶべきか――通常、僕以外の、いわゆる『一般の』人間たちには理解されない。

 まだ若かった頃は『どうして理解してくれないのだ! 目はこんなにも美しいのに!』と憤慨したものだが、今はそうでもない。僕だけが目の美しさを知っていれば、目はそれで満足してくれる。逆に、目の本当の美しさを知っているのは僕だけなのだ! 僕は目に選ばれたのだ! そう思うと、心が充足感で満たされた。

 僕は毎日鏡で目を見つめ、写真などの目を見つめ、穏やかに過ごしてきた。

 気に入った目の写真は大きく拡大してプリントアウトし、部屋の壁や天井に貼り付けた。目に囲まれた生活。目に見守られた生活。目に目が届く生活。素晴らしい。

 最近は画質が上がったため、テレビで目を見る機会も増えている。動きのある目は、凝視することが難しい分、その躍動感が伝わってくる。

 一人で目を見て過ごす日々に、僕は満足していた。しているつもりだった。

 しかし――僕は『それ』を見てしまった。

 見てしまったのだ。

 ああ――僕には、同志がいたのだ。

 仲間がいたのだ。

 理解者がいたのだ。

 いないと思っていた。僕はずっと一人で、孤独に目を愛でて生きていかなければならないのだと思っていた。僕は人間の社会から見れば『異端』であり、『異物』なのだとずっと思っていた。『目の美しさ』を理解できるのは僕しかいないのだと思っていた。同志も、仲間も、理解者も――友達すら、いないのだと、存在しないのだと、思っていた。

 しかし、そうではなかったのだ! 僕は一人ではなかったのだ! 孤独ではなかったのだ! 僕には、同志が、仲間が、理解者が、友達がいたのだ!

 僕の同志へと、僕も応えなければならない。

 同志が僕にしてくれたように、僕も、『あなたは一人ではないのだ』と、伝えなければならない。

 その方法は、一つだ。

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